恋愛小説考えてみた
夏休み最後の日、大学のプールはいつもより静かだった。
私はプールサイドのベンチで本を読んでいた。新しく翻訳された恋愛小説。プールで本なんて変だと思われるかもしれないけど、ここは意外と集中できる。みんな泳いでるから、誰も気にしない。
そんなとき、視線を感じた。
顔を上げると、向こう側で一人の男性がこちらを見ている。泳ぎ終えたばかりらしく、タオルで髪を拭いていた。
目が合った。
慌てて視線を逸らそうとしている彼を見て、なんだか可愛いと思った。私は軽く手を振ってみた。
すると、彼はこちらに歩いてきた。
「こんにちは」
「こんにちは。見てましたよね?」
変に遠回しにするより、ストレートに言った方がいい。
「ああ、すまん。珍しいと思って」
「珍しい?」
「プールサイドで本を読む人」
素直な人だと思った。嘘をつくタイプじゃない。
「確かに変ですよね。でも静かで集中できるんです。みんな泳いでるから」
「なるほど」
彼は許可も求めずに隣に座った。図々しいと思ったけれど、なぜか嫌な感じはしなかった。
「何読んでるんだ?」
「海外の恋愛小説です。翻訳されたばかりの」
本の表紙を見せた。彼は興味深そうに眺めている。
「面白い?」
「面白いです。でも、ちょっと非現実的かな」
「どんなふうに?」
「主人公がプールで偶然出会って、すぐに恋に落ちるんです。そんなことあるわけないじゃないですか」
彼は笑った。いい笑顔だった。
「確かに。偶然出会っても、すぐに恋に落ちるなんてありえないな」
「でしょう?」
私も一緒に笑った。
「君の名前は?」
「みお、です。あなたは?」
「たくや」
「たくやさん。よろしくお願いします」
それから私たちは一時間ほど話した。
彼は理工学部の二年生で、私より一つ下だった。真面目そうだけれど、話していると意外とユーモアがある。私の読書の趣味も、変だと言わずに聞いてくれた。
「変な趣味ですよね」
「いや、悪くないと思う。人それぞれだ」
「優しいですね」
「そうでもない」
謙遜するところも好感が持てた。
太陽が傾き始めていた。夏休み最後の日の夕方。時間が過ぎるのが早い。
「そろそろ帰ろうか」
「そうですね」
私たちは荷物をまとめて、プールを出た。
更衣室で着替えを済ませ、外で待ち合わせた。彼はTシャツとジーンズのシンプルな格好。でも、なぜかとても似合って見えた。
「駅まで一緒に歩こう」
「はい」
キャンパスを歩きながら、私たちは他愛のない話を続けた。彼と話していると、時間を忘れてしまう。
駅に着く前に、人気のない中庭を通りかかった。
「ここ、綺麗ですね」
夕日が木々の間から差し込んで、オレンジ色の光が地面に模様を作っている。思わず立ち止まってしまった。
「ああ、綺麗だ」
たくやさんも立ち止まった。
しばらく黙って夕日を見ていた。
「今日は楽しかったです」
正直な気持ちだった。
「俺も」
「また会えますか?」
聞いてから、恥ずかしくなった。でも、聞かずにはいられなかった。
「会える。君が望むなら」
たくやさんが私の方を向いた。距離が近い。
「本当に?」
「本当に」
彼は私の肩に手を回し、そっと抱き寄せてくれた。
私は抵抗しなかった。むしろ、そうしてほしいと思っていた。
「小説みたいですね」
「どんな?」
「プールで出会って、すぐに...」
「すぐに?」
「恋に落ちる話」
彼が私をもう少し強く抱きしめてくれた。心臓がドキドキしている。
「非現実的だって言ってたじゃないか」
「そうですね。でも」
「でも?」
「現実になりました」
夕日が二人を包んでいた。
夏休み最後の日。
私たちの恋は、こうして始まった。
**完**