3.『女の子に夜にお使いを任せるのは危機感が足りなくないッスか?』
「あ、先生。なに探してたッスか?」
「ああ、これ。ツバサ、マッスルのところに持って行ってくれ。あと途中で買い足してくれ。こいつはメモだ」
「あの、もう外は暗いですけど、それは……」
「よいしょっと。……いや、お前、仕事好きだろ?」
「あたしが好きなのは仕事じゃなくて、お金ッスよ。はあ、言動もジジ臭いなら、思考もジジ臭いですね。月月火水木金金なんて時代はとおに遥か昔ですよ。師匠の名前も知らない世代も生まれてきたぐらいです。今の時代は、やはりノーワーク、イエスマニー。あと、アイムラブイート」
「それを言うなら、アイムラブイングイットだろ」
「女性に対して、その言葉は失礼じゃないッスか?」
「誰もお前を口説いてねえよ!それに、……まあ、お前なら夜道も大丈夫だろ」
「見たッスね。今、上から下までなぶるような視線で見ましたね。まるで身体を鍛えて、しっかり胸板がキレているスポーツ少年のようだとか考えましたよね?セクハラで訴えてやる!」
「そこまでは考えてない。それに従業員の服装をチェックするのも管理職の仕事。ついでに触れてないから証拠もないし、自分が異性として見てもらえていると勘違いできる間は幸せだぞ。いや待て、今のは自虐か?捏造による俺への下げか?」
「もうペド先生は、あたしの歳では満足できないんすね。分かりますよ、エリザちゃん、誰の目からみても可愛らしいですし、クンカクンカして頬ずりしたくなりますから」
「は?」
「はい?」
「まあいい。いや、全く良くはないが、ほら手を出せ」
「ノーマネー、ノーワーク。貧困者たる我は、ここに人道に反する親族的報酬なきお使いを断固拒否する…、ッス」
「出さんと負けよ。最初はグー、ジャンケン、ほい。俺の勝ち、ま、いつものことだ」
「なんで毎回毎回勝てるんッスか!プロサッカー選手かよぉ!」
「ジャンケンにも、真剣さって大事なんだよ」
「そんなだらしなくソファーに腰かけた姿勢で言われても説得力ないッスよ」
「ま、勝負は勝負。勝者に従わないのは、次回から敗者は約定を果たさなくていいってことになるが、いいのか?」
「く、アイスとお金に集る安い女だと思わないでくださいッス!」
「いや、普段から集ってるじゃねえか!……まあ、行ったからいいか」
……
…………
エリザが来てから三日目。
日は落ちて、辺りは深夜と違いも分からないほど微弱な太陽光を失ったころ。暗くなってから俺とツバサは仕事の押し付け合いのためにジャンケンで勝負をして、俺は勝った。
大人気ない?誰かが今日中に終わらせないといけない仕事なのだ。部下は上司の命令を聞くのは当たり前、時間外労働なんて犯罪だって身内の中なら関係ないネなんてブラックな業界もあるのに、バイト相手にジャンケンまで譲歩したんだ。むしろ、感謝しながら敗北を味わってほしいものである。
そしてツバサを街灯の灯った夜の街に送り出す。先ほど数十分前に陽が沈んだのだ。頑張らなくても深夜帯になる前に帰って来られる時間である。
「だから、あたしの能力は夜には使い物にならないって言ってるのに!」
まだ宵の口だというのに静まり返っている住宅街の一角。街灯に照らされた路上で、ツバサは到底、独り言だとは思えない声を上げた。
人通りは少ないとはいえ、まだ寝静まっている訳でもない。騒音による近所迷惑、それ以上に大きな呟きを知り合いに聞かれたときの羞恥心を考えたりしないのか、こいつ。
「まあいいッス。さっさと、この荷物を渡したら終わりですから。まあ、それ以上に日が落ちる前に言ってもらいたかったですね、ね?」
ツバサは通りがかった黒猫に紙袋をみせながら、足を止めて声を掛ける。
「送料は町内で野口一枚ミ」と猫は足を止めることなく答える。
「シャベッタァァア!いや高いッスよ!」
「そんな重そうなもの持てそうにないから嫌ニャ。それに今から仮眠の時間ミ」
黒猫は彼女の方に目をやることもなく、早足で人が通れない木陰の中に駆けていった。
「黒猫っていったら宅配のプロでしょ、逃げないで下さいよ。悲しいッス」
言いながら彼女はがっくりと肩を落とす。
アルコールの入った迷惑爺さんでもあるまいに、こいつは誰に向けてコントをやっているんだ?猫が喋ったのは驚くが。
「いや、そもそもよく考えなくても重量オーバーに営業時間外ですね。無理言っても仕方ないッスね。うちはブラックなんで、高校生をこんな時間まで働かせてる悪徳業者なんッスけどね」
ツバサは誰に向けるでもなく、肩をすくめると歩き出す。
何回も言うが、まだそんな時間ではない。
「ホント、人生ままならないッス。あたしの能力が夜も使えたら、こんな仕事もしないでも、お金をもらえるAランク能力に認定される可能性があったのに、夜に性能が落ちるせいでお使いのような仕事をしなきゃならないんですよ」
また、とぼとぼ歩きながらツバサは独り言の続きを始める。
彼女の言うとおり、超能力にはランクによっては有しているだけで、国家戦力あるいは重要人物とカウントされるために、国や自治体から助成金を支給されるのである。それは災害級と呼ばれる指定Aランク以上の能力である。勿論、金の移動を発生させるほどの能力になれば、法律による拘束、罰則も増えるので一概に、指定Aランク以上はいいとは言い切れない。それでも、無駄に法的拘束力が発生する彼女の持つ人災級と別称される指定Bランク能力よりもいいだろう。
「エリザちゃんも、さっさと指定ランク貰って、夢の助成金とかやればいいのに。まあ、指定Sランクとかに選出されたら、Bランクでも申請書類制作が大変なのに、それはそれで大変そうですけどね」
と、彼女は続ける。
依頼人の個人情報を気軽に口走ってるんじゃない。俺が隣にいたら、手を上げて拳骨を落としても、おかしくなかったぞ。
実際に手を出すかは一先ず置いておいて、彼女の言葉は一つ重要なことを指している。指定と推定である。超能力というものは計測しなければ、指定できず、推定するしかないのだ。
それでもある程度、基準は定められている。基準というのは、凶器になるか、犯罪に有用であるか、その所有者の価値を高めるか、人類の進化に貢献できるか、あるいはその人物の運命をどれほど定めてしまうか、などである。故に、一か所に対してしか移動先のない空間移動や瞬間移動の能力は推定Cランクであっても、ほぼ必ず指定Bランクに分類されたりする。ついでに涼子さんは、この類の能力で推定、指定ともにAランクの保持者である。あの人の場合はボランティア活動などの人格者的行動や全面的な能力情報の正確な開示で、ランクの拘束力を一つ下げることで本来課される能力のランクや性質に囚われずに不自由のない生活をしているようだが、それに触れようとすると話を少し逸脱し過ぎるので今回は勘弁していただきたい。
話を戻すのだけれども、ツバサの能力については彼女の奇行もとい彼女のお使いを少しみていけば分かることなので、もう少しだけ、この日、彼女の出会った出来事をみてもらいたい。
独り言の後、彼女はしばらくダラダラと歩き続ける。街灯に照らされているとはいえ、夜道なのだから、さっさと用事を済ませて帰ってくればいいものを。
そして、またツバサは気配を感じ、ふっと足を止める。
それから彼女は顔をあげ、表情を歪ませた。いや、生でみたら俺も歪ませると思う。
なぜなら、上着はスーツを着ているのだが、女性もののT字のパンツを被り、下半身はもっこりしたブリーフを丸出し、そして顔には犬の鼻と耳が生え、紐口の付いた膨らんだ袋を担いだ中年のおっさんと思わしき人物を目の捉えたのだから。
なにを言っているか、分からない?簡単にいえば、ツバサの前に犬の鼻と耳を生やした変態的恰好をした中年の下着泥棒が現れた、それだけだ。
下着泥棒はツバサの前に降り立つ。それからクンクンと鼻を鳴らす。
彼女は啞然とするよりも早く、何も見ていない、何もなかったと視点を合わせてはいけない存在から目を逸らす。実際、女性が直視していいものではないのは間違いない。
ひとしきり匂いを嗅ぎ終わった下着泥棒は肩を下げる。それに呼応するように、心なしかブリーフも萎む。
「なんだ、童貞か……」
と下着泥棒は落ち込むように言った。
そういってしまった。彼にとっては、童貞本来の意味通り、異性に対して交友のない相手という意味合いだったのだが、ツバサにはそんな変態の豆知識事情は関係ない。
「うるせえ!あたしゃ女じゃ、あほんだら!」
怒鳴りつけるが早いか、ツバサは適切な距離に足を運ぶ。そして左足で下着泥棒の股間を目にもとまらぬ速さで蹴り上げる。
変態野郎の完全な自業自得ではあるが、容赦や慈悲など持たぬ者にある訳がない。
足の感覚は鈍いとはいえ、そのまま彼女は少し生暖かい気持ち悪いものを潰したことなど気にも留めず、引いた左足の勢いを乗せて、右足を引く。そしてもう一度、悶絶し腰は引け、両手で隠されるように抑えられた下着泥棒の男性特有の柔らかな部分を、サッカーボールをゴールにシュートするように両手のガードごと、もう一度、今度は全力で蹴り上げる。
断末魔など上げる暇もなく、下着泥棒は轟沈する。完全にオーバーキルってやつだ。
「あー、これって正当防衛適用されますよね?」
やらかした後にツバサは額に手を当てる。
彼女の思考は暴漢を取り押さえたことより、その先にある面倒な手続きや警察からの質問で発生する時間的拘束に向いているようだ。
「ツバサガール。その心配は大丈夫ですよ」
と、そこへ三つ四つ先の街灯の下を駆けてきた男はツバサに声を掛ける。
スーツのパンツ部分を片手に持ったマッスルだ。彼を知っている人間なら、全力疾走してきた後の息の乱れを少しだけ見て取れるだろう。
「なかなか、素早い奴だったのですが、お手柄ですよ。ツバサガール」
ぴくぴくと痙攣を起こしている変態に、マッスルは視線を一度やり、逃亡する力も気力も残ってないことを素早く確認する。それからツバサに視線を戻すと温和な笑みを浮かべる。
「いやー、それほどでもあります」
マッスルの言葉に、ツバサはえへへと笑みを浮かべて敬礼を返す。
「ふむ、ツバサガールがここにいるということは、その袋はあれですね」
「そうです、あれです。プロテイン!と、その他の用品です」
「宝物龍ファフニールのせいで一部輸入が止まっていて、ストックが心許なかったのですが、ふむ、やはり持つべきものは同好の士ですな」
ツバサから受け取った中身をみて、マッスルは満足げに一度、首を縦に振る。いくら身内経営だとはいえ、時折、うちの事務所で在庫を勝手に追加することはやめてもらいたい。まあ時々、俺も食うものに困ったり悩んだりしたときに飲むのだけど、俺一人で消化できる量ではないので、普段から倉庫代わりにされているのだ。
「それにしても、マッスルから逃げるとは、こいつもなかなかやりますね」
「Dクラス相当の能力とはいえ、やはり純粋な身体強化は少々厄介なものですからね」
ツバサの言葉に、マッスルは答える。
それからマッスルは痛みで泡を吹いている下着泥棒に持っていたパンツスーツを雑にはかせ、首根っこを掴むと上着のポケットを漁っていく。上下同一の柄であることから、マッスルに足を掴まれた時に、自身のパンツを脱いで拘束から脱出したことは容易に想像に難くない。
「やはり、ありましたか」
マッスルは小さく独り言を口にすると、下着泥棒の上着の内ポケットから薬剤の入ったプラスチック製の包装シートを取り出す。そして少しでも手元を明るくしようと街灯にかざし、印字された文字を確認する。
「これも、やはりといいますか、粗悪品。偽物ですな」
「粗悪品?偽物?」とツバサは聞き返す。
「ツバサガール。某は今、少々厄介な案件もとい目的を抱えてましてね。おばちゃんカンガルー事件はご存じだと思いますが、その主犯能力者であるエリクサーと呼ばれる人物がファフニールの入国に乗じて、また、この国に入ってきまして、某はその人物を実は追ってまして、えぇ」
とマッスルはツバサの問いに言葉を選びながら答える。情報という形のない存在はどこから洩れるか、分かったものではないから当然である。現に、先ほどツバサは個人情報を口走っていたのだから。
まあ、それはおいておくとしてだ。
おばちゃんカンガルー事件とは愉快犯である能力犯罪者、それも指定Aランク能力者エリクサーの異名を持つ、本名、薬袋 今日花の起こした事件である。この世界ではかなり有名で愉快かつ悪質な出来事であった。
この話には、ほぼ同系統、身体強化型の延長にあるマッスル、ツバサ、そして今日花の能力から順に触れていこう。
マッスルは自身の筋肉や筋力を肥大化させる身体強化能力。この手の一般人でも代用案を用意できる能力は単純に長者級と呼ばれるDランクになる。この能力も身体を強化できる量が一般的な強化量を超えれば、人を能力で殺せる可能性のあるBランク以上の戦闘能力を出せるので、あくまで基準である。ついでにマッスルは一般的な強化度を超えることのできる類の人物で超人級と呼称されるCランクである。
次にツバサの能力は身体強化系の中でも、自身を他の能力を持つ生物へと変化させる、いわゆる変身系である。これは普通の動物であればDランク、危険な動物であれば最高でBランク、そして存在しないはずの想像上の神獣の類であれば、現在確認されているのは最高でAランクとなる。
で、ここで前の話を拾っておくが、彼女のごねていた理由である。元来の基準であれば、彼女の変身先はAランクに分類されやすい神話生物ではあるけれど、致命的な欠点を持つかつ、研究材料としての代用は他にもあるためにBランクという結果である。ランクの伸ばし幅の少ない能力なので愚痴りたくなるのは理解できる。色々問題はあるが、ツバサに関して俺の悪友である警察関係者にこそっと教えて貰った範囲で言えば、運命力と仮称されている概念が足りていないことでランクをBにされたようである。
そして今日花。身体強化型と呼ばれるタイプの能力者の中でも、異質な存在である。
それは薬の効いている短時間とはいえ他者を強化できるという点だ。普通の身体強化型は自身のみを強化する。しかし、今日花は違う。エリクサーは自身で作り出した薬によって、他者や自身の肉体を変化させる。変身先はBランククラスまでの地上生物だと言われている。
まあ推定と呼ばれている奴らは本当のところ捕まえて解析、正確には全面的な協力であれ、拷問にでもかけて無理やり能力の底を吐かせるであれ、全貌を明らかにしてみないことには分からない。七年前には少しランクを低く見積もった能力者集団を国が突いたせいで、大勢の犠牲者の出た大きな事件もあったほどだ。
そんな底の未だに分からない他者を一時的に変身系能力者のようにしてしまう能力を目的なくお遊びで使った結果、短時間ではあったとはいえ、綺麗になる薬だとか言って、主婦層をだまして薬を飲ませて、カンガルーに変えて街中を混乱させたのだ。それが俗に呼ばれるおばちゃんカンガルー事件の顛末である。
一部の逞しいおばちゃんからはお腹に袋が出来て、便利だったという話も出ていたが、それはそれだ。この世界でも許可申請の降りていない不特定多数に行う能力乱用は犯罪である。
「もう、マッスルも好きッスね」
と、ツバサは言った。呆れたというより、見飽きたといった感じに肩をすくめる。
マッスルは持論、もとい己の肉体は自身で鍛えてこそ人生を豊かにするという論に則り、今日花を追っているのだ。勿論、エリクサー以外にも金儲けや自己の利益のために、粗悪な薬を生成、今回のようなそれによる肉体改造を行う者もいる。それ故、一人だけを固くなに追っているという訳ではないが、俺と同じように関わりのありそうな事件には首を突っ込んでいるのだ。
「いえいえ、己の肉体は己で鍛えてこそ、信頼できるというものですよ、ツバサガール。最後に信頼でき、応えてくれるのは己が筋肉。そう、マッスル イズ オール アンサー」
マッスルは応えると、片手で気絶した下着泥棒を担ぎ上げる。
「しかし、全く、この手の違反薬物使用犯は数の多さに関わらず突き出しても安いのが傷ですな。まあいいでしょう。一つ一つ潰していくのは、筋トレと何も変わりませんからね」
マッスルは珍しく愚痴をこぼすものの、すぐに気を取り直す。
「そういいますけど、犯人ちゃんがこの街に来なければ意味ないんじゃないッスか?」
「いえ、それは、…そうですな」
ツバサの素朴な疑問に、マッスルは空いた手で自身の顎を指で撫でる一考する。
「物事というものは常に連続性があり、続けていかなければ無に帰してしまう、ということですな。筋トレの様に世の中は毎日最低限こなしていくのが重要なんですよ、やはり。特に今回は丁度いい理由もありますしね」
「丁度いい理由?」
「ツバサガール、世の中にはプラシーボ効果というものがあるのはご存じで?」
「あれッスね、あれ。知ってますよ。多分、ここでの用法は、要は知らぬが花ってやつですよね?」
ツバサの答えに、マッスルは教師が教え子の学習成果をみたように頷く。
「そうです、そういうことです。では、この犯人の受け渡しがあるので某はこれで。おっと、報酬を忘れていましたね」
とマッスルは片手でポケットから五百円玉を取り出し、ツバサに渡す。
「毎度!」
満面の笑みで彼女は報酬を受け取ると、去り行くマッスルの背に向けて手を振った。
こんなやり取りがあったのなら、俺がこの場に居合わせて、マッスルに質問したかったというのも後の祭りである。いや、本当に少しは危機感を持って行動できたかも知れないんだ。まあ、それで何が変わったかと言われたら、それまでの話なんだけれども。
……
…………
そんな危機感が足りない夜中、その変調の兆しにツバサが出くわさなかったのは幸運であっただろう。あるいはマッスルが、その場に居合わせなかった不幸を嘆くべきだろう。
ツバサ達の話していた路地とは、数本離れた筋。そこに面する小さな公園。
二十代、あるいはまだ成人に達していないであろう白髪の男は、夜遊びに興じていた同年代ほどの鶏冠のような頭をした世間を知らなさそうなガキを三人ほど暴力で従わせると、街灯の光もまばらな公園に投げ込み、正座を強要していた。
白髪の男は、恰好は綺麗に整えられているのが、何年も昔に流行って様な柄の服、腰に一振り刀を差しており、この街での出で立ちには似つかわしくないことは誰にでも分かるものだ。
そんな一風変わった姿の男であるが、夜の帳に包まれた住宅街の不気味なほどの静けさは彼が担っていると言っても過言ではないだろう。
「あの、調子に乗って、すみませんでした」
自らを他人と違う、あるいは自分は他者を見下す愚か者だと喧伝するような派手な服を着た鶏冠頭のリーダー格は必至でへいこらと下げなれない頭を地面に擦り付ける。
白髪の男には、そんな形ばかりの謝罪など興味もないのだろう。表情のない瞳で三馬鹿を見下ろしながら口を開く。
「なぜ今になって君は拗ねた犬のように謝っているんだい?君たちは他人に迷惑をかけていたということさえ気づかず、あまつさえ注意した僕を馬鹿にして、殴られたら必死に頭を下げることしかできない。ねえ、大口は叩いていたよね。ムカつく奴をボコボコにしたんだっけ?ヤーさんが友達にいるんだっけ?どうしたの?呼んでいいよ?それとも言葉が伝わらない猿なのかな?困るんだよね、猿が服着て人間の真似しているの」
と腰に差していた日本刀を鞘ごと抜くと地面に突き立てる。
「あの、すみませんでした」と鶏頭達はまた、へいこらと頭を下げる。
「そんなことを聞いているんじゃない。君たちは煙草を吸っているようだが、成人しているんだろ?この国では成人している人間のみが手に出来る者だろ、それは。だから大人なら責任を取らないとな。そうだな、例えば君たちの大好きな落とし前とか付けてくれないか?」
白髪の男はリーダー格の鶏冠を掴むと、ずっと顔を近づける。
「こいつが、こいつだけが成人してます。本当です、信じてください。こいつから煙草を貰ったんです。こいつが買ったんです」
「ふざけんな!俺を売るなや!」
仲間の一人が震えた声を荒げ、リーダー格の男を売った。
その見苦しいやり取りに、つまらない出し物をみせられたように白髪の男は溜息を吐く。
「まあ、なんでもいいよ。身分証だして、それで終わるからさ。この国の人間はハイスクール出るまでは義務教育だろ?それともハイスクールも出ていて身分証を持ち歩かない猿なのかな?どうして猿が服を着ているのかな?何度も同じことを言わせないで欲しいよな。それともまだ教育が必要か?」
白髪の男に気圧され、下端二人は今にも泣きそうな顔で声を上げることも許されずに、服を乱雑に脱ぎ始める。
そしてリーダー格の男は財布を一度取り落とし、土が付いたのも気にも留めずに学生証を取り出す。
「こ、これで勘弁してくれるんですか?」
「聞いたこともない大学、どこだよ。まあいいか、じゃ落とし前に、この契約書にサインして拇印押してもらえるかな。責任はちゃんと取らないと、さ」
そういうと白髪の男は、何もない空間から文字の並んだ契約書とボールペンを取り出すと、リーダー格の男の顔に押し付けるように渡す。
鶏冠頭の男は震える手でそれを掴むと、内容も読まずにミミズのように乱れた文字でサインをする。
「か、書きました」
「じゃ契約通り、これ飲んでね」
白髪の男は一貫して感情のない顔で鶏冠頭の口に錠剤を押し付ける。
よく理解できないと、涙を両目に浮かべ、懇願するような表情をリーダー格の男はみせる。だが、白髪の男はそんなことなど知らんと言わんばかりに一言放つ。
「飲め」
命令され、恐怖で痙攣する口を開けた男の喉の奥まで手を突っ込み、白髪の男は錠剤を放りこむ。そして涎で汚れた手にうんざりしながら飲み込むように促す。
青い顔で薬を飲み込んだ鶏冠頭の男は数秒後、もがき苦しみ始め、そして姿を変え始める。身体を使うことしか能のなかった男の肉体は深い黒い毛で覆われ初め、筋肉は肥大化し、着ていた派手な服をビリビリと破っていく。最後には、男は黒い巨体を持つ二足歩行の獣の姿へと成り代わった。
白髪の男は、黒い獣に腰を抜かす裸の男たちを横目に、剣を腰に差し直すと獣に命令を下す。
「さあ、最初の仕事だ。少女を、黒髪の美しい、誰が見ても、とても可愛らしく美しい少女を攫って来い。それが元に戻るための一番初めのお前の仕事だ。それぐらいできるだろう?」
言われて、鶏冠頭の男だった黒い毛で覆われた獣は空に吠えたのだった。