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04 白雪小冬は年下の後輩

「って感じで面接通ったよ。結構楽しそうな職場だし勧めてくれてありがとう」


 面接を受けた翌日の放課後、二人しかいない教室で小冬に結果を報告した。


「よかった」


 昨日と同じ席でこくりと頷く小冬。表紙に犬がプリントされた英単語帳に視線を落とすと、パラパラめくりながらボソッと呟いた。少し笑っているようにも見える。


「早速今日からバイトなんだ。早く小冬にも食べてもらえるように頑張るよ」

「……」


 無視された。


「あれ、小冬こふゆ?」

「……」

「おーい」

「……」


 首すら微動だにしなかった。反応が薄いのはいつもだが全くないのは珍しい。何かおかしなこと言ったかな。もしかして寝ちゃった?


だんくん……」


 と思ったらパッチリ目が開いていた。本を閉じて犬が見えるように机に置く。あまり可愛いとは言えない垂れ耳の犬がじっと俺を見てくる。


「どうかした?」


 尋ねると小冬はがさごそと鞄を漁った。なんだ? 今日は何が飛び出してくる?


「勉強……」


 取り出したのは普通の参考書。


「教えて」


 少し恥ずかしそうに鼻と口を隠してそう言った。もしかして勉強の邪魔しちゃってたのかな。反省反省。


「ごめんね。俺でよかったら教えさせて」


 今度はちゃんと頷いてくれた。俺も合格者としてカッコいいところを見せてやろう。

 とりあえず椅子の背もたれに両手を置くように座って、小冬の正面から教える姿勢になった。バイトに行く時間まであと60分。集中してやるには丁度いい長さだ。


「何の教科やるの?」

「数学」


 小冬は問題集とノートを開いてペンを握った。昨日家に帰ってから自分で解いてみたのか、問題の番号にはチェックがついている。そこをペンの頭で軽く叩いた。


「これわかんない」

「おっけ、やってみよう」


 最近まで勉強漬けの生活をしていたため、パッと見ただけでなんとなく分かった。 

 小冬が躓いていたのは一次関数の点Pが動くという応用問題で、高校生の嫌いなものランキングトップ3には食い込んでくる問題だ。


「なんで動くの?」


 まず初めに解き方ではなく解く意味を聞かれた。みんな一度は思った疑問だ。


「そういう問題なんだよなー」

「役に立つの?」

「全く」

「じゃあどうしてやるの?」


 小さな子どもみたいに何で何でと聞いてくる。俺に聞かれてもそんなの知らないが、せっかく頼ってくれたんだから答えてあげたい。さてどうしたもんか。


「えー、おっほん。いいかい小冬君。この問題自体は意味ないけどこの問題から学ぶことはあるんだよ」


 俺は先生気取りで説明することにした。小冬はキョトンとしている。


「この点Pは大事な人と思っていい」

「暖くん、真面目にやって」


 何だコイツって顔で見られた。傷つくなー。まあいいや構わず続けよう。


「俺は大真面目だよ。いい? 点Pがなんで動くんだって言ったけどこれは人間にも同じことが言える。相手は自分の思い通りに動いてくれないことの方が多いでしょ? それをこの問題が教えてくれてるんだ。この問題が解けないようじゃもっと複雑な人の気持ちなんてわかるわけないよね」


 俺の熱弁を聞いて小冬は納得したようにうんうんと首を縦に振った。


「考えたことなかった。さすが暖くん」

「そんな褒めるなって」


 適当にそれっぽいこと言っただけだけど満足したみたいで何よりだ。意外といいこと言ったな俺。


「じゃあ出来るとこまで解いてみて」


小冬がどれだけできるか知っておきたかったため、実際に解かせて手が止まったらヒントを与えることにした。一年のブランクがあったのに基礎が出来ていて感心する。


「えっと、答えは……こう?」

「正解。凄いぞ小冬」

「やった。こっちもやってみよ」


 俺が褒めると嬉しそうに笑ってくれた。

 教えがいのある真面目な後輩はこっちまで笑顔にさせてくれる。


 その後もたまに助言をしたが、小冬は次へ次へとペンを楽しそうに走らせた。

 俺はコツコツと奏でる音を聞きながらその様子を眺める。

 ノートの紙みたいに白くてシャーペンみたいに細い指はちゃんと力が入ってるのか心配になる。一生懸命書いてる姿は一生見ていられる気がした。

 なんというかこの空間にいるだけで幸せな気分にさせてくれる。


 窓から入ってきた風が美しい黒髪をなびかせた。

 女の子の甘い匂いが鼻孔を抜け、俺の意識は手元から小冬に移る。

 小冬はノートに向かっていて俺のことは視界に入っていない。

 上から観察していると、つむじが二つあることを発見した。

 考えると頭を揺らす癖があって、そのたびに可愛いつむじが二つ揺れる。

 ふと、髪の毛を触ってみたくなる。


 それは好奇心と出来心だった。

 前髪の先っちょに手を伸ばし、指の腹で撫でようとしたその時、


「暖くん、ここなんだけ──ちゅっ」


 小冬が顔を上げ、俺の指にキスをした。

 長いまつ毛と色っぽい目元のほくろがすぐそこにあり、一瞬時が止まったように見つめ合う。するとみるみる顔を真っ赤に染め、


「みゃっ!?」


 ビクンと体が跳ねて猫みたいな声を出した。反射的に勢いよく引かれた椅子は後ろの机を倒すには十分で、大きな音を立てる。


「ご、ごめん。大丈夫?」

「わわっ! わわわ、わわわわ」


 壊れた玩具みたいにわたわたする小冬。自分の唇に手を添えると思い出したようにノートで顔を全部隠した。俺の指はまだぷるぷると柔らかい感触を覚えている。


「も、申し訳ございませんでした!」


 俺は腰を直角に曲げて誠心誠意謝罪した。嫌われるだけで済めばいいが小冬にトラウマや恐怖心を植え付けてしまったら取り返しがつかない。


「……」


 小冬からの反応はない。恐る恐る、祈るように顔を上げる。するとノートの上からチラチラと目を覗かせたり隠したりしている小冬がいた。


「……け」

「ん?」


 何かを伝えようとしている。


「びっくりしただけ……」


 ハッキリそう聞こえた。俺は「ふぅー」と安堵のため息を吐く。


「よかった」


 俺は倒れた机と椅子を直して元の席に座った。

 いつもと同じ沈黙でも空気が重く、気まずさを感じる。


「えーっと、そうだ。俺そろそろバイトだから帰るね」


 俺はお茶を濁して荷物をまとめた。時間もちょうど一時間経っていて帰る時間だ。小冬に「じゃあね」と告げて横を通る。


「ねぇ暖くん……」


 俺の袖を掴み、ギリギリ聞こえる声で呟いた。


「明日も教えてね」

「わかった。約束する」


 その一言で迷いが消えた。俺は切り替えてバイトに足を運んだ。

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