リレー小説①(お題:赤い薔薇、女王、アイドル)
「頼む、おれを園芸部に入れてくれ!」
目の前で深々と頭を下げる友人に、園芸部長は首を傾げた。三学期終業式後の朗らかな午後。部室にて、窓の外には三分咲きの桜。
「なんでまた。帰宅部のエースは辞めちゃうのか。」
部長は冗談っぽく理由を聞いてみることにした。
園芸部に入部制限は無いが、友人は部長と同じ高校二年生。つまり来週には三年生だ。こんな時期に部活に入りたがるものだろうか。
部長と友人は同じクラスで、一緒に昼食をとる仲だった。部長が思うに友人は、よく冗談を言い相手を笑わせたり楽しませようとする明るい性格だが、突拍子もない行動を取ったり、ドッキリを仕掛けたりするような人物では無い。
「おれ、総文祭で最優秀賞を取りたくて。」
顔をあげて友人は答える。その表情や口調は真剣なものに思えた。
高校生総合文化祭、通称総文祭。県から地方、全国大会まで続く、高校の文化部にとって一番大きな大会だ。
「内申対策か。」
「違うって。そもそもおれは進学しないし。」
確か卒業後は家業を手伝うと言っていたかと、部長は思った。
「じゃあ何だよ。」
「それは……。」
友人は少し言い淀む。ちらりと部長の後ろを見やった。園芸部の部室には、少ないながらも他の部員たちがいた。
ごほん、と友人は大きく咳払いし、小さい声で言った。
「……県代表になったって聞いた。」
「……ああ。」
隅田のことか、と部長は少し間をおいて思い至る。敢えて主語を抜いた友人に合わせて、相槌の言葉を減らす。
隅田は女子テニス部のエースで、友人とは親同士の仲が良く、家も近所だという幼なじみらしい。彼女は持ち前の容姿と人当たりの良さで人気を集め、今では学校のアイドルだ。
「何と言うか、何でも、頑張っている奴はすごいよな。それで結果まで出したら、すごすぎって言うか。」
友人は、次の言葉を探しながら話す。
「……遠すぎ、って言うか。」
「……。」
部長は、黙って次の言葉を待つ。
「うまく言えないけれど、おれは……それにかなうものが欲しい。おれの学生生活は、あと一年しかないけれど、それまでに。だけどおれは運動も勉強も平均かそれ以下で、芸術も経験がない。今さら何か始めたって、たかが知れている。」
叶う、敵う、それから適う。友人には、かなえたい何かがある。
「でも、それでも何かできるとしたら、ずっと爺ちゃんに仕込まれてきたこれだろうと思って。」
友人はスマホで画像を見せた。植物だ。花はつけていないが、今時分の薔薇の苗だと、部長は分かった。園芸部とはいえ素人目だが、大振りでみずみずしく、傷んだ葉が無く、丁寧に育てられているのが分かる。
友人の家は、薔薇がメインの花農家だ。
「おれは学生生活の最後に、この薔薇を女王にしたい。」
なんてな、と友人は照れ笑いをした。
「入部したいなら歓迎するよ。ただね……。」
部長は、どう伝えたらいいか少し迷う。
「園芸部の総文祭は団体戦だよ。」
学校の花壇の出来栄えを競うのである。
窓から見える桜が散って、少ないながらも新入生が入部してくれたら、花壇に何を植えるか決めなければと考えていたところだった。
「残念ながらうちは目立った実績もないし、必ずその薔薇を女王にしてやれる約束はできない。それでも、入部するかい?」
折角、一歩踏み出そうとしている友人の出鼻を挫くようで、少し声が掠れた。それでも、そんな友人の気持ちにこちらも安請け合いせず、真摯に応えたいと思ったのだ。
「うん、お願いするよ」
迷いのない返事だった。友人はこちらの懸念さえ吹き飛ばすような、屈託のない笑顔を浮かべた。
「最後なんだ、チャンスがもらえるだけありがたいよ」
よろしく部長、と軽く頭を下げた友人に小さく微笑む。
「精一杯、協力させてくれ」
「おう、最後に一花咲かせようぜ。そう、園芸部だけにね!」
「あ、これ入部届。書いたら顧問に出しといて」
「切り替えの早さ!」
そうして友人が園芸部に入部し、あっという間に新年度を迎えた。去年に引き続き同じクラスになった二人は、昼休みの騒がしい教室を抜け出して、中庭のベンチに座っていた。目の前にはレンガで囲われただけの殺風景な花壇がある。
「思ったより、でかいのな」
「まあね、ここに花が植わったら結構立派になるよ」
「そういや、今までは何を植えるとかどうやって決めてたの?」
「んー大体部員で話し合って、部長が意見まとめる感じ。でも今年は薔薇メインで決まりだからな」
花壇を見つめながら、缶コーヒーを煽れば、友人が珍しく気まずげな声を漏らす。
「自分で言っといてあれだけど、他の部員から反発とか……」
「多分ないよ。正直、おれ含めてそこまでガチでやってるやついないから。話し合いだって、せいぜい去年と違う花植えよっかぐらいだし」
花壇に植えるときのバランスとか、色の配置とかは意識するけど、別に強いこだわりがあるわけではない。偶然にも、今まで薔薇を植えたことはなかったから、今年もすんなりいくだろう。
「そういや、薔薇の色はどうする?」
薔薇の数によっては支柱を買い足さなければとぼんやり考えながら、ふと気になっていたことを友人に訊ねる。友人はスマホを弄る手を止め、眉根を寄せた。
「うーん……やっぱり赤は絶対入れたいな、育て方も自信あるし。花壇的にはカラフルな方がいいの?」
「色が氾濫しすぎても見映え悪いけど、一色よりは何色かあった方が綺麗かな」
「――ピンク、青、オレンジ」
「え?」
「じゃあ赤とピンク、それに青とオレンジも加えて四色の薔薇の花壇にしたい」
ぽつりと呟くように告げた友人に、思わず振り返った。その視線に何を勘違いしたのか、友人は慌てて「もちろん苗はうちで用意するよ!」と付け加えた。違う、そこじゃない。
「……言ったよね、うちは団体戦だって」
「えっ」
「花壇の私物化はよくないな、しかもだいぶ欲張り」
いつぞやの友人を真似して主語を抜いてみれば、不思議そうに傾げていた首が次第にじわじわと色付いていく。
「園芸部の部長なめるなよ」
「……マジで今すぐ花壇に埋まりたい」
「土が悪くなるからやめて」
「マジレス……」
恥ずかしさに耐え切れなかったのか両手で顔を覆う友人を一瞥して、また花壇に向き直る。友人の育てたあの見事な苗が花開き、溢れんばかりに咲き誇る未来を描いて、部長は目を細めた。
「まあ、いいよ。その代わり、うちの部員みんな薔薇の育て方には詳しくないから、プロ直伝の技、ご教授願うよ」
「それに関しては任せとけって!」
「育て方の違いとかで、急に辞めたりすんなよ」
「辞めないよ! なにそのバンドの解散理由みたいな!」
友人と軽口を叩きながらも、今まで感じたことのない高揚感が、確かに部長の胸に広がっていた。
校庭に咲く桜の花が散り始めた。
とある土曜日の午前中、友人は自身の家から大量に搬入した苗木を花壇の前に並べて熱心に選考していた。薔薇には様々な種類がある。花壇全体の見栄えを考えて大きさや色の配置を決めなければならない。
事前に決めておいた花壇の完成図案に目を落とす。他の部員の意見も取り入れつつも、結局は部内一の有識者である部長と、総文祭への熱量が人一倍な友人との二人で舵取りを行うことになったのは言うまでもなく。あれこれと口論はあったものの、真っ赤な大振りの花をつける薔薇の苗木を中央に据えること、それだけについてはぴったりと全員の意見が一致した。
花農家の息子に薔薇の選抜は一任し、半日がかりで花壇に苗木を植えていく。全ての苗木を植え終わったのは午後三時過ぎ。部長は首に伝う汗を拭って、花壇の端に座り込んだ。
「ああ、終わった……!」
正直なところ、まだ花も開花していない、一面緑色な花壇を見ても全く達成感は得られない。
「お疲れ」
友人が水の入ったペットボトルを投げて寄越す。ぐいと飲んだ後で、不意に友人の右手に握られたものが目に入る。
「お前、何それ」
「何って、ラジカセだけど」
延長コードを手繰りながら友人は地面にラジカセを置く。疑問の表情を浮かべる部長をよそに、再生ボタンを押す友人は真剣そのもので。
確かに植物にクラシック音楽を聴かせるとより生育が進むとどこかの本で読んだ気もしたが。そんな部長の予想はいとも簡単に外れ、流れてきたのは誰もが知っている国民的アイドルグループの大ヒットポップス曲。
部長はますますの疑念を抱いた。一体何故、このタイミングでこの曲なんだ?
あれこれ考えを巡らせていれば、友人がぽつりと呟いた。
「……あいつの、好きな曲なんだよ」
友人の視線は真っ直ぐに中央の赤い薔薇の苗木に向いている。その横顔は部活に打ち込む隅田にも負けないくらいに、輝いていたようにも思えて。
校庭の片隅で流れる穏やかな旋律、暖かな歌詞。
それは偶然にも、花を詠った曲だった。
月日は流れ、夏。一年中花を咲かせる品種を選んだため、花壇の中の色合いは既に賑やかなものであった。
部長と友人は秋の総文祭に向けて薔薇の剪定作業を行っていた。あまりにも花をつけすぎると養分が行き渡らず、見栄えも悪くなってしまう。夏の終わりに余分な花を切り落とすことで、秋に向けて綺麗に花を咲かせるのだ。
そこに偶然にも、有終の美で高校最後の夏を終えた隅田が通りかかる。
「わあ! 綺麗な薔薇!」
彼女はどうやら花も好きらしい。はしゃぐ隅田に友人は今まさに切り落とそうとしていた一輪を差し出す。
「……大会、お疲れ」
緊張からなのか、もごもごとくぐもった言葉と共に渡された薔薇の花を、隅田は驚きつつも大切そうに受け取った。
「総文祭、頑張って。絶対見に行くから」
恥ずかしそうに言い残して、小走りで去っていく隅田の後ろ姿を見送る友人は耳の後ろまで真っ赤にしていて。日に焼けた肌でもその赤らみは間違いないものだった。
部長は友人の脇腹を軽く小突いてからかってみせる。
「……夏だなぁ」
晩夏。それでもまだまだ暑く。
ツクツクボウシの鳴き声が、校庭中に響き渡っていた。
「そう、それで?」
私は目の前の男に――かつて園芸部の部長を務めていた彼に、そう問いかけた。
コーヒーカップを受け皿に戻した彼は、柔和な笑みを浮かべ、簡潔に答える。
「ああ、すべてうまくいったんだ」
そして、次に続いたのは沈黙であった。充分な回答を得られていないと感じた私は、素直にそのことを彼に投げ掛ける。
「ええと、つまりだね……」
彼は困惑したように苦笑した。
「彼の……その友人の願いは叶ったということだよ。総文祭にて、おれたち園芸部は最優秀賞を頂いた。審査員の方々からは沢山お褒め頂いてね、早い話がぶっちぎりだったよ。まあ、本業の薔薇農家の協力という下駄を履いた上での結果だし、驕るつもりはない。それでも、いい思い出にはなったかな……地元の新聞も取材に来て、ちょっとしたお祭り気分だった。大学受験にも大いにプラスに働いただろう。本当に、彼には感謝している」
そうして、彼はコーヒーを啜った。
長々と語ってもらったが、それでも私は、欲しい情報を得ることが出来ていない。
彼の語る彼のこと。その主題について問う為に私が口を開いた一瞬先に、彼は窓の外を見やって言った。
「ああ、この店も薔薇を育てているんだね……大変だろうに」
私は思わず、彼の目線の先を追った。なるほど、この喫茶店は――大変ご苦労なことだが、薔薇を花壇に植えて育てているようだ。
「たかが無名の園芸部が栄光を掴めたのは、結局のところその一回だけだったんだ」
彼はまだ、花壇の薔薇から目を離さない。
「綺麗な花を咲かせる為に、剪定は欠かせない。彼は何度も言っていた。……言ってしまえば、おれたち園芸部は……彼の恋心を利用して、彼の自由を剪定し、一度きりの栄光という花を咲かせた……そう言えるかもしれない。まあ、言い出しっぺは彼だったけれどね、でも、これは世の中の摂理だと思うんだ……美しいハッピーエンドの影には、剪定されたバッドエンドの死体が転がっているものだと……誰かの笑顔の裏には、別の誰かの涙があるのだと……」
その時、先程まで喫茶店に流れていた曲がフェードアウトしながら終局を迎えた。しばしの静寂の後、トラックがようやく切り替わり、別の曲が流れだした。
誰もが知っている国民的アイドルグループの大ヒットポップス曲。そのイントロが始まるや否や、彼は勢いよく席を立った。
床と擦れた椅子が少し派手な音を立てて、彼は我に返ったように笑顔に戻った。
「ちょっとトイレに行ってくるよ」
そうして、私はひとりになった。
話す相手も、視線のやり場も失って、私はぼんやりとただ座っていた。ふと、彼が座っていた椅子の向こう側――壁に架けられたカレンダーが目に入り、私は何気なく呟く。
「ああ、来週か……彼の結婚式は」




