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床話(安定期)  作者:
2/6

夕方の海

こんなに暑いと海にでも行きたくなる。

 学校が終わって自分の部屋に帰ると、一緒に暮らしているユーグは、クーラーを低めに設定して、布団の上で寝転びながら、悠々と本を読んでいた。…ずるい。軽くにらみつけると、その視線に気がついたのか、おかえり、と、クーラーの乾燥で寝起きの枯れた喉で軽く挨拶した。そして軽く咳払いする。


「明君、夕方の海って見たことある?」

 起き始めたユーグは、腕にリボンを巻きながら、ぼくに尋ねた。

「ないよ」

「見てみたくない?」

キラキラとユーグの目が輝いていた。楽しそうで羨ましい。

「どうでもいいけど。」

不機嫌気味にユーグにあたる。暑いし、ぼくはユーグみたいに、そんなことで明るくなれないし、つまらない日常だし、イライラする。

「いやなら、いいや。やめとこう。」

何が?

ユーグはぼくの不機嫌に気づいたのか、薄く笑って、距離を取った。

なんで避けるの。思わず名前を呼ぶ。

「何さ。」

「それはぼくのセリフだよ。やめるって何を?」

「いや。これから海行ってみたいなって。まぁ、明君興味なさそうだし、1人で行くけど」

エアコンの風が吹く。ユーグの返答は、理性的でさっぱりしていて、寂しい。

「…ついてく。」

ぼくの負けだ。我ながら自分勝手過ぎてちょっと恥ずかしい。

「じゃあ準備できたら教えて」

それでも、そんなぼくでも、ユーグは受け入れてくれるのだった。


──1時間後


 夕方で、空、いや、空気までもがオレンジ色になっていた。

人通りの少ない波打ち際をふたりで歩く。海の水は、夕暮れの光を乱反射して、まぶしい。…先を歩くユーグの綺麗なガラスみたいな銀髪も同様に。

「ねぇユーグ」

消えてしまいそうなユーグに、たまらなくなって、声をかける。

「いいよ。無理に構わなくて。」 

「…」

海の方を眺めていて、ぼくのことはどうでもいいようだ。

…ねぇ、こっち見てよ。

ふいにぼくは立ち止まって、少しユーグに甘えた。

「どうしたの。明君。」

流石にユーグもぼくに気づいて、振り返った。不意に風が止まった。

せっかくだから、と胸の中の澱を吐き出す。

「海って…嫌いな人とは行きたくないものだって…聞いたことあったよ。」

海の音がうるさい。このベタベタする湿度もうざったい。

「そう。変なこと言う人もいるね。」

ユーグは、つまらなさそうに、ため息を付いた。

待ってよ。

「ユーグは…っ」

「そんなテキトーな話に流されるのかい。キミは」

ユーグは軽くぼくを嘲笑った。ちょっと悔しいので口ごたえしたくなった。

「そうじゃなくて、ただ、ぼくは…ユーグのことが知りたくて」

「明君が信じたいように信じればいい。ボクには関係ないね。」

あわてたぼくの発言に被せるように、冷たく言い放った。

「自分で考えな」

ユーグはぼくより数歩前に進んで、ぼくに背中を向けた。立ち止まっていても、置いていかれるだけのようだ。

「わかった…よ。」


──しばらく沈黙


「どこまでも海だね」

ユーグは疲れてきたのか、歩くスピードが遅くなって、ぼくと横並びで歩いていた。少し暗くなってきて、海が光をなくしていく。

「明君、こっちおいで。靴濡れちゃうよ。」

たしかに、波が自分の近くまで来ていた。ユーグが手をこまねいた。

「うん。」

ユーグの方に寄る。ユーグに物理的に近づくと、ユーグがぼくのことをどう思ってるかの不透明性や、隣に広がる海の大きさに不安を覚えた。…息がしづらい。

「明君?」

「…ユーグ……」

口を抑えて落ち着かせようにも、落ち着かない。意味もなく涙も溢れてきた。


「どうしたの?具合悪い?」

不安げにユーグがぼくを覗き込んだ。でも、ぼくには、気まずくて、目をそらす。

「ううん…なんか…わかんないけど…」

その場にしゃがみこんだ。靴の直ぐ側まで水が流れ込む。ユーグも隣に膝をついて、ぼくの肩に手を置いた。

「もう帰ろっか。」

「…ううん」

つい、条件反射的に否定してしまった。でも、帰ったほうが良かったかもしれない。

「なんだかしんどそうだけど?」

ぼくがつらいときには、ユーグは、いつも、こうやって、心配そうに背中をさすってくれる。いつもは冷たかったり、嫌なこと言ってきたりするけど。

「ユーグがいなかったら…ダメだったかもしれない。」

だから、ぼくはユーグのことを憎めない。

「そっか。広い場所とか見通しのいい場所って寂しいよね。よしよし。」

ユーグはぼくの頭を撫でた。子供扱いはいやだけど、その手が温かくて、どうしようもない。

「…ユーグ、ありがと」

ちょっと落ち着いてきた。ユーグは、ゆっくり立ち上がり、ぼくに手を差し伸べた。

「手繋ぐ?ボクがいるってわかるようにさ。」

「うん」

もう日が落ちて暗くなった知らない海岸線もふたりなら心強い気がした。


 こう言うとユーグは不機嫌そうにするけど、やっぱり言っておいた。

「ユーグって優しいよね」

隣を歩くユーグは、ちょっと歩くリズムを崩して露骨に動揺した。

「勘違いしないでよね。弱ってる子どもをそのままにするほど、ボクは終わってないから。それだけ。」

「そこが優しいよ。ぼくはきっとできないから」

「明君ったら、うるさいねぇ。そんな悪口ばっか言わないでくれよ。」

冗談言っても、ユーグはそっぽ向き続けていた。最寄り駅前の街灯や人通りが見えてきた。ユーグはそっとぼくの手から、手を離した。

「ユーグ、わかんない…」

その空いた手の寂しさとともに呟いた。

「ひねくれ者同士でしょ。なにを今さら」

いつもの悪い笑みを浮かべていた。ユーグはだいたいいつも通りに戻っていた。

「え、ぼくも?」

「明君のほうが余程だよ。」

「……迷惑?」

「いいんだよ。嫌いな人とは海には行かないんだからさ。…って明君が言ってたよ。そうなんでしょ?」

意表を突かれて少し心臓が高鳴った。もう、海の音は聞こえない。

「…そう、信じたいな」


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