表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ノラとクロと執筆(リライト)  作者: MMPP.key-_-bou


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

3/15

第2話 クロと三行の夜

 エッセイを書き始めて三日目。

 ノートには、まだ三行しか並んでいなかった。


『朝起きたら、黒いモヤが俺の枕元にいてさ。』


 そのあとが続かない。ペンを握った指先に力は入っているのに、インクは紙の上を動かない。俺の創作力は、三行で息切れ。まるで短距離走を終えたあとのランナーだ。


「……これ、ほんとに意味あるの?」


 自分でも情けなくなるような声が口から漏れた。


 窓際のクロがモヤモヤと揺れる。最近は観葉植物の横がお気に入りらしい。緑の葉の影に寄り添うように漂っていて、俺の部屋の住人のように馴染んでいる。俺自身よりも、よほど落ち着いて見えるのが気に入らない。


「あるよ。あんたが書いたってことが、もう意味なんだ」


 声は淡々としているのに、不思議と重みがある。


「意味って……誰にとっての?」


 俺はノートを閉じ、天井を見上げながら問い返した。


「あんたにとっての」

「俺、意味とか価値とか考えるほどの人間じゃないんだけど」


 苦笑しながら頭をかく。言葉にした瞬間、自分でも虚しくなる。


「だから腐るんだよ」


 クロは揺れながら断言した。


「またそれかよ。腐る腐るって……俺は冷蔵庫の奥のヨーグルトか」


 思わず笑い飛ばそうとしたが、クロは間髪入れずに返す。


「それはもう腐ってる。あと、賞味期限ちゃんと見ろ」


 黒いモヤのくせに妙に生活感のあるツッコミだ。俺は深いため息をつき、ノートを机に放り出した。


 仕事は相変わらず。朝から晩まで、数字とメールと上司の顔色に追われる毎日。帰ってきて、飯を食って、風呂に入って、寝る。その繰り返し。

 そんな単調なサイクルの合間に“書くこと”をねじ込もうとしている自分が、少し滑稽に思えた。


「……俺、別に作家になりたいわけじゃないし」


 投げやりに言うと、クロは静かに漂いながら答える。


「でも、書かないと腐る」

「またそれ。お前、腐るしか言ってなくない?」


 俺は笑い混じりに突っ込む。


「だって事実だもん」


 クロの輪郭が淡く揺れ、光の加減で濃くも薄くも見える。


「あんたの中にある“言葉にならないもの”が、黙ったまま死んでいくってことだよ」


 俺は口を閉ざした。

 言葉にならないもの。

 それは、仕事中に押し殺している苛立ちかもしれない。誰にも言えない孤独かもしれない。あるいは、昔の小説に残っていた断片に宿っていた“何か”かもしれない。


「……でもさ、それって誰かに読まれなきゃ意味なくない?」


 沈黙を破るように口を開いた。自分でも弱々しい言い訳に聞こえる。


「違う。読まれることは、ただの副産物」

「副産物?」

「そう。書くってのは、あんたがあんたを生きるための手段なんだよ」


 俺は思わず吹き出した。


「お前、たまに名言っぽいこと言うな。中身モヤのくせに」

「中身モヤだからこそ、言えるんだよ」


 クロの声は静かで、確信めいていた。


 俺は再びノートを開いた。三行のあとに新しい言葉を置こうと、ペンを走らせる。

 しかし、先端は紙の上で止まったまま。指先は汗ばんで、心臓の鼓動がやけに大きく響く。


「……痛いだろ?」

「……うん」

「それが、生きてるってこと」


 クロの言葉は、夜の静けさに吸い込まれるように響いた。

 窓の外には街灯の明かり。遠くを走る車の音がかすかに届く。

 クロは夜景に目を向けている。

 俺は、ノートの白い余白に目を固定したままだった。


 その夜、結局一文字も書けなかった。

 けれど胸の奥で、何かがほんの少しだけ、動いた気がした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ