第29話 仕事が始まる――欠けた円庭で(3)
モニカの運命は、剣という名の盾によって守られた。しかし、一時凌ぎの措置に過ぎない。
「……っ、モニカは後ろに下がっていろ! シュリー、死ぬほど働けよ!」
グレムは大剣の切っ先を巨狼に向けたまま叫ぶ。
チームとして何度も訓練してきたから分かった。モニカの消耗が激しすぎることを。
「私の時給は高いから、覚悟しておいてよ!」
隣で銃剣を構えるシュリーが、余裕を装った鋭い声で返す。
「俺が払うのかよ!?」
軽口を叩き合いながらも、二人の視線は目の前の異形から逸らさない。
モニカがあの攻撃を放つのはもう無理だ。それに今の状態では、しばらくは二人だけでこの場を維持しなければならない。
「アイツ、これからは好き勝手動くからね」
「分かってらぁ」
これまではモニカの持つ圧倒的な質量――あの大斧を警戒していた巨狼だったが、その脅威が引いたことを敏感に察知している。それは、怪物の行動を縛っていた目に見えない枷が外れたことを意味していた。
「モニカ、回復したらシュリーを守れ!」
「うん……」
背後から届いたモニカの声には、明らかな疲労が混じっている。
動けないほどではないだろうが、あの重厚な鎧を十全に操るだけの瞬発力は、もう残ってはいない。
「化け物が、化け物ぶりを磨きやがって……」
グレムは忌々しげに毒を吐きながら、月光の下で変容を遂げた巨狼を睨みつける。
獣の背に生える人の形は姿を変えていた。割れた甲殻の隙間から、粘液に濡れた肉筋が脈動を刻んでいる。人ならざる、そして昆虫ですらあり得ない長い腕が、夜の闇をなぞるように妖しく揺れていた。
『本体は狼、背中の人型は……武器として機能しているようです』
ロニスの緊迫した声と共に、仮面型デバイスの視界に、邪魔にならないよう最低限のデータだけが投影される。
巨狼は静まり返っていた。じっと観察している。
モニカという一番重たい駒が盤面から消えた。ならば狼は「さて、どうやってこの残飯を片付けようか」と思案しているに違いない。 化け物の打算的な思考を想像してしまったせいか、夜の温度が数度下がったような錯覚を覚えた。
グレムはその視線の意味を正面から受け止め、奥歯を噛み締める。 覚悟は決まった。今までよりも、ずっと深く。
「はっ、いいぜ。こっちのやることに変わりは――」
だが、その決意を遮るように、通信機が震えた。
『応援が到着します!』
「来たか!!」
ロニスの叫びに、グレムの声が弾む。
最悪の数歩手前。ようやく死神の指先が喉元から離れた、そう確信した。しかし、続くロニスの言葉は、グレムの予想を斜め上へと跳ね飛ばした。
『応援のランクは、えっ――か、館長候補です!』
「は? 館長候補って、あの十歳だろ!!」
館長候補。永劫図書館において、長らく一人しか存在しなかった特異な地位。グレムの脳裏に、年齢が一桁の頃からその地位に座り続けている、あのチビッコの顔が浮かんだ。
戦場に子供を放り込むのか?
「さすがにダメだろ!」
『ちが、いえ……新しい館長候補です。名前はまだ未登録ですが』
「話をまとめろ! ――頼む」
『はいっ。魔人を倒して、そのままコチラに向かったとのことです』
「魔人って、上級執行官クラスじゃねぇか。化け物かよ! そうか……だが、ありがてぇ。で、あと、どれ位だ!」
問いかけながら、グレムは己の失策に気付く。
長話をし過ぎた。
獲物の調理方法を決めた巨狼が、地面を爆ぜさせて動き出す。
その異常な速度が、地面を容赦なく踏み荒らす。背中の人型が、その異様に長い腕を凶悪な爪のように振り上げ、獲物を喰らわんと肉薄した。
「くっ、あと少しで応援が来る! 持ちこたえるぞ!」
グレムがブレイカーを正眼に構え、迫り来る衝撃に身構えた、その時。
『到着しました!』
「は? ――なんだ!!」
頭上から空気を切り裂く鋭い風切り音が聞こえた、と思った瞬間。
視界の先で土が柱を作り出した。
鼓膜を揺らす重低音と共に、地面が大きく波打ち、凄まじい衝撃波が円庭に拡がる。
巨狼とグレムたちの間に、クレーターのような着弾地点が生まれ、そこから立ち上った濃密な土煙が月明かりを遮った。
「はっ……登場が、派手すぎるだろ」
グレムは顔を覆っていた腕を解き、乾いた笑いを漏らす。
衝撃で地形が変わっていた。空へと逃げた土埃が、月光に照らされながら銀に染まって舞い散り、足元には巨大な抉れ――クレーターすらできている。 これが、味方。――魔人を葬った、怪物。
目の前の巨狼から感じていた脅威が、急速に色褪せていく。
「あの狼、ビビっているよ」
隣で銃剣を構えたままのシュリーが、微かに声を震わせて呟く。
咄嗟に後方へ跳んで直撃を回避した因果獣は、低い姿勢で唸り声を上げ、土煙の向こうに映る人影を射抜くように凝視していた。
その瞳には、先ほどまでの捕食者としての余裕はない。格上の捕食者を前にしたかのような警戒の色が滲んでいる。
夜風が吹き抜け、視界を塞いでいた灰色の煙がゆっくりと晴れていく。
月光の下に現れたのは、黒いハーフコートに身を包んだ、異様なまでの静寂を纏う人物だった。
顔を覆うのは、無機質な黒い仮面。コートに走る銀色のラインが月明かりを反射して鋭く輝き、その隙間から零れる銀色の髪は、夜の闇の中で淡く燃え、漂う幽鬼の炎のように揺らめいている。
「援軍──館長候補の共鳴者だ」
その人物は、ひどく落ち着いた声で己の立場を告げた。
常世離れしたその佇まいに、グレムは味方だと分かっていても、思わず背筋に冷たいものが走る。そんなこちらの反応を察したのか、人物は仮面の奥から視線を向けた。
「怪しい格好だが、それはお互い様だ。今は、識別信号を信じておけ」
デバイスの視界の端に、正常な味方識別が表示されている。
「随分、頑張ったようだな。格上を相手に、ここまで持ちこたえるとは。……いいチームのようだ」
「えっ、あ……ありがとうございます」
淡々と放たれた称賛の言葉に、グレムの胸に少しだけ誇らしさが芽生える。死線を潜り抜けた直後ということもあり、素直に認められたことが嬉しく、緊張で強張っていた顔が僅かに緩んだ。
「ご褒美に、マキナ・マイスターの先達として、レッスンをしてあげよう」
だが、次に続いた言葉に、グレムの思考はぴたりと止まった。
好感度が上がっていた心の中に、奇妙な空白が生まれる。
「気負う必要はない。たった三つのことを覚えるだけで、今日から君も立派なマキナ・マイスターだ」
どこかで聞いたことがあるフレーズだ、とグレムの記憶が警報を鳴らす。
街中で胡散臭い勧誘に引っかかった時、怪しげなセールスマンが口にしていたあの語り口に、あまりにも似ていることに気付く。
圧倒的な力を持つはずの共鳴者から放たれた、あまりにも場にそぐわないキャッチフレーズ。
グレムの脳内で、戦場に舞い降りた救世主という認識は、この瞬間「とんでもなく変な人が来た」という不審者認定へと書き換えられた。
「まずはレッスン1だ──」
共鳴者の低く落ち着いた声が、静まり返った円庭に響く。
対峙する巨狼が、喉の奥で低く、濡れたような唸り声を上げている。その殺気は先ほどまでとは比較にならないほど鋭い。共鳴者はゆっくりと腕を引き、腰を深く沈める構えをとった。
一触即発。張り詰めた空気が、薄いガラスのように戦場を包む。
だが、その張り詰めた緊張感の中に、奇妙な違和感が混ざっていた。
「……なあ。あの構え、おかしくねぇか?」
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