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5.『正義の味方は危機感が足りない』

 五日目、ああ五日目か…。気分は最悪、状況は悪い、の一歩手前といったところだ。

もしものときの頼みの綱である涼子さんに連絡は付かない。メールは送っておいたが、あの人は仮にも自分の娘をほったらかしにして、なにやってるんだ。

エリザに対して、当然、親権などないから、パスポートを発行できないために海外逃亡は困難。調べた限り、この街だけでなく、国中にゴリラが確認され、幼女を攫っている状況下だ。あいつらロリコンかよ。誰かとは言わない、警察さんよ、早くどうにかしてくれ。

まあ、あの度合いの身体強化能力で好戦的であるなら、高くてCランク程度とはいえ、一般的な警察の手に余るのも納得はできる。一般人が銃を持って暴れていることを想像したら分かりやすいだろう。なんだかんだニュースになる程度の大ごとである。

というような時勢、無計画なエリザの外出は危険だ。とりあえずはバイトであるツバサには、いつも通り登校してもらい、エリザには外出しないでもらう。まあ最近の携帯端末は、動画視聴に、豊富な種類のゲームまでできるのだから彼女を退屈させることはないであろう。

「なんじゃ、今日はあの暑苦しい筋トレをしないのか?」

 ダイニングの椅子に腰かけ、エリザに視線を向けながらも、上の空だった俺に、いつものようにリビングで勉強をしていたエリザは手を止めると話しかけてくる。

「休筋日だ、筋肉ってのは毎日鍛えても痛むだけだからな。鍛えた後で数日休むことで、筋肉が大きくなる時間を与えてやるんだよ」

「そうなのか…?まあ、そうならよいのだが」

 とエリザは俺の言葉に歯切れの悪い返事をする。

「なんだ、集中できないのか?なら、俺は事務所の方にいるから……」

「違うのじゃ、そうではない」

 言って、立ち上がろうとした俺をエリザは制止する。

「今日の朝食も、いつもより食べておらんかったじゃろ?そのしん…、いや、あれじゃ、いつもと違うから気になっただけのことよ」

 エリザは相変わらず言葉を選ぶように会話を続ける。

 俺は、エリザは自分のことで精一杯で他人のことなど見ていないように思っていたけど、わざとツバサに朝食を少なくしてもらっていたことに気付いていたのか。まあ、皿に入っている量を見れば分かるといえば、それまでだが。

「ああ、それか。人間の身体ってのは不思議なもんで、一週間に一度、大量に食事を摂る日を作ると他の日はあまり量を食べなくても空腹を感じ難くなるようになっているんだ。まあ、体形がごつくなりすぎても印象はよくならないからな」

「そ、そうなのか…。いや、うむ。体型維持というやつじゃな。お主が自分の仕事に対して真摯な面を持っていることに少し驚いた」

「こんななんでも屋みたいな職でも生活せねばならんからな。もうそりゃ、仕事に対しては全力よ」

「そうか、そうよな」

 俺の軽口に、エリザは普段の嫌味ではなく、軽く頷いて同意してくる。

 なんだ?なんだか、調子が狂うぞ。

「なんだ?ツバサのアイスでも勝手に食べたか?一緒に謝ってやろうか?」

「お主じゃあるまいし、欲しいなら同意ぐらい取るわい」

 と、エリザはいつもの高圧的な調子で答えてくる。

しかし先日、能力で奪おうとして、結局謝れなかったガキがどの口で言うのか。

「なんじゃ、その不満のある顔は」

「いや、なんもねえ。少年、三日会わざれば刮目して見よって奴だな」

 眉に皺を寄せるエリザに、とは言ったものの俺は彼女の精神面で成長しているところは全く見ていない。

「少年?それを言うなら、男子であろうに。それに妾はそもそも男ではない」

「知ってるよ。しかし難しい言葉を、その歳でよく知ってたもんだ」

「常識じゃ、むしろお主の方が…、ああ、そうか」とエリザは一人得心する。

「言葉遊びという奴かの?お主にも趣というものが分かる感性があるとはのう。少しばかり見くびっておったわ」

 いつもの横柄な態度とは裏腹に、彼女は俺の言葉を皮肉だとは認識できなかったようである。やはり、どれほど強力な力を持っていても、まだまだ子供だ。数日では何も成長したりなどしない。

「世の中は、面白いこと、やりたいことを目指して努力しないと辛いだけだからな」

 と俺は答える。そうだ、昔からそれだけは変わっていない。

「なるほどの。ならお主よ、妾に面白い話をしてみせよ」

「はあ、なんだよ?」

とエリザの言葉を俺は聞き返す。なんで好き好んで子供のお守りをせにゃならん。

「どうせ暇なのであろう?お主も先生と慕われる程度には探偵であるのだろう。なら、面白いエピソードの一つや二つぐらいあるのではないか?」

「あ?あぁ、分かった。お前、シャーロックホームズでも読んだろ。児童文学に揃ってんもんな」

「いや、読んではおらん」

と、エリザは視線をそっと逸らす。

素直というより分かりやすい。

「一つ勘違いをしているから教えといてやるが、探偵は謎を解く職業じゃないぞ。あれは和訳や作家の解釈、それからマーケティングでねじ曲がった当て字だからな」

 俺はいつものように探偵についての己の解釈を口にする。

「妾が分からぬ難しい話をするでない」

と、エリザはこちらに向き直ると怒って頬を膨らます。

とりあえず分からなくても頷く大人より、子供らしい可愛らしい分かりやすい反応には好感を持てる。

「分かった、すまんな。とりあえず、俺はホームズのようなことはしていないよ」

 俺は彼女に軽く謝る。

そもそも探偵になったのは謎解きをするためではなく、探偵の本懐を遂げるためである。と、言われても困るだろうから言わんがな。

「なら、お主が面白いと思った仕事の話をせい。ツバサが、謝罪には出来うる限り誠意をみせてもらった方がよいと言っておったからの」

 あいつ余計なことを教えやがって。エリザもエリザで真に受けなくていいんだよ。などと内心で俺は毒づく。

「そういうのはワトソンのような助手がやるべきだろ?」と俺は溜息交じりに答える。

「あやつがそれほど優秀な語り手にみえるのか、お主には?」

「ああ、それもそうだ」

 エリザの言葉に俺は同意しながらも、俺は自身のこめかみを押さえる。頭痛がする。

「言っとくが、俺は、俺が面白いと思った話しかできないからな」

「よい。お主の人柄をしっかりと見極めるよい機会じゃ。よくよく考えたらお主のことを妾はよく知らぬ」

 彼女の言葉に大雑把に相槌を打つ。

まったく、俺のことを知らないというくせに、あれだけ悪口をよく言えたものだ。

「まったく、先ほどからなんじゃ、その顔は?大方、妾の態度が気に入らないといったところかの」

 エリザは俺の顔をみながら溜息を吐く。

溜息が付きたいのはこっちだよ、もう吐いてるけどさ。

「お主には分かってないと思うが、妾はこれ以外の人との付き合い方を知らん」

 とエリザは大真面目に口にする。

 それはみれば分かる、とは口には出さない代わりに目を逸らすと、エリザは続ける。

「なら先に妾のことを少し話そう。その方がフェアという奴だろ」

 競技でもないのだから、公平も不公平もない気もするが、話してくれるのなら暇の一つ二つは潰れるだろう。あと、俺が面白い話をしないといけない時間が減る。これが間違いなく美味しい。

 どうやら、顔というよりオーラにでもなって出ているようで、素っ気ない俺の態度にエリザは渋い顔をしながら話し出す。

「そうさな、妾は宗教団体というものの巫女をやらされていたのじゃ。それが何をするものかはよく知っているが、その立ち位置というものが知識不足ではっきりせんのじゃが、まあ、神託という名の命令や行動基準を効率よく与える役であった。そのことを知ったのは涼子と出会ってからじゃがの」

 そう口にした彼女は可愛らしい顔を苦虫でも噛み潰した表情で塗りつぶす。

新興宗教で行われる俗にいう洗脳という奴だろう。しかも、この場合よく使われる手段より対策が厄介だ。なにせ、知識があろうが、信じていまいが、論理的に破綻させようが、エリザの言葉は避けようのない拘束力を超能力によって持っているからだ。

「まあ、人を狂わせた妾の悪行はいいんじゃ。それよりも、それを前提として彼らが妾にどのような教育を施したか、ということじゃな。これはもう言わんでも分かるじゃろ。お主もなんだかんだ気を使っておるようじゃしの」

 エリザは目を伏せ、行き場のない感情を、机を指でなぞることで紛らわせる。

まあ、子供といえ察せるものだよな。俺たち大人の立場の人間から情報を統制されていることは。

「お前の悪行とやらも、その後の結果は言わなくても大体分かるぞ。当ててやろうか?」

「言い当てなくともよい。気持ちのいい話ではないからの」

 確かに気持ちのいい話ではないだろう。例えるなら、自分が人間になれると見世物として飼われていた怪物は人間のように振る舞っている中で主人を食い殺したが、その事実を知っても、まだ怪物は人間になりたがっている。そんなクソみたいな話だ。

それはどこにでもおる年端も行かぬ少女の抱えるには少しばかり重い教訓染みた話なのだから。

それでも一つ言えるのは、少なくとも、そんな物語に出てくる彼女は化け物ではなく、人間であるってことだ。

「だから妾は、人への接し方を知らんのじゃ。妾の行動なんぞ、まるでお主らの見よう見まねの猿真似じゃ」

 とエリザは自身の言葉を噛みしめるように目をゆっくり閉じる。

 ちゃんと想像すれば悲しい話だな。胸が潰れるかも知れない。だが、ただそれだけだ。

「別にいいんじゃねえか、猿真似」と俺は返す。

「外国では施設に集められた猫が猫を逃がすためにノブ式のドアの開け方を覚えたって話もあったよ。まあ、それがその施設に集められた猫たちにとって良かったかは一先ず置いとくが、ドアを開けれるその猫は新しい飼い主を得られてハッピーエンドになったんだ。何もせず学習しないよりは、真似をする方が二十五倍はいい」

「にゃごだけにか?」

 しょうもないの、と口にしながらもエリザは少しだけ子供らしい笑みを取り戻す。

「お前はそうやって笑顔の方がいいよ、子供らしい」

「あれじゃな、それはロリータコンプレックスという奴じゃな。ツバサが言っておった」

 ホント、あいつ要らねえことばかり教えやがる。

「うるせえ、俺は相対的にお前の笑顔の方が好きだと言っただけだ。総合的には猫に一歩たりとも勝ってないからな」

「つまり、相対的ロリコンということじゃの。総合的ロリコンでは妾も身に危険を感じる」

「ロリコンに相対的も総合的もないからな? 外でそんなこと言ってたら、俺が警察に連れていかれるかな」

「安心せい、必要なら警察に連れて行ってもらうなんぞ、妾にはお手のものじゃからの」

「それの、どこに安心がある」

「妾はいつも安心と慈悲で満ちているということじゃな。雇用相手であるお主の心配など端からしておらぬ。それとも相対的ロリコンの主は妾に心配されて欲しかったかの?」

「うるせい。子供に心配されるいわれも、ロリコン呼びされるいわれもないわい」

 などと掛け合っていると、エリザは思い出したように、

「では、そろそろお主の話を聞かせてもらおうかの」

 と言い出した。

くそ、忘れていればいいものを。

「しょうがねえな。俺が一流の探偵として猫を探した話を少ししてやるよ」

「よい、妾も猫の話は好きじゃ。自称一流の話を聞いてやろう。明後日には妾は去るのだから、お主とは二度と会うこともないやも知れぬからな。どんな痴態でも話すがよい」

 相も変わらず見下した態度だ。だが、腹の立つ話ではあるけれど、エリザにはその方があっていると俺は思う。まあ、男女平等教育的指導という名の拳を振り下ろしておかなければ、彼女の為にならないかも知れないとはいえ、俺は教育者でも保護者でもないから、大きな間違い以外は正してやる必要もないだろう。

「じゃ、猫が嫌いなおばさんからの猫探しの依頼の話をしてやろう」

 興味を持ったものに目を輝かせる子供となんら変わらないエリザの瞳。それを目にして俺は語り出す。

 俺は子供というのは好きではないが、やはり無垢というか純粋というか、人の顔色をうかがうように生活をしてほしくない。だからこそ礼儀や礼節が大切なのだが、そこは彼女自身が学ぶまで待つとしよう。俺の言葉を聞くタイプではないからな。

 そんな、多分どこにでもありふれているはずの日常の一幕。エリザと話した一日。

 でも、それは大切な日常だ。一日中、話していても飽きない相手と話す機会を、ある日、突然に奪われるなんてこともあるのだから。

本当に、よく一日一日を全力で生きろとはよく言われるが、そうやって生きている人は少ない。そんな杞憂と同じ危機感を持って行動していれば疲れるし、普段は起きないことを考えて、普通は生きたりはしないからだ。

そうだ。だから普通ではない彼女には、とても大切な時間になったはずだ。

この世界が、ありきたりな世界とは少しばかり違う日常の世界だとしても、危機感を持って守りたい日常があるというのは変わらないのだ。

そして、生活を、日常を壊す存在とは、どれだけ避けようとしても、常に対策を用意していても予想を上回る暴力を持ってやってくるのだ。

……

…………

 その日の夜。そう、五日目の夜だ。

日が落ちて、事務所のあるビルへの入館を閉鎖する為の折り畳み式の柵を敷くのに一回の出入り口まで降りたときだ。

 こちらに向かってくる足音が聞こえる。急いでいるわけでもない、それでいて迷いがあるわけでもない。ただ、こちらに向かうという意思を感じさせるアスファルトと靴底が擦れる音だ。

 ああ、ついてない。俺の仕事は、何もなければ多額の報酬をタダ同然で得る事のできる仕事だというのに、まるで調子よく立てていたトランプタワーを他人に崩されたときのようにやるせない気分になる。

「大成 功殿でございますね」

 こちらに近づいてきた男は俺を見るなり、丁寧な口調で話しかけてくる。

 仄かに灯る街灯に照らされた路地の暗がりでも分かる色が抜けた白髪。顔つきは二十代前半といったところだろう。様相から推測できるのは、戦場帰りであるのに、妙に小綺麗な服装であるのだが、流行的な服装に興味を持っていないことが少しばかり分かる程度。それに日常生活では必要ないであろう体格に似合わない筋肉の付いた肉体。そして、この街、この国にはあまりにも場違いな腰に下げられた日本刀は、その人物の異常さを顕著に現している。

「残念ながら、うちの探偵事務所は閉店の時間なので、後日のご利用をお願いしますよ。そうですね、例えば明々後日とか」

 俺は、口調は丁寧に、しかしながら嫌味で答える。いや実際、相手のことを知らなくても、そんな世界観や時代を逸脱した風体で絡んでこないで欲しい。

「いえ、貴殿の返答で必要なのは、はい、イエスだけなので。余計なことは喋らないほうが長生き出来ますよ」

 落ち着いた口調で、なかなか傲慢な言葉だ。さぞ、自身の能力に自信があるとみえる。まあ、とりつく島もなく、否定できる箇所もなく、そうだ、としか言いようがないのも事実である。

「残念ながら職業柄、癖みたいなもんで。気に障ったなら申し訳ない」

 と雑に余裕を吹かしておく。当然、相手が深読みして帰ってくれることを期待してだ。……というのは冗談で、単純に嫌いなタイプだから煽っただけである。

「謝罪は不要です。大成殿、いえソウルガンメタル。姫様を、天能(てんのう) エリザを引き渡していただきたい。我々には、あのお方のお力がどうしても必要なんです」

 男はそれだけいうと、刀を抜き、切っ先を俺に向ける。

 ははん、これは脅迫というやつですな。日本刀を知っていれば誰でも分かるよな。

「それは人にものを頼む態度か?それにそんな名前の奴は本当に知らん」

 と俺は大げさに肩をすくめてみせる。

もっとも実際は当たりも付いている、名前もエリザだしな。

「天能 ミコトの元騎士である貴殿なら、分かっていただけると思っていたのですが」

 男の言葉に俺は溜息を吐く。

会話にならない。それに、こいつ日本語が通じない上に、それに今、俺の癪に障ることを言いやがった。

「キングメイクウォーゲーム」と男は続けて言う。

 その単語、いや、その造語で俺は無性に苛立った。自分でも恥じている、いや後悔している過去の失敗を掘り返された気分だ。

数年前にミコトの提案したその名前が今更、出てくるか。ホント、なんだ、どういえばいいんだ。今やどうすることもできない、既にどうすることもできずに終わってしまった過去のことを掘り返されて、ただただ腹立たしい。

「お前も腐ってもSランクだろ。他の奴の力なんぞなくても参加権は持っているだろ」

 イライラと腹の底から込み上げるものを抑えながら、俺は答える。

 七年前には存在しなかった能力ランクであるSランクというのは、表向きの理由は多々あれど、実際のところ、そのゲームのために追加されたランクである。プレイではなく、文字通りゲームのためだ。

「僕の能力は人を統べるのに適していない。それは自分が一番よく分かっている。だから、この腐った世界で正義を成すために姫様が必要なのですよ。世界の、国民(ネイション)の、そして僕自身の理想のために」

 男の言葉にカチンときた。我慢の限界だ。この男は一人で戦争ができるほどの能力を持っているからといって、他人を、特に子供を自分の理想という我が儘の為に使おうなどと、あまりにも勝手すぎる。

 大体、そんな形のない正義というエゴのために俺たちは構想を練っていた訳ではない。

「うるせえぞ、ファフニール。正義の味方か、近衛騎士気どりかなんだか知らねえけどな。てめぇのエゴは腹が立つ。年端もいかねえガキを巻き込もうとしているんじゃねえぞ!」

 と言葉を吐き出す共に、俺は叫ぶ。

「ガンメタルアーマー!」

「ミコト様が今の貴殿をみて、なんと嘆くか」

「ミコトは関係ねえだろ!」

 男は宝物龍ファフニール。本名、野未型 正義(のみかた まさよし)。正義の味方、あるいは世界の敵と一見矛盾する二つの言葉で例えられる男。

 能力は無機物を特殊な空間に収納、そして取り出すことのできるBランク能力。本来ならば、どれほど身体や知識を鍛えようと戦闘には向かない、有能ではあるがSランクなどとは縁のない能力だ。

「口うるせえてめえを今すぐ、銃刀法違反の現行犯で警察に突き出してやるよ!」

 言い終わるが早いか、鎧の展開した俺の右拳を野未型に向かって振り上げる。

単純に全力で振り下ろした拳を、野未型は一歩も動くことなく、いとも容易く左手で受け止める。

受け止められたとはいえ、能力で生成された鎧を着ていれば、通常の戦場で狙われるような関節部分の肌が露出する隙間はない。故に刃は通らない。あと怖いとすれば、兜わりのような超身体技術で鎧ごと叩き切られることだが、間合いを詰めてさえいれば、刀を振り抜くことはできないから、これも問題ない。

「これが、こんな拳が全力か、ソウルガンメタル!この程度の力で、ミコト殿の騎士だったとは片腹痛いぞ」

「大口叩いてる暇があるなら、しっかり歯食いしばれ!」

 左拳を振りかぶる。それをみて、野未型の剣先が動く。

 掛かったと言わんばかりに俺は股間を蹴り上げようとする。

「全く、狙いといい、やり口といい弱者の闘い方ですね」

 野未型は、俺の右手を放した左手で蹴り上げようとする俺の右太股を抑え、そのまま態勢を低くして強引に右手を引くと、鎧の腹めがけて刃を突き出す。

 鎧をへこませるほどの一点集中の一撃。貫かれはしなかったものの、まるで車にでも追突されたような痛みが腹に残り、俺と野未型との間に距離が出来る。

「もういい。本気を出さない、パンドラアーツを使わないというのならあなたとの時間は無駄です。これで終わりにしましょう」

 野未型はそう口にすると、この国の一般的な最高金額の硬貨を空間から呼び出す。

そして、叫んだ。

「喰らえ、ファフニール!」

彼の声と共に、手にあった硬貨は、まるで空気中に雲散するように消え失せる。

次に空気が震えた。街灯が一斉に強い衝撃を受けたようにチカチカと点滅する。まるで空間そのものが何かに怯えているかのようだ。

そこからは、なにもかもが一瞬だった。

身体の反射なんてものは追い付かない。瞬き厳禁なんてレベルではない。来る、と思った時には、時すでに遅し、という奴だ。

そうだ、理解したときには刃が正面から俺の腹を突き破っていた。

この強化能力こそ野未型をSランク能力者たらしめるパンドラアーツと呼ばれている能力。代償を払うことで能力の真の力を発揮する行為。奴が、黄金の交換と呼んでいるパンドラアーツ、言うなれば、奴のもう一つの能力、あるいは能力の真価だ。

思考を邪魔するように遅れて痛みがやって来た。そのせいで懐に飛び込んできていた野未型の肩を掴み損ねる。

「さらばです。主を護れなかった騎士殿」

 野未型は一歩下がって、俺の腹から刀を引きに抜くと、血の付いた刃を振り上げる。

追い詰められすぎて思考が回らない、次に打つべき手が思い浮かばない。精々、浮かぶのは絶体絶命って言葉ぐらいだろう。

冷たい月明りで銀と赤のコントラストに光るオブジェクトが自分の命を刈り取るものだと認識して、それを恨めしく睨みつけることしかできない。

 そして……、

「やめよ!その者を殺すでない!」

 エリザの声が夜の街に響く。彼女は、俺の気付かぬ間にビル入り口に立っていた。

 その言葉に野未型は冷たい眼差しを少しだけ輝かせる。それからふりおろそうとした刃を下ろし、刀を空に向け振りきり、血を払い納刀すると、膝をつき首を垂れる。

「姫様、お初にお目にかかります。いえ正確には、こうして言葉を交わすのが初めてということですが、貴方様に関係ありませんね」

「よい。お主に言葉を掛けるのは二度目であるな。とはいえ、前回は妾自身の言葉ではなかったがの。して、お主の要件は、この惨状で大体の察しは付いたぞ。……妾をどこぞへと連れていきたいのだ」

「その通りでございます。僕は貴方様の言葉に従い、いずれ来る戦いのために国を用意しました。故に欲にまみれた教団などではなく、力なき民、虐げられてきた者、我ら“国民”のため、そして世界を変えるために姫様のお力をお借りしたいのです」

と野未型は頭をより深く下げる。

「そうか。なら、どこへでも連れていくがよい。ただし、この者の命を取ることは許さん」

「は、仰せのままに」

 痛み、いや突如湧き上がった死から解放された安心感から崩れ落ちる俺を横目に、エリザと野未型の間で勝手に話は進んでいく。

 待てよ、俺を置いて話を進めてんじゃねぇぞ。などと口にしようとはするが、傷口の痛みで言葉を発するどころか、鎧の展開を維持するのもままならず、ボロボロと鎧が崩れていく。

 野未型は空間から一般車両を引き出す。

「エリザ様、お手を」

「よい。一人で乗れる」

 手を取ろうとした野未型のエスコートをエリザは素気なく断る。

 それから背を向けたまま俺に、

「短い間ではあったが、お主には世話になったな。それとお主に少しばかり甘えてしまったばかりに、このような結果になってしまったのは残念じゃ。そうじゃな、一つ言い残すこととしては、じいやには妾が自らの意志で付いていったのだから心配は無用と伝えておいてくれ。お主らの大切な給料もしっかり貰っておくがよい」

 それだけ言うと振り返ることなく、エリザは初めて会ったときに感じた冷たい人形のような綺麗で無表情のまま車に行儀よく乗り込む。

 待てよ待てよ、お前自身の意志だと?だったら、どうしていつもみたいに無邪気な笑顔や下らねえ悪態をつくときの小馬鹿にした表情をみせないんだよ。あいつと、ミコトと同じように、どうして本当の気持ちを隠すんだよ。俺がわかんねえと思っているのかよ。

……行くなよ、エリザ。

「姫様からの温情だ。その命、大切にするんだな。…と言え、腹を貫かれた程度で能力も維持できないほどのダメージになったのでは、どのみち追ってこられまい」

 野未型は、それだけ言い残すともう興味はないと言わんばかりの視線を一度、俺に向けると車に乗り込み、エリザを連れて車で走り去っていく。

 俺はその夜闇に走り去る車をアスファルトの上で腹を抑えて丸くなりながら、ただ見送ることしかできなかった。

 なんて。なんて酷い話のオチもあったもんだ。あまりにも酷すぎて笑えてくる。なんだ、過去をちょっと掘り返されたぐらいで馬鹿やってんじゃねえぞ、俺。あまつさえ、年端もいかない子供に庇われるとか、変な笑いが出てくる。いや、風穴の開いた腹が痛くて、地面に這いつくばっているのが精一杯で、笑うどころではないのが本音だが。

 しかし自分でも馬鹿げているとは思うよ。俺の能力は指定Eランクだ。つまり一般生活でも使えない、戦うなら金属バッドでも持ち歩いた方がまだましの部類の能力だ。要は戦闘力と言えばいいのか、勝ち取る力と言えばいいのか、そういった例えでいえば、そこら辺にいるおっさんが金属バッドを持った程度なのである。しかも、奴がこだわっていたパンドラアーツに関していえば、単独では使えないとかいうおまけ付きだ。ぶっちゃけた話、戦闘どころか、鎧を展開できるのは自身の肉体に対してのみで他者に貸すことも、まして切り離していくつも製造できる訳でもない、能力者としては最底辺だ。

 そんな能力で実際の戦争に参加していた能力者に挑んでも勝てる訳がないなんて子供でも分かることだ。子供に助けられた今なら、尚更に心に沁みてくる。

……それでも、だ。

それでも俺は立ち上がらなければならない。他人の為、エリザの為なんて傲慢なことではない。俺は、俺の決して曲げてはならない唯一の信条のために、あの馬鹿どもを追いかけなければない。

 策はある。頭どころか全身から血が抜けて、思考はクリアだ。余計なことを考える余裕がないともいう。

あいつらの行先も察しはつく。わざわざ逃走ではなく、本拠地と呼べる街で迎え撃ったんだ。地の利はこちらに分がある。あとは時間の問題だ。あいつらがこの街から抜ける前に、そう今日中に片付ける、どんな手段を使ってもだ。

「もう先生、そんなところで、なに寝てるんッスか? そんな恰好して路上で寝てたら、さっきの揺れで起きてきた人に通報されて、某国民的アイドルみたいに警察に連れていかれちゃいますよ」

 丁度いいところに、うるさいのが降りてきた。ツバサだ。

「てか、エリザちゃんと喧嘩でもしたんッスか? あの子なら地震ぐらい起こしても不思議じゃないですけど」

 と彼女は俺の身体に触れて、揺り起こそうとして触れた手を一度引く。そして、暗がりの中、まじまじと手に付いた液体を見てから、パニック状態になったのだろう早口になる。

「え、え、ちょっと待ってくださいよ。なんすかこれ、血じゃないですか?幼女に手を出して返り討ちにあったんスか?それより私のエリザちゃん、どこですか?先生は死んでもいいの私のエリザちゃんを返してください。あと、死ぬ前に最低賃金より時々安くなる給料とみみっちい失業手当ての振込みを忘れないで、借金以外の遺産があるなら貰ってあげますから、せめて中身が幼女性愛の変態でも、まっとうな社会人として死んでくださいよ、お願いします!」

「……おい、ここぞとばかりに本音と不謹慎なこと言ってんじゃねぞ。……腹に響くだろ。それに何度も言うがロリコンじゃねえ」

 騒がしい奴のおかげで、痛みで遠のいていた意識が身体に戻ってきた。

 力なく掠れた俺の言葉を聞いて、ツバサは膝から崩れ落ちる。

「良かった、生きてる。流石に今回は死んでると思ったッスよ」

 言いながら彼女は自身の顔を両手で隠す。

「なんだ、お前泣いてるのか?」

「泣いてない、泣いてないッスよ。今は失業手当ての公約を公的文章で書いてもらえる安堵で、長い裁判で無罪勝ち取ったときみたいにウルッと来ただけです。犬が嬉ションしたみたいに言わないでくださいよ」

 それは泣いてるんじゃないのか?てか、漏らしたのか?

 今は異様に口が回る相手の冗談に一々時間を掛けている暇はない。けれど起こそうとした俺の身体はよろめくと倒れ、俺は顔面で地面をなめることになった。

「起き上がっちゃ、駄目ッスよ。凄く血が出ているんですから。今、救急車を呼びますから動かないでください」

 慌てた様子でツバサは言ってくる。

 なるほど、血が出過ぎて身体の感覚がいつもと違って起き上がれなかったのか。しかし血が抜けすぎて無駄なことを考えられないのに、次にやるべきことが明確に浮かぶほど、頭の中が今まで感じたことがないほど調子がいい。今なら、なんだって集中して出来そうだ。いや、正確には違うな。追い詰められすぎて、今やりたいこと、今やるべきことしか頭に浮かばないだけだ。

 俺の意識が完全に戻ったのをみて、慌てて電話を掛けるために携帯端末を取りに立ち上がろうとしたツバサの手を俺は掴む。

「待て、ツバサ。エリザが戦争馬鹿に連れ去られてる。救急車よりマッスルと、俺の端末に男女で登録している警察関係者に電話を掛けろ。可愛いい幼女が連れ去れたって言ったら、何も言わず手を貸してくれる馬鹿だ。それと……」

 一歩間違えれば致命傷だった腹の傷口は未だに痛え。血が少なくなった身体は暑いのか、寒いのか、熱いのかさえ分かんねえ。

 それでも俺は足の裏を地面につけ、膝を立てる。

「力を貸せ。エリザを取り戻す」

 ツバサは目を理解できないものを見るような目で、俺を見る。

「無理ですよ、やめてください。マッスルみたいな凄い人が手を貸してくれたり、それに警察だっているんッスよ。正直、あたしたちの手には余りますよ。先生がやる必要なんてないじゃないですか!」

 と彼女は必死に首を横に振る。

それもそうだ。俺は既に一度、負けている。それに俺がやらなくても、きっと誰かがやってくれるだろう。例えばマッスル、あのパイルバンカーを倒した男女こと有流、あるいは涼子さんが必ずエリザを取り戻すだろう。

「いつも通り楽しく迷い猫探しや、なんでも屋みたいな雑用こなす日常でいいじゃないですか!確かにエリちゃんは可愛いですけど、赤の他人であるあたしたちが命や生活を掛けて取り戻すほどじゃないですよ」

 そうだ。ツバサの言うことは正しい。

それでも俺は、

「確かに俺じゃなくても誰かが連れ戻してくれるかもしれない。でもな、あいつの笑顔を取り戻してくれる保証がどこにある。俺は、あいつの笑顔まで取り戻したいんだ。それが俺の絶対に譲れない信条に触れたからだ」

と口にする。そう、口にしていたのだ。

俺の言葉を聞いたツバサはまた全く別の世界の存在でも見るような目で、俺の顔をみている。当たり前だ、他人の笑顔のために命を張る馬鹿なんて普通はいない。

「お前は何のために金に固執している。普通の日常、楽しい生活……、そういったものを守るために必要な力だ。金や日常、それを大切にするのは正しい。その為なら、プライドなんて捨てよう。いくらペコペコしようと俺は構わん。必要なことだと思っている。だけどな……」

 と言葉を紡ぎながら俺はゆっくりと足に力を入れ、立ち上がる。

ここまで言葉にして思う。こんな言葉をあいつに、ミコトに言えていれば、あの日の出来事の何か一つ、結末の少しでも変わったのか知れない。けれど今は、それは重要なことじゃない。

「だけどな、俺は、そういうものを俺のために捨てようとしているエリザに笑っていて欲しい。それを譲ることはできない。当然、命に代えても、だ」

 そこまで聞いて、ツバサは軽く鼻をすすると、

「あー、あほらし。可哀想な女の子を下心なしで助けるもの好きなんだから、だったら好きにしたらいいじゃないですか。可愛い女の子って狡いですね。ほっといても人が手を貸してくれる、助けてくれる。……使いたいなら、あたしの能力くらいいくらでも貸してあげますよ。一応、これも仕事ってことで」

 まで言ってところで、彼女はいつものお金をせびるときのハンドシグナルをみせる。

「それにしても、ち○ち○丸出しで言われても締まりませんよ。エリちゃんも可哀そうッスね!」

「一応、女の子なんだから、ち○ち○言うなよ」

「そんなもん気にしてたら、先生のパンツとか洗濯機に放り込めないッスからね。……あ、あと、あたしが困ったときに似たようなことをやるときは、せめて服を着てからやってくださいッスよ」

「うるせい、能力使った後はこうなるんだ。全裸で悪かったな」

 言い返した俺を無視して、ツバサは続ける。

「だから、絶対に連れて帰って来てくださいッスよ!」

 と彼女は拳を突き出してくる。

「おう、分かってる」

 俺は彼女の拳に拳を軽く合わせた。

……

…………

「姫様、先ほどから不機嫌なご様子ですが、いかがなさいましたか?」

 車を運転しながら、バックミラーに写るエリザを目の端で捉えると、野未型は訊ねた。

「不機嫌? 当たり前であろう。妾は、あの日常を少なからず楽しんでおったのだからな。お前のような不躾な者が来なければ、満了に日々を楽しめたものを」

「その件については申し訳ございません。しかし、時間がないのです。キングメイクウォーゲーム開催までに戦力を集めきらねばなりませぬ故」

「それじゃ、それ。妾は、そのうぉーげーむ? という奴を知らぬ。故に最初から説明せい」

 エリザの言葉に、野未型は少し間をおいてから口にする。

「無血で王を作り、この歪んだ世界を正しい選択肢でやり直す。それがザ・ワールドこと天能ミコトの考案した能力者と一般人の共存する唯一の方法。それこそ、キングメイクウォーゲームでございます」

 エリザは片眉を上げて、野未型の顔を鏡に捉える。

 ついでに、奴の言ったことは既に解釈の捻じ曲げられたものである。

「して、それが妾とどう関係するかの?」

「エリザ様は王候補でございます。貴方様なら、ご自身の能力のことはよくご存知でしょうが、我々には貴方様が能力をどれほどに世界に必要とされていると理解されているかは存じません。しかしながら、貴方様の能力は王としての相応しい性質を持っておられる。そこらの有象無象、形だけのSランクである僕とは文字通りレベルが違う。その存在こそが王たる資格であるSランク。あるいは世界そのものの意志とされる、未だに存在を確認されていないSSランク。それに匹敵するほどの力だと、我々は推察しております」

「うむ。お主の話は半分ほど理解し損ねるが、心の底から敬意を表しているのは分かる。悪い気はせん」

 とエリザは言いながらも、視線は窓の向こうをみて、手は埃でも払うように数回ほど空を切る。その行動は、まるで世辞は聞き飽きたとでも言わんばかりだ。

 野未型は、その様子を捉えると一考し、口を開く。

「退屈しておられるようでしたら姫様、少しソウルガンメタルこと大成 功について、お話ししましょう。そちらのほうが我々の理想を理解していただく近道となると思いますので」

「ふむ。では話してみよ。それが面白い話なら、お主の話も聞いてやるとするかの」

 言いながらもエリザは窓の外の風景を眺めるのをやめない。

「では、恐れながら七年前の話から」

「その話のオチはなんじゃ?」

「オチ、ですか?オチとはどういったものでしょうか?面白おかしく話せばよいということでしょうか?」

とエリザの言葉に、野未型は疑問を呈する。

「よい。お主は堅物であったな。気にせず、七年前の話とやらを続けよ」

「そうでございますか、では僭越ながら」

 と、彼女のとりとめのない話に、野未型は少々訝しむが話を続ける。

「おおよそ八年前、学生運動の一つの団体が立ち上がりました。その団体は自らを新世代(ジェネレーション)と名付けました。それが現在の歴史で刻まれているものになります。正確には当時のマスメディア、政治家などが呼称しただけに過ぎませんが、世代としては二つ下の部外者の僕が本当のことを知っているわけではありませんがね」

 ここで、野未型は言葉を詰まらせる。そして、彼としては珍しく少し高揚した様子で話を続ける。

「まだ幼い姫様には理解されるかは分かりませんが、僕らの世代には正義のために活動する彼らは憧れでした。特に新世代の核と呼ばれた集団であるミコトの騎士八人、ミコト様を含めて九人。その肉体で地上最強の男パイルバンカー。その男を倒した時空の支配者クロノリーパー。無能力者にして、その剣技で能力を斬る男、断空剣ティルフィング。その舞台に刃向かうことを許さない世界の歌姫セイレーン。ただ一人であらゆる能力者を無力化した存在否定パンドラ。僕が戦場で相対した史上最高の部隊を率いる傭兵の長デザートフォックス。電子ネットワークの頂点に君臨する電脳の観測者フレズヴェルグ。そして、彼らを束ねるのはミコトの騎士筆頭であるソウルガンメタルこと大成 功」

 そこまで捲し立てたところで、野未型は歯噛みする。

「ですが、ですが、ですが、あの男はなんなんですか!あんなものに僕らは憧れていたというのですか。あんな大志も強さもない男に憧れていたというのですか。まさに、七年前の、彼らが解散した日の結末は当然といったところでしょう」

 そこまでいったところで彼はハッと我に返ると、

「失礼しました、話がそれてしまいました」と謝罪する。

「まあ、そうよの。奴が素晴らしい人間とは妾も思わぬし、凄まじい能力を持っているとは見立てられない」

 とエリザは軽く頷く。

「だが、お主よりも人間としては奴の方が少しばかり格が上かの」

「人間としての格ですか。それは、お言葉ながら見立て違いというものです」

 彼女の言葉に野未型は、先ほどの熱弁とは打って変わって無機質な声で答える。

「戦果や実績がないんですよ、彼には。当時を知っている誰もが知っている。であるのに、彼は武勇伝と呼べるもの一つも持っていない、聞こえてこないんですよ。なのに、彼の名前だけは世界中の人間が知っているといっても過言ではないほどです。おかしいと思いませんか?」

「表に出るばかりが仕事ではあるまいて。誰にでもできるが、誰かがやらねばならんこともあるじゃろ。それを人より多くこなす才能があった、というだけの話かも知れぬのじゃ。主はつまらんことにこだわるの」

 エリザは顎を軽く上げて、バックミラーに映る野未型へと目をやる。

「それが貴方様の見立てですか」と野未型は溜息を吐く。

「では姫様。ノブレスオブリージュという言葉をご存じですか?」

 彼の言葉をエリザは鼻で笑う。

「知らぬ、というよりも興味がない。堅物である貴様が考えた言葉ではあるまいし、他者の言葉で語る者ほど愚かな者はおらぬからの」

 彼女は言い終わると自身の髪の毛先を手持ち無沙汰のために弄り始める。

 ノブレスオブリージュとは、貴族たるもの、身分に相応しい振る舞いをしなければない、という意味だ。野未型にとっては、戦闘の強い能力、社会貢献力の高い能力を持つ者こそが貴族の立場である指導者として立つべき存在ということなのだろう。

「なら、こう言いましょう」と野未型は言い直す。

「実力のない者が上に立つ、力のないものを基準に考えるべきではない。貴方様はまだご存じではないかも知れませんが、そんなもの達が今の世を腐らせた。そう今の世は腐敗している。故に強き者、気高き者が正しく、誰もが力のあるものを志すべきです。決して、今の世のように豚の如き弱者の呻き声が正当化されていいわけがない。それが世界の理として認知され、実行される。そんな世界に僕は変えたいんです。その一歩がキングメイクウォーゲームの勝利、それに伴う時代の変革。そして正しきあり方の正しき歴史を人類は刻み直すんですよ!」

 興奮した口調。何がそこまで野未型を駆り立てているのかは知りえない。

 ただ、偉く壮大なことをいうものだ。子供にそんなことを言っても理解などされる筈もない。

 そこまで耳にして、エリザは、また窓の外に目を向ける。街灯がまばらに点灯している。彼のは知っている地区は民家が少なく、また交通量も少ない。そして現在でも稼働している工場が少ないので、節電のため街灯には飛ばし飛ばしでしか電気が送られていないのである。

「そうか。故に妾の能力が必要だということかの。意志の統一か……」

「その通りでございます。貴方様こそ我らが王に頂くに相応しい能力でありますから」

「なら、思い違いというものだ」とエリザは髪を弄る手を止める。

「妾は、妾のみた世界に対して抱いた言葉しか発する気はない。お主が抱いた感情を否定する気はない。酷いこともある、気に入らぬこともあるが、しかし妾はまだ、この世界を変えようなどと傲慢にはなれぬ」

「でしたら、すぐに見ることになりますよ。貴方様自身の目で」

 そこまで言って野未型は車を止める。彼の目的地に着いたのだ。

「ここは?」

 車を降りながら、エリザは野未型に確認する。

「場所としては政府と“新世代”との抗争で投棄された工場地帯の一施設になります。七年前に政府が行おうとしていた三層構造統治計画の残骸の一つといったところですね」

「その固有名詞は分からぬが、お主がこだわっているというのは伝わってきおるわ」

 エリザは吐き捨てて、明かりのついた巨大な廃工場に歩みを向ける。

「ええ、当然です。僕は彼ら以上の存在になる。そして人類を救う英雄になるのですから」

 野未型の声を気にも留めず、エリザは工場に入る前にちらりと夜空をみる。

「どうかなさいましたか?」

「いや、ゴリラはよく跳ねるものだと思っての」

「ああ、彼らですか。デザートフォックスの模倣としてテスト運用してみたものです。そろそろこの辺りのものは集まると思うのですが、やはり身体強化でも動物をベースにする能力は今日花という存在もあり、量産のしやすさはいいですが、強化の高さも限度も元来の動物に依存するため、雑兵にしか利用できないのがネックですね。と言え、一定のスペックを発揮するという一点においては軍事利用としては有用ですが」

 そこまで聞かされ、溜息を吐くのを抑え、エリザは廃工場の中に目をやる。

 機材を取り払われた工場内に、ずらりと並ぶ黒い毛並みを持つゴリラの整列された群れ。整列しようとしているのだが、練度が低く、多少の列の乱れがみえる。

「これでは、まるでお山の大将ではないか」

 と、驚愕混じりの呆れた声がエリザの腹底から出る。

「そこらで声を上げている頭の悪そうなものを捕まえ、最低限は使えるように調教、強化しただけです。豚のように権利ばかり主張し、薄っぺらな自己肯定しかしない彼らのような自身の力では何もできないものに、高度な言語能力が必要だと思いますか?」

 野未型の言葉にエリザは頷く。

「なるほどの。お主、能力を餌に釣ったのか、あるいはこの姿から戻すといった感じかの」

「契約が明文化されているのなら、それは自己責任ですよ。彼はこの国では大人という扱いですから。それに兵の現地調達は戦争戦略の基本ですから、姫様も覚えておいて損はございませんよ」

 野未型はそこまでいうと、「道を開けよ」と声を荒げる。

ゴリラたちは言われた通りに、おずおずと左右に分かれ、野未型とエリザが通る道を作った。

「では、姫様。お疲れでしょうが、簡易ですが上座に。そして揃い次第、彼らの脆弱な意志を僕に従う兵へと変貌させてください。もうすでに戦争は、キングメイクウォーゲームは始まっているのですから」

「一つ良いか、ファフニール」とエリザは歩きながら彼に尋ねる。

「いかがなさいましたか、姫様」

「妾がこやつらを使って、あるいは妾自身の能力で、お主を打倒しようとせんとは思わんのか?」

 訊かれて野未型は小さく笑う。小さな子供が虫をいびり殺すような無垢で残酷な笑みだ。

「勘違いしていますよ。彼らは今、僕のパンドラアーツの支配下にある。それを操れば彼らがどうなるか、お分かりですね?それに姫様の能力は強力であるが故にデメリットの方も馬鹿になっていないのは僕も知っていますよ。例えば能力をコントロールできずに自分を守っていた教団を破壊したことも当然、知っています」

「しかしお主の能力はむきぶつ?とやらに対してしか使えぬのではないのか?」

 エリザは嫌なところ突かれて眉をしかめながらも聞き返すと、野未型は変わらず淡々と答える。

「パンドラアーツは正確には元の能力とは懸け離れています。故に同じ能力を発現したとしても、その人格、個人あるいは魂といったものに依存してしまうのです。そして変質したものは元の能力からも別の形になることの方がほとんどです。それはまるで我らの同志エリクサー薬袋今日花が能力を与えるようなものです」

 エリザは視線だけを野未型に向ける。

「つまり、彼らをぱんどらあーつ?の代償にするということか?」

「その通りでございます。僕の代償は消滅。彼らに価値などほとんどありませんが、敵の兵力、人口、生産性を減らし、なおかつ彼ら自身の裏切りを縛るには丁度いい。まあ、これだけ集めても敵の人口の一厘にも満たないですが」

「まるで文字の読めぬ女性に、契約書にサインさせて、破れば罰則を与える協会のようなやり方じゃな」

 エリザの小言に、野未型は冷たい表情を変えずに返す。

「ジャンヌダルクには初等教育を行われていませんが、この国で生まれたものは数字上では百パーセント、文字を習得しています。ならば大人である彼らが騙されたというのならば、彼らの傲りでしかありませんよ」

 エリザはゴリラたちを見下ろせる壇上にあがらされ、据え置かれた椅子に座らされる。

「なるほどの。これがお主の言っておった酷いもの、あるいはそれに類するものか」

 百近く並ぶゴリラを眺めながら、エリザは噛みしめるように口にする。

「これはほんの一握り。氷山の一角ですらないほどですが、学習の機会がありながら、自ら畜生の道に進むような愚かなものたちで世界は埋め尽くされております。故に貴方様の力が我らには必要なのです」

 そこまで言われたエリザは目を瞑り、一考する。

「確かに、世の中は愚かな者ばかりじゃの。このような光景は前にもみたが、またみることになるとは、のお。賛同する気はなかったが、お主の言っていることは的を射ているのかも知れん」

「なら」と野未型は目を輝かせる。

「それはじゃ、降ってくる瓦礫と死にたがりの馬鹿を止めることが出来たら、また考えてやるとするかの」

 言われて野未型は天井へと目を向ける。

 それと同時に廃工場内に巨大な鉄と鉄のぶつかる音が響く。そして天井に穴が開き、そこから黒い翼の生えた鎧が高速で落下してくるのを彼の目は捉える。

「ソウルガンメタル!」と野未型は怒りの混じった声で叫ぶ。

「返してもらうぞ、糞ドラゴン!」と俺は怒号で呼応した。

……

…………

 俺の、大成 功のパンドラアーツ。

それは、他者の能力を鎧に宿すことだ。

正直な話、この能力はコピーしているわけではなく、単純に能力を借りているという、これまた使い方の限定されている能力である。パンドラアーツをひっくるめても評価が上がることはないだろう。

ただし、ただ一つの利点を除いては、だが。

その利点とは、他者のパンドラアーツの代償を踏み倒せるというものだ。あとは借りた能力では通常飛行不能な重さでも飛行を出来るなど、細かい強化点もあるが、これが一番の利点であろう。

借りた能力はツバサの能力。身体強化型変身系。

その中でも神話生物である幻獣の類、鷲の上半身とライオンの下半身をもつ神話生物、百獣の王よりも雄々しく、馬よりも早く空を駆ける獣、グリフォンに変身することである。能力に引っ張られてかは知らないが、行動方針だけなら、あいつが金に対して欲張りなのは伝承通りと言っても過言ではない。この辺りは、この件が片付いたら検証してみたいものだ。

そして彼女のパンドラアーツは、身体の変身を人の形で止める、あるいは強化自体を発揮することができるものだ。

変身系の能力は中間と呼べる姿を取れることはパンドラアーツ以外では見られない。ゴリラに変身させられたものが、日本語が不自由になるのは、これに起因する。けれど、彼女のパンドラアーツは能力が多少劣化するだけで、グリフォンの能力を使用することができる。代償は、夜に能力を使えないのではなく、鳥目とも呼ばれる夜盲症に似た視覚障害状態になるために、視覚情報が足りないため飛行が困難になるなどだ。

そして俺のパンドラアーツは、その代償を踏み倒す。

故に、グリフォンの肉体スペックを持ちながら、慣れた人の形でありながら、爪や翼、その現実離れした筋力といった神獣の武器を全力で操ることが可能である。ツバサの能力は応用が利かない、また研究対象でない、コントロールが用意であるためにBランクであるが、単純な戦闘能力だけならAランクにも引け取らない。

なにせグリフォンの真にあるべき姿、それは人の想像し得た地上と空を自由に駆ける最強の兵器の一角、神の造りだした世界の終わりの戦いで用いられるとされる戦車なのだ。

野未型は俺を視認すると刀を抜き、

「喰らえ、ファフニール!」と、前回と同じように左手に持った硬貨が宙に溶けていく。

 ファフニールのパンドラアーツ。奴の能力は価値のあるものを代償として支払うことで一時的な身体強化を得るものだ。その強さ、持続時間は価値そのものに依存する。

 故に、

「残念だが、その価値じゃ全然足りねえぞ!」

 俺は空気が音を立て破裂するほどの勢いで距離を詰め、ファフニールを右拳の一撃で殴り飛ばす。

「どうして、ここが分かったのです!」

飛ばされながら、不愉快なものをみたように野未型が叫ぶ。

「お前の性格、行動原理、お前のようなテロリストが入国してきているのに自分の手元に危険物があれば少しぐらい調べはするさ。一応、探偵だしな。それにエリザが身に着けている小物には携帯端末と離れたら、一定間隔でGPSに居場所を送信しているんだから適当に推測したら分かる」

「涼子の対策を、探偵としての手柄にするでない」

得意げな俺の論にエリザは呆れた声をこぼす。

 つまらない話で時間を無駄にしたとでも言わんばかりに不機嫌さで歯を食いしばる野未型は、弾き飛ばされながら、器用にも能力でこの国の一般的な最高金額の紙幣を取り出し、壁に足を着けながら受け身を取る。

「そうか。だが今更、本気を出しても遅いぞ、ソウルガンメタル!」

 奴の言葉と共に、紙幣は虚空に吸い込まれる。ツバサがみたらさぞ嘆きそうな能力だ。

「悪いな。前回は私情だったが、今回は俺の信条に触れた私情だ。打つ手も、やる気も違うからな!」

「結局、私情ではないか!貴様には大志がないのか!」

 俺のしょうもない煽りに、怒りで歯をむき出した野未型は怒声と共に、壁を蹴る。

「うるせえ、理想で飯は食えねえんだよ!」

 言葉を吐きだすと共に、俺は野未型に向かい翼を翻し、拳を繰り出す。

 一気に距離を詰めた野未型の刀と俺の拳がぶつかり、金属のぶつかり合う重く鈍く、そして鼓膜を破りそうな衝撃音が工場内に反響する。衝撃波は汚れた窓ガラスをビリビリと音を立てて揺らし、ヒビを入れる。

どうやら野未型の能力は、刀が神話級の戦車と同等の存在の突撃とぶつかる衝撃で刃も欠けないあたり、奴自身の身体能力だけでなく、刀の硬度まで強化するようだ。

「貴様のような志なき者に負けるわけにはいかんのだ!」

 野未型は左腕を伸ばす。そのまま俺は右腕を掴まれ、その二の腕の下に刃が這う。

 なにを狙っている?

 打突のように一点に力を集中させて穴を開けるならまだしも、いくら刃を強化したところで必要な摩擦係数を確保できなければ、金属を切断することはできない。故に鉄を切断するときは削り取るのが定石だ。そして、それが戦場における鎧の数少ない利点でもある。

 いや違う、これは。

―― 神楽流刀術 外法の型 餓鬼道 炎手花火 ――

「シスコン野郎の対人外相手の投げ技じゃねえか!」

 咄嗟に思考より早く口が対策方法を導き出す。

 その極めた技、鍛え上げた肉体だけで能力者を凌駕するミコトの騎士の一人ティルフィングと呼ばれたシスコン野郎こと仙台 大地(せんだい だいち)の使っていた流派の技だ。

 掴んだ腕に刀の反りを使い、前腕と上腕の二点に当てることで支点と作用点を作り出し、強引に相手を投げ飛ばす技だ。普通の人間に打てば、作用点が先に切断されるために投げ技として成立していないのだが、鎧を着た者や刀で斬れない人間以外のより硬い生物を相手として想定した通常の剣術から外れた、文字通りに外法の技である。

 野未型に主導権を取られないために、力の流れの先により早く羽ばたく。

 だが投げ技であるなら、次に投げた相手を仕留める寝技があるのだ。

 羽ばたかせた翼に野未型は両足を掛ける。

「まずは、その厄介な翼を切り離して差し上げましょう!」

 それは技の終わり。バッタのしがみついた稲穂のごとく実りを刈り取る関節技。そう、あのシスコン野郎が形容した外道の技。

―― 神楽流刀術 外法の型 畜生道 蝗害黒雲 ――

 右翼に刀を強引に二点押し当て、野未型はてこの原理で重力を無視して強引に全体重を掛ける。翼は摩擦係数を強引に上げられ切断された。

 それでも俺はなんとか、翼を犠牲にして切断を優先した野未型を強引に引き離すことには成功した。

「ダメージは分かりませんが、どうやら翼は再生しないようですね。優先して正解でした」

 身体から切り離され、ボロボロと崩れゆく翼を投げ捨てながら、野未型は地に足を着けた俺を鼻で笑う。

「翼がなくても俺はまだ生きてるぞ。狙うなら首を狙うんだったな!」

「強がりを。貴殿は、もう逃げることも叶わぬではないか」

 実際、奴の指摘は当たっている。空を飛べるというのは、人間相手なら安全地帯があると言っても過言ではない。こちらから常に先手が取れる状況というアドバンテージを失ったのだ。間違いなく俺の言葉は強がりだ。

 けれど、

「悪いな。俺はこれと決めたら諦めが悪くてな。翼がなければ、足で。足を奪われたら、腕で前に進むぞ。首が取られるまで諦めるわけにはいかねえんだよ」と俺は口にした。

 野未型は俺の言葉に首を傾げ、

「そこまで言うのなら一つ疑問があります」と問いかけてくる。

「貴殿はなぜ、姫様にこだわるのです。貴方には命を賭けてまで必要な相手だとは思えませんが。それに貴殿でなくとも姫様を助けにくる者はおりましょう」

 至極、当然の疑問だ。

預かった子供を命がけで守る、なんてことが思い浮かばないほどに、見合わない契約だ。支払われている金額が安すぎる。馬鹿げている、そう一蹴してもいい。したとして誰かに文句を言われる筋合いはない。

「そうだな、お前ほど必死になる理由ではないのかも知れない」

 だが、一つだけ譲れないものがある。

「お前の理想は素晴らしいものなのかもしれない、興味はないがな。お前が誰かを犠牲にする、踏み台にするのはいい。構わないけどな。子供っていう、まだ自分で選ぶことさえ覚束ない存在を犠牲にするのは許せないんだよ。特に、そいつが笑っていないのなら、尚更のことだ!」

 俺の言葉に野未型の表情は凍り付く。そして言葉を理解できないように、彼はエリザの顔をみる。

「それが俺の信条に触れた。だから返してもらうぞ!」

 そして俺はエリザをみる。そして、

「それから帰るぞ、エリザ」と言った。

 その言葉に小さく一度、力強く頷くと、エリザは小さな笑みを浮かべる。

「なら妾のために、その龍を倒してみせよ。仮にも騎士と呼ばれたこともあるのであろう?」

 空気が変わった。それは、いい意味でも悪い意味でも、だ。

 エリザの笑顔を取り返す。それは野未型を倒せば、達成できる。

だが、その野未型の放つ殺気は先ほどまでの比ではない。もはや、人間ではなく、伝説上の生き物、幻獣であるドラゴンと対峙しているのか、と幻視してしまうほどだ。炎でも吐き出しそうなほどに、顔に怒りを張り付けてやがる。

「おいおい、仮にも世界を平和にしようとしている正義の味方がしていい顔じゃないぞ」

「貴殿は一つ勘違いをしている。戦場に正義の味方など現れはしない。ああ、そうです。僕が戦場に身を置いた日から、正義の味方などと生温い夢からは覚めたのですから」

 野未型は独特な前傾姿勢の構えを取る。

「貴殿は知っているでしょう。僕は戦場に出ていた、この平和ボケした国の外で巨大な国家から弾圧された人々を解放するために」

 ニュースで、新聞で一面になったほどに有名な話だ。

 野未型は続ける。

「戦場で、戦争の体現である能力を持つ僕は死ななかった。けれど、昨日、家族の話を聞かせてもらった隣にいた兵士は、砲撃の爆風で首から上が吹き飛びました。せめて生死を家族に伝えるためにタグを一日中探したこともありましたよ。敵の食料を奪うため、子が、孫が食つなぐために、老人は僕の能力の弾丸となって消えました。そして、その食糧で食いつないだ子は目を放した次の瞬間に地雷で足の先から吹き飛んだ姿が今でも瞳の裏に残っています。強制収容所にいた人々は僕が着いた時には、もう戦地では介抱のしようがないほどに、やせ細り、衰弱していました。目の前で子を殺され、操を穢された母親は我が子の復讐のために僕に命を捧げようとした。だけど、それを、その人たちを救おうとした人間はそこにはいなかった。そして、そこにいた僕にも救えなかった。だから今度こそ、救えなかった人々なんて存在がない世界に変革してみせる」

 感動的な話だ。残酷で、悲しくて、胸が痛くなるほど救いようがない。

「だが、それと、これとは話が別だ」と俺は口にする。

 だって、そうだろ。俺には新聞の一面で隣の国家では紛争が起こっていると書いて取り上げるが、一枚めくった次のページで、国内の軍隊反対と書いてあるようなものだ。

 隣の家の子がプレゼントを買ってもらった、だから僕にも買って、って話によく似ているよな。野未型は、ない場所にある場所の話、あるいはその逆の話を持ってきているのだ。

 どれだけ聞こうが、どれほど見せつけられようが、自分たちの身に降りかからない、あるいはそれを手にしていない内は、現実感などありはしないのだ。

「お前のやったことは、無学な俺でも凄いと思う、その地方を、その地方の人を少なからず救おうとしたんだ。だがな、誰になんと言われようが、俺の信条で一番大切なのは、手の届く範囲で俺の知っている奴が、子供が笑っているか、泣いてるかなんだよ。少なくとも、お前の目指す世界では、俺には子供らが笑っている姿が想像できねえよ」

 と俺は拳を構え直す。そして叫ぶ。

「美談はここまでだ。いくぞ!パブリックエネミー(せいぎのみかた)!」

「そうですね。終わりにしましょう!正義の味方(せかいのてき)!」

 その言葉と共に野未型は一歩を踏み出す。

「喰らえ、ファフニール!」

その怒りと悲しみが混ぜこぜになった悲しい叫びと共に、野未型の刀が雲散する。

一振りに数多の諭吉が消える日本刀、業物なら幾百は必要だ。その業物の中でも大成 功の鎧を貫き、血をすすったという付加価値が能力に昇華される。対ソウルガンメタル特攻状態と言っても言い過ぎではないだろう。

 そして、そこから繰り出されるは単純な突撃。体当たり、突進とも呼ぶべきそれは、俺の親友だった奴の得意とする攻撃法と同じだ。誰よりも自分を、自身の能力、肉体を信じた小細工なしの一撃。ただ、身体をぶつけるのみの技とも呼べぬ技。イノシシの体当たり、あるいは車の全速力でひき殺すようなものだ。いや、動物、車やトラックより遥かに危険な何かだ。

しかし、それはもっとも厄介な攻撃手段だ。相手の力量差、身体能力に差があればあるほどに対抗の手段を、選択肢を削り落としていくのだ。

 俺は、一足で格段に上がった野未型の速度を見切れずに避け損ねる。そのまま衝突の衝撃に逆らうことも叶わず、身体を空に跳ね飛ばされる。咄嗟に上半身をかばった右腕の鎧は車が踏んだ小石のように砕け散った。

跳ね飛ばした勢いのまま野未型は、壁に張り付きながら逃げ惑うゴリラ達を路傍の石のごとく弾き飛ばし、方向転換を縦横無尽に数度決める。そして宙に浮いた俺の足が地に着く前にもう一度、跳ね飛ばした。

鎧を簡単に剥がされ、翼を折られながら、俺は無様にもエリザの足元に転がされる。

「丁度良い、暫し待て」

エリザは呆れた表情で俺をみると、追撃に移行しようとしていた野未型に声を掛けた。

「大口を叩いた割に、数瞬でこっぴどくやられているようだが、勝てそうかの?」

と彼女は状況を分かっていなのか、それとも秘策でもあるのか、いつもの調子で俺に訊ねてくる。そんなことは見れば分かるだろう、頭を抱えたいぐらいだ。

「いや、厳しい。ファフニールの異名は伊達じゃないな」

「して、気になっておったのじゃが、お前の能力はツバサのものを模倣しておるのか?」

「いや、借りてる。俺のパンドラアーツは他者の能力を借り受けて鎧に反映するものだからな。そんな便利なものじゃない」

「なるほどの。借りているというのは、つまりツバサも妾に帰ってきてほしいということかの?」

 と、エリザは一考した後、口角を微かに上げる。

「そうだろ。少なくとも、勝てないと口にした相手に俺を送り出したりはしない奴だ」

 俺は起き上がると衝撃で揺れた頭を振り、答える。

「そうか、なら。妾の能力を使うがよい。きっと、その方が都合がよい」

「いや、お前、中立じゃないのか?」

 エリザの提案に、俺は啞然としてしまう。

「妾は中立だと言った覚えはないがの。それに妾も人の子じゃ、勝って欲しい方に肩入れするのは当然じゃろうて。それに見よ。先ほど首を捻らねば、あやつが吹き飛ばした破片で椅子の先が欠けたように、妾のかわゆい顔に傷が付いたやもしれんじゃろ。奴は騎士としての嗜みが劣っている。故、騎士としては格上のお主に力を貸してもよいと言った。問題あるかの?」

 エリザは俺を見下ろしたまま自身の長い髪を払い、毅然とした態度で答えた。

 当たれば怪我をするであろう戦闘の余波を気にも留めないとは、肝が据わっているというのか、危機感がないというべきか、子供らしくない。むしろ、この状況を楽しんでいる様子だ。

「いや、問題はない。お前の口元に笑みがあること以外は、な」

「そうじゃな。愉快というのか、お主らが必死に争う姿をみるのは少々、湧くものがあるからの。一人の女子を取り合う男二人、あるいは使える者のために死力を尽くす男同志というのは乙女心にグッとくるのじゃな」

 いや、お前、そんなもんみて興奮するような年齢じゃねえだろ、ませやがって。とは、機嫌を悪くされて、力を貸してもらえないのも困るのでお首にも出さずに、

「その件は、もういい。あいつが痺れを切らす。ほら、手を出せ」

と俺は、エリザに向けて拳を突き出す。

 その瞬間だった。

背筋に悪寒が走る。エリザの存在を、まるで自分より遥かに大きく、底の見えない深淵として感じたのだ。

不思議なことに、その感覚は野未型にも伝わったようだ。

「それは、させません」

 エリザを巻き込みかねない角度でありながら、野未型は突っ込んでくる。

 距離なんてほとんどない。換装後の鎧の再展開にもほんの数秒とはいえ、時間が掛かる。そのうえに、エリザの言葉を、能力を振り切って攻撃してきている。エリザの能力が精神操作系の能力なら例え能力を借りられたとしても、この状況を覆すことはできないだろう。流石はSランク能力者というべきか。褒めている場合ではないが。

こうなれば選択肢は一つしかない。いや、そんな思考すら後付けだ。

 反射的にエリザの伸ばしかけた手を掴み、覆いかぶさる。

 肉壁だ。伝説級と化した鎧を砕くほどの一撃を振るう相手だ。ほとんど意味などない行為かも知れない。それでもエリザの生存率は上がるだろう。とりあえず、彼女が死ななければいい。そんな甘い考え。

そうだな。あとは俺の死に際に、彼女になにか気の利いた言葉でも送れればいいか。

……なんてことが面白くもなく、ただキザったらしいことが浮かんだ。自分のあほさ加減を鼻で笑いたくなる。

 それは瞬きよりも長く、呼吸より短い時間。

無限に感じた一瞬。瞬きすらもままならない。

血が抜けてクリアだった思考が、遂に走馬燈をみせたのか、とさえ思えた。

 漂白エリザの能力。それがどのような全容を持つものか、その瞬間まで分からなかったのだから仕方はないだろう。

 その能力は人間が手にするには異次元だ。宇宙の深淵を操る能力というべきものだろう。

 物理学者は提唱し、同時に観測が不可能だと匙を投げた。故に超常現象。

 人は理解していながら、その存在を否定すべきものだとした概念。まさに悪魔。

 手段がない故に、証明が不可能な存在。……それを操る。

 推定Sランク。その最高峰さえ霞ませるほどの能力。

 ラプラスの悪魔。人の運命、物事の流れを計算できるとしたとき、生まれる悪魔の概念。

その荒唐無稽な概念を操る能力。それが彼女の能力の本質。

 空気の流れ。人の鼓動。夜の静寂に包まれた街並みを越え、星の息吹とも取れる空を流れる大気の音。潮騒を絶やすことのない海。夜の静寂などと比べ物にならないほど、虚空を湛える宇宙まで意識は飛ぶ。そして、その虚空の中に散りばめられた星々の流れを捉え、世界の理を知り、その全てが味方をする。それが彼女の能力の概念。

 それら全てを自由に操り、それら全ての理を読み解くほどの処理能力。ただ所持しているだけで、意識が、精神が持っていかれそうなほどの人類が踏み入ってはならない領域。人智を超越した力。

 それほどの力を持ってしてもこの状況を打破する方法、いや正確には操れる対象がないようにみえる。例え野未型を操ったとしても俺たちの身体が貫かれる未来までみえる。

 しかし、本当に操れるものはないのか?

 違う。この能力で人間を操るなんてのは副産物でしかない。

 あるだろ。見えなくても人間なってものを軽々と吹き飛ばし、果ては切り刻むことのできる大量の存在。そこに意志はなく、一つ一つは小さいが流れを受けるとありとあらゆるものを吹き飛ばす対流。

俺は野未型との間に空気の壁をイメージする。嵐を圧縮し、全ての力を同じ方向に向け、盾にする。そんな感覚だ。

「……ッ」

 不可視の力にぶつかり、弾き返された野未型は小さく呻き声を上げる。

 野未型からすれば、俺の背を取ったと思った矢先に自身の能力で得た加速と、それを超えるほどの斥力の壁とも呼ぶべき元来はありえない力、目に見ぬ圧縮され逆方向に噴出する大気に存在する全ての分子にぶつかったのだ。最高位の能力者とは、無事では済まされないほどの衝撃だろう。

 野未型を迎撃しながらも、俺の精神はエリザの能力に飲み込まれそうになる。当たり前だ。宇宙の真理を全て知るなど、人間には遠く及びもつかない神の領域だ。例え、全て知ることが出来たとして、余りの情報量の多さに脳みそ方が持たない。まるで自身が宙を漂う埃の一つのようだ。

 そんな情報過多で気が狂いそうな俺の脳裏にある一言が、まるで頭の中にある空白に書き込まれたように映る。

―― あなたはどうして箱を開けるのですか? ――

 当たり前のことを聞くな。そうしなければ、この手にあるものを護れないだろ?

―― それが例え、希望しか残らないパンドラの箱であったとしても? ――

 希望が残れば十分だ。それで前に歩いて行ける。前を向いて進んでいける。

「お主は誰と話しておるのだ」

とエリザが訝しげに俺を見上げている。

「いや、なに。昔、同じような能力を借りたときのことを思い出しただけだ」

 と俺は答える。

 鎧は再展開を終えていた。形もいつもと違う。柱のようなユニットが四つ、俺を取りに囲むように、宙に浮いている。役割は情報処理を手伝ってくれる以外、いまいち分からんが、俺の意志で配置の変更はできそうだ。

「鎧が新しい形になったところで、僕を倒せると思っているのか、ソウルガンメタル」

 先ほどの迎撃のダメージで曲がった鼻から血を流しながらも、野未型は未だに心は折れてはいないようだ。

「いや、やめとけ。周りをよく見ろ。お前はお前が毛嫌いするものになっちまってるぞ」

 俺はエリザを放し、野未型の方に身体を向ける。

 野未型もそれに呼応するように、空間から新たな刀を取り出した。

「そこらの愚か者どもは死んだ方が世界のためだ。我らの意志の下になければ、高位の能力者などいなくなった方がいい。我ら国民は、姫様の下に……」

 そこまで言ったところで、野未型は自問するように顔を片手で覆う。

「いや、違う。僕は世界をよりよくするために戦っているんじゃなかったのか?汚い世間がミコトの騎士を、能力者を排除しないような世界を望んでいたんじゃないのか?だが、けれど、姫様は必要?不要?それでも障害があれば排除する。今はなんでもいい。お前を、僕の願いを邪魔するソウルガンメタルだけは絶対に排除する!それで結果は出る!」

 野未型は疑問と共に鞘を投げ捨てると、また愚直に突っ込んでくる。

 野未型自身は気づいていないだろうが、彼の今の思考の混乱はエリザの能力を強く受け過ぎた副産物だ。そして、同時にエリザの能力での直接的なコントロールはその思考に灯った免疫力あるいは運命力とも呼べる意志でねじ伏せられるだろうと、エリザの能力を借り受けた俺には分かる。

「お主、頼みがある。一つ良いか?」

 先ほどと同じように空気の壁を作り出し、野未型を押し返そうとしている俺にエリザが話しかけてくる。

「手短に頼む。相手さんは待ってくれる気配はないんでな」

「あれは妾の能力に囚われておる。これは妾の咎じゃ。故に能力を貸したそなたに頼むがよいと思ったのじゃ。奴を妾の呪縛から解き放ってやってくれんか」

 何が咎だ、何が呪縛だ。人にものを頼むのなら、お願いします、だろ。

言いたい返したいことはある。説教は好きではないけど、この子供には教えてやらなければならないことの方が多いだろう。

 だけどな。

「そういうときは、助けて、マイヒーロー! でいいんだよ!」

 俺の言葉に、エリザは吹き出す。

「何が可笑しいんだよ!」

「いや、お主の口から、そのような言葉が出るとは、と思うと愉快でな」

 と、彼女はひとしきり涙が出るほど笑ったあとに、背筋を伸ばし、

「妾を助けてくれ、我が騎士よ!」と発した。

「ああ、できるかぎりやってやるよ!」

「そこは、もっと適切な言葉があるじゃろ。だが、お主らしいの、功」

 エリザがそこまで言ったところで、野未型は空気の壁を破った。流石はSランク能力者だ。

「僕は、我らが“国民”の理想のために、他人の力で戦うような貧弱な者に負けるわけにはいかないんですよ!」

 立派な言葉だ。かつて野未型の助けた人間は彼に賛同して、彼と共に新しい道を歩こうとしている。それは分かる。

「だがな、ここまでお前は一人で生きてきたわけじゃないだろ!前だけじゃなく、周りを見やがれ!」

 俺は振り下ろされた刀を、左腕を振って叩き折る。野未型は折れたことを察知すると刀を投げ捨て、即座に飛び下がる。しかし、その顔は驚愕で歪んでいた。

「俺たちはな、国に属する限り一人では生きてないんだよ。確かにお前のいうように、この国は腐っている。そうだ、あほそうに鶏冠頭を作って動物みたいに有り余る力を振るうことで悦に浸るガキ、自分の身だしなみなどを気にも留めず目の前の画面に集中することしかできない馬鹿、自分が正しいと信じて疑わずに他人にあたり散らす間抜けを嫌というほど見れるからな、正解だ、とは言い切らないが間違ってねえよ。どこかで一歩道を違えれば、俺もお前側だっただろうな。だけどな、俺には、そいつらのようにならないように教えてくれた奴がいた、一緒に成長してくれた仲間がいた。お前の知っての通り、最後は駄目になっちまったけどな。俺は自分一人の力でどうにかしよう、どうにかできるなんて間違いをエリザにさせるつもりはねえんだよ!お前みたいに一人で戦わせようなどしない。例え、それが出来たとしても、俺がこいつを一人にはさせねえんだよ!」

 そうだ。あの日、七年前のバレンタインデーまでは、なにもかもやる事為すこと一人でできると思っていた。そう、俺たちは間違っていたんだ。

 俺の言葉に、苦痛で歪んだ顔で野未型は頭を横に振る。

彼の心が折れないほどは、固くな、という言葉では表せないだろう。彼の歩んできた道には、もはや彼自身に彼の意志を曲げることが許されぬほどの屍が積み上げられているのだ。想像に難くない。

「黙れ!戦いの最後には一人、強者が立つのみ。能書きは必要ない。この世界は結果が全てだ!ファフニール、ここにいる契約者共をお前の糧に……」

 そこまで声を張ったところで野未型は言葉を詰まらせる。

そのとき、奴が何をみたのかは、俺には分からない。震えているゴリラ達の姿に何かをみたのか、エリザの瞳の中に今の奴自身の姿を感じたのか、あるいは俺の姿に自身の過去をみたのか、もしくは、それら全てだったのだろう。

叫び声にもよく似た怒号と共に俺に突っ込んできた野未型に、俺は拳を構える。

「今の俺の拳は、娘を思う父親の次に痛えぞ!」

 その言葉と共に俺は、大きく拳を素人のごとく振りかぶる野未型の頬を一足で距離を詰め、右の拳で打ち抜く。

 衝撃波と共に宙に舞った野未型は壁まで吹き飛ぶ。そして壁は大きな音を軋ませながら、野未型の身体を埋め込み、その上から押さえつけるように拳の形でへこんだ。

「終わったのかの?」

 あまりにあっけない終わりに、エリザは誰に向けたわけでもない言葉を漏らす。

「ああ、終わったんだろな……」

 俺がそう答え終わる前に、限界を迎えた工場の屋根の骨組みが音を立てて崩れ始めたのだった。

……

…………

「のお、功。もう少し早く歩けんのか?」

「うるせえ、背負われている分際で大口叩くな。文句があるなら自分の足で歩け。鎧のせいで金も持ってきてないし、ツバサ借りた翼は、あの戦争馬鹿に壊されちまったんだよ」

「なら、このままでよい。今日は月が暖かいしの」

「決して暖かいもんじゃないと思うんだけどな」

「いや、心地よいぞ。お主が傍にいてくれるからの」

「そうか、なら良かった」

「……」

「……」

「……」

「寝たのか?」

「いや、起きとる。この窮屈さが早く終わればいいと考える一方で、この状況が終わって欲しくないとも思える心地よさがある。不思議なものじゃな」

「少なくとも俺は早く終わってほしい」

「なんじゃと?」

「あと何キロ歩きゃいいんだよ」

「主が弱いからじゃ。それが悪い」

「俺も弱いが、あの戦争馬鹿が強すぎたんだよ。まだ少なくとも、情報通りなら、もう一段階強化を残していたのに使わなかった。あるいは使えなかったのかしんねえけどよ。手を抜かれたから、勝てたとは思いたくないが、俺も無事じゃ済まなかったかも知れん。いや正確には、今も腹が痛くてたまんねえだけどさ」

「うむ、そうか…」

「そうさ」

「そうじゃ。あ、あのの。実は主に一つだけ言っておきたいことがある」

「なんだ?ツバサのアイスでも勝手に食ったのか?」

「違うわ!……その、実はな。お主と会う前に、事務所でお主たち、かつてミコトの騎士と呼ばれていた者共の写真を見たのじゃ。お主のことはの、初めは浮ついた笑みの気に入らない奴じゃと思ったがの。……その一枚に誰よりも幸せそうな笑みを浮かべている主たち二人を見つけての。その、なんと言ったらいいか分からんじゃが、きっとこの者ならば妾に優しくしてくれるんじゃないかと、甘えてしまった……のじゃ。だから、その、妾が至らぬばかりに、お主に怪我をさせて、すまないことをしたと詫びたい」

「……謝らなくていい。俺は俺のやりたいことをやっただけだ、謝罪される義理はない。だから感謝して欲しいね、ありがとうってさ」

「そうか、そうかの。……今回はよくやってくれたの、妾の騎士様」

「なんだ、それ。まあ、それがお前らしくていいさ」

「……ところでじゃ。功、今日は月が綺麗じゃと思わんか?」

「あん?俺に情緒的なこと言われても分かんねえよ。まだ、死にたいとは思わないな」

「……」

「なんだなんだ。背中を叩くな。腕も腹も痛くなるだろ。俺のことも考えろ」

「全裸、変態、誘拐犯、お前のようなものは逮捕されてしまえ!」

「滅多なことをいうな。本当にパトカーがこっち向かってきただろ、おい」

「丁度良いではないか。この状況も朴念仁のせいで飽きたところじゃ、あれを使わせてもらうとするかの」

「朴念仁って、俺はできる限り愛想よくしてるつもりだったんだがな。ほんと、お前は危機感が足りないよな」

……

…………

 俺が野未型を殴り飛ばす少し前。

ここより少し離れた建設を途中で投げ出された高速道路予定地。

その予定地に闇夜へ忘れ去られたようにそびえる支柱の一つ。明かりの灯らない夜の廃工場地帯を一望できるその上だ。

二メートルを超えるほど背は高く、春の夜の街の空気に合わない厳つい服を着て、夜だというのにサングラスを掛け、腕を組んで事の成り行きを見据える大男。

その横で縁から足を投げ出し座り込む一見すると身長、顔つき、体格さえも子供のようにみえるが自分は医者や研究者とでも主張するようにやる気のない瞳で工場の一角を見下ろす白衣を着た青年。

凸凹な身長の二人は微かに明かりの灯った工場の中で行われている俺と野未型の戦闘の行く末を黙って眺めていた。

そして工場が崩れ落ちた瞬間、大男はゆっくりと口を開く。

「やっぱり勝ったのはソウルガンメタルだな」

そう言うと大男は身体に似合わず小さく笑う。

「えー、ドラゴン君でもやれると思ったのにねー。ちゃんとボクのモルモットちゃんたちを食らってボクの能力を吸ったら、君のように人間をやめられたかもしれないのに。まあねー、ボクとしてはどっちでもいいけどねー」

 と白衣の青年は呑気な声で大男に答えた。

「無駄だろうよ、あれだけ運命の輝きを放っていたんだ。あれに勝ちたきゃ別のミコトの騎士でもぶつけるんだな」

「なんだかんだ、君は身内びいきだよね。ボクには運命力ってのが見えないから分かんないけどねー」

 よく分からないものを考えることを諦めて、脱力して青年は器用に自身の太ももに上半身を預ける。

「まあしかし、共生(サムビィオシス)がパンドラの半身を手に入れることには失敗したわけだが」

「それも計画通りってやつじゃないかな。割と厄介な王様候補を一人潰せたわけだしねー。それに本当に今、必要なら君がご指名される筈だしー」

 青年の言葉に大男は少し黙った後、鼻で笑う。

「どうかな。あれの輝きを見誤っているだけだろ」

「じゃあ、面倒だけど取りにいくのー?」

「いや駄目だ。一番話の分からないこの国、いやこの世界一面倒な奴が動いた。撤収だ、撤収。それに男が掴み取った勝利に水を差すのは野暮ってもんだ」

 と言ったところで大男は振り返る。

それにつられて、青年も目だけでその視線を追うが、シルエットを視覚で捉えた瞬間に情けない低い喘ぎ声のような音を腹の底から発する。

夜闇の作り出した影からマッスルが姿を現す。

「夜に汗だくタンクトップ痴態を気にしないおっさんとかだーれ得だよねー。まだごつごつの身体にニップレスの方がお笑い芸人みたいで男の人が大喜びだしー」

青年の面白くもない煽りも気にせず、マッスルは自身よりも背の高い大男を見据え、首を鳴らす。

それに答えるように大男はニヤリ笑みを浮かべる。

「あの女狐の犬ならやめとけよ、筋肉のおっさん。俺が誰か分かるなら、お前の道連れを前提とした小せい命の輝きを燃やすパンドラアーツ程度じゃ相手にならんからな」

「そういったかまかけは某には通用しませんよ。なにせ某の得意なものは肉体言語でして、信頼できない相手に言葉を介すことは致しませぬ故、ご容赦ください」

「かまかけ?いやいや、あのティルフィングほどではないが、俺の目も相手を推察する能力に長けてましてね。いやあ、なにせ人間の限界と名高いティルフィングに正規の方法では勝てないと言われたこともありまして、この目をご存じならお分かりかと」

 大男はサングラスを外し、その白く濁った眼をみせる。

 まるで濁った白濁液を混ぜているような常に色変えるその白い瞳。この地上のどの生物よりも醜く吐き気を催すような目。確実に見据えているはずなのに、どこにも焦点の合っていない化物と例えるべき眼光。

その異様で、全てを見透かすような強烈な威圧感から無意識に一歩、後ろに距離を取っていたことにマッスルは自身の反射に驚く。

「では我々も忙しいもので、お先に失礼させてもらいますね。グッバイ、ネクストヘル!」

 そう言って仰々しくお辞儀した大男と、うなだれている青年の足元からゴリゴリと石材の砕ける音が鳴り、次の瞬間には二人の足元はガラガラと崩れ落ちる。

 そして彼らは光の届かない影の地上へと落ちていく。

 その時ならまだ追えたかも知れない。けれど、マッスルでさえ夜の深淵に落ちていく二人の後を追跡できず、ただ、まだ冷ややかな風の中で流れ出た汗を脱ぐことで精一杯だったのだ。


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