第27話 仕事が始まる――欠けた円庭で(1)
彼らの静寂は唐突に引き裂かれた。
アンティナの街の至る所に設置された、永劫図書館のセンサーが、因果獣の誕生を捉えたのだ。
直後、因果調律機関の各支部へと、有無を言わさぬ指令が飛ぶ。
宿舎の壁が青白く染め上げられ、ホログラムから放たれる熱が、冷めきっていた室内の空気を急速に書き換えていく。そこに流れる幾何学的なデータは、実戦の予感と共に密度を増していく。
さらに天井に毒々しく咲く時代錯誤な真鍮のシャンデリアが放つ琥珀色の光は、少年少女の柔らかな輪郭を、墨のように濃い影へと変貌させていた。
「装備の確認をしろ」
隊長を務める少年の鋭い声が響く。
「大丈夫だよー」「おっけ~」『大丈夫ですよ』
返ってきたのは、一つは通信機越し、既に現場へ先行している仲間からのものだ。三者三様の応えが重なり、彼らの日常は、音を立てて非日常へと滑り出す。
紺色のスーツに白のコートを羽織り、ガントレットを装着する手慣れた動作。首元の通信機がリンクの確立を告げると、室内の空気密度が一気に跳ね上がったように感じられた。
隊長の少年が、モニカの脚部にある深紅のグリーブに目を細める。
「モニカ、お前の戦術鎧は、イザというときの切り札だ。使うタイミングを間違えるなよ」
「おっけ~」
軽薄な口調とは裏腹に、彼女の視線は鋭く足元へ。少年の手が、腰のホルダーにかけられる。
額の部分に高性能なセンサーを埋め込んだ、その独特な形状から三つ目と称されるデバイス。彼らがマキナ・マイスターであるという証であり、戦場における最大の武器であるマキナを使うのに必要な装備だ。
「マキナデバイス、装着! 総員、これより因果獣への対処を開始する!」
三つの銀色の仮面が煌めく。通路へ踏み出した彼らの背後で、シャンデリアの光が鋭く尾を引いた。
「隊長~」
ふわりとした、場違いな声が背中を叩く。
「どうした」
足を止め、振り返る少年の眉間に皺が寄る。モニカが、何か大切なことを思い出したかのように人差し指を立てていた。
「お腹すいた。アメちゃんカモン」
緊迫した空気が、一瞬で霧散した。隊長は天を仰ぎ、深く、重い溜息を吐き出す。
「悩み無さそうでいいよなっ! お前はっ!!」
毒突きながらも、彼は慣れた手つきでポケットから飴玉を取り出し、モニカの口先へと放り込んだ。なぜ、飴玉を持っていたのかは誰も疑問に思わない。
モニカの糖分補給という名の我が儘に付き合うのは、もはや彼の職務の一部と化していたからだ。
「ほら、食えっ」
カチリと飴が歯に当たる音がして、モニカの頬が満足げに膨らんだ。
今度こそ、彼らは走り出した。
古びた石造りの宿舎を飛び出し──そして戦場へ。
月に照らされながら、入り組んだ路地を抜ける。彼らが向かう戦場は、アンティナの街の日常の中にあった。
徒歩でわずか五分。息を切らす間もなく、一行は盾穴円庭へと辿り着く。
そこは、一見すれば奇妙な造形物に満ちた広場だった。用途不明の巨大なコンクリートの柱や塊が林立し、幾何学的な曲線を描くベンチやテーブルが、静まり返った空間に点在している。
市民にとっては憩いの場だが、冷たい無機物が無秩序に置かれたその光景は、戦場を待つ今の彼らには、返り血を待つ処刑台のようにも見えた。
「いいかい。因果獣は因果の海を通ることで物理的な距離を無視する。対して永劫図書館のセンサーは、あくまで結果の残滓を追うことしかできない。この絶望的な情報格差を埋めるのが、小生ら職員の足というわけだ」
グレムは朗々と、まるで見えない教科書を読み上げるように言葉を刻む。
「現在、この拠点の戦力は小生たちのみ。増援が来るまで遅滞戦闘に徹するんだ。つまりは時間稼ぎだ。――って、おい。なんだその、ゴミを見るような目は」
モニカがあからさまに嫌そうな顔で鼻を鳴らす。
「喋り方、変」
「ぐ……だ、だが小生としてはだな、指揮官の威厳を……」
まだ悪あがきをしようとする隊長ではあるが、すでに体裁など存在していない。
「グレム、無理しすぎ。もっとリラックス、リラックス。そんなんじゃ因果獣より先に胃に穴が開くよ?」
「ああ~、くそっ! こうでもしねぇと緊張しちまうんだよ!」
シュリーが茶化すように笑うと、グレムの「鉄の軍人ごっこ」は音を立てて崩壊した。
「……容赦ねぇな! 見逃してくれよ! 少しくらい!」
「顔、うるさい」
モニカの遠慮のない言葉は、もはや暴力でしかなかった。
「簡単にバレる演技はしない。いいね?」
「はぁー……わ~ったよ。それでいいよな、シュリー。ついでにモニカも」
降参するように手を挙げた、その時だった。首元のチョーカー型通信機が小さく振動し、ノイズ混じりの声が鼓膜を叩く。
『僕のことも忘れないで欲しいですねー。グレム隊長殿』
「……忘れるわけねぇだろ。ロニス調律員殿」
投げやりな、しかし信頼の籠った返答。通信の主、ロニスの声はどこか楽しげですらあった。
『ははは。それはよかった。で、本題ですが……名誉なことに、因果獣は僕らの用意した夜会を選んで下さったようですよ』
「それは、名誉なことで――」
グレムの表情から色が消えた。嫌な予感は、いつだって最悪のタイミングで的中する。彼は迷いを断ち切るように、鋭く言い放つ。
「おしゃべりは終わりだ。総員、仮面をつけろ!」
冷たい緊張感が、再び円庭を支配した。
「仮面舞踏会の始まりだ」
「隊長~、やっぱキモイ」
モニカが不満そうに言い放つ。
「このくらい、気分よく言わせろよ!」
吠えるように言い返すグレム。だが、そのやり取りのおかげで、指先の微かな震えは止まっていた。
グレムが顔を覆う銀色の仮面型端末の側面に指を触れると魔力を流し、短い認証コードを打ち込む。デバイスの奥でかすかな電子音が鳴り、網膜に「擬態解除許可」の文字が踊った。
「盾穴円庭、擬態解除」
『了解』
その一言で、広場の調和は死を迎える。
直後、辺りの風景が戦場へと書き変わっていく。無造作なコンクリートの塊が、高熱に晒された飴細工のように、不気味な粘性を伴って崩落していった。
擬態という皮を脱ぎ捨て、本来の姿を現した重厚な金属の装置群。それらは一瞬だけ誇らしげに銀光を放ち、直後、巨大な駆動音を咆哮させながら地下へとその身を隠した。
凹凸を失った広場を、見渡しながら、グレムはぽつりと呟いた。
「相変わらず、過保護だよな。ここは」
「試しに、次から出したまま戦うよう進言してみる? 修理費の請求書は全額隊長行きになるけど」
グレムは遠い目をして、一瞬、視線を彷徨わせる。やがて最悪の家計簿でも想像したのか顔を強張らせると、深く瞼を閉じて心の訴えを吐き出した。
「……人生に、そんな値札を付けたくねぇよ」
シュリーの軽口に、グレムは額を押さえて、心底うんざりした声を出す。張り詰めていた空気が一瞬だけ緩み、微かな笑いが漏れた。
しかし、グレムの瞳からは鋭さが消えていない。彼はすぐに指を動かし、次の指示を飛ばした。
「せっかく俺達の夜会に来てくれるんだ。誘因装置の出力を上げて、丁寧にお出迎えしてやれ」
『了解しました。隊長』
装置が不可視の波を放ち、獲物をこちらへ引き寄せる。間違いなく因果獣はこの場所を目指してくるだろう。そう確信した瞬間、肺の奥が締め付けられるように呼吸が浅くなった。
リラックス、リラックス……
幼馴染の言葉を反芻し、深く息を吐き出す。震えを抑え、覚悟を乗せた視線で正面を見据えた。
『因果獣のランクを特定。情報を送ります。――移動速度が平均値を大幅に超えている点に注意をして下さい!』
「了承した」
仮面の内側に表示されたデータを確認する。厄介な相手だが、足止めは可能な範囲だ。安堵をすぐに捨て、グレムは気を引き締め直す。
『因果獣の反応あり……侵入……誘因装置のカウントダウンを開始します』
ロニスの緊迫した通信と共に、視界の隅で鮮やかな数字が刻まれ始めた。
「タイミングは、そっちに任せる」
『了解しました』
グレムは背負っていた大剣を抜き放ち、正眼に構える。マキナとのリンクが確立されると同時に、大剣の刃に沿って鮮烈な赤い光が宿った。マキナ・マイスター専用兵器、ブレイカー。マキナから供給されるエネルギーを熱と振動に変えて相手を斬り伏せる。
「総員、迎撃準備!!」
「はいっ」
「うん」
シュリーは魔力で生成した弾を装填した銃剣を低く構え、モニカは己の身の丈を優に超える巨大な大斧を肩に担ぐ。モニカの小柄な体躯がその金属塊を軽々と扱えるのは、体内に潜むナノマシンの身体強化の恩恵だ。
カウントダウンの数字が、一秒ごとに削り取られていく。
周囲の闇が、普段よりもずっと深く、手にした剣が普段よりも冷たく感じられた。
3……手が落ち着かない。握り方の僅かな違いが、死に直結するのではないか。
2……そんな不安を、無理やり唾と一緒に飲み込む。
1……革手袋の軋む音さえ、鼓動のように大きく聞こえた。
数字が減り続け、そして──
0──
『実存触媒、噴射!』
ロニスの宣告と共に、白煙が地を割って噴き出す。
因果の深淵を泳ぐ怪物を、この世の檻へと閉じ込める「受肉の煙」だ。
視界が意味を成さない白濁の中で、脈動する影が蠢いている。
小さな肉の結び目から始まり、命の糸を手繰り寄せながら膨らみ、見る間に獣の剛毛と人の肌を編み上げていく。
浮遊する肉片の震えは、やがて獣と人の醜悪な混合体へと変わった。
聞こえる――濡れた内臓を素手で掻き回すような音の重なり、あるいは生きた肉を噛み裂くような響き。
それは、悍ましき生命力に満ち溢れ、本能が吐き気を催す「命の成れの果て」が奏でる胎動。
だが、その胎動は――凄絶な産声によって、かき消された。
「ゥギィ、ヤアアァァァァアアアオォォォォォォォ!!」
鼓膜を直接蹂躙するような絶叫が響き渡り、衝撃波となって煙を散らす。
「姿を見せるぞ!」
グレムが叫ぶ。
立ち込める白煙を裂いて現れたのは、悪夢が具現化したかのような異形だった。
巨大な狼の背から女が生えている。だが皮膚の形成が追いつかず、剥き出しの紅い筋繊維が濡れた光を放ち、石畳を赤黒い汚濁で塗り潰していく。 触れる空気そのものが神経を焼く激痛に、怪物はのたうち回り、狂乱の絶叫と共に辺りを叩き壊し続けた。
やがて、苦悶は変異の速度に慰められることとなる。 猛烈な勢いで増殖するナノマシンが、ひきつる神経を強引に被覆し、外装を構築していく。 狼の四肢には針のような獣毛が突き立ち、女の柔らかな肌は、鈍色の昆虫を思わせる甲殻へと変貌を遂げる。
悲鳴が途絶えた空間を支配したのは、闇の底から獲物を狙う、低く殺意に満ちた唸り声だった。
「正規部隊が来るまで時間を稼ぐぞ」
怪物の咆哮が網膜の裏側までを震わせ、グレムの生存本能は「逃げろ」と警報を鳴らす。
この世の終わりを凝縮したような絶叫には、言葉を並べての慣れなど通用しない。彼は震えを物理的に封じ込めるべく、大剣の柄を骨が軋むほどに握り締める。
人事異動という名の致命的なエラー。今、この戦場に立てるのは、たった三人の子供たちだけだ。
心臓の音が嫌に大きい――他のメンバーも同じはずだ――隊長である自分が声を掛けねば。声を上げようとしたが、喉は空気を逃がすだけだった。
しかし、一人でここに立っているわけではない。
「私達は時間稼ぎなんだからね。死んじゃったら、時間稼げないんだから……死ぬ気で頑張ってね」
シュリーが銃剣を構える。その指先は微かに痙攣していたが、照準に固定された双眸だけは、冷徹に獲物を捉えていた。
「当たり前だ!」
「帰ったら、ご褒美にご飯たくさん食べられる。あの上カルビ、早くバ~ンする」
モニカが重厚な大斧を軽々と回し、日常的な食欲を口にする。
グレムは一つ、短く苦笑する。
その顔から、先程までの隊長ごっこの面影は消えていた。マキナ・マイスターとしての冷徹な覚悟が、少年の表情を鋭利な刃物へと変えていた。
「訓練通りに行く。合わせろッ!」
夜の闇を赤い光跡で切り裂き、グレムは異形の怪物に向かって地を蹴り走った。
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