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4.『筋肉たちは危機感が足りない』

 エリザが来てから四日目。ツバサの奴が一昨日から泊まり込みで世話をしてくれるので、不安要素はあるとはいえ、正直、ぼろい商売だ。経費で全員の食材と自身のアイスを買ってくるものの、上手い飯を食え、自分で調理して片付ける行為をしなくていい、それだけで元は十分に取れているだろう。

天気は良くて、飯も美味くて、懐具合も少し暖かで気分がいい。まあ、そんななかで少し気になる記事を携帯端末の画面に見かけた。それが動物園から動物脱走か?という記事と、テロリストとされる指定Sランク能力者率いる集団の密入国を示唆する記事である。

 勿論、こういったものは誤情報もあるし、警察や公共機関の然るべき組織に対応を任せ、思い当たる顔を近くで見つけたら即通報することは常識である。それで賞金が貰えることもあるしな。けれど、俺の中で気掛かりというのか、微かに何か引っかかる音がした。

 そうなんだ。そういう気になることのある日ではあった。

その日の昼過ぎである。勉強に勤しんでいたエリザに、「筋トレするのなら、気が散るから外でやってほしいものじゃのお」と言われた俺は自室にエリザを残して、散歩に出かけていた。

そして、普段より遅くなりはしたものの開店の準備のために事務所の扉を開ける。普段から仕事の立て込んでいるときは、立札を置いて開閉店の時間をずらしていることを告知して、割となあなあな時間に店を開いている。まあ、探偵一人の私立探偵事務所なんて大体こんな感じだろう。少なくともうちは、この形式だ。

しかし、俺は事務所の扉を開けて、すぐに閉じることになる。それから、いつも通りの閑散とした静寂が訪れる。それでも叫び声が上がって、警察を呼ばれないのは救いである。なんていうか、先日も同じ時間帯に似た光景をみた気がする。似ているだけで今日は丸みのある形に、布の色は鮮やかピンク色である。

 そろそろ傾いてきた日の光に目を細めながら、俺は年季の入いり少しくすんだ壁に寄り掛かり、扉の開くのを待つ。

「あのー、終わりました……」

 とても控えめな声と共に、半分開いた扉から少女は少し困ったような顔を出す。

 どこにでもいそうな清楚感の漂う黒髪の少女、年頃は高校生ぐらいにみえる。失礼な例えかも知れないが、群を抜いて美人というわけではない、クラスで二、三番目に可愛いと思える愛嬌のある子だ。そして、これといって主張も特徴のない子でもある。

「あのな、あのね、うちの事務所は更衣室じゃないからね」

もじもじと事務所から出てきた大人しそうな少女に、俺は言葉を選びながら声を掛ける。

彼女の名前と顔を記憶から急いで検索するが見当たらない。とりあえず、脱いでいた制服からツバサと同じ高校なのは分かった。

「そ、そうですよね。大成さん、すみません」

「いや、うん。こちらこそ、すまない。いや、そうだな。ありがとうございました」

 俺は二つの意味で頭を下げる。

「いえいえ、こちらこそ。……じゃなくて、やっぱり見たんですか?」

 つられて頭を下げるも、俺の言葉を理解して少女は恥ずかしそうに頬を赤く染める。

「はい、くっきりばっちり見ました。でも、一応、ここ私有地なんで、こちらに非はない為、訴えるなどされるなら徹底抗戦も辞さない覚悟の謝罪と感謝です、えぇ」

 と俺は少女に訳の分からない言い訳を語る。乙女の下着を見るとは悪いことをしたものの、まさか扉を開いた先で着替えているなど想像できない。

え、ツバサ?あいつはあいつが悪い。

「訴えたりしませんよ。私にも悪いところはあったんですから、ツバサに言われたんで大丈夫かなと思ってですね。もう少し配慮するべきでした」

 少女は慌てた様子で、身振り手振りまで付けて否定する。

凄い、なんか、守銭奴と女王気質なチビと比べると、まともないい子である。素晴らしい黄金比を持つ曲線で作られた山と谷を兄弟に解説することをためらってしまうほどだ。

 いや、落ち着け、俺。最近、よくある産業スパイかも知れないだろ。ほだされてるんじゃない。

「あの、お話があるので、入ってもらってもいいですか?」

 と少女は耳まで赤くしながら、俺に声を掛けてくる。

「ああ、すまない。立ち話も良くないよな」

 事務所の中に入ると、私服を入れていたのであろう少し大き目な鞄が目に付く。なんか、どこかで見たことある気がするんだが、どこだったかな。

「お茶入れるから座ってて」

「あの、手伝います」

と、少女は俺に給湯室に入ろうとする俺について来ようとするのを、

「君、場所分からないでしょ?」と俺は指摘する。

「あ、そうですね。座ってます」

 少女は恥ずかしさから顔を伏せると、言われるがまま応接用の二人掛けのソファーに座った。

ツバサなら間違いなく手伝うのではなく、催促してくる場面である。

全く、バイト志望なら、この子とツバサをいますぐにでも取り替えたいぐらいである。

「それで話って、なにかな?あ、緑茶で良かった?」

 言いながら、俺は温かいお茶を出し、向かいに座る。

「はい、あの、お礼が言いたかったんですけど、そのこちらにお伺いする機会がなくて、少し遅れてしまったんですけど」

 少女は少し顔を上げ、視線を俺に向けると、もじもじと両手を合わせながら言う。

お礼と言われても俺には彼女の顔に全く記憶がない。一応、俺も男だから、可愛らしい女性の依頼人ぐらいは顔を覚えているはずなんだけど、いつあったんだけな?

「そのですね。私のこと覚えてないなら、それでいいんですけど、お礼だけはどうしても言いたくて、危ないところを助けて頂いて、ありがとうございました」

 少女は頭を下げてくる。下げられる理由がわからないことが、少し心苦しい。

 なんだろうな。危ないところ、私服を持ち運びやすい様な大きな鞄、ツバサと同じ学校。ああ、あれか!

「下まで金色に染めた子!」

 と、俺は思い出した一説を勢いよく口にする。

ああ、これは確かツバサが発した発言である。相手が誰か分かると喉のつっかえが取れたような心地だ。

「その呼び方はやめてください!」

 顔を真っ赤にして、猛烈な勢いで少女は立ち上げる。

当時、金髪に染めていた彼女に対して、ツバサが放った渾身の銘打ちである。まあ、あの惨殺事件のことや、異性に痴態を見られたことを思い出すのも嫌だろう。

「えっと、じゃあ名前教えてくれるかな?」

「ルコです。木屋(もくや)ルコ」

 問いかけ答えると彼女は頬に両手を当てて、後ろを向いてしまう。

「あのルコさん?」

 俺が名前を呼ぶと、彼女は両手で頭まで隠す。

「木屋さん」

「はい、なんでしょう」

 今度はちゃんと、顔を真っ赤にしながらもルコは振り返ってくれた。

「ルコさん」

 また俺がそう呼ぶと、今度は両手で頭を隠してしまう。

あ、ちょっと面白い。けど、話が進まないから、これぐらいやめておくか。

「で、木屋さん。機会がなかったと言っていたけど、今日はまた、どうして来たの?」

「はい。ツバサに妹のお古の服ないかって聞かれて、持って来たんです」

「ああ、それね。それは助かる。ありがとうね」

「あの、いえ、どうせ処分する予定のものだったので」

 俺の言葉に、ルコは理解できないようで小首を傾げながら答える。

 そんなやり取りをしていると、廊下からどたどたと二人分の足音が聞こえてくる。

そして、勢いよく音を立てて扉が開く。

「おお!こやつか?」

エリザはルコをみると声を上げ、子供の着るようなキャラクターの描かれた服を着て、事務所の中に入って来た。

「うわ、なに、この子!蝶々みたいにちょう可愛い!」

 そう言って勢いよく立ち上がったルコは急に固まると俺の顔をみる。そして、エリザの顔を見返す。

「ああ、違いますよ。先生の子供とかじゃないですから、落ち着いてください」

 と遅れて入って来たツバサは苦笑いを浮かべながら、驚きで固まるルコに言う。

「そうだよね。良かった……」

 と、ルコはホッとした様子で胸をなでおろしている。

彼女には俺が子供のいる年にみえているのか?そんな更けてみえるかね?

「そこのお主、名前を聞こう」

 エリザは初対面の相手にも関わらず、両腕を組んでデカい態度でルコに話かける。

 全く、どこの令嬢様だ、お前は。

「ルコだよ、木屋ルコ。あなたのお名前は?」

 ルコは俺と話しているときは違い、力の抜けた柔らかな物腰でエリザに答える。

「妾か? 妾は、て…」と言ったところでエリザは首を振る。

「妾の名前は漂白エリザじゃ。どこにでもいるエリザじゃ」と言い直した。

「可愛い名前だね。お洋服気に入ってくれたかな?」

「うむ、古着というのは庶民らしく、とてもいい。このキャラクターも、とても庶民的であるからな。ツバサが庶民感覚は大事だと言っておったからな!褒めておこう!」

 小さな胸を張って語るエリザの後ろで、ツバサはルコに向けて、両手を合わせて頭を下げている。

彼女たちの間にどんなやり取りがあったのか、かなり気になる光景である。少なくともエリザはツバサに丸め込まれたのまでは理解した。

「うん、お姉さん、喜んでくれて嬉しいな」

 慣れているという風に、ルコは笑顔で対応する。

「ふむ、よい心掛けじゃ。では、買い物とやらにいこうではないか?」

 エリザはいうと、全身を使って先導する格好をみせる。

「おう、行って来いよ」と俺は聞き流す。今日の俺の仕事じゃねえ。

「いや、先生も行くんですよ?重い食材を女の子に持たせるわけないッスよね。それに、動物園から動物が逃げ出したってニュースみてないんですか?」

 深々とソファーに腰かけたまま見送ろうとしていた俺に、ツバサは先行しようとするエリザの肩を押さえつつ煽るように言ってくる。

「いや、仕事が入ってくるかもしれないだろ?」

と少なくない時間、拘束されそうなのでごねておく。

「先生、そもそも今は仕事受けてるッスよね。そっちを優先すべきじゃないですか?」

 とツバサは嫌味たらしく言ってくる。

昨日の当てつけか、この野郎。

「分かった、分かった。やればいいんだろ、荷物持ち」

 ツバサの正論に俺は少しだけうなだれる。

さっき散歩から帰って来たばかりだというのに、また外出とはなんとも噛み合いが悪い。

「ルコも付いてきてくださいッスよ。晩ご飯まで食べていきましょう」

 ツバサはルコの手を取ると外出の準備を始める。

まあ、護衛対象の運動や気晴らしも大事だろうよ、と俺は渋々納得して飲み込んだ。

……

…………

 まったく、女性という生き物は、買い物の時間の長さを科学的に証明されているから、付き合いたくなかったんだ。と、今、考えついた理由をこじつけただけなのは、一先ず置いておくとしてだな。彼女たちは商店街をあっち行ったり、こっち行ったり、ハッチポッチたりして、黄昏時まで元の目的を忘れていた始末である。

「なにしに来たんッスっけ?」

 とツバサが言ったときには、傾いた日に合わせたように商店街に時間を伝える独特な鐘の音が鳴り響いていた。

 今、俺たちのいるのは、夕焼けに染まる少し寂れた商店街。年々、シャッターの数は増えているものの、なんとか商店街としてはやっていけている。そんなこの街特有の田舎でもなく都会でもないノスタルジックさを持つ並ぶ通りの一つだ。

 結局、二時間近く歩いたエリザが「足が痛い」とぐずり出したので、ツバサはエリザの子守を俺とルコに任せて一人で食材の買い出しを始めた。

 そしてスーパーの外に据え置かれているベンチで、俺、エリザとルコは並んで座って、ツバサの戻りを待っていた。まあ、エリザに関しては買ってもらったカップに入ったアイスにケチをつけながらも楽しんでいるようだが。

「すいません、楽しいと時間経つのが早くて」

 と、俺の呆れた顔を察してか、ルコは謝ってくる。

「よい、妾も楽しかった。それにこやつが妾を背負うじゃろうて。のう、お主」

 得意げなエリザとは、裏腹にルコは彼女にみえないように何回も頭を下げてくる。

多分、俺の顔をみて思うところがあるのだろう。自分でもエリザの方を向いて酷い顔をしてしまった自覚はあるので、気を付けねば。

「それにしてもツバサは遅いの。買い物とは、これほど時間が掛かるものなのか?」

「今日のが、それだ」と俺はやるせなさを感じつつ答えてやる。

「そうか、次回からは物を買ってきた者も労わねばな」

 と言いながら、エリザは先ほどまで食べていたアイスのゴミを渡してくる。

捨ててこいってか?

「足が痛い、泣くぞ?」

「知ってる。捨ててきますよ、だ」

 俺の顔色を読んだエリザの恥も外聞もない一言に、俺は溜息まじりにゴミを受け取る。

全く、俺はいつから子供の世話係に転職したんだ。

 俺は一人立ち上がり、少し離れたゴミ箱にアイスの包み紙を捨ててくる。最近は家庭から出たゴミを外のゴミ箱に捨てる奴が増えて、経費削減のためかは知らないが設置されているゴミ箱の数も減った印象だ。ある場所を覚えておかないと、なかなか見当たらない。

そんなこんなゴミを捨て終わり、一昨々日の全力疾走の疲れも程よく抜けてきた身体を鳴らしながら、エリザの元に戻ろうとしたときだ。

街中には似つかわしくない悲鳴が聞こえてきた。多分、ルコの声だろう。

 彼女たちの元に走り戻ると、最初に目に入って来たのは夕日に照らされたゴリラだった。逢魔が時とはよく言ったものだ、出会ったのはゴリラだが。

ゴリラ?いや、それは破れた服を着た、身に着けたあるいは羽織ったゴリラとも呼ぶべき、黒い肌に黒い体毛に覆われた服の上からでも分かる筋肉隆々の姿を持つ獣。やはり服を着せられたゴリラである。

「みろ、やっぱりゴリラはいるではないか!」

 後ろで固まっているルコを余所に、エリザは浮かれた様子で、それに指を指す。

「駄目、危ないから離れないと」

 と、自分の置かれている状況に意識が戻り、ルコはエリザの手を引っ張って、その場を離れようとする。しかし、エリザは理解していないとばかり首を捻っている。これだから危機感がない奴は!

 そんな彼女たちに向かい、ゴリラは太い筋肉質の腕を振り上げる。

「ガンメタルアーマー!」

 俺は鎧を展開させながら、隙のできたゴリラの横腹にショルダータックルを食らわせる。

 重い。オスのゴリラ重さと筋肉の量は一般人の数倍である。鎧を着た少し鍛えた一般人程度の俺では、隙を付いた一撃でなんとかよろめかせる程度である。

 しかし、こいつデカいな。成人男性平均身長よりも大きい。群れの中なら長になっていても、おかしくないぐらい大きいサイズだぞ。いや、こいつが能力者ではなく実際にゴリラであれば、だが。

「こいつは俺がどうにかするから、お前らは逃げろ。早く!」

 ゴリラの行く手を塞ぎ、俺はゴリラと組み合う。少なくとも、この個体は攻撃してきた俺ではなく、彼女たちのどちらかを狙っているのは明らかだ。しかし、達人でもない俺の体格差を埋めるためには、つかみ合いではなく、殴り合いじゃなければ勝機はない。それでもエリザを逃がすことを優先するなら、組み合うしかないのだ。

「ほら、エリザちゃん急いで!」

「わ、分かった」

 急かすルコに、状況を飲み込めていないエリザは渋々頷く。

 俺は彼女たちの動きを目の端で見送り、一気に手を振りほどく。そして、バランスを崩したゴリラの股間を容赦なく蹴り上げる。そして、反射的に股間を押さえに走る相手の顔に、特に目を狙って拳を叩きこむ。ルール無用の戦闘なら、金的、目つぶし、鼓膜割り、この手の誰でもできる必殺になりうる簡単な技に限る。

 崩れ落ちるゴリラの後ろから、先ほどの奴とサイズのほとんど変わらない新たなゴリラは姿をみせる、そして、またも彼女たちの元に駆け込もうとする。

 俺は進行を妨げるために、新たなゴリラに組み付く。服を着てくれているのは掴みやすくて、ありがたい。

組み付かれ、煩わしそうに引きはがそうとするゴリラは口を開いた。

「オマエ、ジャマ。キレイナオサナゴ、カワイイヨウジョツレテイク。オレ、ヤクメ」

 そう、ゴリラは滑舌の悪い口で言葉を発する。そう話したのだ。

 こいつ、普通に片言で人間の言葉を喋るじゃねえか!

 そんな中、また後ろでルコの叫び声が上がる。三匹目、新たなゴリラの出現である。

 救援に行かなければならないのに、体格差にものをいわされ、俺は膝をつく。

 くっそ、ふざけるな!マッスルの依頼は、やっぱりろくでもねえじゃねえか!

……いや、待て。マッスルは何故、エリザを俺に預けた?マッスルが追っている事件って、なんだ。マッスルが根本から解決したい事件って、どういった類のものだった、思い出せ。

「エリザ、こいつら人間だ!お前がどうにかしろ!」

 と俺は口の動く限り最大限の声で叫ぶ。

 俺の言葉を聞いて、エリザはゆっくりと息を吸う。

 そして、

「止まれ!」

と言葉を響かせるように発した。

 そのエリザの一言で世界は停止する。

 それは急に周りから人がいなくなったような突然の静寂。

 夕暮れを告げる鳥の鳴き声。風に揺れる木々の葉音。スーパーから流れる店内放送。

 人々の微かな呼吸の音。自身の心音。

そして、靴と地面の擦れるエリザの足音は消えていない。

逆に言えば、それ以外の人の営みで出す音は全て止まったのだ。

エリザの声が響いたここら一帯。そこにある人の出す生活音とか、人々のざわめき、そうエリザ以外の人の動き全て止まったのだ。

この現象を引き起こした能力こそ、推定Sランクと呼ばれる圧倒的な潜在能力を持った彼女の能力である。

「全く、主人を働かすとは護衛としてなってないのではないか?」

 エリザは俺の元までやってくると、俺の肩にポンッと手をあてる。

「熊に襲われる猫の気持ちが、少し分かってしまってではないか」

 肩を触られた俺はエリザの言霊の呪縛から解放され、緊張感が抜けて、その場に崩れ落ちる。

「呼吸まで止まったかと思ったぞ」

「ふむ、妾としたことが忘れておったわ。そこにいるゴリラもどきどもを除いて、いつも通り動いてよいぞ」

 エリザは俺の言葉に触発されて、軽く手を叩き、音と声を響かせる。彼女の一言で、また商店街は喧騒を取り戻すのだった。

その後は、俺の考えていたより大変なことになっていた。言葉通りに呼吸まで止めて倒れた人の快方、俺が能力を解除できない理由の説明、そしてゴリラたちを警察に引き渡すのに手間を取られることになってしまった。

これだけ強力かつ異常なエリザの能力は現段階では他に類をみないものだ。正直、こんな能力をポンポンお目にかかる事態になれば、それこそ超常現象が起こりまくるファンタジーの世界であろう。それでも、どうして涼子さんたちはこの子を俺に預けたんだ?

まあ、この時の俺は事後処理に悩殺されて、こんな疑問を取るに足りないことだと頭の隅から投げ捨てていたのだがな。

……

…………

 頭が痛い…。

 そんな感覚を覚え、俺はまだ薄暗い事務所のソファーで目を開ける。そして窓から差し込む月明りを感じて、すぐにまた目を閉じた。

流れが悪いというか、なんというか、同じような空気を七年前にも感じたことがある。

 そうだ、七年前と同じ匂いがする。

黒いバレンタインと呼ばれることになった日の前日や前々日と同じ空気だ。

思い出したくもないことは、大体は脳裏に焼きついている。そう、一度気に掛けてしまうと、脳味噌の奴が勝手に色鮮やかで懐かしい音まで付けて、瞼の裏に描き出すのだ。

七年より前。

まだ、ほとんどの能力者は自重して生活しており、銀行強盗が能力で強化されたトラックで銀行を破壊しながらお金を奪ったりすることはなく、あの愉快犯エリクサーでさえ実験もとい能力行使に相手や政府の許可を取っていた時期もあったのだ。

だが、確実に持つ者と持たざる者の溝は広がっていく一方だった。持たざる者は自分たちの地位を守るため、持つ者はより新しい基準を作るため、静かに、けれど確実に行動を起こしていた。

そう、そしてその均衡を保っていた全ては七年前のバレンタインに崩れ去ったのだ。俺の、俺たちの青春を含めて。

七年前、俺がまだ卒業を控えた高校三年生だったとき、まだ子供と言っても差し支えないときだ。世間の同年代は既に進路の決まっているもの、結果発表を待つもの、今年を諦めているものと、様々な形はあれど一人一人がそれぞれの道を進んで大人になっていくなんて言われている時期だ。

そんな新しいで生活への期待と不安の高まっている年頃。俺の周りにはエリザと同じような強力かつ世界を覆しかねない能力者がいた。しかも、それは一人などではなく、複数人だ。強大な能力者かつ確実に親交のあったと言えるのは五人だが、それでもある一人の少女を中心に大小問わず、そして国境も越え、数十を超える能力者たちは集まっていたのだ。

当時の俺には、当たり前すぎて気付かない、しかし一般的な日常と言うには違和感のある日々。そんな火薬庫の中心にいたバレンタインデーの夜に事件は起こった。

日は沈んでいたとはいえ、まだ寝静まるには早い時間だった。イベント行事のある日にしては、ひとっ子一人歩いてない街の様子に異様さを感じるべきだったのかも知れない。

だが、当時の俺はそんな気にも留めず、安っぽいイルミネーションに飾られた街路を白い息を吐き出しながら走っていた。

そうなんだ。就職という進路を取った俺は、その日は遅れて、あいつらの、あいつの待つ集合場所に向かうことになったのだ。理由は職場説明だったか、なんだったか忘れてしまった。どうでもいい、思い出したくもない。

思い出したくもないのに、奴の姿は俺の瞼に焼き付いて離れない。

集合場所であるショッピングモールにいる筈の親友が俺の進行方向、進路上にいたのだ。

ハートとか、ピンクとかの似合わない男だった。能力で色素を失った目を隠すためにサングラスを掛け、そのサングラスが映える格好をした奴だった。俺なんかよりも、よっぽど衣装や髪型を気に掛け、冗談も上手い、少し粗暴な性格をしていたがいい奴だった。

そんな奴が、背景にバレンタインのイルミネーションを背負いながら俺の進路を塞ぐ。

そして、

「すまん」と小さく頭を下げたのだ。

「あいつらは、国の奴は俺たちをどうしても解体したいらしい。加賀美(かがみ)の見立てでは訓練されたレンジャー部隊に、有力な能力者を味方につけたそうだ。俺は無防備な加賀美を逃がすことを優先したが、有流(ある)の奴は足止めを食らちまって、大地もミコトの姿も見えねえ。本当にすまねえ。許してくれとは言わねえ、ただ俺は今からあいつらに報復を行う。それを伝えに来た」

 そう言って、ゆっくりと頭を上げた親友の顔には、チープな音楽の流れる夜の町並みには似合わないほどの、今にも自分の歯を噛み砕くほどの憎悪が張り付いている。

 突然の状況だった。どうして俺たちへの攻撃があるのか、なぜ今の時期に武力衝突が起こったのか、という疑問が頭の中を泳いでいた。それでも戸惑ってしまった俺はその親友をみた瞬間に、やるべきことが頭の中に浮ぶ。

 こいつを止めなくては!

「やめろ、そんなことをしても状況は良くならないだろ!」

 ありきたりな俺の言葉に、親友はイルミネーションの光など届かない、星のない漆黒に染まる空を仰ぐ。そして、少しの間をおいてゆっくりと俺に向き直る。

「そうだな、良くはならない。だが、これ以上悪くなることもない。すくなくともあいつの、ミコトの隣にいなかったお前に指図されるいわれねえな!」

 と親友は怒りで歯をむき出し吠えた。

 確かに当時の俺はミコトの隣にいることより、自分の夢を追った。それでも、それはあいつと納得した上での話だ。少なくとも俺は大人になるためにあるべき分かれ道だ、そう理解していた。

「だとしても、報復なんてものはミコトの奴は望まねえだろ!あいつが、そんな復讐染みたものにお前を縛りつけたい筈ねえだろ!だから、俺はお前をここで止める!」

「誰かがいないと何もできないお前が!隣に誰もいないお前が!やれるものなら、やってみろ!」

「ガンメタルアーマー!」

「我が示すは星の理!揃え、星辰!顕現したるは、死して眠る主!灯れ、アルハザード!」

 俺たちは互いの理念をもとに声を荒げ、能力を解放する。一方は破壊するために、片やそれを止めるために。

 状況に対して、それぞれの信条をもとに決意を固め、全く別の行動を起こす。

互いに互いを親友と呼びながら、なに一つも噛み合わない。そうだ、俺たちは全く違う。それを認め合えているからこそ親友になれたんだ。

だけどさ。それでもさ。お前のやろうとしていることは……。

「だから、言っただろ、功!結局、力ってのは使わなけりゃ、誰も信じやしない、誰も恐れはしないんだよ!あの眼鏡野郎は何も間違っていなかった!俺たちは力を示す機を逃した!だから利益ばかり追求する愚か者共に、自己保身に走るクソみていな大人に、それに従う馬鹿共に分からせてやるよ。俺がミコトの、剣の暴威ってことをな!」

 そう口にする親友の姿は、もはや人の姿ではない。

 あいつの能力はランクA。肉体強化型変身系神話生物。

 何かしら形作る大きな塊と表現するのがいいかも知れない。身体から生えるタコやイカのものによく似たぬめり気のある白い数多の触手が絡まり合い、不気味な色を反射する泡を吹き出しながら、首が痛くなるほど見上げても見切れるほどの体格になっていく。

塊は異様な二足歩行の獣の様な形をとる。犬が二足歩行していると書けば可愛く感じるかもしれないが、その二足歩行を支える足が重力に逆らうために大きく尚且つ強靭ならば、その見た目には目の前に巨大なクマが立ちふさがったような足はすくみ、身も震える恐怖を覚えるだろう。それが現在地上で一番大きいとされている象。そのサイズを超えた巨体になったタイミングで、そいつは動いた。

そいつは、幾千幾万幾億もの蛇が集まったような身体になった親友は、ただ一回、あるいは一撃、軽く腕に当たる部位を振るう。

一見、ゆっくりとみえる一振り。

遅れて耳に入ってきた風を切った音、鎧のひしゃげる音、そこで理解した。

その一撃は人間が速さを認知するには大きすぎたのだ。親友にとってみれば単純に人間が身体についた虫を払うのとなんら変わらない行動。そう、人が指先で蟻を潰すようなものだ。

そんな行う側からは簡単な行為でも、その速さ、その重さを理解していないありきたりな西洋甲冑を着た人間に対しては十分すぎるほどの痛手を与える一撃になる。

それを可能としたのが圧倒的な体格差だ。大きさとはそれだけで暴力になりえる。体格が武器にならないのならば、格闘技における階級分けなどなくなるだろう。逆にあるということは、体格差はそれだけでゲーム性を崩壊させる武器になりえてしまうのだ。それは度を増せば増す程に。

そして、親友は象なんて比にならない大きさへといずれ成長していくだろう。空想上のドラゴン、そんなものよりも遥かに大きな存在。帆船まるまる一隻を飲み込んだとされるダゴンよりさらに大きく。水中でしか生息できないクジラよりも更に巨大に、人が築き上げてきた摩天楼より高く。地球上で生まれる筈のない巨大な存在へと姿を変えていくのだ。

土を穿つもの。パイルバンカー。大量破壊兵器である戦略兵器の名を関する二つ名を、その身一つで体現する能力者。小惑星のような巨大な肉体を持つ宇宙生命体。

それは歩くだけで、その質量の衝撃で大地を揺らし、舗装された道を割ると家屋そして街を地に沈める。それは巨腕を振るうだけで、その物量の移動で暴風を巻き起こし、空を飛ぶありとあらゆるものを地へと叩き落とす。そして、その止まらぬ成長と自らの重みで自壊を繰り返す肉体は、ありとあらゆる近代兵器の与える衝撃を無効化する。その時まで人類が目にしたことのない最大級の存在。存在自体が災害とも呼べる最悪の暴威。

そんな生物の成長途中からの軽い一撃に為すすべなく、俺は鎧を砕かれ、地に伏した。

……分かっていた、分かっていたさ。

お前に勝てないことも、お前の言っていることが間違っていないことも。

当時、俺たちが偶然見かけ、手を差し伸ばして救おうとした少女がいた。薄汚れた服を着ており、身体はやせ細り、埃にまみれた茶色い髪の毛が鳥の羽に変質しており、親から能力者迫害を受けているような子だ。そんな女の子でさえ、結局は自分で変わるか、行政に助けてもらうか、しないといけなかったんだ。助けることに否定的だったお前があのとき言った通り、俺たちの安直な善意や一時の正義感で救えるものじゃなかった。

親友、お前はそのときに言ってたよな。「押さえつけてくる奴は一発ぶん殴ってでもやめさせた方がいい」って、「いざってときは、そういう力を振るえる人間になった方がいい」ってさ。

あの時は有流の言葉を借りて、「重力がなければ人は空を飛ぶことも、歩くことさえままならない。そんな、なんもかんもに歯向かっていたら、最後には自分が動けなくなるぞ」って誤魔化したけど、結局、変えようとしなければ何も変えられない、力がなければ何も変わらない、ただ先に力を持ったものに食いつぶされるだけだよな。

そうだ。そんなクソみてえな世界を知っていたからこそ、ミコトは世界を変えたかったんだって。そんな世界を変える方法を立案、そして実行しようとしていたんだって。

「お前が、最後まであいつの傍にいてやればよかったんだ。一人で向き合わせなかったら良かったんだ。そうすればお前に合わせて、あいつはなにもかもを救おうなんて無茶をしなかったんだ」

 聞こえる筈のない親友の声。もしかすると去り際にそう言っていたのかも知れない。

 その後、親友は取り押さえに来ていた小隊をものの数分で壊滅させ、出張って来た防衛隊を殲滅し、その基地を更地にし、通り行く街という街を平らにして、破壊の限りを尽くす。その破壊行為の目的地は官邸だとか、ただ近くにあるものを破壊していただけだとか、色々言われているが本当のところはあいつしか知りえない。

 そして、最後には仲間であった北部 有流(きたべ ある)というAランク能力者に打ち取られ、俺が目を覚ましたころには事は全て終わっていた。

 ミコトの騎士や公的機関以外からも多数の犠牲者、行方不明者を出した事件であいつの生涯で残した傷跡は、この国の巨大な人口湖として忌み嫌われている。そして世界中の能力者のタガを外した責任は、今となっては誰一人として清算することは出来ないものとなったのだ。

 ああ、そうだ親友。お前の言いたいことは分かっていた。やったことも突き詰めていけば間違いじゃなかったのかも知れない。

分かる、分かってる。でも、それは違うんだよ!

だからさ、俺は……。

目を開く。

なによりも先に、心配そうな表情で俺の顔を覗き込むパジャマを着たエリザの姿が視覚に飛び込んでくる。次に、俺は窓の外に広がる朝焼けに目を細めることになった。

「なんだ、お前。まだ目覚ましは鳴ってないぞ」

「そうではない。そうではなくてな、お主がとても苦しそうな声を上げておったからの。いや、なに、その、だから妾は少し困っておったのじゃ」

 俺のぼんやりとした発言に、エリザは俺の胸元を掴んだ手を放し、おどおどと自信なさげに答える。

「そうか、上に聞こえるほどうるさかったか。大丈夫だ、大人になった鍛えにくい部位の筋力が落ちて、みんな寝苦しくてうなされるようになるんだ。心配するな。……俺は目覚ましが鳴るまで寝るからな」

 そう言って俺は、微かに差し込む朝日に照らされ、頬が赤く染まり、置き場のない両手をもじもじとさせて普段より可愛らしくみえるエリザの頭を撫でてやる。

まだ、天使ってやつにはお目に掛かっていないが、いたとすれば、こんな風に可愛らしいんだろうな。

「そうなのか、そういうものであるのだな、……分かった。……しかし妾は、……いや、なんでもない」

 歯切れの悪い言葉を口にするとエリザはひとしきり撫でられた後、少し唇を尖らせ俺の手を頭から払う。そして背を向けて振り返ることなく、いつもより元気のない、あるいは威勢がない後姿をみせながら事務所から出ていく。

 なんだ、本当に心配していたのか。だとしても、子供のあいつが知る必要もないことだ。

 もし、ミコトの計画の残滓にエリザが関わらされているのなら、俺も最大限努力しなければならないけどな。それが俺の、俺たちのためにもなるのだから。

 そんなことを考えつつ、俺は身体を丸くして、もう一度目を閉じるのであった。

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