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「来たね、姫川心春。」
八王子先輩が、まっすぐに私達……じゃなくて、心春をみつめた。心春だけをみつめていた。
心春は小声でうめき、顔をしかめた。
もたれていた壁から離れ、先輩はゆっくりとこちらに歩み寄ってきた。
「なーんすか先輩、王子様からストーカーに転職したの?ファン泣きますよー。」
「……。」
八王子先輩が、無言で心春をにらみつけた。その目には、ちょっとした殺気すら感じられた。こういう目をする人だなんて、正直意外だった。
と、不意に、彼が私の方を見た。
そして、白い歯を見せてにこりと笑った。
「グッモーニン、メガネの似合う子猫ちゃんっ。実は、君の愉快な友達にちょっとばかり用があるんだ。悪いけど、二人きりにしてくれるかい?」
きらきらと光がこぼれそうな、さわやかな微笑。聖柊のプリンス必殺の営業スマイル。
それを目にした途端、私の心は暗く沈んだ。
私の親友が、本当に「平凡」から「特別」になろうとしている。
そのことを実感してしまったのだ。
先輩と心春が、どんな出会い方をしたのかは詳しく知らない。知らないけれどきっと、この男が殺気を向けるのは、心春だけなのだろう。
特別な関係。
つまりはそういうわけだ。今はまだ、そこに甘やかな感情が混ざっていないだけで。今はまだ。
そして、二人の始まりかけている物語に割って入るには、あまりに私は役不足だった。
主人公の横にいる平凡な友達。
せいぜいそれが私の役どころだって、誰に言われるまでもなく自覚していた。物語が佳境に入れば、いつのまにか姿が見えなくなっているような。
だから今、先輩に言われるがまま心春の隣をどくのが、私にふさわしい身の処し方なんだろう。きっと。それはわかっていた。
それでも。
それでも私は、心春の隣をゆずりたくないと思った。
急にやってきたチャラ男になんか渡したくない。ここはずっと私の場所だった。だから、これからもずっと……。
でも先輩に口ごたえする勇気は、平凡な私にはなかった。
迷ったあげく、すがるような思いで心春を見た。
「あ、そーだねー。先に行っててよ友香。こーんなことに巻き込むのも悪いしさ。」
彼女は、気だるげにそう言った。
悪気のない言葉。
だけど、私にとって絶望的な言葉だった。
平凡同盟が終わった瞬間だった。
「……そっか。じゃ、行くね。」
心春を置いて、私は一人で歩き出した。
後ろの方で、さっそく何か二人が言い合いを始めた。聞きたくなかった。いつの間にか駆けだしていた。
国道沿いのホコリっぽい道を、私は顔を伏せて走った。怖くて大きいものから逃げるみたいに。ガードレールの向こう側で、排気ガスをまき散らすトラックが、全力で走る私をあっさり追い抜いていった。




