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第26話 因果の守護者 仕事が始まる――欠けた円庭で(0)

 合同治安部隊に事後処理を任せるという選択肢はあった。しかし、その思考は浮上した瞬間に切り捨てられる。


 エレナの安全を最優先とするならば、一刻も早い保護が必要だ。組織の足並みを待つ時間は、彼女の命を削る猶予でしかないことを、理解していたからだ。


 だが、今は迅速な行動を阻害しかねない致命的な懸念が一つあった。


 黒を基調としたタクティカルスーツに、夜風に翻るハーフコート。顔を完全に覆う無機質な仮面。そして、月光を返し異常なまでに自己主張をする銀色の髪と、着衣に刻まれた銀のライン。


 深夜の街において、その姿は不審者の範疇すら逸脱している。むしろ、関われば命がないと本能が警鐘を鳴らす類の、極めて危険な異分子の風貌だとすら言えた。


 市民が見れば悲鳴を上げて逃げ出し、衛兵が見れば問答無用で取り囲む。それが、今の姿をした人物に対する正しい接し方だ。


 余計な摩擦で時間を浪費するわけにはいかない。


 止むを得ず、先程の戦いで損壊した露店の一つに立ち寄ることにする。


 瓦礫に埋もれかけた商品の中から、全身を隠せる程度の厚手のフード付きマントを拝借した。これなら、商品として使えないだろうから、罪も軽くなるだろうという判断に従い──。それでも後に代金に色を付けて返しておくことを心に誓い、マントを深く被ると、夜の闇へと溶け込んでいった。


 すでに、誘拐犯のアジトは判明している。監視塔で見下ろしていたときに確認できた、あの男が出てきた建物だ。


 そこに辿り着くために選んだルートは、いわゆる裏路地だった。



 まばらに配置された街灯が、湿った石畳を頼りなく照らしている。視認性は最悪に近いが、顔を覆う仮面型デバイスがその欠点を補っていた。デバイスに映し出される補正情報は、昼間のような鮮明さとはいかないまでも、障害物や曲がり角の先を捉えるには十分だった。


「お兄さん、ちょっと遊んでいかな……ぇ」


 場違いな誘惑。安っぽい香水。路地裏。非合法なバー。取り締まりの理由は揃ってはいる。だが、残念ながら通報対象の主役が誰なのかは語るまでもない。本来であれば、賢者として立ち止まるべき局面だ――しかし今は一分一秒が惜しい。


「悪いな。これでも、勤務時間中なんだ」


 仮面の下から言葉を投げかける。冷徹な質感。無機質な沈黙。


「ぇ、ええ……そう、みたいね。ごめんなさい、邪魔しちゃって」


 女は引き攣った笑いを浮かべ、まるで物理法則に従うように脱兎のごとく去っていった。


(勘がいいな。俺の違和感に気付くとは)


 感想を抱くのは自由だが、目で追うのは時間の無駄だった。


 さらに歩き続け、やがて目的の場所へと辿り着いた。



 移動に多少の時間は掛ったが、体の調子はかなりいい。ナノマシンのおかげで疲労が、だいぶ回復した。


 共鳴者が立つここは、商店街の裏路地だ。


 周囲には搬入用の木箱が積み上げられ、明らかに仕事用の場所という雰囲気を醸し出している。ここでなら荷物に紛れさせることで、誘拐した被害者をアジトに運び込むのも難しくはない。


 人通りの多い商店街の裏側という灯台下暗しを地で行く配置は、犯行グループの狡猾さを物語っていた。だが、こんな場所をアジトにすることを考えると、肝がよほど座っていたか、最初からこの場所を使い捨てるつもりだったか……。


 ──どこから入るべきか。


 建物を軽く視認し、侵入経路を考える。


 ほんの数秒程度、周囲を見回し、窓か玄関ドアかの二択しかないとし、考えるのを終わりにした。あまり、時間をかけたくなかったからだ。


 今の姿でこれを行えば、事情を知らぬ者は強盗だと思い、この家の内情を知る者であれば仲間の裏切りか同業者のカチコミだと判断するだろう。



 手慣れた手つき――もとい足つきで、通用口のドアを蹴破った。


 蝶番が圧壊し、闇の中にドアが消える。


 突入と同時に、仮面型デバイスが室内の輪郭を鮮明に描き出した。経験に裏打ちされた直感は、敵の気配を求めて鋭く震える。しかし、静寂以外に応える者はいない。


 そこは、長らく放置された空き家のような冷たさに支配されていた。


 慎重に室内を検分する。搬入室、応接間、生活部屋。――偽装か。  わずかな生活の残滓すら、侵入者を幻惑する罠のように思えてくる。


(だが、違和感はある)


 共鳴者は思考の加速を維持したまま、搬入室の中央に立った。


 まず床板。特定地点に集中した過剰な補強跡は、ここが重量物の集積ポイントであることを示している。次に通気口。デバイスが捉えた微かな対流は、地下に広大な空間が「呼吸」している証左だ。そして天井の梁。滑車の抉れ傷が、垂直方向への搬入――即ち地下への昇降が行われていた事実を決定づけた。


「なるほど。構造は理解した」


 結論が出た以上、もはや慎重な立ち回りは不要だった。罠の有無を懸念するより、相手の予測を上回る速度で、その喉元に肉薄する方が遥かに安全なのだから。



 共鳴者は古びた木棚の横に立つと、躊躇なく、その側面に手をかけた。


 かつて体力測定の際、「これを……まだ指導するんですか?」と運動コーチに絶望的な顔をさせた、あの非力な面影は、今の共鳴者には微塵も存在しない。


 床板と棚の底が激しく擦れ、鼓膜を不快に震わせる耳障りな音が響き渡る。だが、その音を気にする様子もなく、棚は強引に押し退けられた。


 露わになったのは、周囲の床板と精巧に同化するように設えられた隠し蓋。


 そこには、冷たい光を放つ頑強な鉄の取っ手が、侵入者を拒むように、あるいは地下への招待状のように鎮座していた。


 重厚な鉄の取っ手を掴み、引き上げる。錆び付いた蝶番が悲鳴を上げ、地下の空気が一気に噴き出してきた。


 共鳴者は躊躇なく、闇が口を開ける階下へと足を踏み入れる。


 階段を下りる足音が、硬い石造りの壁に反響して不気味に響く。注意しながら降りていくが、通路に設置された罠は見当たらなかった。


 それでも警戒を解くことは許されない。だが歩みを止めるという選択肢もまた、存在しない。


 かつてこの街には、貴重品や温度管理を要する商品を保管するための、堅牢な石造りの小部屋が備えられていることが多かった。


 だが、ここ数年の急速な技術の革新により、アンティナは近代化する。それをキッカケに地下の小部屋の奥が埋め立てられた。


 未だに僅かばかりの遺構が残っている事実は、膨大な行政記録を整理していた際に目にした記録で確認済みだ。


 誘拐犯たちは、その忘れ去られた空間を目的に、この建物をアジトとして利用していたのだろう。



 階段を降り切ると、すぐ先に格子を見つけた。


 頑強な鉄格子の向こう側、簡素なベッドに一人の少女が横たわっている。おそらく彼女がエレナだ。


 牢獄という状況にはあるものの、遠目から見る限り、その横顔に外傷は見当たらない。着ている衣服も清潔に保たれており、少なくともこの場所で粗雑な扱いを受けていた形跡はなかった。


 しかし、目の当たりにした彼女の姿は、事前に抱いていた印象とは大きく異なっていた。


 反射神経のギフテッド。その情報から、勝手に快活で筋肉質な少女を想像していた。だが、目の前の少女は華奢で、激しい運動とは無縁のようにさえ見える。


 そのように考えたところで、己の推測を修正した。


 捜査資料で、彼女は強欲である公認されたほどではないか。現に希少なサンイーリフの蜜を採るために、危険な森の深部へも厭わず足を踏み入れる胆力の持ち主だ。この外見だけで判断すれば、自分の思い込みに振り回されることになりかねない。


「さて……」


 見た目は、ただの鉄格子。


 だが、やはり魔術的な補強術式が施されていた。あれほど苦戦をさせられた魔術士のアジトなのだから、当然ではあるが。


 術式を解析して解除しようにも、そんな能力はない。自分にもデバイスにも。


 だが、デバイスの反応を見る限り、施されているのは単純に強度を高めるための術式だけだ。


 で、あれば、答えは簡単だった。


 小細工を弄さず、正面からその強度を上回る力を叩き込めばいい。



 共鳴者は鉄格子の出入り口付近を掴むと、全身の駆動出力を最大まで引き上げ、力任せに引き剥がした。


 凄まじい轟音が地下室に響いた。石造りの壁が砕け散り、辺りに振動が広がる。


 本来の自分であればあり得ない怪力。普段の身体が貧弱すぎるせいで、出力の微調整が効かなかった。


――破壊音を通り越した爆音。  その衝撃に、ベッドの上のエレナが跳ねるように上体を起こした。


(マズイ!)


 フード付きのマントで隠してはいるが、その下にあるのは不審者を通り越して、見る者に死を予感させるような装束だ。自分がエレナの状況にあれば、誘拐犯の親玉が来たと誤認する自信がある。


 恐怖によるパニックを防ぐため、共鳴者は瞬時に距離を詰めてエレナの目に掌を当てた。


「すまない、動かないでくれ」


 視界を奪われた少女の身体が強張る。その柔らかな肌に黒いグローブで包まれた掌を密着させたまま、共鳴者はできる限り穏やかに、同時に拒絶を許さないトーンで語りかける。


「君を助けに来た。……マキナ・マイスターという存在を知っているか? 仮面型のデバイスを用い、虚室に格納されたマキナを操って戦う者たちのことだ」


 少女の荒い呼吸が、掌の下で僅かに整うのを待つ。


「今の俺は、他のマキナ・マイスターと同じように怪しい仮面を着けている。見た目こそ恐ろしいかもしれないが、君の味方だ。だから、目を開けても驚かないでほしい……いいな?」


 これで大丈夫だろうか?と、不安を感じながら、エレナの反応を慎重に確認しようとする。



 だが、返ってきた反応は救出された者が漏らす安堵ではなかった。


 彼女から、ひきつけを起こしたような絶望的な震えが伝わる。


 少女の喉の奥では、まるで引き絞られた弦が鳴るように、空気が悲鳴を上げていた。過呼吸という言葉では片付けられない、生命そのものが摩擦を起こしているような異常な音だ。


「大丈夫か!」


 咄嗟に掌を除け、少女の視界を解放する。


 剥き出しになった彼女の瞳は共鳴者を射抜いていた。しかし、その視線には実体がない。焦点は共鳴者の顔に届かず、もっと手前にある何かを凝視しているような違和感があった。


「ここは……あなたは…………いや、あなたは、来ないで!!」


 絶叫。エレナは半狂乱のままベッドの上で暴れ、共鳴者を拒絶するように腕を振り回した。彼女が自らを傷つけないよう、その細い肩を押し付けるが、少女の抵抗は凄まじい。


「待って! 違う! あなたは──私は、なんで、なんでっ!!」


 何かを見ている。なら、それは何か? 共鳴者の思考が加速する。


 この恐怖は、単に不審な格好をした者への恐怖ではない。もっと根源的で、不可避な絶望を前にした者の反応だ。


──反射神経のギフテッドでは……なかった?


 その仮説を立てれば、全ての辻褄が合う。


 この異常なまでの拒絶。そして今の共鳴者の姿ではなく因果を見たとするのなら辻褄が合うのだ。これほどまでの恐怖に陥る可能性があるギフテッドは、ただ一種類。


 いくら探しても見つからなかった二人目の、いやある意味で共鳴者も似た能力があるため、三人目となる能力。それは──



 ──時の因果が息を止める──



 唐突に、辺りの音が喪失した。


 エレナの金切り声も、床を蹴る音も、自身の激しい心音さえも、全ての音が。


 視覚も聴覚も機能していない。触覚も嗅覚もない。しかし、五感を介さずとも周囲の情報が認識として流れ込んでくる。


 それは時が静止し、物理法則に代わって純粋な因果の主張が始まった証だった。


 共鳴者の時も、同様に止まっている。しかし、シンギュラリティが、押し寄せる因果の波を受け止め、かろうじて意識の輪郭を維持させていた。


 本来、人間が経験することのない、世界そのものの在り方を直接感知するような、剥き出しの感覚。


 周囲の情報を認識できても、時が凍りついたこの状況下では、指一本動かすことは叶わない。


 この場に、災厄の卵が顕現しようとしているというのに。


 監視塔で見た、アジトの周囲に充満していた歪な球体状の因果の歪みが、ほどけ、紐解かれていくのを感じる。収束する因果の奔流は、磁石に吸い寄せられる砂鉄のようにエレナへと集まっていく。


 そして彼女の胸の奥で、因果の卵となる瞬間すら認識できた。


 少女の因果が卵と繋がり一つになると、華奢な輪郭は、内側から溢れ出す光り輝く獣の姿へと変貌を遂げていく。



 ──時の因果が息を吹き返す──



 静止していた時が動き出した瞬間、視界を埋め尽くしていた光の残滓も失われていた。


 先ほどまで少女が横たわっていたベッドの上には、もはや体温の余韻すら残っていない。そこにあるのは、強引に引き剥がされた、彼女がいた痕跡となる、シーツの皺と、蹴飛ばされて床に落ちた毛布だけだった。


 即座にドアへと視線を向ける。


 共鳴者は即座に床を蹴って走った。


 石造りの階段を三段飛ばしで駆け上がり、粉砕した通用口を抜けてアジトの外へと飛び出す。


──どこに現れる。


 視線を鋭く走らせるが、入り組んだ路地と積み上げられた搬入用の木箱が視界を遮る。


 夜の帳が降りた街は、不気味なほどに平穏を保っていた。無理もない。因果獣は物質的な破壊を撒き散らしながら進む野獣ではない。それは理の隙間を縫い、因果の海を移動する存在だ。


 もしその姿が一般市民に視認できる状態であれば、悲鳴が聞こえる方角を目指せばいい。


 残酷なことを言っているようだが、因果獣は自らの進行を妨げられない限り、無闇に人を襲うことはない。ゆえに目に見える被害はすぐには現れないのだから、その辺りは問題はない。


 しかし、ヤツの性質が、この世界にとって致命的だ。


 目立つことは本意ではないが、躊躇している猶予はない。


 共鳴者は覚悟を決めると、ナノマシンを活性化させ一跳びで石壁を砕くほどの勢いで蹴った。その勢いで、建物の屋根へと駆け上がると、マントが夜風を孕んで大きく翻った。


 因果獣は誕生した瞬間、姿を消す。そして現れるのは、最も卵に因果を与えた歪みのあった場所。


「……無駄だったか」


 屋根の上で、忌々しげに言葉を吐き捨てる。


 すでに因果の海に潜り込んでいるだろう。なら、因果の海を見るしかないが、監視塔で使ったせいで、今は無理だ。


 なら、永劫図書館からの連絡を待つしかない。


 だが待つ時間は数秒と必要としなかった。すぐさま仮面型デバイスに、永劫図書館からのメッセージが投影されたのだ。


『因果獣の出現を確認。因果調律機関の職員は各自持ち場につけ』


 感情を排し、的確な伝達のみを目的とした短く簡潔な一文。


 大丈夫だ、と自分に言い聞かせる。因果調律機関であれば、因果の穴に辿り着くまでの時間は稼げるはずだ。そのために用意した組織なのだから。


 共鳴者は屋根の上で身を低くし、遥か遠方の一点を見据える。その視線の先には街が広がっているだけだ。しかし、それは景象が歪められ視認すら出来ないだけであり、視線の先には世界にとって最後の盾となる永劫図書館が鎮座している。


 この戦いを他人任せにする気はない。あれを因果獣から守ることこそが、この土地を自分が奪い取った理由なのだから。


「アイツの推理に添える花を、あと一本増やせそうだ──」


 仮面の裏側で、自嘲気味な笑みが零れる。


「──相変わらず、毒花で悪いがな」


 誰に聞かせるでもない言葉を夜気に残し、共鳴者は再び冷たい闇夜の中へと駆け出した。

最後まで読んでいただきありがとうございます!


面白い、続きが気になると思っていただけた方へ。


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