07 少女の日記
ハルバルートは、アリアロッサが幽閉される塔が、国境を死守する防衛線に建てられた出城の側防塔だと言った。
しかし周囲に瓦礫が散乱しているものの、無傷で残された立派な塔には、側防塔だった頃の面影がない。
ハルバルートによれば、野原を見渡すように立っている高い塔は、築城より以前から存在していたらしく、そもそも焼け落ちた出城は、ここが戦線になったとき、塔を中心に作った安普請だったらしい。
焼け残った側防塔は立派な石造りであり、増設された城壁や居館の残骸を見れば、塔に見合うものではなかったことが解る。
そしてアリアロッサが塔を見上げると、身の丈二倍ほどの高さに鉄の扉があり、籠城先や捕虜の収容房を兼ねていた塔には、梯子を掛けて出入りするしかなさそうだ。
「お前が塔から出たいなら、棺桶に入るか、俺を殺す方法を見つけることだ。食事や必要なものは、籠を下ろしておけばくれてやる」
アリアロッサが頷くと、ハルバルートは塔の扉から梯子を外した。
塔の中に入れば、最上階の見張り台に続く螺旋階段と、地下室に真っ直ぐ伸びる石階段があり、螺旋階段のところどころに、矢を射るための狭間窓がある。
アリアロッサが地下室を覗き込むと、ぴちょんぴちょんと水の滴る音が聞こえて、湿気を孕んだ生臭い風が吹いてきた。
暗闇に目を凝らせば、狭間窓から差し込む陽射しが、地下室に溜まっている水面で照り返している。
地下室には、捕虜の収容房と井戸があると言うので、階段を下りた先には井戸があり、収容房は、その向かいの陽射しの当たらないところにあるのだろう。
ハルバルートは、この塔にある隠し部屋で、人間を灰燼に帰す『塵を踏むもの』と契約する方法を知ったらしい。
アリアロッサが円筒状の塔から螺旋階段を見上げても、見張り台の床板しか見えなければ、隠し部屋とやらは、地下室の何処かにあると思った。
「ハルバルートさんを殺す方法が解かれば、この塔から出してもらえる……うっ」
アリアロッサは独り言たものの、鼻を袖で覆って石階段から背を向けた。
臓物を食い千切られたようなハルバルートの虚空の腹を思い出したアリアロッサは、地下室からの臭気も合間って気分が悪くなり、風に当たろうと螺旋階段を上り始める。
螺旋階段は円筒状の内壁に沿って木の板が打ち込まれており、矢狭間のある広い踊り場だけ石床だった。
踊り場の間隔は十段、高さにしてアリアロッサの身長ほどであり、そんな踊り場が見張り台がある最上階まで十ヶ所ある。
また踊り場には、床板が朽ちたと思われるところが四ヶ所あったので、出城の側防塔だったときは、見張り台を含めて地上六階建てだったことが解る。
アリアロッサは、階段の途中で立ち止まると、塔の中心を覗き込んで、足を滑らせれば確実に死ぬだろう高さに血の気が引いた。
婚約者や肉親の仕打ちに満身創痍だったアリアロッサは、死んでしまいたいと口にしたが、いざ死と隣り合わせの状況になると、命が惜しいのだから失笑してしまう。
「アリー……。皆の望みは、私が消えてなくなることよ」
アリアロッサは自分に言い聞かせて、上を向いて見張り台を目指した。
アリアロッサが勝手に死んだところで、フェルトフォンは厄介事が減るだけだし、父親のハッサンやフローラは、きっと後悔も悲しんでもくれない。
ややもすると、死を渇望しているハルバルートは、悲嘆にくれるかもしれないが、アリアロッサは、塔に幽閉した仕打ちを恨んでも、不幸な境遇を聞かされれば、心の底から憎む気になれなかった。
それにハルバルートの目論見は何れにせよ、むしろ針の筵のような屋敷から連れ出してくれたのだから、救われた気分にもなる。
見張り台に上り詰めたアリアロッサは、四方に開いた大きな窓から、霧に包まれた森を眺める。
塔の立っている野原は、ハルバルートの言ったとおり、どこを向いて高い木々に囲まれており、海どころか山も霞んで見えなかった。
見張り台には張り出した露台があり、そこに出たアリアロッサが見下すと、塔の隣には、ハルバルートが暮らしている石造りの小さな小屋がある。
ハルバルートは小屋から、ライエルとザイードを往来する一本道を監視していると言っていたが、両国が緊張関係にある中、ここを通るのは、森に迷い込んだ者だけで、助けを求めても無駄だと忠告された。
「塔には、先客がいたみたい」
見張り台の室内に戻ったアリアロッサは、御誂え向きの衣類が吊るされたクローゼット、紙やペンが煩雑に置かれたテーブル、食器が積まれた棚など生活感のある部屋を見渡して、年頃の女性が塔に幽閉されていたと思った。
ハルバルートが塔に閉じ込めていた少女は、アリアロッサが初めてではなかったのだろう。
先客は、答えを見つけて塔を出たのか、それとも上手く逃げ出したのか、ハルバルートが存命なのだから、まんまと逃げ失せたと思いたい。
なぜならアリアロッサが課せられた条件を考えれば、自ら命を断ったかもしれないが、もしも逃げ延びてくれたのならば、自分の身の上にも希望があるからだ。
「これは日記?」
テーブルに散乱している紙を揃えたアリアロッサは、書かれていた内容を読んで、名も知らぬ少女が残した日記だと思った。
紙には、日付こそ書かれていなかったものの、少女が隠された部屋を探すために、塔の構造を調べていた様子と、身の上に降り掛かった不幸が綴られていた。
「そうか……彼女も、私のように男に弄ばれて捨てられたのね」
ハルバルートが塔に残していた日記は、至る所が塗り潰されていたが、少女の境遇に関係する記述を判読すれば、アリアロッサの不幸と共通するところがあった。
また塔の構造については、地下室から見張り台の屋根裏に至るまで、詳細に明かされているのだから、ハルバルートが、わざわざ日記を残した訳合は、この続きをアリアロッサに捜索させたかったのだろう。
「今日は、いろいろ疲れたわ」
アリアロッサは日記を読むのをそこそこにして、ベッドに横たわって天井を見上げた。
少女が、どれほどの期間、塔に幽閉されていたのか解らないが、一先ず生きていける環境は整っていたらしい。
自分と同じような境遇の少女が、塔にいたと思えば、不思議と安堵して眠りについた。
三日ぶりに寝入ったアリアロッサは、まだ不幸が仕組まれたものであり、自分を陥れた黒幕の存在を知らなかったのである。