第5話 ノラと向き合う朝
昨日入力したテーマに対して、ノラはあの言葉を返してきた。
「黒いモヤと、俺の部屋」
画面に並ぶ自分の文字を読み返しながら、眉をひそめる。
書いたのは俺なのに、まるで他人の言葉みたいに感じられる。
「……まあ、俺のことなんだろうな」
観葉植物の横でクロがふわふわと揺れている。
最近は葉っぱの陰から顔を出すみたいにツッコミを入れてくるのが定番だ。
「自分のことなのに、他人事みたいに言うなよ」
「だって、俺の中身って、見えないし」
「見えないから書くんだよ。見えるなら、写真撮って終わりだろ」
「……それもそうか。っていうか、お前なんでそんな論理的なの?」
「モヤだから。感情がない分、冷静」
「俺、モヤに負けてるのか……」
苦笑しつつ、額をかいた。
悔しいけど、クロの言葉には妙に納得させられるところがある。
そのとき、ノラの画面に新しい質問が浮かび上がった。
『あなたが最近、言えなかったことは何ですか?』
指先が止まる。
画面の白さがやけに眩しく、息が少し詰まった。
「……うわ、急に重いな。俺、まだ朝のコーヒー飲んでないんだけど」
口をとがらせて愚痴ると、クロが即座に返してくる。
「朝のコーヒーより、言えなかったことの方が濃いよ」
「うまいこと言うなよ。しかもブラックで刺してくるな」
軽口を叩きながらも、心臓が妙に早く打っている。
キーボードに手を置いたが、すぐには打てなかった。
“言えなかったこと”。
それは、仕事で感じた苛立ちかもしれない。
家族と距離を取ってしまう自分への後ろめたさかもしれない。
あるいは、自分の「好き」を堂々と語る勇気のなさかもしれない。
けれど、どれも言葉にするには少し痛すぎた。
「……『俺は、黙ることで自分を守ってきた』って書いたら、どうなる?」
恐る恐る口にすると、ノラがすぐに応答した。
『それは、あなたの「始まり」です』
胸がどくんと鳴った。
ポエムめいた返答なのに、不思議とまっすぐ響いてくる。
「うわ、ポエム返しきた」
照れ隠しのように笑うと、クロがゆらりと揺れて言った。
「でも、あんたの中身、ちょっと動いたよ」
その言葉に、ふっと口元が緩む。
そして、深呼吸してキーボードに指を走らせた。
『俺は、黙ることで自分を守ってきた。でも、黙ったままじゃ、誰にも届かない。それどころか、自分にも届かない。』
エンターを押すと同時に、ノラの画面が柔らかく光った。
「保存しました」の文字。
胸の奥から、熱いものが込み上げてくる。泣きそうだ。
クロがぽつりと言った。
「あんた、やっと『書いた』ね」
「……うん」
窓の外はもう夕方だった。
差し込む光が部屋をオレンジ色に染め、観葉植物の影が壁に長く伸びている。
俺は初めて、ノラの画面に向かって「自分の言葉」を打ち込んだ。
ノートでもペンでもない。
けれど、その言葉は、確かに「俺自身」だった。




