学問好きな多聞丸
東に葛城、西に河内丘陵、南に和泉山系、三方を山にかこまれた
このあたりは、赤坂水分の里とよばれている。
村に小高い赤坂山があって、その中腹には大きな屋形がある。
それほど古い屋形ではないが、庭に楠木の古木がそびえたっている。
村人たちは、「楠木の長者屋形」とよんでいる。
その中庭で、二人の少年が、くんずほぐれつ取り組み合っていた。
長男と多聞丸と弟の七郎だった。だが、三さい年下の、
七郎のほうが強い。とうとう兄を組み敷いて、
いまにもなぐりつけようとしたときだった。
「こりゃ、うぬら、なにをしているぞ!」
かみなりのような声が轟いた。
縁先に坊主頭ながら、頬に大きな刀傷のある大男が立っていた。
父の入道正澄であった。正澄は縁先からおりてくると
いきなり七郎の襟首をつかんで、その横面を平手打ちした。
「七郎、多聞に向かって無礼をするな。楠木家の後取りじゃぞ。」
なお、七郎をなぐろうとする父の手を多聞が必死でおさえた。
「やめてください父うえ。もとはといえばこの多聞がわるいのです。
私が七郎の相手はしてやらなかったからです。」
多聞が父にわびると、突然七郎が
「ち、ちがう!わるかったのはわしじゃ!」
と、さけぶと「わっ!」と泣き出してしまった。
読書をしていた多聞、弟の七郎が、村のこどもを集めて
合戦ごっこにつれだそうとして、それをいやがる兄とのあらそいに
なったらしい。今日にかぎっての事ではなかった。
やっといかりのしずまった正澄は、声をやわらげて言った。
「食事をすませ、これから玉串の市へつれていってやる。」
七郎はいいぞというように拳をつきあげたが、多聞は気がすまない。
市のある玉串荘は、河内平野中央部の東はしの、
玉串川流域にある荘園で、水運の要所である。
「わたしもですか。」
「うん。そろそろ後取りのおまえにも、玉串の市の商いなどを
知っててもらわねばならん。」
と、いったあと正澄は考えた。
土地のあらそい、商売、それらの利益をめぐって、小さな合戦を
くりかえしてきた正澄であった。
顔だけでなく、肩やニの腕にも矢傷があった。
しかし、これからの時代、市場を制し、大きくなった楠木党を
まとめていくのには、学問をいやがるふうもなかったので、
山一つむこうの観心寺へ勉強にかよわせた。
それはそれでよかったのだが、多聞は、すっかり学問好きな
僧のようになって、あらそいごとをきらうようになっていた。
「人は、わしのことを無類のけんかずきのようにいうが、
わしとて、あらそいはきらいじゃ。しかし、あらそいをさけていたのでは、世間のかたすみにおいやられてしまう。」
父の正澄はときおり、多聞にいいきかせるのだが、
あまり身にしみてきいてはいけないようだった。