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中学生の頃、私は朝の時間が一番好きだった。
心春の家は、古武術の道場をやっている。だから彼女はいつも、武術師範のおじいさんに、朝稽古をさせられていた。私は毎日少し早めに姫川家に行って、彼女がやってくるのを待った。
稽古終わりで熱いシャワーを浴びた心春は、肌がちょっと上気し、しっとりと髪が濡れていて、とてもきれいだった。
通学中、普段よりちょっと艶っぽいその横顔を、じっと眺めるのが私の日課だった。今日暑いね。小テストの点どうだった?そろそろ髪切ろうかな。そういう何気ない話をしながら。こっそり何度も盗み見た。ばれないように、ドキドキしていることを気付かれないように。
そんな朝が好きだった。
高校に入学して二日目の朝。
私は中学時代と同じように、姫川家の玄関前で心春を待った。
少しだけ待って、彼女が出てきた。中学時代と同じように、「朝から疲れた」みたいな顔をして。カバンも前と同じ、肩掛けのスポーツバッグ。違うのは、セーラー服がブレザーに変わったくらいだ。
「はよーっす。」
「おはよ。ね、また髪が半乾きよ?」
「んー。髪長いと、ドライヤーめんどいんよ。ま、歩いてるうちに乾くっしょ。自然乾燥自然乾燥。」
「まったく、高校生になってもあいかわらずなんだから。」
笑いながら私は言った。呆れたような口ぶりをしたけど、その変わらなさに、密かに安心したりしていた。
たわいのない、でもとても楽しいおしゃべりをしながら、私達は学校に向けて歩き出した。
「手入れが面倒なら、切りたくならない?もうずっと長いままでいくの?」
「だねー。じーちゃんは、戦いに不向きーとか言ってっけど、まー切らないかな。髪長いくらいしか取り柄ないしさー。」
「そんなことないでしょ。また髪短くした心春も見てみたいけど……。」
「そりゃどーも。」
高校生になった彼女の、ショートヘア姿も見たい。それはわりと私の本音だったけど、軽く受け流されてしまった。まあ、それはそうか。恋人でもない女にそんなこと言われて、大事な髪をばっさりいくはずもないし。
「でもさー、可南子に前『ロングヘアでもときどき髪切って整えなきゃダメ』って言われたんだけどさー。」
「うん。」
可南子というのは、中学時代の共通の友人だ。
「そんじゃーってんでときどき切りにいってるんだけどさー、お金の無駄って気ぃすんだよねー。」
「なんで?」
「いや、チョキチョキやってもらっても、ほとんど変わんないっつーか。てきとーに切ってるだけじゃねーのって疑いがさ。」
「だから、ちゃんとした美容院行きなさいって何度も言ってるでしょ。いつまでも佐々木さんのところじゃだめだって。あの店、おじさん専用って感じじゃない。」
「いやでも、ご近所づきあいってもんがさー。」
「まあ、あんたがそれでいいならいいけど。……そういえば、可南子ってどこに行ったんだっけ?」
「北高、北高。なんか、入試トップ合格だったらしいよー。」
「そっか。あの子すごく頭よかったもんね、私達と違って。」
「や、あたしも数学さえなけりゃ、けっこーいけるよ?この世界に数学さえなけりゃ。」
「どんなifよ。ああ、そういえば、今日からさっそく数学の授業始まるわね。」
「だねー。」
「高校に入ると、グッと難しくなるらしいわよ。中学の数学とは比べ物にならないんだって。」
「マジかー。あー、あたしもう忍者になりたい。」
「急に何よ。」
「だって、忍者なら数学やんなくていーじゃん。忍術学校の修行に、計算術の項目なんてないっしょー?たぶん。」
「そんな理由で忍者目指すやついないわよ。他の職業でいいでしょ、別に。」
「あーいや、もちろん、シンプルに忍者に対する憧れもあるよ?日がな一日、手裏剣木に投げたり水の上走ったりして、山奥でのんびり暮らしたいなーっていう。」
「うん……微妙に、忍者に対する認識間違ってない?」
心春と話していると、話題がどんどんずれていく。これも中学のときと一緒だった。
「あ、ところでさー。友香はどっち派?」
「どっちって?」
「だからー、伊賀派か甲賀派かってこと。あたしは、しいて言うなら甲賀派かなー。」
「この話もうやめない?」
いくら好きな人相手と言えども、朝っぱらから忍者の話なんてしたくなかった。昼下がりや夜中ならオッケーってわけでもないけど。興味が湧かなすぎる。
だけどそう言うと、心春はむしろ「待ってました」みたいにニヤリと笑った。
「お、ゼロ回答っすかー?こいつぁどうも、ケムに巻かれたみたいですな。忍者だけにね!」
「あはは。……え、どういうこと?」
一応笑ってはみたものの、意味がよくわからなかった。「うまいこと言ってやったぜ」的なテンションは察したけれど。
「ほらさー、忍者って煙玉使ってドロンって逃げるじゃん。あれあれ。」
「……あー、なるほど。うまいうまい。」
本当は解説されてもいまいちピンとこなかったけど、空気を読んで褒めた。心春は満足げに胸を反らした。
「でしょー?何気ない会話からこのオチに持っていくあたしのテク、どうよ!トークの魔術師と呼んでもいいのだよ、友香くん?」
「忍者だとか魔術師だとか。」
「ま、その正体は、ただの平凡な女子高生古武術使い……うえっ?!」
「何よ……あっ。」
心春の視線の先を見て、息を呑んだ。
八王子夏生。
彼が、いた。
一本道の通学路に、八王子夏生が待ち構えていたのだ。
壁に背を預けて腕を組み、長い脚を交差させ、仏頂面で佇んでいた。




