表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

私は悪人か




 私は善い人間であろうとしていた。

 幼少の頃から、両親にそう言い聞かせられて育って来たと言うのもある。

 三十路を過ぎた今でも、困っている人には可能な限り手を差し伸べるよう努めている。

 あの日も私は、必死で手を差し伸べたのだ。

 それが後に自分の人生を狂わせるとも知らずに。



 ◇



 思い出したくもない、吐き気がする程晴れたあの日に起きた事件、あれは何時(いつ)だっただろうか?



「危ないっ……!!」



 交差点のど真ん中、小学生くらいの女の子が車に轢かれそうになっていた。

 女の子に非は無く、明らかに車側の信号無視である。

 無我夢中で走り、足が竦み動けない女の子の胸ぐらを掴んで反対側の歩道へと投げ飛ばし、私は轢かれた。

 朦朧とする意識の中、女の子の無事だけを確認した後、意識を手放した。


 意識が戻った時には、見覚えのない天井があった。

 ドラマでなんかで見る淡い水色の患者衣を見る限り、誰かが救急車を呼んでくれたのであろう。

 入院から数日、そんな私に来客があった。



「意識が回復されたんですねぇ。

 貴方が先日、事故から女の子を助けた? って言う中谷さんですね。

 無理に答えなくても良いですよ。こちらの方で調べは付いていますので。

 ただ、事件当初の事を伺わないと行けなくてね……

 あっ、申し遅れました。自分、こういう者です」



 中谷というのは私の苗字だ。

 そして、目の前に出されたのは警察手帳。

 近くの警察署の人達らしい。

 あれだけの事故だ、事情聴取は必要だろう。

 私は快く事情聴取を承諾した。

 しかし、違和感が生まれた。

 事情聴取が進むにつれ、その違和感は確かな形となって私を締め付ける。

 これは、()()()()()()()()()()()()()


 警察は事ある毎に事故の状況ではなく、女の子に触れたかの確認や、どう触れたかを詳細に聞いてくる。

 私は我慢できずに聞いてみた。



「あの! 私は……何を疑われているのですか?」


「貴方ね、訴えられているんですよ。

 で、罪状は強制わいせつ。

 女の子のお母さんが訴えているんですよ」


「そんなの巫山戯てるじゃないですか!!?」


「でも、あの辺は防犯カメラも無いですし、被害者の訴えが優先されるんですよ。

 その辺も含めての事情聴取ですのでね。

 あと、本来は拘置所でするんですが、入院中は逮捕できませんからね。

 こうして事情聴取しているんですよ。

 勿論、逮捕状も出ていますので」


「そんな……」



 その後も指紋を取られたり、DNA検査のために口の粘膜を取られたり、散々だった。

 何より、なんて惨めなんだろうか。

 頭がおかしくなりそうだ。

 自分は何を間違えたのだろうか?


 その後も何度か事情聴取があり、頭と心のモヤが晴れない中、また望まぬ来客があった。



「500万でいいわ」


「何なんですか貴女は?」


「500万で許してあげると言っているの!」



 あの女の子の母親だった。

 許す? 何を? こちらは許されるような事をした覚えすら無いというのに。

 この時私は、心底人間が怖いと感じた。



「こんな事言うのは恩着せがましくて嫌いですが、私がいなければ娘さんは交通事故にあっていたんですよ!!?」


「そんな訳無いでしょ! あんたみたいなのが居なくても娘は助かっていました!

 全く、これだから性犯罪者はダメね!

 事故に託けて娘の胸を触るだなんて汚らわしい!」



 その後も病院内で不快な声が響く響く。

 最終的には医者の方々が半ば強制的に追い出していたが、僕を見る目は些か冷たく感じた。



 ◇



 退院後、私を待っていたのは他の誰でもない、警察官達だった。

 本当に逮捕されてしまうのかという実感が、夏にしては冷たい金属の感触が、両手首から広がる。


 そこから先は、あまり覚えていない。

 また事情聴取や、検察や、裁判所やら……

 頭の整理など付かぬ間に、着々と断頭台への階段を登らせられている気分だった。


 そして世間では性犯罪者として報道され、私は悪人の仲間入りをしてしまった。

 何かを間違えたのだ。

 であるとすれば、何を間違えたのか?

 女の子を助けた事か? 違う。もっと根幹の所だろう。

 善人であろうとした事が悪かったのだ。



 ◇



 かくして私は全てを失った。

 仕事、信頼、友人、貯金、そして何より、善人であろうとした私の生き様。


 もう何もしたくない。

 こんな事になるなら、善行なんてしなければよかった。

 何が「ありがとう」だ。そんな言葉で腹は膨れない。

 何が「頼りにしている」だ。あんなのはただの嘘。

 なんて、なんて馬鹿だったんだろうか。

 ただ善行をしないだけで、悪人にはなれない。

 世間は私をそう仕立てあげたが、私が自らがそうするのは違うと思ったからだ。


 あれから毎日、過去を悔やみながら生きている。

 そんなある日、転機が訪れた。



「やぁ人間くん、かなり病んでるね?」


「……今度は何だ?

 今更何が出て来てもどうでもいいよ」


「まぁそう言わずに。

 僕達は君の善行をしっかりと見届けていたから」



 目の前の存在は明らかに人間ではない。

 形こそ人間なのだが、頭がそれを強く否定した。

 強いて言えば、何らかの神様の類いだろう。



「そう、正解だ。

 僕はその神様の中でも下の方だけどね。

 で、僕が君の前に現れたのは上の意向って訳。

 生まれてこの方善人として生き続けた君が、悪人として裁かれ善行を憎んだ今、君を過去に戻したらどう動くのか、上はそれが観たいそうなんだ。

 僕が言うのもなんだけど、悪趣味だよねぇ?」


「過去に……戻れるのか?」


「あぁ、戻れる。

 ただ、制約は多少あるけどね?

 結構乗り気っぽいし、何か希望とかはある?」



 希望、希望か。

 それなら私が善行を始める前に、物心付いた日まで戻りたいと、そう伝えた。



「へぇ、事故の前とかじゃないんだ。

 これは上も大層満足するだろうさ!

 他にはあるかい?」


「ある! 記憶を……

 もしまた事故が起きた時、あの日助けた女の子の母親の記憶だけ戻して欲しい!」


「君、面白いね。良いだろう!

 それではこれから君を過去へと戻らせる。

 ただし、先程僕が言った制約だ。

 君は今日まで事を覚えている事は出来るが、それ以外の事はあまり引き継げない。

 知識や経験は積み直してくれ。

 数学や自転車に乗ったみたいな事が、記憶はあるけど初めてみたいな、考えようによっては面白い体験ができる。


 そして、世界は概ね元の通りに進む。

 今サイコロを振って6が出れば、何百回世界をやり直そうと出る目は6って事だ。

 あとは君の思うがままに、僕達を楽しませてくれ」



 そう言い残し、神を名乗る者は眩い光となって消えてしまった。



 ◇



 光から目が慣れてくると、そこには見覚えのある懐かしい天井があった。

 そして更に、懐かしい顔が私を覗く。

 高校生の頃に亡くなったはずの両親の顔だ。

 本当に過去に来たのだ。

 身体の年齢のせいなのか、とっくに枯れたと思っていた涙が溢れ出した。



「あらあら、善幸(よしゆき)どうしたの?

 そんなに涙を流して……ほら、ヨシヨシお母さんはここにいますからね」


「お父さんもいるぞ〜。

 ほらお母さん、僕にも抱っこさせておくれよ……」



 なんて懐かしい温もりなんだろう。

 でもごめんなさい母さん、今世の私は善人である事は万が一にも無いんだ。

 幻滅されるだろうか?

 でも、私は自分の人生を大事にしたい。

 金輪際、他人の為に自分の心や身体、時間を無駄にしたくないんだ。



「どんな子に育つかな?」


「きっと立派な子に育つさ。

 親バカだが、この子は僕らの子供だからね」



 両親の期待が、私の心を強く締め付ける。

 それでも尚、私は善人にはならない。

 貴方たちの子供は酷く歪んでいるのだ。



 ◇



 あれから20と数年、私の人生は明るかった。

 過去に戻ったあの日から、徹底的に善行を避け続けた。

 神様の言っていた通り、私の人生は大まかには前の人生と同じ道を辿っている。

 違う高校を選ぼうとしても、何だかんだで前と同じになってしまうのだ。

 ただ1つだけ違うのは、私の善行の有無のみ。


 最初の頃はもう少し葛藤をするかとも思っていたが、特に苦もなく見捨てる事が出来た時は、内心複雑だったのをよく覚えている。


 そんな事よりも、今日は待ちに待った大切な日。

 前の私の人生を狂わせたあの日なのだ。

 住んでいるアパートから少し離れた駐車場までの道のりで、あの事故は起きた。

 今日は予め有給を取得しており、外出をしなくてもいいようにしている。

 女の子への恨みは無くはないが、子供がそんな目に合うのをわざわざ目にしたくはない。


 その日の夜、ニュースで以前に助けた女の子の名前を初めて知った。

 そうか、私がいなければ意識不明の重体なのか……

 後は神様への願いが叶っている事を願おう。



 ◇



 あの事故から数日、玄関の扉が乱暴に叩かれる音で目を覚ました。

 そしてこの叫び声、忘れもしない。あの母親だ。

 何故ここを特定出来たのかはさて置き、言い分を聞いてみようじゃないか。

 念の為チェーンロックを掛け、鍵を開けてみる。

 すると、とんでもない勢いで扉を開こうとしてくる。



「お前のせいで!! お前のせいで!!!」


「何の事かさっぱりですね?

 いったい何なんですか貴女は?」


「お前が娘を殺したんだ!!! お前が!!」


「私は何も手出しはしていませんよ?

 それに、()()()()()()()()()()()()()のでしょう?」



 その後も人殺しだなんだと叫び続けるので、警察を呼んで追い払ってもらった。

 女の子には悪いが、いい気味である。

 これで私の人生の分岐点は良い方に傾いた。

 善行を意識しない人生とは、かくも素晴らしい事なのかと痛感する。


 ただ、ふとした時に思うのだ。

 結果を知った上で意識して善行を避けている自分と、悪人との間に違いはあるのだろうかと。




先週のコロナで高熱が出ている時に思いついた話を短編にしてみました!


もし良ければ、いいねや感想をくれると嬉しいです!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
読みました 親切にする相手は選んだほうがいい、ということを再認識させられました。 ここまでひどい大人はいないと信じたいですが、AEDの話とか思い出しました。世知辛い世の中ですね…… 読後感も少し悲しい…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ