第35話 後日譚が始まる――欠けた結末の中で(3)
喫茶店『陽月房』の改装工事は、一通り終わった。
元がそれなりの広さを持つ屋敷だけあって時間はかかったが、工事自体はひと段落。あとは店舗としての飾り付けを残すのみ、という段階まで来ている。
しばらくは自邸に戻っていたが、陽月房の中に俺の部屋ができたと聞き、こちらへやってきた。
当面はここを生活の拠点にすることになるだろう。
玄関で出迎えたのは、満面の笑みを浮かべたクラリスだった。
「お帰りなさいませ、お嬢様。お部屋の準備が整いましたよ」
「お嬢様はやめろ。……それと、なんだか嫌な予感しかしないんだが」
改装中に見かけた、あの大量のピンク色のペンキが脳裏をよぎる。
「……クラリス。まさかとは思うが」
不安に駆られて一階の店内をざっと見渡してみる。
フロアは女性客用と男性客用の二つに分けられていたが、どちらも決してドギツいピンク色というわけではなかった。
女性客用のスペースがピンクまみれになるのでは、と危惧していたが、どうやらそれは杞憂だったようだ。よかった──本当によかった。
ピンクまみれの少女趣味な空間なんて用意されたら、それを使って何かをしようって思いかねないのがいるからな。隣に。
俺の懸念を余所に、クラリスはにこやかな笑みを崩さない。
「さあ、こちらへどうぞ。きっとお気に召しますよ」
促されるまま、案内された部屋へと向かう。
辿り着いたのは、白いドアの前だった。……いや、ただの白いドアではない。少しピンク色のリボン柄があしらわれたドアだ。
心臓がバクバクと音を立て始める。ものすごく嫌な予感がする。
「では──オープンです!」
ドアが開いた瞬間、俺は絶句した。
視界のすべてを埋め尽くすのは、ピンク。――ひたすらピンク。
壁も、天井も、カーテンも。
どこを見てもフリル、レース、ハートの装飾。
そして極めつけに、ベッドの上には巨大なクマのぬいぐるみが威風堂々と鎮座していた。
この部屋の内装をシンプルに表現するなら、ピンクを巧みに使いこなした、少女趣味な部屋。
いや、その言葉では足りない気がする。
俺の頭にある、少女趣味な部屋という概念を、じっくりコトコトと煮込んで濃縮でもしなければ、ここまでにはならないのだから。
だが、この仕上がりは否定できない。
ピンクという劇物を、一流の職人が卓越した技術と冷徹な計算で調合し、ひとつの「完成された世界」へと昇華させた芸術的暴力に至っているからだ。
この完成度に、作り手の底しれぬ狂気を感じるのは、気のせいだと思いたい。
「…………」
しばしの沈黙を破ったのは、弾んだ声だった。
「どうでしょう! お嬢様のためのプリンセスルームをテーマにしてみました!」
「お嬢様はやめろ。プリンセスもやめろ」
必死にツッコミを入れるが、完全にスルーされている手応えしかない。
「最高のお嬢様には、最高のお部屋を用意したい。それが我らメイド一同の意思です」
気づけば、いつの間にかメイドたちが集まってきていた。
「なんで、大きな仕事をやり遂げたみたいな顔をしているんだよ」
全員が妙に晴れやかな表情をしているが、店の改装を頑張ったという理由であって欲しいと願うのは、贅沢なのだろうか?
「職務規定に理想のお嬢様に尽くしてはいけないという記述はございませんので」
俺の問いに答えたのは、クラリスではない。彼女が連れてきたメイドの一人だ。一切の迷いがない真顔で言い切っている。
「理由になってないだろ。そこに俺の意思を考慮するのを忘れてるぞ」
軽くため息をつきながら抗議する。
しかし、相手はあのクラリスが選別した精鋭だ。
「お嬢様が、さらなるお嬢様として完成なされるために、私たちはお嬢様の細部となって生きる。これぞメイド冥利の極致でございます」
「狂気を感じる発言をありがとう」
乾いた笑いしか出てこない。
「理想のお嬢様にお仕えし、他の家のメイドたちに自慢をする。その絶好のチャンスがやってきたのです。たとえ主といえども、邪魔はさせません」
「……俺、どこで人選ミスしちゃったんだろ」
思わず頭を抱えたくなった。
果たしてどこで間違えたのか──答えは明白だ。クラリスに人集めを任せた、あの最初の段階である。
メイドや執事を集めたのも、その後に新しく人を雇ったのも、すべてはクラリスの差配。
つまり元凶は間違いなく彼女だ。……いや、待て。そのクラリスに採用を任せたのは──。
「なんで俺は、お前に人選を丸投げしちゃったんだろうな……」
嘆きを口にしてしまったところに、返ってきた答えはいつも通りだった。
「優秀すぎる私に任せるのが最善だと、お分かりだったからでしょう?」
くそっ。
本当に優秀すぎて文句の付け所がないのが悔しい。性格さえまともならと、何度思ったことか。
――だが、こんなやり取りすら、どこか愛おしく感じてしまう。
自分が消えるべき薄汚れた偽物であると分かっていても、ここに在りたいと望んでしまうんだ。
そんな資格などないと、自覚していても。
とはいえ、それはそれ。これはこれだ。
「……とりあえず、別の部屋を用意してもらえないか?」
「他の部屋はすべて荷物置き場にしていますから、使えませんよ」
被せ気味の即答だった。泣きたい。
「それとですね、他にもご覧頂きたい物がございます」
見事な連携だった。クラリスを筆頭に、メイドたちが一斉に部屋の隅へと移動する。
そこにあったのは、巨大な──なんだ、アレは。
壁の一部がうっすらとピンク色に塗装されており、そこにはなぜか取っ手が付いている。
いや、まさか。嘘だろ。
「さあ、ご覧ください!」
満面の笑みと共に、クラリスは地獄の号令を言い放つ。
観音開きの重厚な扉が、大いなる口を開けるように解き放たれる。
――やりやがった。
「お嬢様のためにご用意した、ドレスに普段着、そしてムフフな下着の数々でございます!」
過剰なフリルで飾り付けたシルクのドレス。少女らしい、むしろ少女すぎる繊細なレースの奔流。奥には――やめておこう。熱量が狂いすぎていて、直視したくない。
なあ、クラリス。
お前、本気で俺の尊厳にとどめを刺して、最高のお嬢様とやらに加工しようとしていないか?
「ちょっと家出してくる。探さないでくれ……というか、そこをどけ。通してくれ」
現実逃避を試みて歩き出すが、すでに退路はメイドたちが完全に塞いでいた。
「ご安心ください。最高のお嬢様に相応しい、最高のコーディネートをしてみせますから」
「その言葉で安心したくないから、家出したいんだよ!!」
それでも、俺はここに在りたいと望んでしまうのだ。
……せめて下着だけは、まともな物を選び取れるように全力で頑張ろうと思う。
ん?
今──。
「ぉ、おい。あのクマのぬいぐるみ、今、動いたぞ」
「ふふふ、お嬢様、ご冗談を」
「いや、本当に……おいっ、アイツさっきまで寝ていたよな!? なんで座っているんだ!!」
「そんなこともありますよ。お疲れなのでしょう」
「お前を相手にして疲れているのは確かだが……いや、これ、疲れたで済ませちゃいけない話だろっ!」
最終的に、その疲れているくまのぬいぐるみは、俺の部屋から追放され、喫茶店の客席に座らせておくことになった。
……まあ、いい。そもそも俺自身が、この世界で一番の怪奇現象みたいなものだ。
今さら、おかしな住人が一匹くらい増えたところで、大した問題ではないだろう。
――で、お前。なんで客席にいたはずなのに、俺の足に寄りかかって寝ているんだ?
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