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2.『少女たちには危機感が足りない』

 身体が重い…。特に胃の辺りを押しつぶされる感覚で身体を動かせない……。

 なんだ、おかしいぞ。

目を開けたら、学生時代の教室の机に突っ伏していた。同様の机は周りにも並べられており、まだ開いている少し重そうなカーテンの向こうの窓からはグラウンドを囲うフェンスもみえる。間違いなく、俺は通っていた高校時代の教室にいる。いや、どうして学校の教室なんて場所にいるんだ?

 視覚だけじゃなくて、頭の中にも靄が掛かっている。そんな状況。

 ここにいることに違和感しかない。懐かしいような、どこか手の届かないものに手を必死で伸ばしそうとあがいているような少し焦りも感じる。

そんな感覚を持ちながら、日の傾いた人気のない静かな教室の中。

 目を上げると、机にうつ伏せで寝ていた俺を眺めている少女と目が合う。

 そう、目は合っているはずなんだ。夕日に照らされている顔もしっかりと視界に入っている。なのに、疲れているのか、その姿に霞が掛かってみえるんだ。

「もう…、やっと起きた」

 そんな甘く懐かしい少女の声が耳に入ってくる。

「みんな待ってるんだよ。早く帰らないとね」

 声の主は慈しみのこもった言葉と共に俺の頬に撫でるように手をあてる。

「そうか、そうだな。早く行かないとあいつらうるさいからな」

 そうは言ったものの身体に力が入らず、上半身を起こすことはかなわない。

 どうしてだ?ただ机から立つだけだというのに、身体は、いや心はその先に待つ何かを拒絶している。

「大丈夫?私は待っているから、ゆっくりでいいから」

 俺の胸の奥を掴んで離さない声は、起き上がることを拒む俺の耳を優しくくすぐる。

そうか、ゆっくりでいいのか。まだ急ぐこともないのか。

「そうだよ、功君はお寝坊さんだからね。きっと、みんな待ってくれてるよ」

 声の主は俺の心の声を読み取ったかのように、柔らかく肯定してくれる。

……でも、そろそろ立ち上がらないとな。少なくともお前を待たせちまっている。

「嬉しいけど、……辛くないの?」

 辛くないと言えば嘘になる。まだ立ち上がろうとすることも苦痛に感じる。

「そうだよね」と彼女は小さく呟く。

 きっと少女は悲しんでいる。なんとなく、表情も分からないけれど、そんな気がしてならない。

「やっぱり、こんな結果になるかも知れないゲームなんて始める作るべきじゃなかったね」

 落ち込みを隠せない少女の言葉。

そこで俺は気づいた。彼女は自身の行動を後悔しているのかも知れないと。

 そうだ。この街が、いや、この世界が、法則そのものが少しずつズレだしたのは、お前と出会ってからだった。そして完全に狂ったのは、お前が俺の前から姿を消したあの日だ。

「ごめん、ごめんね」と少女は涙声で謝罪の言葉を述べ始める。

 違う、違うんだ。お前が悪いわけじゃなかったんだ。

 言葉が出ない。彼女の謝罪は呪詛のように終わりなく続く。

 それは彼女の力で世界を歪めたこと、そして俺たちの人生を狂わせたことへのものだろうことは、俺には容易に察せた。

 だけど、だけどな。

「お前は、お前のやりたいことをやっただけだ。お前が迷惑をかけていると思っている人間は望んで一緒にやろうと、苦労を共にしても苦じゃないと参加したんだ。だから、だからな。俺がお前に後悔なんかさせない。それがお前に捧げる俺の信条だ」

 泣き出しそうなり両手で顔を覆う少女のために、俺は声を上げ、両手を机について立ち上がる。

正確には下半身を失っていた身体では立ちあがるなんて出来ないのだけれど、それでも両腕で机の縁を掴んで身体を起こしたのだ。

ここは夢の中だ。そう消えた下半身から認識できた。

できたけれど覚めはしない。

ここにある俺の身体なんてものは記憶の欠片の生み出した空想でしかない。

それでも俺は崩れ落ちながら、涙の伝う少女の頬に手を伸ばす。今はもう手の届かなくことのない、かつて俺の隣にいた少女の涙を拭うために。

「泣くな、俺がお前の世界を変えちまったあのゲームは必ず終わらせる。破られたルールも、破った奴も全部見つけ出して、今度こそ終止符を打つから、な!」

 俺の必死に発した言葉も伸ばす手も泣き出した彼女には届かない。

 彼女の姿は伸ばした指の先を掠めるように、どんどん小さく、幼くなっていく。

 限界まで伸ばした指を、手で顔を隠す彼女に絡ませる。

そして、その顔を覆う手を引きはがしたところで再び彼女と目と目があった。

だが、その泣き顔は俺の求めていた少女のものではない。

その姿、その顔は漂白エリザのものだった。

そう認識したところで、俺の困惑した意識は完全に靄に飲まれるのであった。

……

 漂白エリザと出会ってから、二日目。俺の私室として使っている雑貨ビルの三階ではなく、二階の事務所で起床することになったのも、クソみてえな夢をみることになったのも、大体はエリザのせいである。正確にはエリザの能力のせいだ、たぶん。

 先にいうと俺にはエリザの能力に対して耐性はなかった。人選ミスだろ、あの二人。

 ここまでで言いたいこともやるべきことも沢山ある。

まあ、一つ一つ処理をしていこう。

まず、俺が何処で寝ていたか、だ。

エリザの能力で部屋から追い出された俺は、安眠とまではいかないものの睡眠をとれる場所を探して事務所に降りた。

事務所にある二人掛けのソファー。寝心地はよくもなく、悪くもなくといった感じである。まあ、熟睡というのからは程遠い。まだ二十代であるが、寝床のえり好みをするというのは十代の頃からの老いを感じる。机にうつ伏せで寝られていた頃が懐かしい。

そして安眠妨害その二はエリザ、当の本人だ。

家主である俺の話なんぞ聞かずに、

「うるさい、出ていけ!」と言って、俺を部屋の外に追い出した。

そして夜も深まった頃。寂しくなって二階に俺を探し出して、先に寝ていた俺の上に飛び込んできたのだ。普段の寝床でないせいで感覚的に寝づらいところを、さらに上に乗られて物理的に寝づらくなって、悪夢にうなされるは散々である。

 まあ数日で報酬を手に入れ、おさらばできるなら、それまでの我慢である。

「という訳なんだが」

 と俺は頭だけを、俺たちを探しに事務所へ入って来たツバサの方に向ける。

「そうですね。マッスルに、先生はロリコン…、と報告しておきますね」

「今の会話に、どこにロリコン要素があった?」

「最近のセクハラ事情は、手に触れただけでアウトですから」

「向こうからきたのに、世知辛い世の中だな」

 朝、制服にエプロンを付けたニッチ受けしそうなツバサとやり取りする。

 奴はよくあるジョークを話している顔をしてはいる。しかし、こいつの冗談はどこまで冗談なのか、判別はつかない。なにせ雇い主が巨大な生物に食われかけているのを余所に、隣で金をせびっているような奴だ。この街の連中と同じく、常識は通用しない。

「まあ、先生がロリコンなところで困るのは先生と数少ないファンの方ぐらいですから、あたしが困ることはないんですけど。むしろ、揺すりたかりのやりたい放題」

 彼女は携帯端末を取り出し、俺とエリザの写真を喜々として数枚撮っていく。

肖像権の侵害だ。

「揺すってもたかっても、ないものはないからな。動力と時間の無駄だぞ」

 などと言っていると朝っぱらから自重のない俺たちの声はうるさかったのだろう。俺の上で寝ていたエリザは目を覚ます。

彼女は俺の上で器用に伸びをしながら、可愛らしい小さな欠伸をする。

 人の身体の上で寝るなんぞ、さぞ関節に負担が掛かって寝にくかったに違いない。俺は寝返りもうてなくて散々だったんだからな。

「じいや…」

 と彼女は目をこすりながら、顔をゆっくりと左から右に動かしてから、下敷きになっている俺の方をみる。

「な、なぜに、妾の下に主がいるのじゃ。あっちにいけ!」

 などと、小さな身体で俺の胸を叩きながら精一杯理不尽な命令してくる。

もう難癖も上から目線も慣れたが、一つだけ言いたい。文句があるなら、お前さんの下敷きになっているんだから、お前が退いてくれ。

俺は溜め息交じりにエリザの両脇を抱えて、俺の上から降ろす。そして寝返りをうち、寝不足な頭と身体のために二度寝の準備をする。

「もう先生の分も朝ご飯作ったんですから、早く来てくださいよ」

「なに? バイトが飯を作っただと?」

 と俺は驚きのあまりソファーから擦り落ちながら聞き返す。

「はいはい、目覚ましも掛けず二度寝しようとしている駄目な大人はおいておくッスよ。エリザちゃんは朝ご飯にいきましょうね」

 俺を無視して、ツバサは跳ねた髪を弄っているエリザの背に手をあて、三階に上がっていく。

 普段は料理の腕をみせないツバサである。けれど奴の特技は料理である。あいつは否定しようが、俺は肯定しよう。なお、この街の朝飯には向かない類の料理ではある。

 まあ、特に隠す必要はないのでいうが、中華である。

 朝から中華だ。ブレッドオアライスではなく、スパイスやら脂でごった返す、この街の朝飯には合わない朝食である。

 ろくに寝返りも打てなかった首を鳴らしながら、疲れの残る足を引きずるように三階の自室に入る。

まだ俺は二十代も半ばではある。けれど食生活が悪いのか、運動不足なのか、単純に寝相が悪いのか、十代の頃と比べると、どうにもこうにも首のおさまりが悪い。ちゃんと運動ついでに筋トレはしているんだけどな。

俺の自室は事務所と同じつくりの為に、南に対して縦に長い。常識的な建物は長方形上に長いときは陽の光を取り入れやすい様に南に対して横に長いものだ。だから、立地条件としては良くないことは言わなくてもわかるだろう。そして、事務所と同じ造りであるから、部屋を区切るドアや敷居などある訳はなく、リビングダイニングベッドルームまで吹き抜けている。まあ、ものぐさな俺からしたら、ベッドと物を置くスペースさえあれば、どうでもいいことではあった。しかしツバサのように親しい間柄なら、好き勝手に世話焼くタイプはリビングとダイニングとベッドルームを勝手に区切って、家具まで買い足したのだから笑えてくる。それが今回は功を奏しているのだから、そこは良かった。そして当時の俺も金欠の中、よく頑張った。

そんなこんな考え事をしていたら、俺は机の上に置かれた朝食とはものの常識から外れた量の料理を視覚に捉え、目をぱちくりさせる。

 炒飯に、唐揚げ、スープは香りからして鶏がらスープだろう。野菜は色添え物と八宝菜に似た何か、正確にはそういう類のあんかけである。

「朝から脂ぎってやがる」

「ついでで作っただけなんで、文句があるなら、食べなくていいっスからね」

「どうせ昼過ぎまで暇なんだから、胃もたれしようが構わん」

 と椅子に座る前に、唐揚げを摘みぐいした俺の背中をツバサが体重を乗せて平手で打つ。

「いただきます、は言いましたか?」

「いただきます」

 ツバサに促されるまま俺は口をもごもごさせながら挨拶する。まったく、おかんみたいなやつだ。色気のない動きやすい服装、髪型。容姿より料理の腕に全振りしたようなステータスを体現していると言っても過言ではない。いや、流石に家によるか。

「てか、先生。先に歯磨きして来なく良かったですか?」

 摘まみ食いしながら、四人掛けのテーブル席に座った俺にツバサは皿を並べながら、洗面所で歯を磨いているエリザを顎で指す。

「食った後でいいだろ」

「普通、食べる前じゃないんですか? そっちの方がご飯を美味しく食べれますよ」

 彼女らしい納得の言葉だ。前にどうして中華料理の腕だけは一流に近いのかと訊ねた時、「中華の方が旦那になった人が若いときはよく食べ、体調よく過ごさせ、年老いてからは食べ過ぎで不健康にすることで味が分からなくなる前に亡くなれるでしょ」とか重度の偏見で言い返した奴らしい答えである。

「朝は食べる前と食べた後の両方がベストじゃ」

 と歯磨きを終えたエリザは、俺の正面にある幾枚もの座布団の重ねられた椅子の上に飛び乗って座る。彼女には成人用の椅子を使うための身長は、まだ少々、足りていないらしい。

 彼女の座った椅子をツバサはゆっくりと机に近づける。

「え、両方は面倒だろ。両方じゃなければ、正直、なんでもいいがな」

 と俺はいつもの調子で答える。子供に対して、教育的に良い言い方ではない。だが時間は有限であり、過度な清潔感を維持するなど実際、面倒くさいではないか。

「だから、この事務所は売れないのじゃの」

 とエリザは俺に聞こえるか聞こえないかギリギリの声で呟く。

子供の癖に嫌味か、この野郎。まあ、俺は大人だから追及は我慢してやる。

 そんな歯噛みしている俺に興味なさげに、エリザはやけに長い、いただきます、を唱え始める。

 これには驚き混じりに俺とツバサは顔を見合わせる。

 唱え終わったエリザは、

「なんじゃ、面白いものをみつけた顔をして。主らも初めて涼子と一緒に食事をしたときと同じ顔じゃ」

と、お前たちの方が変だと言わんばかりに眉をひそめる。

あの他人は他人、自分は自分で過ごしている涼子さんでも珍しがったのだ。エリザには悪いけれど、俺たちの顔に出るのも当たり前のことなのかも知れない。

「いや、別に。人それぞれ挨拶は違うものだろ、な」

 と、ツバサに同意を求めつつ、できる限り明るく返答する。

俺の推測できる限りなら、こいつはやばいものをやばい状況で掴まされたのだろう、と頭を過ぎった。

それはエリザの教育環境を指し示す言葉にある。その言葉とは挨拶である。おはようございます、いただきます、ありがとうございます、…そういった些細なものに、その人物の人柄、家柄は如実に出る。

例えば、おはようございます、の言える人間、言えない人間というものだけである種の線引きはできる。言える人間だからまともであるかはさておき、言えない人間、言わない人間、あるいは言うことを習慣付けされていない人間というものは、少し厄介な人物であることは多々ある。

そして今回の、いただきます、だ。これは、それだけでどの宗教に属しているか、どれほどの信仰心を持っているのか、を一聴で聞き分けることのできる部類のものだ。かの有名なフィクションに出てくる探偵なら、彼女の生い立ちを想像して解説してくれる程度の代物だ。俺ですら、言葉に重みを持たせて口にするエリザをみれば、彼女の宗教に対する精神的比重の重さを理解するのは容易いことだ。

 まあ、俺からしてみれば、そこにどれ程のアドバンテージを得られるものかなど想像もできない。それに、すでに仕事を受けてしまったのだ。今更、少々の情報を得て、調べて、あがいたところで仕方のないことだ。むしろ、今から起こるであろうことに備え、しっかり食えるときに食っておかなければならない。

 エリザは俺たちのあからさまな明るさに不平の一つを言いそうな顔であった。しかし子供にしては素直に、そして子供にしては諦めよく、まるでよく見る顔だと言わんばかりにエリザは食事に目をやる。そして手を付ける。

 それから目の色を変えた。

「口に合わなかったッスか?」

 ツバサが口を動かしているエリザに訊ねる。

 エリザは咀嚼をやめ、ゆっくり喉に動かす。

「涼子もお前たちも食事中に話かけるでない」

 とエリザはツバサをにらみつける。

子供にしては、なかなか鋭い目付きである。まあ、子供でなければ、それなりに威厳もでていたであろう。どうしても動きの可愛らしさは抜けていない。特に、口元はほころんでいるのがはっきり見て取れるところだ。

「だが、美味である。まるで涼子に連れまわされて時に食べていた様々な店舗に引けを取らない味じゃ」

「いやあ、それほどでもあります。ちゃんとマッスルに、その辺のことをこそっと口添えていただければ」

 とエリザの言葉に、隣に座ったツバサはごますりを始める。

こらこら、教育に悪いからやめなさい。

 とはいえ、ツバサは個人料理店でバイトをしていたのは聞いていたものの、それでも店で出せそうな皿にはならないだろう。一体どうやって、この料理の腕になったのだろうか。

「よい。報告しておいてやろう。次も妾の舌を楽しませてよいぞ」

 などと、エリザの口から子供の発言とは思えない調子のよい言葉を出す。

 あー、もう子供が調子に乗ると面倒くさいから、ツバサは身の丈にあった大人の態度を頼むぞ、ホント。

「はは、仰せのままに」

 とツバサは従者のように深々と頭を下げてみせる。

 それをみて、エリザはにこにこと笑みを浮かべ、食事を再開する。

 とはいえ朝から品数も量も多い、そして味も脂も濃い。寝起きの子供に適した量とは言えないものだろう。

 俺は、携帯端末に目を通しながら、

「中国では皿に出てきたものを食べきらないことが食事マナーらしいな」

 と拾って貰えないなら二度振る勢いで話題を振っておく。

別に携帯端末を弄って日課であるニュース欄の確認はしてはいるだけで、中国のマナーについて調べていたわけではない。……あ、一部の製品の輸出入が止まってやがる。

「まあ、確かに作ったのは、この国で一般的に中華料理と言われているものですが、どちらかと言えば……」

 と言いかけたところで、ツバサは気が付いたようで、

「まあ、マナーに乗っ取るなら、そうですね」と言った。

まったく、金のために朝から張り切り過ぎなのだ。

「そうなのか、そういった作法もあるものか?」

 と手が遅くなっていたエリザは口を開く。

やはりというか、子供の食べる量には多かったのか、それともエリザが少食なのかは俺には判断は付かないものの、人生経験から出された食事を食べきれなさそうなのは目に見えて分かっていた。

「ま、俺は俺の流儀に乗っ取って出されたものは全て食べるが、お前がそれに合わせる必要はねえよ。郷に入っては郷に従えって言うだろ。いや、言うもんだ。そこに沢山の要素があるなら好きな流儀を選べばいい。大体、子供が礼儀に逸するのはいつの時代も一緒だ。お前の歳なら失敗しても、できた大人は文句を言わねえよ」

 まあ、最近、ニュースで流れてくる面白半分、相手の困ると分かっていて行動するガキは別だが。とまで頭の中に浮かんだが、俺は食事と一緒に言葉を飲み込む。

要らねえ説法は、子供に悪知恵や不要な優越感を与えないように飲み込むのが一番だ。

「やはり、そういうものなのか?いや、しかし……」

 と、ぐずりだすエリザ。やはりと口にした言動、この言われていることは理解しているという顔なら説得も楽そうだ。

「そういうもんだ。どうせ涼子さんにもなんか言われたんだろ。美味いもんは美味いと感じる量を食べるのが一番だ、そうじゃないと嫌いになっちまうからな」

 俺はできる限り料理や携帯端末に集中して、エリザのことを気にしてない素振りをしながら言う。

「嫌いなるのは嫌じゃ……」

 とエリザは申し訳なさそうに肩を小さくし、ツバサの方を向く。

「その、あれじゃ…」

向いたはいいのだが、エリザは口ごもる。

あれだ。大人でもあることではある失敗したときに妙に謝り辛いって奴だ。

ま、これ以上の助け舟は無粋だろう。本人の為にならない。

「すまぬ。そのマナーという奴に乗っ取ってというのか。これ以上食べたくない、というわけじゃないのだが。その、決して料理が美味しくないという訳でなくての……」

 口には出すけれど、方向性の定まっていないエリザの言葉にツバサは、分かっています、と頷く。

「いえいえ、あたしも少し作り過ぎちゃったッスよ。それでも大丈夫ですよ。先生が残りを全部食べてくれますから」

 ね、先生、と有無を言わせぬ笑みでツバサは俺に振ってくる。

え、俺かよ。いや、俺しか食えそうな奴いないんだけどさ。

「努力しよう」と軽い調子で答えておく。

「そこは、任せろ、でしょ」

「俺は根っからの探偵だからな。報酬の限りは、ある、なしを探す努力は全力でする。しかし、ある、を必ず見つけなければならない警察とは違うのだ」

「また屁理屈を」

「屁だと?食事中だぞ。ティーピーオーを弁えたら、どうだ」

「一番弁えていない先生に言われたくないっスね」

「知らんのか。法律から見ても、家の中では家主がルールだ。つまり、この場のティーピーオーの体現は家主の俺と言っても過言ではない」

「すごいすごい。ためになるうんちくだなー」

 などと、俺とツバサはいつも通りの噛み合わないやり取りをしていると、エリザの席からすすり泣く声が聞こえてくる。

「ああ、先生が頼りないから、エリザちゃんが泣いちゃったじゃないですか!」

 泣き顔のエリザをみて、ツバサはブーブーと批難の声を上げる。

間違いなく冤罪だ。

「これは違うのじゃ。妾は泣いてなどおらぬ。何故か、分からぬが涙が止まらぬのじゃ」

 と大粒の涙を拭い始めるエリザ。

流石に異様さを感じるのか、ツバサは席から立ち上がると目を合わせるために腰を低くして寄り添う。

しかし何が気に障ったのか知らんが、暗い飯は嫌だな。

「花粉症か?」

「先生は黙ってて」

 ツバサは場を明るくしようと冗談を言った俺のつま先を踵で踏むと体重を掛けてくる。

割と痛いんだが。

「それで何か嫌なことがあったっスか?あたしたちが喧嘩していたようにでも見えたんですか?」

 とツバサは彼女にしては優しい声で質問を始める。

泣き出したエリザを慰め始めたのを見て、俺から余計な口を挟むのも良くないだろうと、まだ残っいる食事の冷めない内に、俺は黙って手と口を動かす。

「違う。本当に違うのじゃ。お主らの楽しそうなやりとりを見ていたら、急に涙が止まらなくなっての……」

 鼻をひきつかせ、涙声でエリザは言葉を口にする。

 楽しそうとは、また変な感想である。

別に楽しいからやり取りをしていた訳ではないし、むしろ客観的に見たら、会話のドッチボールだろうに。ま、ドッチボールも大人になったらやらなくなるだけで、やったら楽しいとは思うし、同年代での集まりでやることになったとしたら参加したくなるんだろうけどな。

「つまりエリザちゃんも会話に入りたかったってことっスか?」

「違う。どうして、そうなるのじゃ。妾がお前たちの会話に入れないぐらいで、どうして涙を流さねばならん。……なのに、お前たちを見ていたら涙が出る。だから、分からん、理解出来んのじゃ」

「あたしには分かるっスよ。楽しそうにしている輪に入れないのは辛いですからね」

 とツバサは泣きじゃくるエリザの頭をあやすように撫でてなだめる。

 エリザの癇癪は子供というより赤ちゃんのそれである。自分を無視して、大人たちの楽しそうな様子や声に反応して泣き出す、あの行動によく似ている。と思いながら口を出す必要もないと判断し、俺は無言で食事を続ける。無くならないな。モグモグ。

「涼子や爺やと一緒にいたときは涙なぞ出んかった。お前たちのどちらかが涙を流させる神威を持っているに違いないのじゃ」

 やっと涙の乾き始めたエリザは掠れた声を口にする。

 神威?……ああ、超能力のことか。所属する団体、集団によって呼び方が変わるから、やや面倒だ。俺は涼子さんに合わせて、人が持つには度を超えた能力…、すなわち超能力で語っているから世間が俺に合わせて欲しいものだ。ムシャムシャ。

「人が泣くのに特別な力なんて必要ないっスよ。痛ければ涙します。辛ければ泣いてもいいんです。悲しければ泣かなければなりません。まだ、寂しいって感情がよく分からないでしょう。だからエリザちゃんが寂しくて悲しいと感じた時に涙を流すのは、なんら不自然じゃないですよ」

 と、ツバサはエリザの涙の跡を拭いながら諭す。

少しだけツバサの人生観に気を取られてしまう内容だ。まあ、生理現象を基準に考えるのは人として間違いないだろうけども、まあ、雇用関係程度の繋がりで深く突っ込むのは野暮だろう。

しかし、その論にも無論、例外はある。悲しくても苦しくても泣いている時間のないときはあるだろう。今、俺の食事をする手を止めてしまえば、全部諦めてしまってもおかしくないように。ムグムグ。

とりあえず俺の話は置いていてだ。例外なんてものはエリザ自身、大人になるうちに覚えていけばいいのだ。俺もそうしてきた。

「で。人がいい話をしてるのに、いつまで食べてるんすか!」

 ツバサの苦情に、俺は口の中のものを飲み込む。

「食わなきゃなくならないだろ」

「一理あるッスね」

「なるほど、お前の論だと冷凍庫のアイスは俺が食ってもなくならないんだな」

「ぐぬぬ、人質を取るとは卑怯な!確かに食べないとなくなりませんけど、今のそれと、これとでは話が別っス」

「まあ、うん。お前の中ではアイスも人命も同レベルか……」

「あー、もう。言葉尻を狩るな!人質じゃなくて、アイス質…、は美味しそうな響きじゃないっスね」

と、まで言ったところでツバサは、「ともかく」と仕切り直す。

「エリザちゃんは寂しかったら、この口数と皮肉の減らない先生や、あたしを頼ってもいいんですよ。分かったっスか?」

 とツバサはエリザにニコッと笑いかける。

いやいやお前は俺に対して、どんな印象を持っているんだ。普段からクールアンドクレバーだろ。今のは、心の口を回すことでカロリーを消費していただけだ。まあ当たり前だけど、言葉のドッチボールではほとんど運動にもならないのは、俺個人としては辛いところである。

「寂しくなんぞない」

 エリザは不満そうに口を尖らせた後、

「だが、なにかあったら、お主らを頼ってやってもよい」

 と、目線を下げ、消えそうな声で呟く。

「あ、聞こえなかったんだが?」

 と、あえて確認しなおした俺の脛に、ツバサはつま先蹴りを突き刺さした。

よくもまあ、机の下に器用に蹴りを入れてくるものだ。けれど俺からしてみれば、感心を持つよりも脛が痛い。

「デリカシーがないっスよ」

 ツバサの口調はいつも通りハツラツとしているのに、目は笑ってない。

俺としては小粋な冗談のつもりだったのが、そこまで怒られることだったようだ。まあ、子供を心配する親役というのは、ちゃんと場面を弁えた緩衝材になれる人物の方がいい。そういう点では、彼女の持つオカンの風格は伊達じゃないだろう。

「……と、もうこんな時間じゃないっスか!」

 携帯端末の鳴らす音に反応して、ツバサは慌ただしく片付けられるものを洗い場に投げ込み始める。

「学校か?」と俺は蹴られた脛をさすりながら訊ねる。

「見れば分かるでしょう」

 ツバサの言うとおりだ。その制服姿を見れば分かる。

「そう言えば、エリザは学校に行かなくていいのか?」

と思い出しついでに、ちゃんと泣き止んでいるかを、俺は猫のように背を曲げ、エリザの顔を覗き込む。

彼女をどう見積もっても小学生から中学生の間の歳だろう。いや、幼稚園児の可能性もあるには、あるが。

俺のことなど気に留めることもなくエリザはツバサに椅子から降ろしてもらい、

「涼子は行くべき歳だと言っておったが、妾は学校というものに行ったことはない」

 と声はかすれたままだが、いつもの少し高圧的な口ぶりで答える。

それは、この国の法律が許してくれないんだけどな。まあ、危機感がない奴は法律を破ったときのリスクを考えたりはしないだろう。つまり、彼女の口にした言葉はおおよそ事実だと把握できた。

「じゃあ、俺が勉強を教えてやろうか?」

「よい。それに関しては涼子が用意してくれておる。それに日常会話もまともに続かないお主程度に教えを乞うことはないじゃろ」

 この糞ガキ、馬鹿にしやがって。多分、彼女が俺から受ける印象から事実を述べているだけで、馬鹿にはしてないんだろうが腹の立つ返しだ。とはいえ、子供の戯言を気にしても仕方がない。さっさと皿の上のものを片付けてしまおう。

 俺は独り溜息交じりに肩をすくめると、今にも止まりそうな手と口を動かす。これが毎日続くなら力士ルート確定だ。ほんと、力士探偵とか新し過ぎて誰得だよ。

 ツバサは時間も迫っている中でも、甲斐甲斐しくエリザに指示を出す。オカンの子供に食器や玩具の片づけを教えるときの流れだ。エリザは文句の一つも言わず、その指示に従う。子供は子供らしく、面倒くさいなどの不満を言えばいいのに、エリザは不平を漏らさず動いているのは少し不思議な光景だ。

「あたし、もう出るんで、先生もちゃんと食器片付けて置いてくださいね」

「努力する」

 俺からの普段のやる気のない返しに対して、ツバサは何か不満を漏らしている気もしたのだが、「いってらー」と空気を読まず送りだす。

 そこから、しばらく目の前の料理と戦うことになるのだが、特に面白いこともなかったので記憶には苦しい、無理、吐きそうぐらいしか覚えはない。

 食事を終えて、俺は消化にリソースを持っていかれ過ぎて気の抜けた頭で何も考えずにボケッとしたまま、習慣的に携帯端末から地方誌の天気予報と速報を眺めていた。

 一時的に血糖値が高くなりすぎて、動くのも考えるのもだるい。そんな頭では特に面白い記事や速報は見当たらず、記事を全国誌のものに入れ替えた。まあ、俺の面白いと思う記事が紙面に載るのは他人には少々、危機感が生まれるようなものなのだが。

 全国誌でも興味深い記事は結局、見つからなかった。とはいえ見つからない方がいいものは目に付かないに越したことはない。実際、この地域で起こった動物虐待事件の調査を持ち込まれたときは、正直、文字通り死にそうになったほど大変だったのだ。

 携帯端末を机の上に投げ捨て、エリザの方へ目をやる。

 リビングスペースで、携帯端末で動画を見ながらノートに何か書いている。どうやら、小学算数の講義映像のようだ。

 最近は特定の理由で高校にいけない人間の為に、そういった高校の講義内容の動画をヨウツーブなる動画サイトにアップしているのは知っていたものの、小学生に対してのものもあるんだなと感心してしまった。そんな方法で勉強しているエリザの様子を眺めているのも少し面白いものを見ている気分になる。まあ、涼子さんの差し金で視聴させられている動画であれば、なければ誰かに作らせたのだろうけれど。

 俺は動く気にもなれず動画の終了まで、机に肘をついてエリザを眺める。

可愛いからロリコンだからとかではなく、子供にもプライドのような方向を決める感情はある。彼らは無闇に善意で接しても、いい反応は返して来ない。だから、観察は必要だと考え、それを俺は実行しているに過ぎないのだ。

 エリザは動画を見終え、呆れたように小さくため息を吐く。

「全く、なんなのじゃ。お主の視線がこそばゆくて仕方ないのじゃ」

「え、観察してるんだけど?」と俺は事実をあっけらかんと答える。

 嘘や誤魔化しても仕方ない、悪いことでもないしな。

「確かに妾は可愛いのは分かるのじゃが、もっと、こうあるじゃろ。大体、大の男が小さな子供を観察するというのは、こう、法律に触れるのではなかったかの?」

 エリザは汚物でも見る目を俺に向けてくる。

「保護者が子供から視線を離すのは事故の元だからな。問題ない」

「お主に問題なくても、妾に問題があるのじゃ。視線は、ちゃんと隠すように。分かったかの?」

「分かった、分かった」

 能力を使いそうな権幕のエリザを横目に、俺は適当な衝立を見繕う。

「これでいいか?」と衝立の向こうから確認する。

「いや、やっぱりよい。そんな隙間から目を出された方がよっぽど心にくるものがある。お主に密偵の才能がないと分かっただけで十分じゃ。まったく、探偵と聞いて呆れるわ。三流扱いされてもうんともすんとも言い返せまい。……なんじゃ、その顔は!」

「護衛対象を殴ったらいけないとは言われてないから、そういう言い方を俺以外の奴に言ったら拳骨落とすからな」

 敷居の向こうから顔を出した俺をみて、驚きを浮かべるエリザに注意する。不機嫌さとか、不貞腐れているとか、面倒くささとかを混ぜ込んでいる顔は子供にはさぞ反応に困るものだろう。

「言わんわ。お前より出来の悪い人間が妾の周りにいると思うか?妾の能力があれば、必要な人間と不要な人間の選別など楽な所業だ。お前のように、妾に不満を持つ人間など見たこともなかったのだからな」

「ああ、知ってる、知ってる。というより分かる。だけどな、全てが思い通りになる世界って、面白いもんか?飽きないのか?俺は楽しものとは思わんけど」

 俺は唾吐き捨てそうな感情のまま訊ねると、先ほどまで饒舌だったエリザは口ごもる。

あ、いけね、言い過ぎたか。

「まあ、お前はまだ子供だし、これから楽しいことを見つけていけば……」

 と俺がそこまで言いかけたところで、

「……しくなかった」とエリザは震える唇を開く。

「楽しくなかった!みな、妾の提案に頷くばかり、悪態をついても謝罪ばかり、役割と言えば他人が書いたものを読み上げることだけ、全然楽しくなかった。……そうじゃ、お前みたいな悪口を言えば反論する間抜けがいると少し楽しい気がする!悪いか!」

 子供らしい激情。彼女の言っていることは善悪で切り捨てることではない。だが、人として好感を持ってくれる人も少ないだろう。それに彼女自身の人格的成長にもよろしくはない。とは思うが上司の子供に対して勝手に教育を行っていいのか。……まあ、いいかと俺は思考をやめる。

「多分、俺よりも友達を作った方が楽しくなるぞ。同年代というのは価値観も近いものになるだろうし、悪態をつかなくても反応してくれるしな」

 俺は自分の言葉に頷きながら話す。

しかしエリザは嫌な経験でもあったかのように、また眉間の皺がはっきり数えられるほど眉をひそめる。

「群れるのは嫌いじゃ。子供は嫌いじゃ。遊んでいるうちに皆、妾の言葉に従ってしまう。何も楽しくはない」

「ああ、集団心理にも作用するのか、難儀な能力だな」

「涼子もそう言っておった。人が多ければ多いほど絶大な力を発揮するらしい。推定Sランク能力だそうじゃ。妾には、どれほど凄いものなのか、よく分からんがの」

 本当にSランクなら凄いなんてものではない。この国から輩出したとされるSランク能力者は、たった二人だ。もしエリザを含めるなら三人である。全世界の警備方式を変更させたと言われている涼子さんの能力でもAランクだ。Sランクなんてものは国家そのものを変質させるか、あるいは国家を成立させるなり、世界情勢に単独で介入することも可能な能力ということになる。涼子さん曰く、選ばれた王の能力だそうだ。

いや、確かに集団心理に作用するということは、やろうと思えば個人の意思で戦争を始められるということだ。人類の文明そのものを破壊することすら、可能な能力ということになる。そんなものを持って生まれたことは彼女の不幸だろう。そして、それに直接関わらされた俺の不幸でもある。

「俺なんて最低ランクのEだぞ。どうしてだ、なんでだよ」

とエリザのことも忘れて、俺は頭を抱える。

爆発物を押し付けられていることは分かっていた。けれど、これは予想を大幅に上回る。

「なんじゃ今更、妾の凄さを理解したのか?」

「自分の不甲斐なさを噛みしめてるだけだ」

 俺の漏らした愚痴を、エリザは鼻で笑うと少し機嫌を直したようだ。

「お主が一般未満なのは分かっておる。それより一般のことを説明せい。涼子は、いらん知識を手に入れる必要はないと言っておる。じゃが、妾は少し気になる」

「なんだ、教えて貰ってないのか?お前の持ってる携帯端末で調べればいいだろ」

 始まってしまったものを今更悔やむのは柄ではないので、俺は頭を抱えるのをやめ、先ほどまでエリザが動画を見ていた丸みのある長方形で薄い形状の箱を指さす。

するとエリザは口を開け、呆れた顔をする。

「知らんのか、お主は。携帯端末というものは履歴が残るのじゃぞ。手持ちの端末で調べたら調べたことが涼子に筒抜けになるのじゃ。そんなことも分からんから、お主は仕事を受けられんのじゃ」

 やれやれ、と両手を上げて、エリザは大げさに軽蔑のポーズを取る。

言われたところで、俺からすれば、お前の個人的な監視事情なんぞ知るか状態である。

「へいへい。それが人にものを頼む態度かよ」

と俺は息を吐き出すついでに悪態をつく。

いい加減、子供に対してムキになるのは良くないのは分かっている。分かってはいるのだが、どうしても俺の信条というか行動指針、あるいはプライドと言えばわかりやすいのかも知れない感情に、エリザの言動はピリピリと熱を与えてくるのだ。

「頼むのに態度など必要ないじゃろ」

エリザは理解できない言葉を聞いたように首を傾げる。

「ああ、そうか。お前は頼まなくても命令できちまうからな。頼む必要がなかったんだな」

 偉そうな人間はよくいる。それは彼らが相手を自分より下な人間だ、やって貰えることは当たり前だと思い込んでいる頭の少々可哀相な人間であるからだ。ああいうのは年を取ると直らん、というか反射が身に沁みついてしまって治せない病みたいなものだ。

しかしエリザは違う。まだ子供であるから修正できるという、いい意味で救いはある。悪い意味では、彼女自身が知らず知らずの内に能力で人を動かしている部分を全て自覚し、本来の人間関係を築くときに後悔しそうな思い違いだ。

「お前の能力は発声に依存するものだろ。もし、声が出せなくなったとき、人にものを頼めないと大変だぞ」

「はっせい?」とエリザは可愛らしく首を傾げるので、

「声を出す、言葉を発することだ」と返してやる。

 すると、また彼女は口元に手をあて、考え始める。

容姿の可愛らしいさはあるのだから、もう少し言葉に愛嬌が欲しいものだ。そうすれば、すぐにでも同い年ほどの話し相手ぐらいできそうなものだが。ああ、そうか。彼女の言葉選びは能力を最大限に発揮できるものを本能的に選んでいるのか。と気が付き、俺は妙に納得してしまった。

「うむ。お主の言葉としては、なかなか刺さるものがあった。確かに言葉を発さねば、妾の能力は効果がない。……と思うのじゃ。あとで人に物事を頼むということを勉強しておこう。お前にしては、よく気が付いたではないか、褒めておこう」

「……あのなぁ」

「それより、早く神威のランクとやらについて教えろ。妾は気になって仕方ないのじゃ」

 エリザの変わらなさに俺は肩を落として溜め息を吐く。

まあ、本人が勉強する気があるなら、この件は後回しでもいいか。

「分かった、分かった。能力のランクだったな。こいつは評価が六段階まで分かれていてな……」

 と言ったところで、話を聞いて目を輝かせているエリザをみて、俺は少し考えなおす。そして少し意地悪……、もとい面白いことを思いつく。

「やっぱ、やめた。話しても俺の得にならないし」

 と宙を手で仰いで俺は話を遮る。

「なんじゃと、もどかしいぞ。こういうのは確か、ケチと言うのじゃったな。語るだけならタダではないか!」

エリザは机に両手をついて、子供らしく拗ねた声を張り上げる。

「情報ってのは値段が付くもんなんだよ。だから探偵なんて職業は成り立つんだ。教えてやってもいいが、代わりにこちらの要求も呑んでもらおうか」

「ぐぬぬ。無能はこういうときに足元をみてくるの」と彼女は軽く歯ぎしりし、

「先に条件を教えてもらうぞ。いかんによって考えてやってもよい」

と、決してへりくだったりせず、相も変わらず上から目線な交渉で俺に返答する。

まあいいさ。もともと子供であるエリザとの心理的距離を詰める為のただの口実である。

「じゃあ、さっさと出かける準備をしろよ。用事があるのは外だ。そうだな。条件は散歩だ、散歩に付き合え」

 訝し気に俺の顔をみるエリザに、俺はニッと笑いかけた。

……

………

「して、お主は妾をどこに連れて行く気なのじゃ。少し足がいとうなったわい」

 静けさのある温かな午前の日差しの路地を抜けていく。

ちょっと古びた一軒家だったり、築数十年のアパートだったりの立ち並ぶ、どこにでもある少し寂れた住宅街の合間。近隣住民の性格からか、ゴミは転がっていないものの、アスファルトの隙間からは雑草が顔を出して、行政から補修を忘れ去られているような裏通りの一筋だ。

「待て、三十分も歩いてないだろ。これぐらいで足が痛いなんて、最近の若者は運動してないのかよ。三十分なんて散歩のうちにも入らないぞ。五、六時間歩いてから文句の一つ二つ言え。いや、あれはうちの親父がおかしいんだよな」

「何をごちゃごちゃ言っておる。妾は自分で言うのもなんだが、有能で高貴な身である故、外を出歩く必要なんぞなかったのじゃ。それをお主はなんの考えもなしに歩かせよってからに」

 エリザは唇を尖らせ、不満を垂れる。

うちの親を基準にしてはいけないものの、小学校通学の範囲の距離でグチグチいうべきではないと思うのだが、どうだろう兄弟?

「大丈夫だ、もう着いた」

道を一つ折れた先を俺は顎で示す。

示された場所をみたエリザの目に少しばかり輝きが灯る。

寂れたアパート大きな駐車場。既に出勤してなのか、はたまた住人が車を持っていないのか一台も車はない。その広大なアスファルトで出来たスペースは春の陽の光でほどよく温まっている変哲のない風景。

そう、そのどこにでもある景色のなかに、両手で数えきれないほどの猫たちがくつろぎ、日向ぼっこをしている風景があるのだ。

「おお、猫じゃ。猫が沢山おる」

 そう言って猫の群れに先ほどまでの足の痛みなど忘れたように駆け寄ろうとするエリザ。俺は彼女の襟首を掴み、制止する。

「なんじゃ。何をする。放せ!」

とエリザは服が少し開けるほど、じたばたと暴れる。

この反応なら、しっかりやれば距離を縮めるついでに、途中で話すことをやめた涼子さんの話していない能力ランクの話題を忘れさせられそうだ。

「あのな、お前はそんな勢いで近づかれた猫の気持ちになったことがあるか?」

 俺の問いに、くるりとエリザは首をこちらに向ける。

「なにを言っておる猫じゃぞ!逃げるに決まっておろう。故に必死で追いかけて捕まえるのじゃろ!」

と、思い込みで突っ走ろうとするエリザに俺は落ち着いた口調で言葉を返す。

「ちゃんとやれば、そう簡単には逃げねえよ」

「なんじゃと!」

 俺の言葉にエリザは目を大きくする。表情の機微まで分かりやすくコロコロ変わって、見ている俺としては面白くて吹き出しそうだ。

 そんな騒がしい俺たちに、猫たちは欠伸をしながら視線を向けてくる。

「屋敷にいたときは、ときどき庭に入ってきおったが、妾が近づくとさっさと逃げ出しておったぞ!」

「お前、熊が走ってきたら逃げるだろ?」

 自身の正しさを強く主張しようとするエリザに俺は普段の調子で確認する。

普通に教育を受けてきた人間なら分かることである筈だ。しかし、箱入り娘の彼女には少し抽象的過ぎるかもしれない。

「妾は熊にあったことがないから分からん」

彼女はプイッと顔を背けると想定内の言葉を即答する。

「たとえ話だよ。車が突っ込んできたら避けようとするだろ?」

「車道の端を歩いていれば、ぶつかりに来ることなどあるまい」

 と、エリザは自信満々に答える。

そうなんだけど、そんなこともないんだけど、エリザとは常識にズレがあるから軽々しく否定していいものか、俺には悩みの種だ。

「じゃあ、俺がいきなり走ってきたら、どうだ」

「逃げる!」

「即答かよ!」

 本当に躊躇なくバッサリ言いやがった。

俺だって、少しは凹むんだぞ。

「まあ、つまり猫にとってはそういうことだ」と表情の変化を押さえて俺は言う。

「何故じゃ!妾は、妾が走ってやってきても怖くないぞ」

「そうじゃない。猫にしてみれば俺とお前も大差ないんだよ」

 俺の言葉に、エリザは恐ろしいものを見るような目を俺に向ける。

そんな驚くことかよ。いや、違う。そんな嫌なのか。今ので、娘に臭いと言われた父親たちの心の痛みが分かった気がする。

「まあよい」とエリザは一度、大きく肩で息をすると気を取り直した。

仕切り直したいのはこっちだよ。

「如何に妾が可愛くとも、神威と同じで猫には通用しないということじゃな。一つ学んだぞ。して、お主。あれと仲良くする方法を知っておるから、連れてきたのであろう。さあ、言うがよい」

「嫌だよ。それは教えを受ける者の態度ではないからな。教えてやらん」

「なん、じゃと……」

とエリザは口を閉じ忘れるほどの驚愕を浮かべる。

「あ、あと神威を使ったら、お前の知らない面白いことを知ってても教えてやらないし、涼子さんにも報告するからな。マッスルの口ぶりで能力の使用を制限しているのは分かってるからな」

 俺がいうと、エリザは口元に皺が出来るほど、への字に曲げる。

「そんなに俺に頼むのが嫌か?」

「違う。分からんのじゃ」

 ここまで嫌われているのかと苦笑いの俺に、エリザは真剣に眉に皺を寄せて言う。

「人にものを頼むというのは、どうすればよいのか、分からんじゃ」

「そんなもん。難しく考える必要はないぞ。ただ、教えてください、お願いしますって言って、頭を下げる。それで教えて貰えたら、ありがとうございましたって、もう一度、頭を下げればいい。外国なら、サービスを受けたとときは後腐れないようにチップを渡したりするんだが、それはおいおい覚えていけばいい。分かったか?」

 と言った俺の顔を、エリザはもの欲しそうに睨んでくる。

まだ、俺からなんか教えないといけないのか?

「教えてください、お願いします」

 とエリザは視線を外さないように、不器用に顔を上げながら頭を下げる。むしろ、そんな下げ方ができるのは、器用なのかも知れない。

「なにをニチャと気持ち悪く笑っておる。妾がせっかく頼んでやっておるというのに」

「いや、笑ってない。笑ってないからな」

 吹き出すのを堪えながら、俺は頬を膨らませたエリザに答える。

子供の顔というのは可愛く見えるような造形なのは、知識としては持っている。多少不細工な顔立ちでも子供のしたことで許せてしまうのは、そういった面が大きいだろう。その子供が、顔立ちの良い、俗にいう美少女というのなら、反応が返ってくるだけで、少し楽しくなる。いや、決してロリコンだからじゃないぞ。

「なんじゃ、なにか駄目であったか?」と、また彼女は口をへの字に曲げる。

「いや、大丈夫だ」

 と言って、落ち着きのないエリザの視線に合わせるように、俺は屈む。

「いいか。猫にだって怖いことと慣れていることがある。焦らず、おどおどせずに、ゆっくり近づいて視線の高さを合わせてやるんだ。あ、あんまり高さを合わせても目を直視してやるなよ、怖がるからな。それでゆっくり手を伸ばしたら、猫は匂いを嗅いでくるから、それが終わるまで待つこと。猫が触っていいと思うなら、その場から動かないから、その猫の視線より下から触れてやるんだ。特に喉の辺りを優しくな」

「分かった」

 と、長々とした説明を静かに聞いていたエリザは小さく頷く。そして、ロボットのようにカクカク動きながら猫に近づいていく。

 猫たちは面白いものでもみるように、くつろぎながらも興味津々といった様子で尻尾を振りながら、彼女を待っている。

一匹の陽だまりに寝そべっていた毛並みのよく整った黒猫に、エリザは屈むと少し震える手をゆっくり伸ばす。

黒猫は彼女の伸ばされた手の匂いを嗅ぐと、その手に額を擦りつける。ここらの猫は人に慣れているのもあるのだろう。エリザは教えられたことではない状況に驚いて、身体を動かせないまま、俺の方に何度も視線を送ってくる。

「ど、どうすればよい?」

「ほら、撫でてやれよ」

 と俺は、困惑して視線を右往左往させているエリザに返す。

「よ、よいのか?さ、触るぞ?」

彼女は俺に言っているのか、猫に対して言っているのかわからない言葉を口にする。そして猫の喉元に手を伸ばして触り始めた。

「なんじゃ、お主気持ちよさそうな顔をしおって、そこがいいのか、こうか?こうかの?」

 エリザは言いながら、黒猫の顔をしわくちゃにする。随分、いい笑顔をするもんだ。

そうしているうちに、周りにいた猫も彼女の手の届く位置に集まり始める。

「なんじゃ、なんじゃ? 集まりようてからに。こら、妾の髪で遊ぶではない」

 というエリザは、すり寄ってくる猫たちの勢いに、たじたじされながら、また俺に救いを求める目を向けてくる。

「飽きられるまで待つか、立ち上がればいいよ」

「そうか、立ち上がればよいのか」

 とエリザは勢いよく立ち上がる。

猫たちも驚いた様子で少し距離を取るように走っていく。けれど最初に触れた黒猫だけは欠伸をしながら、彼女をみていた。

「もういいか?」と俺はエリザに声を掛ける。

「うむ。猫を撫でるというのは、初めての経験であったが、なかなか良きものであった。お主もご苦労であったな」

 エリザは黒猫に手をあげて声を掛ける。

そんな彼女に、もう終わりか、というように猫は首を傾げたあと、丸くなった。

実のところ、エリザが連れて帰る、とか言い出さないか、不安はあったものの存外に節度を持っている。

「いや、そこは俺にありがとうございます、も付けてくれよな」

 俺の言葉に、エリザは眉に皺を寄せる。

しかし、案外素直に、

「ありがとうございます」

 と、あの器用で不格好なお辞儀をしてみせた。

「どういたしまして」と俺は笑みを返す。

「やっぱり、その不気味な笑みが好きになれんの」

 顔を上げたエリザは不満げに頬を膨らませる。

「そこは愛嬌だと、我慢してくれよ」

 俺の愛想笑いを乗せた謝罪に、エリザは口から息を吹き出すと片眉を上げ、笑みをみせる。

「まあ、よい。今回の件で見逃してやる。それより次は先ほど街中で見かけたゴリラを触ってみたいぞ!」

「いや、ゴリラは町中にはいないぞ。いや。毛深い人をゴリラ呼びしてはいけません」

 と俺は疑問を浮かべながらも、エリザに視線を合わせて注意する。

「いや、確かに動画でみたゴリラであったのだが、……お主が言うのだから、見間違いという奴なのかもしれんの」

 エリザは少し唇を尖らせたものの、子供らしくない言葉の飲み込み方をする。正確には割と活発なエリザの性格には似合わないといった方がいいだろう。

「なんだ、素直だな。今度、動物園にでも連れて行ってやるから、それで我慢しろよ」

「本当か!動物の沢山いるところであろう!」

とエリザは目を輝かせ、喜びのあまりか、俺の周りを一回りする。

「あの猫たちと同じぐらい可愛い動物に触れてみたいの!」

 と、彼女は子供独特の高揚感をみせるのだった。

……いや、うん。まあ、次は触れ合いのできる施設のある場所を探しておこう。

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