夜はやさしい(前編)
貧乏をしてまで美大に入学して、もう5年経過していた
今なお何の成果も得られず、親も教授達も僕には既に関心を失っている
僕はと言えば、灯りの消えたアパートメントの中で液晶の画面を、まばたきも無く凝視している
視ているのはSNSにアップされた、一般に「重加工」と呼ばれている写真達の一群だ
美の探求のために過剰な化粧、そして過剰な画像修正を重ねた姿に嫌悪を感じる人もいるらしいが、僕は素直にそれらを美しいと感じていた
特定のハッシュタグを追えば、次から次にそれらの画像はヒットする
気持ち悪い話かも知れないが、僕は本当に気に入った画像は保存して隠しフォルダに貯め込んでいた
───そしてもう一つ、ハッシュタグを検索していく中で追い掛けているものが僕にはあった
「見付けた!!!」
今回は『繝倥?』というアカウント名だ
僕は近頃、この人物の追跡に夢中になっていた
急ぎ、投稿のメディア欄を開く
メディア欄には星空の様に「センシティブ」の表示が並んでいた
そのうち一つを開くと、このアカウントの人物に殺されていると思しき動物や人間の動画が再生される
──やっぱり本物だ!
前回このアカウントを見失ってから一ヶ月が経過している、もう二度と見逃したく無かった
次々と「センシティブ」の動画を再生する、悪夢の様な時間が僕を飲み込んだ
──結局、このアカウントの人物は何者なのだろう
実のところ、僕の興味の何割かはそこだった
嫌がらせのために拾った動画を貼っている可能性もあるが、それにしては気になるのが動画の背景だった
常に動画は、撥水性のありそうなタイルの部屋を映していた
普通に考えればそれは民家の浴室を意味すると思うし、僕もそうだと思った
もしかすれば、何者かの制作した動画を一貫して転載している可能性もあるが、僕はなんとなく「アカウント主が自分で撮ったのではないか」と感じていた
また、たまにこのアカウントの人物は自撮りをアップする
服装はいわゆる「地雷系」ファッションで、長い黒髪に折れそうな細い脚、ピアス穴が異常な量空いた耳などが特徴だ
女性の姿の様にも思えるが、加工上級者の世界はどんな魔法も可能にする
知識の無い僕には、この人物が女性であるという確証は持てなかった
そもそも、もしアカウント主が女性であるとすれば、か細い女性が暴れて抵抗する動物や人間を強引に浴室に連れ込み殺害している事になる
僕が知らないだけで可能なのかも知れないが、不合理に思えた
以上の事から、僕はこの怪人を「女性になりすまそうとする変質者の男性」だと、いくらか断定していた
プロフィールによれば、彼は鍵をかけたアカウントも持っているようだった
好奇心からそれにフォローリクエストを送った事もあったが、中身を見れた事は無かった
───そして、数カ月が過ぎた
僕は密かに、我慢の限界を迎えていた
来る日も来る日も、絵描きとして目の出ない僕には何もやる気力が無かった
そのため、部屋も出ずSNSに張り付く暮らしを僕は繰り返していた
そうなると気になるのが、あの「鍵」のアカウントだ
彼は幾度も、様々な血塗れの動画を貼っては運営にアカウントを削除される事を繰り返していた
しかし、その中でも「鍵」のアカウントだけは絶対に消えなかった
僕はそれを灯台の火の様に目印にして、幾度も彼の新しいアカウントを、新しい罪を目撃し続けた
様々な生命が、毎回違う殺され方で死んでいった
動画を初めて視た時は嫌悪感しか無かったが、僕はいつの間にか次の動画を麻薬の様に求めるようになっていた
──この人物と話してみたい
強くそう思った
もしかすれば、「この人物ならば自分を解ってくれるかも知れない」という考えが、少し有ったのかも知れない
僕はそのために、別のアカウントも作り始めていた
『異常な人に憧れる平凡な人』
そういうプロフィール文で、名前は「繝倥?繝」
彼の名前に一文字付け足したものだった
何の投稿も無ければ信頼されない事が予想されたので、いくつかネットで拾った猟奇的な画像を運営に睨まれないレベルで投稿したり、社会への憎しみの様な事も気分のままに書いた
「きっと『本物』からしたら子供の遊びの様な偽物なんだろうな」と悲しかったけど、少しでも彼に近付きたかった
可能ならば話をしてみたかった
意を決して、『繝倥?繝』のアカウントで彼をフォローする
反応があるまで数日かかったが、フォローバックが行われ、僕たちはこんなにも簡単に相互フォローとなった
──ついに鍵のアカウントの中身が観れる…!
フォローバックの通知を視ながら、僕は激しい胸の高鳴りを感じていた