02 後輩の勧誘は断れない
「おめでとう、暖くん。すごいね」
「いやーほっとした。小冬も応援してくれてありがとね」
感謝を伝えると、小冬はこくりと頷いて文庫本に視線を落とした。背中まで伸びる艶やかな黒髪を耳にかけると、白くて小さな耳が露になる。
あの経験から二年が経ち、俺は高校三年生になった。
現在は俺が先輩で、年下の後輩がいる。
今は後輩の小冬に俺の合格を祝ってもらっているところ。地元の国立大学に推薦入試で合格し、年内に進路を確定させることができたのだ。
「私もそろそろ勉強始めた方がいいのかな……」
視線は文字を追いながらボソッと呟く。
二人しかいない教室でも声量は少し小さい。
「もう12月だもんね。そろそろ始めておくと後悔しないかも」
「そうだよね……。頑張ってみようかな」
ASMRにしたら需要がありそうな囁き声。お行儀よくちょこんと座っている小冬は大人しくて優しい後輩だ。
「じゃあ今度は俺が応援する番だね。どこか行きたい学校とかあるの?」
先輩として悩める後輩にアドバイスしてあげよう。小冬は頑張り屋さんだし成績も悪くない。今からやればきっと間に合うはずだ。
「……こ」
「ん?」
今の声は少々聞き取りづらかった。紅潮した耳を視界の端に捉える。
「……同じとこ」
今度はそこだけ聞き取れた。誰と、何て聞き返すのは野暮ってもんだ。
「じゃあ頑張らないとね。わからないとこあったら教えるよ」
「うん、お願い」
小冬は本を顔の高さまで持ち上げて顔を隠した。本を読んでいると時折こういう行動をするのだが、部員二人しかいないこの教室にはおなじみの光景だ。
白雪小冬。今年の四月から我が文芸部(同好会)に入部した高校二年生の後輩。名は体を表すという言葉通り、色白で華奢な体つきをしている。身長は背の順で前から三番目くらい。落ち着いた清楚な印象だが雪だるまのような愛くるしさもあって守ってあげたくなる感じだ。
小冬は病弱だったため一年生の間は入院していたらしい。病気が治って二年生から通うことになったのだが、この学校は部活に所属するのが強制で、部室棟をウロチョロしているところに俺が声をかけた。入学したばかりの自分を見ているようで放っておけなかったのだ。
最初は今よりもっと内気な子で、会話も文章ではなく単語を並べる程度しかできなかった。まあ、人と話すこと自体が久しぶりだったみたいだから無理もない。
俺とは話す練習をしていたため、先輩後輩の関係だが今でもタメ口で喋っている。
「ねぇ暖くん」
五分ほど経ったところで小冬は文庫本を閉じて丁寧に机に置いた。ページは全く進んでいない。二つ机が離れた場所に座る俺をじっと見てくる。
「どうかした?」
「あのね……」
言い出せないのか一度言葉を区切った。
「言ってごらん」
いつも通り小冬の言葉をゆっくり待つ。
すると小冬は何度か「えっと」とか「その」とか言ってから、
「明日から来なくなる?」
もう一度本を広げてそう言った。鼻と口を隠してパッチリした目で訴えてくる。それは初めて会った時の独りぼっちだった頃に似ていて、捨てられた子犬のような目だ。目元のほくろが可愛らしい。
「いや、まだ来るよ。ここはもう自分の部屋みたいで落ち着くし大学に向けて今のうちに勉強しておこうと思ってるんだ」
「ほんとに?」
手にした本と一緒に首を傾げる。
「本当だよ。それに俺がいないと同好会ですらなくなるでしょ。あ、そうだ。小冬の勉強も見てあげようか?」
そこまで言うと小冬は本を閉じてパッと笑顔を咲かせた。
「よろしくお願いします。先輩っ」
「こちらこそよろしく」
俺はたまに見せてくれるその笑顔が好きだったりする。これは間違いなく恋心だ。
一度経験しているからわかるが、この気持ちは先輩に抱いていた憧れとは違う。
卒業するまで。いや、自由登校になってしまう三学期までにはケジメをつけたい。
でもそれができないでいる。きっと小冬も俺のことを美化しているだけだから、そこに漬け込むような真似はどうしてもできない。俺の中で距離を置きたいという気持ちと、まだ一緒にいたいという気持ちがぶつかり合って中途半端になっている。
そうやって悩んでいるうちに12月になってしまった。俺はどうしたらいいのかわからない。もういっそここに来るのをやめて小冬のことも忘れれば……。
「あ、でも暖くん。ここってまだ使わせてもらえるの?」
「ん? ああ、先生には許可とっといた。勉強するなら使っていいってさ」
あれこれ考えるのは帰ってからにしよう。せっかく小冬が話しかけてくれたんだ。今はこの時間を大切にしたい。
「よかった。私たち部活動っぽいことしたことないもんね」
「確かに」
俺たちは文芸部を名乗っているが、やったことと言えば俺が勉強してる横で小冬が読書をして、たまに雑談をするということぐらい。今までは勉強してるという名目でこの部が存続していたのだ。
まあでも、俺が入部したばかりの時は先輩と喋ってるだけだったし、先輩が卒業して部員が俺一人になった時も廃部の話は聞かなかった。どこかしらに所属していれば活動内容と部員数は何でもいいのかもしれない。自称進学校あるあるだ。
「それとさ、暖くん。話変わっちゃうけど……」
ごそごそと鞄をあさる小冬。いい事でもあったのか今日はかなりお喋りな方だ。
俺は何を話してくれるのかちょっぴり楽しみにしながら続く言葉を待つ。
真剣な表情の小冬が取り出したのは文庫本ではなく一枚のチラシ。
それを持ち上げると、またしても目だけこんにちはして鼻と口はおやすみした。
「これ」
一度自分の顔の前で見せてから俺が見やすいように置いてくれた。それはもうただの紙切れではなく、小冬の吐息がかかったプレミア付きの紙切れだ。俺だったら五桁までは余裕で出せる。額縁に入れて飾るのも悪くないな。
……1回落ち着こう。これ以上バカ言ってると小冬に失礼だ。
気を取り直してざっと目を通す。それはアルバイト募集のチラシで、ファミリーレストランの案内だった。
初バイトでも安心! 高校生も大歓迎!! よく見るフレーズの下には簡単な業務内容と時給。高校生は950円とそこまで悪くない。真ん中にはでかでかと写真が貼ってあって、ユニフォームを着た可愛らしい女の子たちが笑顔で写っていた。
「えっと、これは?」
「バイト」
それはわかってる。昔もこんな感じで単語しか喋ってくれなかったな。懐かしい。
「これをどうして俺に?」
「言ってたから」
「なんて?」
「働きたいって」
働きたい。確かにそんなことは言った。あれはちょうど一か月前だったかな。二人でお菓子食べながら休憩してる時に、小冬が合格したらどうするのか聞いてきた。俺はバイトでもして金貯めるかなーって言ったんだ。
「言ったかも。もしかして探してくれたの?」
こくりと頷く小冬。正直バイトは春休みぐらいから始めようかと思っていたがせっかくの好意を無下にはできない。
「ありがと。でもなんでファミレス?」
「よく行くの。いいところだよ」
下調べもバッチリってことか。俺のためにそこまで……。
泣かせてくれるじゃないか。
「そっか、考えてみるよ」
チラシを折りたたんで自分の鞄にしまう。今度行ってみようかな。
「あ、ごめん」
「ん?」
「もう電話しちゃった」
「へ?」
俺の手が止まる。小冬の口は止まらない。
「今日、面接あるよ?」
キョトンとした顔で聞いてきた。『?』を浮かべたいのは俺なんだが?
「え、どういうことですか小冬さん」
思わず敬語になってしまった。つぶらな瞳が見つめてくる。
「私が代わりに電話しておいてあげたの。今日の夜7時からバイトの面接だって」
俺を置いてけぼりにしてどんどん話が進んでいく。
あれ、小冬ってこんなに行動力ある子だっけ?
「え、なんで勝手にそんなこと──」
「ごめん、嫌だった?」
上目遣いで見つめてくる目はほんの少し潤んでいた。俺のためにここまでしてくれた可愛い後輩を誰が責められようか。いや、できない。
「ううん、全然嫌じゃないよ。働く時期が早くなっただけでいいきっかけになったと思ってる。ありがとう」
「ほんとに? 怒ってない?」
「驚いただけで怒ってないよ。さすがに今日面接あるのはまだついていけてないけど」
合格発表の通知は昨日だった。もし落ちていたらまだ俺は受験生だったわけで、小冬は俺の合格を信じてくれてたって事だ。嬉しいじゃないか。
「よかった。じゃあ頑張ってね。私そろそろ帰るから」
そう言って小冬は荷物をまとめだした。時刻は夕方の5時を指している。俺も一度帰って準備をするとしよう。
数ある作品の中から読んで頂きありがとうございます。
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話が進んでいくと2人の過去編が少しだけ入る予定です。




