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第28話 仕事が始まる――欠けた円庭で(2)

 グレムが振り下ろした大剣が、因果獣の強靭な四肢を強引にねじ伏せてその機動を奪う。


 続く銃声が、標的の猶予を撃ち抜く。シュリーの放つ魔力弾が攻撃の継ぎ目を縫うように奔り、因果獣を釘付けにした。その連携の終着点として、モニカの巨大な斧が敵もろとも大地を叩き割る。


――はずだった。


「動きが、早すぎる……!」


 警戒を孕んだグレムの呟きが、戦場に低く沈む。


 振り下ろした鋼鉄の剣から伝わる手応えは、羽毛のように軽かった。


 刃を当てたと思った瞬間、すでに獣の体は凶刃を逃れている。直撃の瞬間、最小限の予備動作で衝撃を無効化いなされているのだ。


 それは完全な回避よりもなお悪質な行動。即座の反撃を可能とする技術。グレムたちの体勢が崩れる「死角」へと、暴力の矛先を、正確に突き返し続けていた。


「私の援護は高いからね!」


「報酬はデザート。でも、俺の給料を考えてくれよ」


 何度もシュリーの射撃に助けられた。これは、あとでお返し(請求)をするときが怖いなと、考えながら剣を握り直す。


「む~。上カルビのクセに」


 あの、因果獣が食材に見えているのだろうか? 隣でモニカが頬を膨らませ、不愉快そうに唸った。


 だが、彼らの短いやり取りを、対峙する因果獣が待ってくれる道理はない。巨狼は低く身構えると、爆発的な速度で距離を詰めてきた。



 視界がブレるほどの加速。喉の奥から漏れ出る低いうなり声が、地面を伝って足の裏を震わせた。


 威圧感が半端ではないが、焦燥感はない。やるべきことは、すでに決まっているのだから。



 グレムは、すでに重厚な大剣を正眼に構えていた。


 巨狼との距離を見計らい、大地の底を抜くような勢いで叩きつける。


 腹に響く衝撃波が地表を走り、土煙が舞う。逃げ場を奪うその震動が、因果獣の流れるような進行を一瞬だけ硬直させた。



 その隙を、シュリーは見逃すことはない。


 銃剣の銃口から魔力弾が放たれる。緑色の光が尾を引いて巨狼に降り注ぐ。一発、二発ではない。数十発が、巨狼を襲い、着弾のたびに火花が散らす。獣の皮膚を灼く異臭が僅かに漂う。



 少しだが効いている。


 そこへ、モニカが動く。彼女の小さな体が地を蹴り、巨狼とは違う別種の野生の動きで得物へと迫った。


「バ~ン!」


 あどけない声とは裏腹に、身の丈をゆうに超える大斧が空気を砕きながら振り下ろされる。



 直撃を確信した。


 しかし巨狼は、物理法則をあざ笑うかのような鋭さで、真横へと滑るように移動して見せる。


 肉片にすべき相手を見失った斧は、代わりに地面を獲物と見なし、暴虐の一撃を叩き込んだ。


「む~」


 獲物を逃したモニカは、不満げな声を漏らすも、状況を変えることはない。


 即座に、巨狼が反撃に転じる。これまでの戦いで、一定以上の知能を持っているのは明白だ。そのような獣が、もっとも厄介な相手を狩れる瞬間を見逃すはずもない。



 モニカに迫る爪。しかし、それを防ぐのはグレムの仕事だ。


 彼が大剣を盾のごとく振るい、獣の進路を力ずくで塞ぐ。その瞬きほどの隙間に、シュリーの精密な狙撃が刺さり、敵の足止めをする。



 連携に問題はない。


 だが、決定打だけが空を切る。


 モニカの放つ一撃だけが、どうしても届かない。相手の速度もあるが、戦場を冷静に分析している。他の攻撃であれば、ある程度までなら許容しても問題なく、モニカの斧だけは受けてはならないと、その判断を執拗なまでに徹底していた。


戦術鎧タクティカル・アーマーは、まだ使うなよ」


 大剣を構え直しながら、グレムが低い声で制す。


「了承。メインディッシュは最後。料理はタイミングが命」


 モニカは短く応じる。軽口を叩いてはいるものの、彼女の白い額には玉のような汗が滲んでいる。呼吸は浅く、重い斧を握る指先には熱がこもっていた。



 身体強化をしても、それでも限界は存在する。


 モニカの様子を見てグレムは、予想以上に消耗していることに危険を感じ始めていた。彼女だけではない、自分やシュリーもだ。


 それに、気になることもあった。あの因果獣、どこか動きが不自然だ──。


「くっ……!」


 因果獣が再攻する。


 鋭い爪はグレムの大剣を切り裂くかと錯覚するほど鋭く、不快な金属音を立てる。それを力任せに受け止め、強引にその場に釘付けにする。


──大丈夫だ。


 動きが止まった巨狼に、シュリーが魔力弾を放つ。足を撃つも僅かに衝撃を与えただけだ。


 それでも間接に当てれば、多少は動きを止められる。



 この瞬間は、モニカのために用意された時間だ。


 再び大斧が空を割る。しかし、刃がその獣毛に届くことはない。巨狼は、不自然な角度で体をねじって、大斧を避けた。


 モニカの斧の重厚な刃が捕らえたのは、また誰もいなくなった地面だけであった。


「む~~、また……」


 モニカの声に、焦燥が混じり始めている。


 何度も訓練してきた連携だからこそ、結果が裏切られたときの失望も大きい。それも途中までは完全に近い形で連携が成立しながら、最後だけ、決定打だけが避けられている。


「俺たちの仕事は足止めだ! 忘れるなよ!」


 グレムが叫び、モニカに自分達の役割を思い出させる。


 しかし足止めさえできれば、それでいいわけではない。ただ時間を稼ぐだけでなく、援軍が到着しなければ意味はないのだから。


──いつ援軍は来るのだろう?


 グレムは、嫌な予感がしてならない。


 いつ来るかも知れない応援を信じて、限界に近い戦線を維持し続けるのは、肉体的にも精神的にも負担が大き過ぎる。経験が不足した彼らには、その影響はよりいっそう大きかった。


「忘れるな、焦るな、見失うな……でしょ」


 シュリーの声が、通信装置から響いた。


「ああ、そうだ……! 足止めであることを忘れるな──と、──うまくいかなくても焦るな──っ!」


 グレムは獣の猛攻を紙一重で躱しながら、通信を繋ぎ、自身に言い聞かせるように言葉を紡ぐ。


「──自分を見失うなッ!!」


 危うく、目的を意識しすぎて、自分を見失いかけていた。自分、すなわち今できることに集中することを。



 咆哮と共に獣が迫る。


 グレムは防戦一方に追い込まれ、盾代わりの大剣に火花が散り続ける。シュリーの狙撃も、もはや牽制以上の決定打にはならない。モニカもまた、自慢の剛腕を振るう隙を奪われている。


 だが、誰も自分を見失ってはいない。


──目的を忘れるな、目の前の事に焦るな、絶対に自分を見失うな!!


 三人の呼吸が乱れ、連携の糸に綻びを与えようと、巨狼は次々に攻撃を仕掛ける。しかし彼らの連携を切り崩すことはできない。


 戦いは苦戦している。だが、苦戦しているということは、相手もまた決定打を与えられないという状況なのだ。


 巨狼相手に連携で、持ちこたえる三人。



 そこへ通信機から連絡が入る。


『クラップの準備ができました』


 その一言に、グレムは仮面の下の口に笑みを浮かべる。戦場に鋭い光が差し込んだのを感じたのだ。


「よしっ! 使うタイミングは俺が出す。他の二人にも伝えてくれ」


 ここが勝負どころだと、判断したグレムの声に迷いはない。


「クラップを使うタイミングを作る。総攻撃だ! モニカ、分かっているな!?」


 モニカは斧を低く構え、彼女もまた仮面の下に隠れた唇を吊り上げていた。


「オッケー。訓練通りやれば……美味しく召し上がれる!」


 モニカは、相変わらずマイペースだが、斧を握り直すその指先には、力強さが宿っている。


「徹底的に援護してあげるから、アンタも徹底的にやりなさいよ」


 背後からシュリーの冷ややかな声が飛ぶ。彼女は事務的なほど手際よく銃剣のボルトを操作した。金属同士が擦れる硬質な音が、静かな決意のように響く。


 グレム達にとっての勝利条件は、援軍が到着するまでの時間を稼ぎ切ることだ。


 今のままでは、こっちの体力が先に削られ、逃げられるか殺られるかのどちらかしかない。敵を衰弱させなければ、その勝利条件を満たすことはできない。


「人使いの荒い幼馴染様だな!!」


 土を撒き散らし、グレムが駆ける。


 迎え撃とうと身を捩る巨狼を、シュリーの魔力弾が冷酷に狙い撃った。眉間を掠める死の予感。獣は強引に回避を強いられる。


 一度足を止めさせれば、あとは彼女の独壇場だ。シュリーは精度を捨て、制圧射撃という名の「暴力的な雨」を降らせた。火力を維持し、敵を一定の座標に固定するために。


 必要なのは、わずか数秒。隊長が仕込みを終える時間を稼げば、それでいい。


 耳元を通り抜ける魔力弾の光跡を無視し、グレムは大剣の間合いへと肉薄した。振り下ろされる獣の爪。それを大剣で防ぐ――と見せかけ、彼はバックステップで一気に距離を取る。


 その手に握られていたのは、小さな白い筒。


 腕の振りと共に投じられた白筒は、シュリーの狙撃という喧騒に紛れ、音を潜めながら獣へと吸い込まれていく。


――爆ぜる。


 溢れ出したのは、かつて賢者と呼ばれた男の、歪んだ知性が産んだ「悪意の息吹」。


 喉を灼き、目を潰し、脳に汚泥が纏わりつくかのような忌まわしい悪臭が、巨狼を蹂躙した。


「|生体ナノマシン干渉兵器クラップをを使え!!」


『了解』


 グレムの咆哮が、破滅の引き金となる。


 ロニスの即座の応諾と共に、広場外周に据えられた鋼の機構が起動した。


 空を穿つ切り札が、鼓膜を激しく震わせる破砕音とともに大気を揺るがす。直後、夜の雲を貫いて降り注いだのは、鈍い銀の雨。槍の形状を模した金属杭の群れが、悶絶する巨狼を囲む「逃げ場なき牢獄」として、次々と地表へ刻まれていく。


 大地を穿つ破壊の連鎖。重なる震動は爆発魔法の乱射かと錯覚するほどの狂音となり、土煙が晴れた戦場に、円環状の杭による無惨な「墓標」を完成させた。


──だが、真の絶望はここからだ。


 杭から赤熱した光の糸が滲み出る。糸は地表を雷光の速度で迸り、幾重もの魔法陣が理を編み上げ、やがて来るべき死を予見する幾何学模様へと変貌した。


 本能的な危機を察した因果獣は、その場から逃れようと跳躍を試みる。しかし、受肉という禁忌のプロセスに紛れ込ませた「最後の細工(毒)」が、ここで牙を剥く。


 激しい放電音が鼓膜を突き抜けた。


 獣の体内から溢れ出した黄金の雷蛇が、その四肢を焼き、魂を縛る雷の鎖となって大地に縫い留める。僅か数秒前の猛威は消え去り、因果の異形は、ただ大地に磔にされるしかなかった。


──本当に正しいのか?


 グレムの頭を、得体の知れない嫌な予感が脳裏をかすめた。


「行け! モニカ!!」


 だが、今以上の好機はない。


 覚悟を決めたグレムの叫びを合図に、モニカの纏う紅の戦術鎧タクティカル・アーマーが、獲物を屠るべくその牙を剥く。


 連続する硬質な金属音。脚部のグリーブ、腕のガントレット、ショルダーパーツが肉食獣が咆哮するかのごとく展開し、深紅の装甲から排熱の如き燐光が噴き出す。それは金属の悲鳴か、あるいは戦いへの歓喜か。同時に握られた大斧もまた甲高い共鳴音を大気に響かせた。


 モニカが唇を割り、不可思議な反響を伴う旋律を紡ぎ始める。


「紅蓮の走駆は影残さず──」


 これは儀式だ。人の手では成し得ぬ御業を「制約」という枷で現世へ引きずり出す秘術。鎧から舞い散る魔力の残り火が、開門を祝福するように闇の中で踊る。


「赤煉の舞は万象を灰へと還す。耳にした者は恐れよ、目にした者は平伏せ」


 美しさは激しさへと。寛容は有無を言わさぬ強制へと。全てが一転した。


「我は魔女。陽蓮戦火モニカ・アーデロッテの名を以て、汝を滅する」


 大斧を天高く掲げると、地脈に眠る力が赤い奔流となって集い始めた。マキナの演算によって完成された「人の業」。それは、天の月を地に引きずり堕とすごとき理への冒涜。


 周囲の酸素を喰らい尽くし、夜空の星々さえ陽炎に揺らす紅蓮の熱源が、一人の魔女に頭を垂れる。


「──断──」


 刹那、モニカの姿が消失した。


 超加速。剛撃を確実に叩き込むためのみを目的に設計された、あまりに凶悪な真価。


 次の瞬間、彼女は因果獣の眼前で、大斧を振り下ろす一瞬として再構築されていた。呼吸すら困難な熱量。この一撃ですべてが終わる――誰もが、運命すらも、そう確信していた。


 だが、因果獣の姿が不気味に歪むと、未来もまた捻じれる。


 人の輪郭を模した外骨格が、継ぎ目から音を立てて剥がれ、内側の異形を露わにした。関節を無視して異常に伸びた腕が、鞭のごとき速度で突き出される。


「────陽天崩落ひてんほうらく────」


 解き放たれる絶技。しかし、仮面の下でモニカの瞳が驚愕に揺れる。


 あるはずだった手応えは、青い障壁に拒絶された。獣の腕が、空中に物理法則を無視して障壁を固定したのだ。


 届くはずだった刃は空しく火花を散らし、紅蓮の炎は青い拒絶に押し返される。


 「くっ……うぅぅぅぅぅ!」


 モニカが奥歯を噛み締め、さらなる力を斧に込める。赤と青、二つの魔光が激突し、周囲の陽炎を霧散させていく。地面は震え、土埃を巻き上げる狂乱の風が吹き荒れた。


 やがて、均衡が崩壊する。


 轟音──世界を焼き尽くさんとした紅蓮の炎が、無慈悲な拒絶に敗北した。


 極大の反動を受け、モニカの小さな体は木の葉のように弾き飛ばされる。加速という名の「制約」を使い果たした今の彼女には、もはや受け身を取ることすら許されていない。今や重力に翻弄されるままの、無垢なる質量。このまま地面に打ち付けられる運命にあった。


 だが、最悪は牙を以て未来を決することを選んだ。


 因果獣の異形化した顎が、獲物の喉笛を食いちぎらんと迫る。それは回避不能な死の宣告。誰も覆せない――そのはずであった。


 しかし、仲間は手を伸ばすことで、運命を握り潰す道を選んだ。


 ──モニカは、一人ではないのだから。


 この戦場のどこかで、あの「嫌な予感」が現実とすり替わろうとした瞬間。自らが盾となることを決めていた男がいた。


「伏せろぉぉぉぉぉぉぉおおお!!」


 横合いから、空間そのものを震わせるほどの咆哮。


 突進の風圧を纏い、グレムが死地へと割って入る。自らの命を乗せた一撃を放つべく、重厚な大剣を横一文字に薙ぎ払った。


 その一撃もまた、冷徹な青い障壁に阻まれる。だが、横たわった剣身はモニカを隠す鉄の盾となり、死の運命を強引に跳ね除けていた。





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