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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

Fランクの少年が復讐者になるまで

作者: 翠川ヤサメ

この短編を投稿してから一年以上触れていませんでしたが、見てみると3人もの方に評価を頂けていたのでその方々に感謝を込めて連載版を連載投稿してみようと思います……!


 今日のクエストはスライム十体の討伐。

 普通の冒険者パーティーなら片手間で済んでも、僕達Fランクの最底辺パーティーじゃそうはいかない。

 今まさに、死と隣り合わせの戦闘を繰り広げている最中だ。

 こういう時は的確な状況分析がカギを握る。


「ケートは一旦下がって! 硬化薬ポーションを1、いや2本飲んでから前線に戻って!」

「わかった! そっちは任せるぞ!」

「ああ!」


 四匹のスライムと交戦していたケートに指示を出してから、僕が前線に出て剣を構える。

 スライム達との戦闘が始まってからはや三十分。まだ一匹も討伐出来ていない。


 消耗戦にもつれ込むと頼りのポーションが切れて終わりだ。

 時間はあまりかけたくない。


「ミア、クール時間は?」

「お、終わったよ!」

「よし、じゃあ僕が一匹壁に追い込むから、そしたら思いっきり叩き込んで!」

「まかせて!」


 ミアは斧の使い手だが、渾身斬りしか使えない。しかも一度使うと次の使用までに五分のクールタイムが必要なのだ。


 このパーティーの中では最も物理攻撃力の高い技だけに、命中率もかなり低い。

 ただ確実に当てることが出来れば、一回につき一匹は倒せるはずだ。

 どうにか一匹岩壁に誘導することに成功。あとはミアに任せる。


「渾身斬り! おぉ~りゃぁあ~!!」


 刃の先端がスライムの脳天に命中し、弾けるように破裂した。

 これでようやく一匹。


「よくやった、ミア!」

「うん! 今度はアベル君のおかげで当たったよ」

「パーティーだからね! 次の使用可能時間まで、後方で待機しててくれ!」

「わかった!」


 この手順でやっていけばいける。

 けど、スライムも馬鹿じゃない。時間をかけすぎると仲間を呼ばれかねないし。


「きゃあ! ちょっと、なによこれっ! 溶けてる! 溶けてるってー!」

「クウカ! 何があっ――」


 右方から聞こえてきた悲鳴に振り向くと、そこにはスライムに噛みつかれているクウカの姿があった。

 クウカはもう一人の仲間で、黒魔術師をしている――って、説明している場合じゃないな。

 腰に携えた短剣を逆手で握り、クウカの元に急ぐ。


「クウカから離れろっ」


 剣先をスライムに突き刺すと、倒せなかったがなんとか引き剥がすことに成功した。

 スライムの体液は酸性で取り込んだものを溶かす性質がある。

 一見弱そうに見えるが恐ろしい魔物だ。


「大丈夫? 怪我は無い?」

「うん、ありがとうアベル。ちょっとズボンが溶けただけ――って見ないでよ! 馬鹿!」

「なんでっ――!」


 ただ心配して声を掛けただけなのに、どういうわけか思い切りぶたれた。

 頬がひりひりと痛む。


「おいおいアベル、いちゃついてる場合じゃねえよ」

「いちゃついてなんかないよ!」

「そうかよ! でも見ろ、スライム達が集まり始めやがった」


 盾を構えるケートが額に汗を流して難しい顔をしている。

 言われるがままにスライム達に目を向けると、数十体いたはずのスライムが一点に集まり始めていた。


「まずいな……このままだと」

「ミア!」

「駄目! まだあと二分は必要だよ」

「だよな……」


 スライムは単体ではFランクの最弱だが、合体することでランクが大きく変動する。

 そのランクは合体数に応じて変動するから明確には言えない。

 しかし、目の前で集まり始めている数は十を優に超えているのだ。

 まず、僕達じゃ太刀打ちできないのは確かだから――


「ここは一旦引こう! 僕達じゃ相手にならないよ」

「いいのかよ……このまま逃げて帰ったらまた馬鹿にされるだけだぜ」


 僕の判断にケートが真剣な表情で異を唱える。

 確かにケートの言う通り、このまま帰ればギルドの連中に馬鹿にされるのは目に見えてる。

 だからと言って無駄に見栄を張って戦ったって……


「勝てると思うのか?」

「それは………………くそっ! だったらやつらが合体しちまう前にずらかるぞ」

「うん。ミア! クウカ! ここは一旦引くよ!」

「わわ、わかった!」

「そうするしかないみたいね」


 みんなに撤退の合図を送ってから、武器をしまって荷物のある場所に集合する。

 命綱のポーションが入った鞄を背負い、全速力で街へと走り出した。


 フェスタの街の門を潜ると、どっと安心感が押し寄せてきた。

 肩で息をしながらとぼとぼとギルドへ向かう。


 依頼をこなせなかったとは言え、失敗の報告をしなくてはならないのだ。


「まじで行かなきゃダメか?」

「駄目だよ。僕だって行かなくて済むなら行かないけど、行かないと冒険者資格の剝奪だってされかねないんだ。今でさえ僕達は危ういパーティーなんだからさ」


 ケートが憂鬱そうにぼやく。

 その気持ちは痛いほどわかるけど、冒険者を続けるには行くしかない。


「大丈夫よ。もしあいつらが絡んできたら私がぶん殴ってあげるから」

「だ、駄目だよクウカちゃん。そんなことしたら結局冒険者続けられなくなっちゃう」


 握りこぶしに怒りを込めるクウカに気づいたミアが、慌てて止めるように促す。

 クウカは性格上、思ったことをすぐに口に出してしまうのだ。


 そのせいで前に一度、Dランクの冒険者と喧嘩沙汰になったことがあったっけ。

 そんなことを話しながらギルドの前に到着。中は賑やかな声で溢れ返っている。


 ここからは我慢の時間だ。


「いいね。いつも通り、僕が話をするからみんなは余計なこと言わないように」

「わーってるよ」

「はいはい。黙ってればいいんでしょ」

「ごめんね、アベル君。お願いします」

「いいって。これもパーティーリーダーである僕の仕事だから」


 イライラを抑えきれていないケート。不貞腐れているクウカ。申し訳なさそうに頭を下げるミアを背に、やけに重たく感じる扉を押し開く。


 扉を開けた瞬間、直前まで賑やかだったはずのギルドが異様な空気に包まれた。

 気にしないようにしても聞こえてくる嘲笑と陰口が、僕達の精神を痛めつけてくる。

 いつものことだけど、やっぱりこれだけは慣れないな。


 そんな地獄のような悪意の道を、耐えながら受付へと向かう。


「おかえりなさい、フェルダムの皆さん」


 受付に辿り着くと、受付嬢のクリスさんが笑顔で歓迎してくれる。

 因みにフェルダムとは僕達のパーティー名だ。


「ただいま、クリスさん」

「その様子だと、今日も駄目だったみたいね……」


 僕達の表情から結果を察するクリスさん。

 それでも彼女は馬鹿にせず、笑顔で接してくれる恩人だ。その笑顔にどれだけ救われてきたことか。


「うん……ごめん」

「なんで謝るの? 別に悪いことしたわけじゃないでしょうに」

「それはそうだけど……いつも期待してくれてるのに」

「ふふっ、そんなこと。私は君たちの未来を期待しているの。今すぐ期待に応えて欲しいだなんて思っていないわ」


 その優しさに甘えている自分たちの弱さが情けない。

 いつか絶対に期待に応えると思ってはいても、全く進歩しない現実が憎らしい。

 そんな風に自分たちを卑下していると、クリスさんは決まって言う。


「みんな、そんな顔しないの。次も、頑張ってね」


 次も。

 その次を僕達はどれだけ重ねてきた?


 せめてEランクに昇格することが出来れば、少しは期待に応えられるはずだ。

 だから僕たちは一つ一つの次を大事にしていかなくてはならない。


「じゃあ、もう行くよ」

「ええ、分かっていると思うけど、あまり気にしちゃ駄目よ?」

「うん。わかってる」


 そう別れを告げて受付を後にする。

 ここからは一旦ギルドを出て宿に向かうつもりだけど、そのギルドから出るまでが難所だ。


 必ずこのタイミングで、あいつらが絡んでくる。


「やあ、Fランクパーティーフェルダムの皆さん。今日も駄目だったんだって?」


 そう悪態をつくのはEランクパーティー、ローズバタフライのリーダーを務めるクロムだ。

 背後にメンバーを引き連れて偉そうに立っている。


「ああ、駄目だったよ」


 反論したい気持ちを抑えて、冷静に対応する。

 彼は反論すればするほど調子に乗って絡んでくるから、余計なことは言わないが吉だ。


「全く、スライムすら倒せないだなんて、流石はこのギルド唯一のFランクパーティーだね。賞賛に値するよ」

「あんたらだっ――むぐっ」

「ありがとう。スライムくらい倒せるようになりたいんだけどね」


 クロムの安い挑発に乗りかけるクウカの口を両手でふさいだ。

 おそらくクウカが言いたかったのは、彼らがEランクの冒険者パーティーだという点だろう。


 僕たちはクロムの言う通りこのギルド唯一のFランクだが、一つしか違わないクロムたちに馬鹿にされるのが癪に障るのだ。


「礼には及ばないさ。君たちがこのギルドの汚点であることに変わりはないけれど、それは僕達ローズバタフライを輝かせるための踏み台として立派に貢献しているとも言える」


 よくもまあこいつはべらべらと。

 背後に黙って待つ仲間たちの苛立ちもふつふつと伝わってくる。


 特に普段穏やかなミアが下唇を噛んで耐えている様子は珍しい。それぐらい、クロムの言葉は悪意に満ちているのだ。


 僕も正直我慢の限界だ。少し皮肉を混ぜてみるか。


「それは光栄だな。同じようにDランク以上のパーティーの踏み台として活躍しているローズバタフライさんの役に立てるなんて」


 結構露骨に皮肉を混ぜて返答すると、背後の皆がクスクスと笑い出した。

 少しやり過ぎたかもしれない。面倒なことになる前に退散させて頂こう。


「じゃあ、僕達はこれで――」

「それは、どういう意味かな?」


 まずい……嫌な予感がする。


「どうって、そのままの意味だよ。役に立てて良かった」

「その前だ。同じようにっていったよね?」


 これはクロムの反感を完全に買ってしまったな。


「言ったかな」

「とぼけるなよ! 誰が同じだ誰が……お前らFランクの冒険者パーティーとEランクである僕達ローズバタフライを同じにするな。お前らは規則上Fランク以下が存在しないからFに留まっているがな、本来ならもっと格下なんだよ!」


 やっぱりこうなった。

 僕もまだまだ我慢が足りないな。こうなるとわかっていたのに。

 確かにクロムの言っていることが必ずしも間違っているとは言えないけど。


「全く、虫唾が走るね。同じだっていうのなら剣を抜け。格の違いをわからせてあげるよ」


 そう言ってクロムは腰に据えた剣を抜いて前に構えた。


「ちょっと待って、落ち着いてよ。気に障ったのなら謝る。さっきの言葉も訂正するよ。ごめん」


 悪いとは全く思っていないが、この状況を治めるにはこうするのが一番だ。

 Fランクである僕達にプライドなんてものは無いに等しい。


「いいや駄目だね。早く剣を抜きなよ」


 駄目だ。話が通じない。


「アベルがやらないなら私がやるわよ」


 全く戦おうとしない僕を見兼ねたのか、クウカが前に出て杖を構えた。

 ただ、クウカが戦ったところで勝てないことは目に見えている。


「止めなよクウカ。クロムはあれでもEランクの冒険者なんだ。かないっこない」


 クロムには聞こえないよう、小声で制止をかける。


「でも……それじゃあ」

「僕がやるよ。それでクロムが満足するならね」


 最終的に負ける分かっていても、仲間を差し出して傷つけられるくらいなら僕が痛い目にあった方がましだ。

 それがリーダーである僕の役目なんだから。


「どうしたんだい? 早くしてくれよ」

「わかったよ。でも、仲間たちには手を出さないでくれ」

「……いいだろう。約束するよ」


 腰に据えた短剣を逆手に握って構える。

 僕だって素直にクロムの事を許容しているわけじゃない。

 負けると分かっていても、出来るとこまではやってやる。


「行くぞ!」

「――っ」


 剣を上に構えて向かってくるクロムに対して、腰を屈めて受けの体制をとる。

 防御を続けて隙を見つける。それだけが僕の出来ることだ。


「はぁぁあ!」


 剣と剣がぶつかり合う瞬間、視界の隅から黒い影が飛び込んできた。

 クロムの剣と影、どちらを対処すればいいのか分からずに目を閉じてしまう。


 金属音が鳴り響き、短剣を握る僕の右手に温かい何かが覆いかぶさった。

 状況が理解できないまま目を開くと、僕とクロムの間に赤髪の女騎士が立っている。


「シルティア姉さん……」

「やあ、アベル。何やら物騒なことになっているみたいだけど、どういうことかなこの状況はさ」


 彼女はシルティア姉さん。僕達フェルダムのメンバーが子供の頃からお世話になっている師匠のような存在だ。


 そのシルティア姉さんが鞘でクロムの剣を受け、もう一方の手で短剣を握った僕の手を抑えている。

 しかし、戦闘を止めてくれた姉さんはどうやらお冠らしい。


「いやその……どうと言われましても」

「アベル君?」


 言葉に込められた威圧感が僕の心を追い詰める。

 姉さんは怒るとまさしく鬼になるのだ。


「せ、鮮血のシルティア――っ。こ、ここは一旦引かせてもらうよ」


 僕の向かい側で姉さんを見たクロムは、顔色を青くして仲間たちと去っていった。


 鮮血のシルティアか……

 まあ、僕ら以外の冒険者からすれば、姉さんは騎士団に属する鬼の女騎士だからな。

 勿論。その怖さをこれから味わうのは僕達だけど。


「正直に話します……」

「よろしい」


 そうして、僕たちはこっぴどくシルティア姉さんに説教をされたのだった。


:::::::::


「なるほど。それで決闘じみたことをしていたんだね」

「はい……」


 宿で説明を終えた僕達、いや僕は正座でシルティア姉さんと向かい合っていた。


「俺はあれですっきりしたぜ!」

「そうね、珍しく私もアベルの事見直したわ」

「か、かっこよかったよ」


 仲間たちの賞賛の言葉が胸に染みる。

 シルティア姉さんは呆れて物も言えない状態だが、僕はこれだけで報われ気分だ。


「だからってわざわざ反感を買うようなこと言わない。随分前に言ったけどね、下を作る人間ほど醜い人種はいないのさ。だから既に少年たちは彼らに人間性で勝っていると、そうは思は無いかい?」


 真剣な空気を纏ったシルティア姉さんが、僕らの目を見つめて言った。


 確かにそう言われたのを覚えている。

 下を作る人間は醜く、下を作らない人間は既にそれらの人種に勝っていると。

 ただ、僕はこの言葉にどうしても矛盾を感じてしまうのだ。


「確かに人間としては勝っているような気がするけど、勝ち負けを考えてしまっている時点でそれは上か下かを考えているってことにはならないのかな……」

「そう言われてしまうと少し困ってしまうね。一つだけ言えるとすれば、多くの魔物や悪人に勝ち続けている私は醜く見えるかい?」

「いや……見えないけど」


 シルティア姉さんは騎士団の中でも飛びぬけた実力を持っている。

 多くの輩を倒し、多くの人々の前で力を発揮してきた。それでも姉さんは街の皆に愛されているし人望もある。


 そんな姉さんが醜い訳が無い。


「だろうね。それは私が負かした相手を下だとは思っていないからだよ」

「それって、結局勝負じゃティア姉が上ってことになるんじゃねーの?」


 窓際に立つケートがそう質問を投げかけた。

 ケートの言う通り、姉さんが相手を下に思っていなくても事実上の結果は変わらない。


「はは、そうだね。まあ、要は気持ちの持ちようってことさ。君たちは実力じゃ彼らに劣っているけど、人間性では勝っている。そうやって、何か一つでも相手より勝っている所があるって思えば、少しは気が楽になるだろう?」


 そう言われて、何も言えなくなってしまった。

 純粋に納得してしまったのだ。何よりそう言う考え方が出来る姉さんは、明らかに僕達より勝っている。

 見習わなきゃな。


「……うん。そう思えば、少しは楽かもしれない」

「ああ、そういう考え方もあるってことが分かってくれれば、もう少し穏便に事を進められるようになると思うよ。だからあんな物騒なこと、もうしないようにね?」


 優しい言葉だが、その言葉に込められた威圧感が僕の背筋をピンとさせた。

 穏やかな笑顔の奥に鬼の形相が伺えそうだ。


「は……はい。気を付けます」


 何はともあれ、これで姉さんの説教は無事に終わった。で、いいのかな?

 あぁー、怖かった……


「でも結構久しぶりだよね、お姉と会うのってさ」

「お姉様……会えてうれしいです」


 説教が終わったのを見計らったクウカとミアが姉さんに声を掛けた。

 そう言えば前に姉さんと会った時は、僕達がまだ冒険者になる前だったっけ。


「今の私の職は王国騎士団『白銀の靭翼』の副団長だからね。大体城か戦場にいるから、この街に来るのも一年ぶりくらいになる。私も君たちに会えてうれしく思うよ」


 王国にある三つの騎士団の中で最も優秀な騎士が集められた『白銀の靭翼』。

 その副団長を務めているとは、どうやら僕達の知らないうちに大出世していたらしい。


「騎士団に入ったって話は聞いてたけどよ、まさか白銀の副団長になってるなんてな。やっぱティア姉はすげーや」


 興奮した様子のケートは自分の事のように嬉しそうにしている。

 昔から姉さんの剣術は目に余るものがあった。

 だが、どれだけ姉さんが凄い人であっても、僕達からすれば師匠であり姉さんだ。それは変わらない。


 すぐ身近にいるのが当たり前だと思っていたから、遠くに行ってしまったような気がして少し寂しい気もする。


「ありがとうケート。私は私なりに先生の意志を継いで頑張っているよ」

「…………」


 姉さんの言葉に、僕たち四人は沈黙してしまう。

 返事に困ったからとか、喉に何かが引っかかったからでは無く、ただ辛くなってしまったのだ。


「そうか、君たちはまだ乗り越えていないのか。てっきり一年前、最後に会ったときには乗り越えているものだと思っていたよ」

「乗り越えたっていうかさ、ただ考えないようにしてただけなんだ、俺たちは」


 ケートの言う通り、僕たちは乗り越えなくてはならない壁を見なかったことにして、違う方向へと歩みを進めただけ。


 父さんの死という決して乗り越えることのできない壁を見なかったことにして、センスの欠片も無い冒険者の道をただがむしゃらに突き進んでいるだけなのだ。


「まあ、そう暗くなることは無いさ。こればっかりは簡単に乗り越えろだなんて言えないからね。時間をかけて、ゆっくりと向き合っていけばいい」


 僕の頭を優しく撫でながら、全員に向けて励ましてくれる。

 元々姉さんは父さんが個人的に開いていた剣術学校の生徒で、僕達がまだ十歳に満たない頃に出会った。

 その頃から姉さんとは兄弟の様に仲良くさせてもらっていたから、もう六年近くの付き合いになるか。


「……姉さんにはかなわないな」


 僕達の誰かが落ち込んでいたりすると、決まって姉さんは優しく励ましてくれる。

 そんな姉さんのことが、僕達は大好きなんだ。


「ふふ、君たちはいつまでたっても子供だな」

「お姉の前では子供でいいんですぅー」

「姉様姉様! 大好きです!」


 気持ちが抑えきれなくなったのか、クウカとミアがそれぞれ姉さんの腕に抱き着いた。

 そんな二人を見て、僕とケートは目を合わせて笑ってしまう。


 僕達につられたのかクウカとミアも笑い出して、それから姉さんも笑って、笑いがしばらく止まらなかった。


 みんなの笑顔を見ていると、何故だか涙が流れてくる。

 僕はその涙を笑い泣きということにして誤魔化した。


「はぁー、笑い疲れたっ」


 ケートが笑い過ぎて流れた涙を拭って言う。

 そう言えばここしばらくこんな風に笑ってなかった気がするな。


 唯一のFランクパーティーだのギルドの汚点だの、そんなことばかり気にして気が滅入ってしまっていたのかもしれない。


「あー、そういやさ、白銀の副団長ともあろうお方がこんな辺境の街に何しに来たんだ?」


 落ち着いたケートが思い出したかのようにそう話を振った。

 そう言えば、どうしてだろう。


「ああ、言っていなかったね。この街の近くに阿吽の魔窟っていう洞窟があるのは知っているかい?」

「あれでしょ? あの魔物が沢山出るっていう」

「結構、ギルドの掲示板で見るよね。Fランクの私達じゃ受けられないけど」


 阿吽の魔窟。

 万物の始まりと終わりがあるとされる洞窟で、世界にいくつかある魔物の発生源の一つだ。


 中は地下に続いていて最下層に魔物を生み出す核があるとされており、その魔窟内の調査依頼がよく掲示板に張られている。

 けど、ミアの言う通り魔窟関連の依頼はどれも難易度が高いんだよね。


「そう、それさ。規則であまり詳しくは言えないけど、その洞窟の最深部付近で指名手配されている大罪人の目撃情報があってね。そいつが中々に手強いものだから、白銀が駆り出されたってわけだよ」


 指名手配されている大罪人?


「ふーん……なんかヤバそうだな」

「因みに姉さん……その大罪人とやらは、コキュートスじゃないの?」


 コキュートスは父さんを殺した組織の名前だ。

 僕がその名前を出すと、三人は難しい顔をして姉さんに視線を向けた。


「……それは言えない。否定することは簡単だけど、それをしてしまうとそうでないという情報を与えてしまうからね。まあ、君たちは気にせず、ただ最前線で戦う私の事を応援していてくれると嬉しいな」

「そりゃ、応援はするけどさ……」


 姉さんが認めない限り、その大罪人がコキュートスとは限らない。

 でも、もしコキュートスだというのなら僕は――


「リーダー、ティア姉の言う通り気にするのは止めておこうぜ! 仮に大罪人がコキュートスだったとしても、俺たちには何も出来ねーんだ。応援してるぜ! ティア姉」


 納得しきれていなかった僕の背を叩いたケートは、そう言って満面の笑みを姉さんに向けた。

 ケートの言う通り、仮に相手がコキュートスだったとしても、僕達には何も出来ない。

 その力が無い。


「そうだね……僕も、応援してるから!」

「お姉頑張ってね!」

「姉様……ずっと応援してます!」


 それぞれが姉さんにエールを送ると、姉さんはほんのりと頬を紅潮させて微笑んだ。


「ありがとう。これで私は百人力だ」


 姉さんがいるのは死と隣り合わせの戦場だ。

 本当にいつ死んでしまうかわからないし、幾ら姉さんが強いからって絶対死なないという保証はない。

 だから、会える時に会って思う存分思い出を作らないと。


「さて、そろそろいい時間だし、ご飯にしようか。今日は私が奢るよ」

「ひゃっほーい! 肉だ、肉!」

「いいわねお肉! ついでにパスタも食べたいかも!」

「……お肉……じゅるっ」


 姉さんの言葉を聞くや否や、ケートは飛び跳ね、クウカはうっとりとした表情で天井を見上げ、ミアは口から流れる涎を拭った。

 ほれぼれするほどの変わりように、姉さんは呆れ気味だ。


「やれやれ君たちは現金だな。アベルは――」

「高級肉に高級パスタ……久しぶりだな、芋とパン以外のご飯は……」


 想像するだけで泣けてきそう。


「……たんとお食べ」


 そんな僕達を見た姉さんは、何故か途轍もない慈悲に満ちた表情をしていた。


;;;;;;;;;;;;;;;


 ご飯をごちそうになった後、仕事に戻った姉さんを見送った僕達は宿で布団に入った。

 上手い飯ってやつを食べたのはいつぶりだろう。


 Fランクの僕達は冒険者としての収入がほぼ無い。こなせる依頼は薬草摘みだの物探しだので、簡単だがその分報酬も微々たるものだ。


 勿論、それだけで生計を立てることが出来るわけも無く、僕達は全員アルバイトをして補っている。

 寧ろアルバイトをしている時間の方が長い。


 もう少し冒険者としての収益があれば、この宿だって四人で一室にする必要だって無くなるんだけどな。

 本当に、クウカとミアには申し訳ない。


「三連勤か……」


 全く、これが冒険者をしている人間の発言とは思えないな。

 この日はそのまま、翌日から控えている三連勤に備えて眠りについた。


::::::::::


離れたくない。

 ここでこの手を放してしまったら、もう二度と会えないような気がする。


『ごめんな……アベル』


 それでも、父さんは僕の手をそう言って引き剥がした。

 涙で前が見えなくなっても、がむしゃらに追いかけようと手を伸ばす。


 けれど、その手は空を掴んで届かない。

 シルティア姉さんが泣きながら僕を抱きとめるのだ。


『父さんっ……行かないでよ!』


 僕の必死な叫びに一度だけ振り向いた父さんは、死ぬかもしれない状況だっていうのに、いつものようにへらへらと笑っていた。


 腹が立った。

 どうしてそんな風に笑えるのか、どうしてそんな決意に満ちた瞳をしているのか、訳が分からなかった。


『ルイ子! 子供達の事、頼んだぜ』

『――先生っ、私は……』


 父さんが姉さんに呼び掛けると、姉さんは声を詰まらせる。

 言いたいことを言えないような、そんな風に見えた。


 しかし、父さんは返事を聞かないまま死地へと向かう。

 視界の先、父さんの目の前に黒い何かが現れて、鎌のようなものを振りかざしている。


 だというのに、父さんは剣も抜かずにただ立ち尽くしているのだ。


『嫌だ……嫌だ嫌だ嫌だ! 戦ってよ、父さん――』


::::::::::::::

 

 魘されていたのか、目が覚めるなり急な疲労感に襲われた。

 呼吸も乱れて、息苦しさも感じる。


「だだ、大丈夫アベル君!」


 僕の普通じゃない様子に、いつも一番に起きているミアが背中を撫でながら心配してくれる。


「……っうん。だ、大丈夫」

「そ、そう? 本当に?」


 どうにか落ち着きを取り戻そうと、深呼吸をしてからミアと目を合わせた。


「――ふぅ、本当だって。そんなに……魘されてた?」

「うん、とっても苦しそうだったよ。でも私、どうしたしたいいかわからなくて……ごめんね」

「ミアが謝ることないよ。それより心配してくれてありがとうな。ちょっと怖い夢を見ただけだからさ。大丈夫大丈夫」


 申し訳なさそうに謝るミアに対して強がって見せた。

 本当は内心、誰かに縋りつきたい気持ちがあったが、ミアの手前それを実行に移すわけにも行かない。


 あれは三年前、父さんが死んだときの光景だ。

 久しぶりにシルティア姉さんと会ったから、その影響であんな夢を見てしまったのだろうか。


「そっか、ならよかった」


 きっと心の底から心配してくれていたのだろう。

 無事とわかるなり、ミアは安堵から大きな溜息をついている。


 それから不意に僕の手を握ると、その手に自分の額を当てて口を開いた。


「あのさ……」

「うん?」

「アベル君は……みんなは、私の前からいなくなったりしないよね?」


 震えた声で、泣きそうになるのを我慢しているのが伝わってくる。


 父さんの死で最も精神的に病んでしまったのはミアだった。

 当時は塞ぎ込んでしまったミアをどうにかしようと、僕とケートとクウカの三人で元気づけようとしていたのを今でも覚えている。


 今でこそ僕達といるときは笑顔を振る舞うようになったけど、やっぱりシルティア姉さんとの再会はあのトラウマを思い出すには十分だったようだ。

 もし次僕らの誰かが欠けようものなら、今度こそミアが立ち直ることは無いだろう。


 だから、ミアの前から消えるなんてあるわけがない。

 いや、だからも何も、元々いなくつもりなんてないのだから。


「ああ、いなくなるわけないだろ? 僕もケートもクウカも、ずっとミアと一緒だ」


 心の底からの思いを笑顔に乗せて伝えると、ミアは涙を拭って笑った。


「うん! そうだよねっ」

「当たり前だろ」


 ミアの頭を撫でてやりながら横目でケートとクウカを見ると、背中を向けてはいるものの起きていることに気づく。

 初めから起きていたのか途中から起きていたのか分からないが、二人も思うことがあるのだろう。


「あ、そうだ。私、食堂で皆の分のパン貰ってきちゃうね」

「悪いな、頼む」


 そう言ってミアは、無料で配給されているパンを受け取りに部屋を出て行った。

 さて、そろそろ寝たふりしている二人にも起きてもらおうか。


「起きてるんだろ。二人とも」

「バレてたか」

「気づいてたなら言いなさいよ」


 少しの間、静かな時間が続いた。

 各々、父さんの事やシルティア姉さんの事、ミアの事等考えることが多い。

 その何もかもに答えは何一つ出ないけど、僕達がやれることは一つだけだ。


「……頑張ろう」

「だな」

「そうね、もうミアは泣かせないから」


 戦っている理由を再確認した僕達は、今日もバイトや依頼に明け暮れる。

 いつか、頑張ってよかったって思えるその日の為に。


::::::::::::::


「坊主、この荷物倉庫に運んでおいてくれや」

「はーい」


 僕がバイトしているのはこの街フェスタ唯一の武器屋。

 店主のグリーズさんは強面で大柄だが、僕達の事情を知ってよくしてくれる数少ない恩人の一人だ。


 こんな場所でバイトをしていると、当たり前だけどギルドの連中がやって来る。

 それをわかっていてもなお、メンタルを鍛えるためにここを選んだのだ。


「すみませーん、店員さんいませんかー?」


 荷物を置いて店内に戻ると、お客さんのコールがかかった。

 グリーズさんに声を掛けようと思ったが、どうやら別のお客さんとお取込み中らしい。


「すまん! 今手が離せそうにないから、坊主が行ってやってくれ!」

「わかりましたー」


 言われてお客さんの元へ向かったはいいが、そのお客さんの姿を視界に捉えた途端に足が止まってしまった。


 ただ、ここで声を掛けないと成長出来ないよな。


「あの、何かお困りでしょうか?」

「ああ、えっとこの剣にあった鞘を探しているんですけど――げ」


 僕の顔を確認するなり、何か不潔なものを見た時のような声を漏らした。

 そんな失礼すぎる態度をとるお客さんの正体はクロムだ。


 まあ、今はギルドでの関係なんてどうでもいい。この店にいる以上、クロムがお客さんで僕は店員なのだから。


「その剣にあった鞘ですね。一旦剣身の長さと厚さ、それと型を確認させていただいても?」

「ぼっ、僕の剣に触るなよFランク風情がっ!」


 クロムの剣に触れようとすると、抱きかかえるようにして僕から剣を遠ざけた。


「そんなこと言われましても、確認しないことにはその剣にあった鞘は探せませんよ?」

「結構だよ。君がいない時にまた来る」


 僕に背を向けるなり、そそくさと出口へ歩いて行ってしまう。

 折角の客さんを逃がすとグリーズさんに怒られるのだけど、まあまた来るって言っているしいいか。


 あ。


「待ってくださいやお客さん」

「だから結構だと言っているだろって――」

「いえいえ、折角今日という日に来たんだ。坊主の剣を見る目は俺が保証するんで、いっぺん任せてみて下せぇよ」


 グリーズさんがクロムの肩を掴んで、見下ろしながらそう言った。

 とても優しそうな笑顔だが、逆にそれが恐ろしくも感じる。


「そ……そうします」


 怖気づいてしまったみたいだな。無理もない。

 とぼとぼと歩いて戻ってきたクロムが僕に剣を差し出した。


「癪に障るけど、僕の剣に触れる許可を与えてやる。僕の為にさっさと確認して鞘を用意しろ」

「お客さん」

「……してください」


 悔しそうな表情で僕に頭を下げるクロム。

 これは少しだけ気分がいいな。


「任せてくれ」


 仕事は仕事だ。

 受付の壁側にある作業台に持って行って作業を始めよう。

 剣の位置を固定させてから剣身の長さと厚さを測り、型を資料と照らし合わせて確定させる。


 この剣は西側の貴族特有の作りになっていて、それなりに価値のある代物のようだ。

 確かクロムは貴族の生まれだったか。


 ただ、これなら確か二つピッタリな鞘があったような。

 お、あったあった。


「あったよクロム。二つあったけどどっちにする?」

「ちっ……早かったね」

「まあね。で、こっちは木製でかなり安いけど、こっちは飛竜の鱗でできているから結構高いよ」

「じゃあ、高い方で」


 グリーズさんに威圧されるのを面倒に思ったのか、随分と静かになったな。

 いつもこうだと助かるよ。


「はいよ」


 スムーズに会計まで終えることが出来たのは幸いだった。

 まあ、クロムも僕達の前以外じゃあまり威張っている姿は見ないけど。


 そのまま大人しく帰ってくれるのかと思いきや、帰り際クロムが振り返って言った。


「君たちはどうして……」


 どうして? 何の事だろう。


「ん? どうかした?」

「いいや、なんでもない。精々無駄な努力に勤しむがいいさ」

「は、はあ」


 何が言いたかったのかよくわからなかったが、いつものような喧しさは無かった。

 クロムらしくないな。


「坊主、客もいなくなったしそろそろいい時間だ。今日はもう上がっていいぞ」

「あ、はーい。お疲れさまでした」

「おーう、お疲れさん。そうだ、今日は少し冷えるみたいだからよ、奥にあるコート着てっていいからな」

「ありがとうございます。お言葉に甘えてお借りします」

「おうよ」


 これかな。うお、このコート大きいな。

 グリーズさんサイズだから僕が着ると足元ギリギリだ。

 着られないことは無いから着ていくけどさ。


 それより、今日はいつもより少し早い。

 ギルドで依頼を受ける予定も無いし、ミアとクウカのバイト先にでも行ってみようか。



 二人は確か酒場でウエイトレスをしているはずだ。

 無論、酒場も冒険者のたまり場のようなものだが、そこはぼくと同様訓練のようなものだ。

 と言っても、若い冒険者は滅多に来ないから、直接的に絡んでくるのは酔っぱらったおっさんくらいらしいけど。


 身支度を終えて外に出ると、日も落ちかけていて少し凍えた。

 確か二人が働いているのはここから近かったよな。


「あった」


 武器屋の前の道を少し行くと、賑やかな声で溢れ返る酒場を発見。

 こんなに近かったのか。


 いつも一緒に行くときは僕が一番に武器屋に着くから、酒場まで行くところを見届けたことが無かったんだ。


 そうだ、いいことを思いついてしまった。

 丁度今はグリーズさんのコートを着ているし、フード付きだから顔も隠せる。

 試しに、正体を隠して潜入してみよう。


 緊張して動悸が早まるのを感じながら、ゆっくりと酒場の扉を開いた。


「いらっしゃいませ! フェスタの酒場へようこそ! お一人様ですかぁ?」

「ぶふぅっ!」


 クウカが柄にもなくフリフリのドレス着て、しかも上目遣いで接客してくるものだから思わず吹き出してしまった。


 素のクウカを知っている僕からすると、この光景は希少というか珍妙というか……

 笑わずにはいられないのだ。


「……? どうかなさいましたかぁ?」

「い、いや……っ、なんでも、ありませんっ」


 声色を変えつつ笑いを我慢するのは中々難しい。

 まだばれてはいないみたいだし、クウカの珍しい姿を堪能しよう。


 一度咳払いをして切り替えた。


「あー、えっと。一人なのですが」

「はーいっ! では、カウンター席にご案内いたしますねぇ」


 そう言って僕を案内してくれるクウカ。

 いや、本当にこの人はクウカなのか? 普段の雰囲気との違いが顕著過ぎて怪しくなってきた。


「こちらですっ」

「ど、どうも」

「ご注文お決まりになりましたら、私かそちらのバーテンをお呼びくださいね」


 僕が席に着くと、クウカは一度頭を下げてから別の客さんの元へと向かって行った。

 注文と言ってもミルクを一杯頼むくらいのお金しかないんだよなぁ。


 僕達のお金は依頼報酬と個人のバイト代の八割が共有で、個人的に使えるのはバイト代の二割だけだ。

 共有分は宿代とポーション代に使われる。

 折角来たんだし一杯くらい頼んだ方がいいか。


「すみません」


 声を張らずにカウンターのバーテンダーさんに挙手して主張する。

 気づいたバーテンダーさんが僕の前に近づいてきた。


「はい、ご注文ですか?」


 女の人なのか、珍しい。


「えっと、じゃあミルクを一杯――」


 って、ミア!? あれ、ミアもウエイトレスしているんじゃなかったけ?

 完全に油断してた。


「ミルクですね。少々お待ちください」


 いやぁ、それにしてもクウカもそうだけど、ミアも黒スーツなんて着ていると雰囲気変わるな。

 普段、慌ただしいだけにしっかりして見える。


 にしても、イメージだとクウカとミアの役職逆だよなぁ。



「お待たせいたしました。ミルクでございます」

「あ、どうも」


 それにしても面白いものが見れたな。

 もう十分二人の新鮮な姿を堪能できたし、ネタバラシでもするか。


「あの――」

「バーテンさん、マティーニを一杯お願いします」

「あ、はい。畏まりました」


 ミアに声を掛けようとした時、突然僕の隣に座ってきた男の人が注文をしてきた。

 カウンター席は結構空いているっていうのに、どうしてわざわざ僕の隣に座ってきたのだろうか。

 別にいいけどさ。


 というか、ミアの手捌きは見事なものだな。あまり詳しくない僕でも、何となく凄い気がする。こんな特技があったんだな。


「お待たせいたしました。マティーニでございます」

「可憐なシェイクだったよ。いただくね」

「い、いえいえそんな! でも、ありがとうございます」


 褒められて照れるミア。

 しかし気まずいなこの状況。僕が気にする必要は本来無いのだが、ガラガラのカウンターで二人隣り合っているこの状況ですよ。


 何か話した方がいいような気もしてくる。


「君は、仲間を大事にしているか?」

「……?」


 そんなことを頭の中で考えていると、不意に隣の男が話掛けてきた。

 突然の振りに今一反応が出来ない。


「君は、仲間を大事にしているか?」

「して、ますけど……」


 なんだ?

 この人は僕に何を言いたいのだろう。


「…………そうか、ならば忠告しておく。それは、大事に思い過ぎていると、別れの瞬間がひどく辛いということだ」

「は、はあ」


 大事な人との別れが辛いことくらい、身に染みて分かっているつもりだ。

 見ず知らずの僕に言いたかったことが、こんなことなのか?


「だから、もし辛い思いをしたくないのなら、仲間との距離を開けた方がいい。その時は、あまり遠くない未来かもしれないのだから」

「そ、そうですか。貴方が何故僕にそんなことを言うのかは分からないけど、もし仮にみんなとの別れが近かったとしても、僕は距離を開けたりしませんよ。そうしたらきっと、後悔するだけだと思うから」


 この男の正体とか意図とか、分からなことが多すぎる。

 だけど、思ったことだけは素直に言っておいた。


 冒険者なんてしているんだ。いつ死ぬかもわからないことくらい、覚悟はしている。

 すると、男はマティーニを飲み干して勘定を置いてから席を立った。


「なるほど……ならばきっと、次会うときは地の底なのだろうね」

「な、なんなんですか貴方は――」

「お嬢さん、ご馳走様。美味しかったよ」


 男は僕の言葉を無視してミアに声を掛けた。


「あ、お粗末様でした!」


 そのままミアの返事を背に受けて、外へと立ち去ってしまう。

 本当に、あの人は何者なんだ……


「あれ、アベル君?」

「えっ、あ……あはは。バレたか」


 あの男の正体が気になりすぎて、自分の正体を隠し忘れていた。

 フードも脱げてしまって、顔が丸見えた。


「どど、どうしてここにいるの?」

「は、はは。バイトが少し早めに終わったから様子を見に来たんだよ」


 ミアは恥ずかしそうにあたふたしている。

 まあ、さっきの男の事は一旦忘れよう。気にしたところで正体がわかるわけじゃないし。


「そ、そうなんだ……ちょっと、恥ずかしいな」

「恥ずかしがることないよ。さっきのシェイクってやつ? 見てたけど凄いかっこよかった。あんな特技があったなんてな」


 あれは本当に見事だった。


「うぅ……見てたんだ」


 僕が素直に褒めると、ミアは顔を真っ赤に染めてその顔を両手で覆った。

 そこまで恥ずかしがらなくても、一人前のバーテンとして胸を張れる技術を持っていると思うんだけどなぁ。


「あの、お客様。うちのミアにちょっかい出さないでくれます?」

「ん?」


 不意に肩を掴まれて振り返ると、底には珍妙な姿をしたクウカが眉を逆ハの字にして立っていた。

 まさしく鬼の形相。相当お怒りのご様子。

 かと思いきや、僕の顔を見るなり目を見開いた。


「――ってあれ!? あんた、もしかしなくてもアベルよね!?」

「お、お疲れ様、クウカ。その……似合ってるよ……ぷっ、その恰好っ」

「笑ったな……?」

「いやいや、素直に可愛いと思って」


 おやおや、眉が八の字になった。

 これは許してくれたのかな――


「ぐふぅっ――!?」


 みぞおちにクウカの拳がクリーンヒットして息が――


「や、止めなよクウカちゃん! オーナーさんに怒られちゃう」

「止めないでミア。ここでやらなきゃアベルは反省しないから」

「か、勘弁してください……」


 流石に面白がり過ぎたみたいだ。

 クウカの物理攻撃はスライムの体当たりより余裕で威力高いからな。


 黒魔術師から転職してモンクにでもなった方が強いのではなかろうか。

 なんてこと言うのは、火に油を注ぐようなものだが。


「クウカ君、何をしているんだい?」

「ほらクウカちゃん、オーナーさん来ちゃったよ!」

「っもう! 後で覚えときなさい」

「は……はい」


 オーナーと呼ばれたちょび髭を生やした紳士がやって来たことで、その場は一旦終結した。


 酒場の前、寒空の下を一人で待っていると、仕事を終えたクウカとミアが出てきた。

 服装もいつも通りに戻っていて一安心だ。


「全く、アベルのせいで怒られちゃったじゃない」

「ごめんって。珍しかったからさ」


 一息ついて先ほどまでの熱は冷めたのか、そこまで暴力的ではないクウカさん。

 けど僕だから含み笑いで済んだものの、ケートが見た日には大爆笑間違いなしだろうな。


「悪かったわね、どうせ私には似合わないわよ」

「うん、そうだね。あれはミアの方が似合いそうだ」

「そ、そんなことないよ。クウカちゃんも凄く可愛いと思うよ?」


 何の躊躇いも無くクウカに賛同すると、何故かミアが慌ててクウカの事を誉めだした。

 まあ、可愛くないと言えば嘘になるけど、似合っているかと言われれば答えはノーだろう。


「否定はしないけどさ。クウカはもっとこう、すらっとしたクールな格好が似あいそうだよね」


 直感的な感想を述べると、クウカは険しい表情をした後に顔を背けた。


「もう長い付き合いだからいちいち怒らないけど、アベルは素直すぎるのよ。それで私が傷ついてるってわかってないでしょ」


 また罵倒されるのかと身構えていたが、予想とは裏腹に落ち込んでいるようだった。

 

 ……うん。完全に僕が悪いです。ごめんなさい。

 クウカの反応が良いものだからって調子に乗りすぎた。


「ごめんクウカ……気をつけるよ」

「別にいいわよ、もう慣れてるし」


 結構、本気で落ち込んでるなぁ。

 何かクウカのテンションを上げる方法は無いだろうか。


「そうだ、お詫びと言っちゃなんだけどさ、今度一緒に服買いに行かない? すらっとしたクールなの僕が買ってあげるからさ」


 心許ない僕の個人マネーだけど、奮発すれば一着くらい買える……はずだ。

 提案を聞いたクウカは頬を赤らめつつも、僕を鋭い眼光で睨み付けた。


「確かに、胸の無い私にはすらっとしたクールな服が似合うか、も、ね! やっぱわかってないわこの男」

「べべ、別にそんなつもりで言ったわけじゃ」


 確かにクウカとミアを比べてしまうと雲泥の差があるけども。

 だからってわけでは無く、クウカの雰囲気とか全体のプロポーションを踏まえてそう思ったんだけど。


「あーやだやだ、行こうミア。胸しか興味の無い変態リーダーさんなんかほっといてさ」

「う、うん」

「変態リーダー!?」


 僕の弁解も虚しく、クウカがミアの手を取っていってしまう。

 目的地は同じだし置いて行くのは構わないけど、変態リーダーだけは止めてくれ。


 悲壮感に襲われながらとぼとぼと二人の後を追っていると、突然クウカが振り返った。


「アベル!」

「……なにさ」


 呼びかけに憂鬱なまま返事をすると、クウカは満面の笑みで言った。


「買い物、約束だから忘れないでよね!」


 はは……

 仰る通り僕は素直すぎるところがあるかもしれないけど、クウカは逆に素直じゃないよな。


 でも、そんなクウカに僕はどこか惹かれている。


「ああ! 約束だ」


 クウカやミアの意外な一面を見たり、クウカと約束をしたりした一日。

 僕達は確かに冒険者としては底辺だけど、この生活の全てが苦だとは思っていない。

 きっと今頃ケートは大工のアルバイトを終えて宿で爆睡中だろう。


 こんな日々でも、意外と楽しいって思えるんだ。


::::::::::::::


「お疲れさまでした!」

「お疲れさん。きばっていけよ!」

「はい!」


 グリーズさんにお昼をごちそうになった僕は、午後からの仕事に向けてギルドへと走る。

 食後の運動で脇腹が痛くなるが、このままだと集合時間に遅れてしまうから我慢だ。

 ゆったりしすぎた。


 勿論、午後からの仕事というのは冒険者としての仕事である。

 集合場所はギルド内では無く、その裏路地だ。


「ごめん、お待たせ」

「おせーぞアベル。リーダーなんだからしっかりしてくれよな」

「こりゃあ、今晩の食事代はアベル持ちね」


 僕の懐が寂しさを増していく。

 地味にコツコツと貯金していたけど、切り崩す羽目になりそうだ。


「わ、わかったよ」

「んじゃ、さっさと行こうぜ」


 路地裏に集まっていたのは、他のパーティーとの余計な接触を防ぐためである。

 少しでも面倒事は避けたい。


 四人揃ったことでいよいよギルドへ突入だ。

 扉を開くといつものように嘲笑やら陰口が聞こえてくるが、いつもほどではない。


 この時間は殆どのパーティーが仕事に出ているため人が少ないのだ。

 ギルドの掲示板を四人揃って見上げる。


「今日はどれにするよ――って言っても、Fランクの俺達が受けられる依頼なんて微々たるものだけどな」


 この時間になると報酬の良い依頼や人気な依頼は無くなっている。残っているのは誰も受けないようなランク制限なしの依頼くらいなものだ。

 だからこそ、僕達はこの時間に来ても何の問題も無い。


「花摘みに指輪の探し物、それにこの前のスライム十体の討伐……ね」

「アベル君、どれにする?」

「うーん、そうだな」


 手堅くこなすならスライム十体は却下。残る花摘みと指輪の探し物は指輪の方が少し報酬は良いけど、そこまで大差は無い。


 内容的には正直どっちでもいいような。

 大まかな内容では決められない為、紙を手に取って詳細を確認する。


「どれどれ……」


 ・依頼内容・指輪探し

 ・詳細・結婚指輪を作ったは良いが、受け取って持ち帰る途中で落としたみたいだ。フェスタ内にはあるはずなので探してほしい。

 ・報酬・銀貨十枚。


 ・依頼内容・花摘み

 ・詳細・お姉ちゃんのお誕生日にラナンキュラスの花束をプレゼントしたいの。でも、この辺りだと阿吽の魔窟の近くにしか生えていないから危ないって。だから冒険者さん、私達の代わりにラナンキュラスを摘んできてください! 

 ・報酬・銀貨八枚。


 花摘みは阿吽の魔窟の近くか……


「これにしよう」

「どれだ? なんだ、花摘みかよ」

「私はそれがいいと思うな! きっと、依頼してくれた子も喜んでくれると思う」

「花摘みかー、自分の分も摘んできちゃおっかなー」


 各々花摘みと聞いて反応を示すが、どうやら反対意見は無いようだ。

 結婚指輪を無くした方には大変申し訳ないけど、今回はごめんなさい。


 少しだけ阿吽の魔窟の様子を見に行きたいというのが本音である。

 早速クリスさんに受理してもらおう。


「クリスさん、こんにちは」


 僕の挨拶を始めに、皆も笑顔で挨拶をした。

 多分、ギルド内で相手に対して笑顔でいられるのはクリスさんの前だけだろう。


「あら、フェルダムの皆さん、こんにちは。今日はこれから?」

「うん、今日はこの依頼にしようと思うんだけど」


 差し出した依頼書を受け取ったクリスさんは、片眼鏡を付けて目を通し始めた。


 クリスさんのそれは近眼なのか老眼なのか分からない。容姿は相当若く見えるけど、十年前に父さんに連れられてギルドに来た時から変わらない気がする。


「お花摘みね。確かにこの依頼にランクの制限は無いけど、阿吽の魔窟って今結構物騒なのよねぇ」


 やっぱりそこが引っかかるか。

 間違いなく、阿吽の魔窟を根城にしているという大罪人関係の話だろう。


「危ないと思ったら無理せず引き返すよ。今回の目的は魔物の討伐でもないんだしさ」

「そうねぇ。阿吽の魔窟の周辺は長年の調査の甲斐もあって魔物は少ないし、その点は中にさえ入らなければ大丈夫だと思うのだけど……」

「クリスさんが気になるのは魔窟に潜んでいるっていう大罪人のことでしょ?」


 僕が大罪人を口に出して言うと、クリスさんは目を見開いて驚きを露にした。

 ただ、その正体は知らないから、それ以上僕の口からは言えない。


「そ、その通りよ……でもどうしてそれを知っているの? 大罪人関係の情報はギルドでもランクA以上の冒険者にしか伝えていないのだけど」


 そう言うことだったのか。

 もしかしたら掲示板に大罪人関係の依頼が張ってあるかもと注意してみたが、無かったんだ。


「お姉に聞いたのよ。規則だからってその正体までは教えてくれなかったけどね」


 クリスさんの疑問に対してクウカが正直に答えた。


「そう、シルティアが……」


 シルティア姉さんとクリスさんも長い付き合いだ。

 姉さんは騎士団に入る前の三年間、父さんの元で剣術を学びながら冒険者としてここにいたのである。


「因みに、クリスさんは大罪人の正体って知ってんの?」


 僕の横に立っていたケートが質問を飛ばした。

 知っているのなら、コキュートスなのかどうかだけでも教えて欲しいのだが……


「いいえ、知らないわ。その情報は上層部しか知らないみたいよ」

「そっか」


 上層部ってことは、ギルドで言うところのギルドマスタークラスの人間か。

 そりゃ、そんな機密情報を僕達に教えるわけにはいかなかったわけだ。


 まあ、そんな大罪人が潜んでいるかもしれない場所に行かせたくはない、か。


「まあいいわ、受理してあげる」

「ほ、本当にいいの!?」


 てっきり僕達の身を心配して受理してくれないものとばかり思っていたけど。

 

 一度溜息をついたクリスさんは苦笑いをしていった。


「でも、絶対に無茶はしないこと。あくまでも君たちの仕事はお花摘みだからね。本当に気を付けて、わざわざ巻き込まれるようなこともしちゃ駄目よ」


 そうか。この判断はクリスさんの優しさなんだ。

 元々受けることの出来る依頼が少なすぎるから、せめてやろうとしていることくらいやらせてくれようとしているのだろう。


 本当に、クリスさんは優しいな。

 シルティア姉さんが姉であり師匠であるのなら、クリスさんは母さんみたいな人だ。

 母さんの思いを無下には出来ない。


「約束するよ。絶対に無茶はしないし、巻き込まれるようなこともしない。花を摘み終わったら真っ直ぐ帰って来るから」


 ほんの少し、ほんのちょっとだけ阿吽の魔窟の様子が伺えればそれでいい。

 入るつもりも無いし、コキュートスを執拗に追っているわけでもない。


 ただ、様子を見たいだけだ。


「わかった。約束よ」


 クリスさんはいつも通りの優しい笑顔で僕らを見送ってくれる。

 その笑顔をきっと、僕は二度と忘れることは無いだろう。


:::::::::::::


道中の魔物に備えてポーションと武器の準備をしてから、その足で阿吽の魔窟へと出発した。

 阿吽の魔窟までは歩いていけないことは無いが、馬車で向かうのが一般的と言った距離。


 歩いて三十分は掛かるけど、それくらいなら節約もかねてというわけだ。

 いつもの事だから誰も文句は言わない。


「見えてきたよ」


 視界の先に阿吽の魔窟が見えてきた。

 洞窟と言われると埃っぽくて土臭いイメージがあったが、実際の入り口は人工的な造りになっている。

 元々はただの洞窟だったらしいが、数年前にギルドが入口を神殿風に工事したらしい。


 森の中にいきなり現れるその神殿は神秘的とも言えるだろう。


「洞窟っていうからもっとひっそりとあるもんだと思ってたけど、思ってたよりもでかいし派手なのな」


 ケートが率直な感想を述べた。

 確かに高さで言ったら僕の身長の三倍以上はあるし、物々しい雰囲気がある。


「馬車が沢山あるけど、何かな?」


 ミアの言う通り、洞窟の前に数台の馬車が置いてあるようだ。

 その馬車はどれも白銀で、馬も全て白馬だ。それにあの荷台に刻まれた翼の紋様。


「多分、白銀の馬車だよ」

「そうみたいね。あの見張りっぽい人も姉さんと同じ鎧着てるし」


 入口の前には二人の見張りが槍を持って立っている。

 これじゃあ、無理に入ろうとしたところで返り討ちにあっただけ見たいだな。


 様子を見ることも出来なさそうだし、諦めて本来の仕事に取り掛かるとしよう。


「まあ、私達には関係ないことでしょ。さ、さっさと花摘みしちゃいましょ」

「そうだね!」


 クウカの提案にミアが元気よく返事をした。

 花が好きって印象は無かったけど、ミアが珍しく元気だ。


「よし、じゃあとりあえず各自ここら周辺を探索しようか。クリスさんによるとラナンキュラスは湿った場所に生えてるらしいから、湿地を中心に。何かあったら声を上げて知らせること」

「ラジャー」

「ミアは私と一緒ね」

「うん! 早く行こ? クウカちゃん」

「全く、仕方ないわね」


 探索の開始を宣言すると、ミアが一番にクウカの手を取っていってしまった。


「んじゃ、俺も行ってくるわ」

「うん、僕も」


 それぞれ三方向へ探索に向かう。

 魔窟のある岩壁は左右にカーブするように続いている。

 ミアとクウカのペアが左に行ってケートは右に行ったから……僕はどこに?


 こうなるなら二人一組にすればよかったかな。

 今からでもケートを追いかけ――いや、後で注意されるのもなんだし、見張りの人に目的を伝えておくのもありだな。


「よし」


 正面を真っ直ぐに進んで神殿の入り口に向かうと、見張りの人が僕に気づいて近づいてきた。

 槍を構えて警戒している様子だ。


「なんだ貴様は。何故こんなところにいる?」


 険しい眼光に怖気づきそうになるが、何も悪いことにしに来たわけじゃない。

 自信を持て。


「えっと、僕達はフェスタの冒険者でして、この依頼のラナンキュラスを摘みに来ました。一応、報告をしておこうと思いまして」


 そう言ってクリスさんに受理してもらって依頼書を差し出す。

 その依頼書に目を通した見張りの人は僕に返してから言った。


「なるほど、達ってことは貴様以外にも仲間がいるのか?」

「はい。今はその花を探してここら周辺を探索しています」

「そうか。別に花探しくらいかってにしてもらって構わないが、入口には絶対に近づくなよ。いいか、絶対にだ」


 よかった……すぐに帰るよう命令されたらどうしようかと思った。


「わ、分かりました。絶対に近づきません」

「……よし。もう行っていいぞ」

「あ、ありがとうございます」


 頭を下げてその場を立ち去った。


 いやー、冷や冷やした。

 流石、白銀の人は雰囲気というか、オーラが違う。

 目の前に立っているだけで威圧されてしまった。


 まあ、何はともあれ許可は得ることが出来たわけだ。これで心置きなく探索が出来る。

 そう意気込んだはいいが、探索を始める前にミアがこちらに手を振って戻ってきた。

 一応手を振り返したが、何かあったのか?


「アベル君! すぐそこにあったよ、ラナンキュラス!」

「もう見つけたんだ!?」

「え、うん。なんか駄目だった?」


 全く駄目なことはないのだが、少しだけ探索したかったなって。


「いやいや全然! よくやった! じゃあ、ケート呼んですぐに向かうよ!」

「うん! 待ってるね!」


 兎に角見つかったのなら万々歳だ。

 早くケートと合流して二人の元に向かおう。


:::::::::::::


ミア達の元へ向かうと、宿の一室くらいの場所一面にラナンキュラスが咲き乱れていた。

 木々の隙間から日が差して、何とも幻想的な空間になっている。


「綺麗な……場所だな」

「あ、ああ」


 ケートの言葉に、それしか言葉が出てこなかった。

 それくらい、僕はこの光景に見惚れてしまっていたのだ。


「なにボーっと突っ立てるのよ二人とも! 早く手伝いなさい」

「あ、根っこから抜いちゃ駄目だよ。持ってきた鋏で花の咲いた一本を切り取るの」

「りょ、了解」


 二人に急かされて、腰に巻いた鞄から鋏を取り出して作業に取り掛かる。

 どこを踏めばいいのか分からず、妙な体制になってしまっているのを三人に笑われた。


 ラナンキュラスは花が大きいからそこまで数は要らないらしい。


「これくらいでいいと思う」


 一人三本から五本を摘み終えたところで、ミアがそう言った。


「なあ、こんなに立派な花なんだからよ、沢山摘んでいけばそこそこの値段で売れるんじゃねーの?」

「駄目だよケート君。そんなことしたら可哀そうだよ」

「そ、そっかそっか。だよな!」


 ミアの純粋で可愛らしい発言にケートも苦笑いしている。

 まあ、ミアは昔から何に対しても優しいからな。僕達も慣れっこだ。


「だからクウカちゃんもそれ以上摘まないでね」

「う……わかりました」


 こっそりと自分用の花を摘んでいたクウカが指摘されて肩を落とした。

 僕としてもこの場所はこのまま残しておきたい。


「それじゃあ、花も摘み終えたことだし、そろそろ帰ろうか」

「そうだね。依頼してくれた子達、喜んでくれるといいなぁ」


 ミアが嬉しそうに依頼者が喜んでくれることを祈っている。

 そう言えば、この依頼は確か姉へのプレゼントだったか。


「喜んでくれるに決まってるでしょ」

「だな。届けるときはミアが渡してやりな」

「うん!」


 こうしてミアが幸せそうに笑っているのは、僕達にとって大きな進歩だ。

 二年前のあの日から一年近く笑わなかったミアが、またこうして僕達と一緒に思い出を共有しているのだから。


 この花を早く届けてあげるためにも、今日は急いで帰ろう。

 そう、思っていた時だった。


「……揺れてる?」


 クウカが呟いた言葉を聞いて立ち止まってみると、確かに地面が揺れていた。

 その揺れは次第に大きくなって、立っていられないほど勢いを増していく。


「きゃっ」

「ミア! 私につかまってて!」

「なんだってんだこの地震は」

「地震? いやでもこれは――」


 確かに僕達の立っている地面は揺れているが、周りの木々が微動だにしていない。

 なんだこの違和感は……


 周りは揺れていないのに、僕達がいるこの場所だけが揺れている?


「――なっ」


 不意に、僕達のいる地面が崩れ始めた。

 いや、崩れるというよりは中央から次第に消えていっているような。


「みんな! 一旦この花畑から出るんだっ」

「何言ってんの! この状況で立てるわけないじゃない!」

「じゃあ、どうすればいいんだよこの状況!」


 立てないのは僕も同じだ。

 このままだと確実に落ちる。どれくらいの深さだ? 落ちたら無事でいられるのか?

 落ちたら死ぬ? ここで終わり?


「落ち着けリーダー」


 僕が頭を抱え込んでいると、近くにいたケートが肩を叩いてきた。


「ケ、ケート」


 駄目だ。取り乱していた。

 やっぱりこういう時、ケートは冷静で助かる。


 だが、この状況が打開できたわけでは無い。


「ごめん……でもどうすればいいか」

「だな。俺もわかんねぇ。けどよ、このまま何もしないで落ちてやることはねぇよ」

「ど、どうするんだ?」


 何もしないで落ちてやることはないって、この状況で何が出来る?

 助けを呼ぶ? いや、入口まで遠くはないが、叫んで声が届くほどの距離でもない。


「助けるんだ俺達があいつらを」

「は? どうやって」

「落ちることはもう変えられない未来だろ。だったら、俺とアベルで落ちる時に二人を守ってやるんだよ」


 そうか……僕達が下敷きになれば、もしかしたら二人は助かるかもしれない。

 だけど、そうしたら僕は――


「いや、馬鹿だ僕は。分かった僕達で二人を助けよう」


 僕らが死んで二人が助かるなら、この博打は大成功だ。

 全員生きていたら奇跡。それでいい。


「おし。もうあいつらが落ちちまう。行くぜ!」

「ああ!」


 クウカとミアが落ちていくのを追って二人で飛び降りる。

 気絶している二人を必死に抱き寄せて、僕とケートが下になるようにした。


 これで二人が絶対に助かるという保証は無い。いいや、絶対に助けて見せる。

 落下していく中横目でケートを見ると、いつものように笑っていた。


 きっとクウカとミアも、僕もケートも助かる。

 きっと、きっと――――


深い海の底で雁字搦めになって動けない。

 足掻いて足掻いて足掻いて、がむしゃらに空に手を伸ばしても届かないのだ。


 そのまま、暗闇の中に閉じ込められてしまうような感覚にとらわれる。


「――! ――君!」


 けれど、その暗闇に少しづつ光が差し始めた。

 繰り返し誰かを呼ぶ声が、僕の暗闇を破壊していく。


 その光に手を伸ばすと、僕を縛り付ける鎖が砕けて、深い海の底から浮上して――


「――っ」


 ゆっくりと重い瞼を開くと、僕の頬に大粒の雫が落ちてくるのを感じる。

 全身が痛みで悲鳴を上げているが、それでも必死に手を伸ばしてその雫を流す少女の頬に触れることができた。


「……ミア?」

「あ……アベル君! クウカちゃん! アベル君が目を覚ましたよ!」

「本当!?」


 視界が明確になると、目の前にいる少女がミアだとわかった。どうやらミアの膝を枕にしているようだ。

 ミアは顔を真っ赤に腫らして涙を流している。


 そうか……僕は助かったのか。


「泣く……なよミア。僕達は誰も、いなくならないって……言ったろ?」

「うんっ……本当によかったっ…………アベル君が目を覚ましてくれて」


 ミアも無事でよかった。クウカも無事みたいだな。

 起き上がろうとすると、全身の痛みと手元が崩れるのが相まって立てなかった。

 結局、再びミアの膝の上に頭が落ちてしまう。


「無理しちゃ駄目だよ」

「ああ……ごめん」

「ちょっとアベル! あんた馬鹿じゃない!?」


 駆け足で向かってきたクウカを見ると、僕と目が合うなり大声で怒鳴った。

 だが、彼女の瞳からもまた、大粒の涙が流れている。


「ごめん……心配かけたね」

「べ、別に心配なんかしてないわよ。でも、あんたがいなくなったらなんかもう色々と駄目なのよ!」

「は……はは」


 強がっているクウカだが、本当に心配してくれていたんだな。

 二人には目立った怪我もないみたいだし、これはまさしく奇跡だ。


「そうだ、ケートは……ケートは無事なんだよな⁉」


 違う。まだ奇跡とは言えないだろ。ケートも無事でなければ寧ろ最悪だ。

 ミアにしがみついてケートの安否を聞き迫ると、一度頷いてから複雑な表情をした。


「うん、生きてる。でも……」

「こっちよ」


 言いづらそうに口ごもるミアを見兼ねたクウカがそう先導する。

 ミアの肩を借りて如何にか立ち上がりクウカの後を追った。


「よ、よおアベル。どうやら奇跡ってやつが……起こったみたいだな」

「ケート! お前、それ……」


 立ち止まったクウカの目の前に、壁に寄り掛かったケートの姿があった。

 しかし、その姿は笑顔で受け入れられるほど幸いなものでは無い。


 ケートの太腿に、太く鋭い牙のようなものが貫通していたのだ。


「ああ、これか。これな……目ぇ覚ましたら突き刺さってやがった。動くと滅茶苦茶痛いけど、動かなきゃそうでも……ないんだぜ?」

「嘘つけよ! 早く抜かないと!」

「待ってアベル、落ち着いて」


 僕が焦燥感に駆られてケートに近づこうとすると、クウカが手を掴んで止めてきた。


「落ち着く? これが落ち着いていられるか!? このままだとケートが手遅れになるかもしれないんだぞ――」


 パチン。


 取り乱す僕の頬を、クウカが思い切りビンタした。


「だから落ち着けって言ってるでしょ! 今それを抜いたらどれだけの血が流れるかを考えなさいよ。今は牙で塞がってそこまで血が出てないけど、抜いたら間違いなくケートは出血死する」


 それを聞いて、茫然としてしまう。

 そこまで考えが及ばなかった自分の愚かさと、ケートが死地に立たされているという現実が重なって上手く言葉にならないのだ。


「……ごめん」


 ただ絞り出すように、謝罪することしかできなかった。

 重苦しい空気が僕達を包み込もうとすると、それを嫌がったケートが笑って言う。


「まあ、そんな暗い顔すんなって! 今俺は生きてる。それでいいじゃねーか。てことで、こういう時はあれだ、じょうちょうふんせき? ん、なんだっけ」

「状況分析?」

「そう、それだミア。いつも通りその状況分析ってやつをしよーぜリーダー」


 僕達を励ましながら、いつも通りを装うケート。


 状況分析は魔物との戦闘時などに僕が自然としているものだ。

 まあ、それをしたからと言って魔物を倒せるわけでは無いけど。


 しかし、ケートの言う通り状況分析は重要だ。取り乱して皆に気を使わせた手前、リーダーぶるのは気が引けるが。


「わかった。状況を分析しよう」

「おう、頼むぜ」

「クウカとミアも、手伝ってくれる……かな」


 正直、このパーティーの中で最も情けないのは僕自身だ。

 だから、二人に断られても文句は言えない。


「当たり前よ」

「うん! 頑張る」

「……ありがとう」


 泣きそうになった。

 こんなにも頼りないリーダーについてきてくれる仲間には感謝してもしきれない。


 互いに助け合い、時に笑い合ったり泣いたり怒ったりもした。

 そんな関係はこれまでも、これからも続いていく。


 だからこそ、ここから四人全員無事に脱出してみせる。


 立ち止まって集中し、頭の中で分かっていることだけを整理していく。


 まず、僕達はラナンキュラスを摘むために阿吽の魔窟までやって来た。実際に花畑がすぐ近くにあり、各自花摘みを開始。そこで突然、地震と共に穴が出現して僕達は落下した。


 つまり、ここは阿吽の魔窟の地下層である可能性が高い。

 落下距離も相当長かったから相当深い層だろう。


 そして落下した結果、ミアとクウカは擦り傷程度でほぼ無傷。僕は打撲程度で全身が痛むが動けない程ではない。そして、ケートは右足の太腿に牙のようなものが突き刺さってしまって動けない。


 ポーションなどが入った荷物は地上に置いてきてしまって、各自携帯していたアイテムしか持っていないということになる。


 一応、僕が携帯していたポーションが一つだけあるが、体力と痛みを回復するだけで物理的外傷は直せない。


 これらを踏まえたうえで、次に調べるべきは――


「この場所の空間把握だね。そこから脱出方法を考えるしかない。あと、僕達が無事だった理由も気になる」


 この場所が阿吽の魔窟の地下層だとして、どのような構造なのかを調べなくては脱出方法も定まらない。


 それと、そもそもあの距離を落下して無事でいられた原因は何なのか。

 普通、無事でいられる可能性の方が低いはずだ。


「無事だった理由は簡単よ。私達が落ちたあそこ、あの山になっているのは多分魔物の残骸」


 クウカの指摘を受けて見に行くと、確かにそこには腐敗した魔物の残骸が山積みになっていた。

 恐らくこの残骸の山がクッションになったのだろう。ただ、そのせいで残骸の牙がケートの太腿に突き刺さったというわけか。


「なるほどな。運がいいのか悪いのか……」


 一つ気になるとすれば、この残骸の山が一か所に集められているのは何故か。

 そもそもこれだけの魔物、一体誰が?


「で、この場所の事だけど、ここから続く道は無かったわ。あちこちに穴があるけど、どう頑張っても手が届きそうにないの」


 僕が眠っている間にこの場所を探索していたクウカが続けてそう答えた。


 この空間は相当広く、端から端までは百メートルを優に超えている。辺りを見回すとクウカの言う通り大穴がいくつも開いているが、歩いて進める場所にはない。


 ん? いや、そもそも僕達はどこから落ちてきた?


「あのさ、僕達はこの残骸の山に落ちてきたんだよね?」

「うん……気づいたらこの上で眠ってたよ」


 ミアが僕の質問に頷いて肯定してくれる。

 しかしそれは、この疑問が正しいという裏付けにもなった。


「だとしたら、どうしてその真上に穴が開いていないんだ?」


 そう。確かに大穴が至る所にあるものの、僕達が落ちてきたらしき穴は残骸の上にはないのだ。

 つまり、その穴は塞がった? いや、閉じ込められたのか?


「あ……本当だ」

「どういうことなの?」

「わからないけど、もし仮にこの状況が意図的なものだとすれば、僕達は閉じ込められたってことになる……かも」


 そう言えばラナンキュラスの花畑に穴が開いた時も自然な感じでは無かった。

 そうだ。確かにあの時、地面が崩れていくのではなく、消えって行ったような気がしだのだ。


 魔法か何か、人為的なものである可能性が高い。


「嘘でしょ? そんなこと、誰がするのよ」

「でも、あるべきはずの穴が塞がってるなんて、自然には起こり得ないだろ?」

「そ、それはそうだけど」


 僕達は誰かによって意図的に閉じ込められた。そう考えた方がよさそうだ。

 だが、クウカの言う通りそんなこと一体誰が?


 クロム……はEランクだしそんな力を持っているとは思えない。

 そもそもギルドには僕らを馬鹿にする人はいても、恨んでいる人はいないだろう。


 ギルド関係者ではないとすると、まさかコキュートス? 

 それとも無差別的なものなのか……


 コキュートスだったとしても、僕達を狙う理由は無いはずだ。

 二年前のあの時、奴らは父さんの命を目的にやって来たのだから。その理由までは知らないが。


 ただ、阿吽の魔窟に潜んでいるという大罪人がコキュートスならば、可能性としてはありえなくはない……のか?


「もしかしたら――」


 僕がその可能性を二人に伝えようとしたその時、突然へばりつくような奇妙な声がこの空間に響き渡る。


『やあやあおはよぉう! いぃや、こんにちはぁかな? そぉれともこんばんはぁ? まぁ、どぉれでもいいけどぉ、みぃんな元気ぃかなぁ?』


その声の不快感に頭が痛くなる。


「この声……何?」

「う、頭痛い」


 ミアとクウカの二人が頭を抑えながら苦言を呈した。

 この声……どこかで聞いたことがあるような。


『そぉろそろ君たちの置かれた状況ぅが、事故ぉではなく事ぃ件だって気づいた頃ぉだよねぇ』


 常に相手を不快にさせるねっとりとして口調が腹立たしい。

 ただ、この声の主がこの状況を作り出した犯人であることは明確だ。

 やはり、コキュートスなのか?


『ごぉ名答! そぉの犯人はぁ、私ですよぉ。でぇ、今からぁ、私のいるところぉにちょっと来て欲しぃのですよぉ』

「お前誰だよ! どうしてこんなことをする!」

『まぁまぁ、怒らないでぇくださいよぉ。初めましてのぉ、仲でもないのですしぃ』


 始めましてではない?

 僕はこの声の主と会ったことがある? 


 コキュートスと言っても奴らは組織だ。

 その中で会ったことがあるとすれば、そんなやつ一人しかいないが……


『お話ぃは後でゆっくりぃしましょーう。フランデスネークちゃぁん』


 謎の声がそう言うと、急に地響きが鳴り出した。

 シュルシュルと奇妙な音が辺りを移動しているのがわかる。


「何か来る? みんな、ケートの所に!」

「う、うん!」

「わかってる!」


 動けないケートを一人にしておくわけにはいかない。


「ったく、今のでなにかわかったかアベルよ」


 急いでケートの元に駆け寄ると、溜息を突きながらそんな風にぼやいた。


「いいや、まったくだよ」

「だろーな」

「ねえ、あそこ!」


 ミアが指さした先の大穴から、奇妙な音の発生源が現れた。

 手足は無いが鋭い牙を持つ一見蛇のような生物だが、大きさがまるで違う。


 太さだけで直径二メートルはあるというのに、終わりの見えない体の長さ。こいつは蛇何て言い方は可愛らしすぎるくらいの化物だ。

 

 そこら中にある大穴はこいつが移動した跡だったのか。


「こいつはSランク……いや、それ以上だろ……」


 こんな大規模な魔物、掲示板のSランク制限の依頼でも見たことが無い。


『このフランデスネークちゃんはぁね、とあぁる世界のとあぁる国にある蟲毒って呪術でぇ生み出したぁんだよ。君たぁちがいるそぉの部屋にぃ、たくさぁんの毒を吐く魔物達を閉じ込めてぇね。殺し合いぃをさせてぇ、生き残ったぁのがその子ってわけぇ』


 長々と説明を始めた声の主だが、僕達には意味が分からない。


『最初はフランデスネークちゃんもぉ、ちっちゃぁなただの蛇だったのにぃ、こんなぁにおっきくなっちゃったぁ』


 それでも、とにかく戦うしかない。

 無抵抗でやられてやるほど、僕達の根性はねじ曲がってはいないのだから。


「ケートを背に向けて武器を構えるんだ!」

「う……うん! 生きてここから出るんだもん!」

「ええ! 絶対に!」


 ミアは今にも崩れ落ちそうな自分の足を叩いて、クウカは鋭い眼光で蛇を睨み付けながら言った。


「すまん……俺もついてるからな!」


 背後でケートが応援してくれる。

 折角奇跡が起こったんだ。こんなところで終わるわけにはいかない。


「行こう!」


 僕の合図に、二人が反応して走り出す。

 しかし、それも一瞬にして無駄になった。


 フランデスネークが顔を近づけてきたと思いきや、大口を開いて白い煙を吐き出したのだ。

 その煙を吸ったミアとクウカが目の前で倒れ、そのまま僕の視界も曖昧になっていく。


『ひっさぁーつ、催眠ガスゥ。ひひひっ……もう一度ぉ、お休みなさいだよぉ』


 気味の悪い笑い声を最後に、僕の意識は再び遠のいていく。

 その最中、僕は思い出した。


 特徴的な気味の悪い笑い声に、相手を苛立たせるねっとりとした喋り方。


 こいつは……父さんを殺したコキュートスだ。



::::::::::::::



 阿吽の魔窟に潜伏しているコキュートスの、捕縛を目的とした捜索が開始されて三日目。

 二日間ともこれと言った収穫も無いまま、派遣期間である最終日を迎えてしまった。


 コキュートスが潜伏しているという噂はあくまでも噂であって確証はない。

 しかし、目撃情報の内容は信じるに値するものばかりだ。


 白銀の靭翼を出動させるよう要請したのは副団長である私自身。

 私怨を仕事に持ってくることに多少の罪悪感はあったものの、コキュートスが世界的に悪事を働いていることは明確である。


 先生を殺したコキュートスとは、いつか必ず決着を付けなければならない。

 それが今かどうかの違いがあるだけであって、いつかはこうなる運命なのだ。


 このコキュートス捕縛作戦、通称コードQの指揮権は私にある。

 私についてきてくれた白銀の面々の為にも、この作戦は絶対に成功させて見せる。


「いよいよ今日が私達に与えられた作戦期間の最終日である! まだ一つたりとも目ぼしい成果は得られていないが、今日までの努力は無駄ではない! 諸君、私を信じてついてきてくれるか!」


 阿吽の魔窟の入口で整列した皆に呼び掛けると、声を大にして意志を示してくれた。

 この思いを無駄にしてたまるものか。


「では、作戦を開始する!」


 私の宣言と共に、各自決められた部隊編成で集まり、細かな作戦内容を共有する。

 今回の白銀の人数は私を含めて三十二人。一班当り五人の全六班と見張りが二人の編成だ。


 一班ずつ魔窟への進行を開始。

 今回、私は最終六班のリーダー兼全体の司令塔を務めている。


 連絡は呼石と呼ばれる魔法石を用いるが、何分希少価値の高い代物である為班長しか持ち合わせていない。

 使用回数も限られているため、使うときは万が一の時に限られているのだ。


 呼石を携帯していることを確認し、第六班の進行が開始する。

 これまでの調査でギルドが到達している第八層までには痕跡がないことを確認済み。


 よって、今回の私の調査域は八層より下の層である。

 念の為一班から三班を地上層から八層までの調査に当てているが、あまり過度な期待は出来ないだろう。


「ここからは未知の領域だ。皆、注意して進むように」

「はい!」


 九層に繋がる階段を前に、注意を促す。

 もう既に四班と五班が進行しているが、八層以降は構造の変化が激しい。


 八層の構造変化については冒険者の調査の甲斐もあり、いくつかのパターンを突き止めることが出来た。

 だが、九層はまだ調査が行き届いていないのだ。


 九層に足を踏み入れると、視界が歪んで構造が変化した。


「点呼!」

「1!」「2!」「3!」「4!」


 この構造変化には人間事移動する事例がある為、変化の際には点呼を必須としている。

 一先ず、今回は班員全員巻き込まれずに済んだようだ。


「よし、進もう」


 阿吽の魔窟は層が深くなるにつれて出現する魔物が強くなる。

 無論、私達白翼所属の人間がそれらに劣るということはありえないが、苦戦を強いられる場合も無くはない。


「副団長! 下から一匹、でかいのが来ます!」


 探知魔法を使う団員の報告を聞いて背後に跳ぶと、それまで私が立っていた地面から大柄の魔物が現れた。


 熊のような体に蛇のような尻尾、皮膚は腐っていてドロドロに溶けている。

 今までに見たことも無い魔物だ。だが、私の相手にはならない。


「一瞬で終わらせるよ」


 対人戦と対魔物戦との違いは相手が頭を使うかどうか。頭を使って器用に試行錯誤する人間はそれなりに手強いが、単純な思考しかしない魔物は私が動くまでも無い。


 ただ向かってくる魔物に対して、一線振りかざすだけで終わる。


「ぎおおおおぉぉぉぉぉぉぉお‼」

「ふっ」


 私の横を通り過ぎた魔物の体は、真っ二つになって崩れ落ちた。

 仲間たちから賞賛の声が上がるが、これくらい賞賛するまでも無い。


「時間が無い。急ごう」


 その後、幾度となく魔物を一太刀で薙ぎ倒し、変化する道に適応して進んでいった。

 だが、どれだけ進んでもコキュートスに関する目ぼしい情報が見つからない。


 自分が焦っているのを感じる。

 自分ばかりが前に進んでしまって、仲間たちが遅れていることもわかっている。


 それでも、私は一人でもコキュートスを見つけなければならないのだ。


「待ってください副団長! まっ――」


 不意に、私を追う仲間の声が途中で途切れた。

 振り返っても、仲間の姿は無い。


「巻き込まれたのか……」


 どうやら私が構造変化に巻き込まれてしまったらしい。

 これは私自身のミスだ。


 仕方ない。

 こういった緊急時の為の呼石だ。仲間との連絡を計る。


「シルティアだ。聞こえていたら返事をして欲しい」


 しかし、どういうわけか他の班長からの反応がない。

 呼石自体は起動しているため、確かに声は届いているはずだが。もしかすると、彼らの身に何かあったのか……?


「上層に戻る……いや」


 戻ろうとしたところで構造変化に巻き込まれた以上、進むのと手間は変わらない。

 それに皆白翼のメンバーだ。簡単にやられたりはしないだろう。

 だから今は、進むことだけに集中しよう。


 そのまま入り組んだ道を進んでいくと、やけに広い道に出た。

 これまでと違って道も加工されているし、明らかに人工的なオブジェクトが道端に置かれている。


 さらにその道は一本道になっており、突き当りに大きな両開きの扉があった。

 恐らく、その扉の先に奴がいる。


「ついに見つけた……コキュートスっ!」


 扉に辿り着き、一呼吸ついてからその扉を押し開いて、己の目を疑った。


「ひっひっひ……ひひっ、ひひひっ、よぉうこそぉ! 私のげぇむステージへ!」

「貴様……その子たちに何をした?」


 そこにはどういうわけか、両手を鎖に繋がれたアベル達の姿があったのだ。

 そのすぐ傍に、長身で痩せこけた隈の酷いピエロが、気味の悪い表情で笑っている。


 子供たちは全員口を塞がれていて唸ることしか出来ていない。

 ケートに至っては足から大量の血を流して意識が朦朧としているようだ。


「ひひっ……げぇむだぁよげぇむ。ぷれいやぁはあなただぁ」

「は……? 貴様、ふざけるのも大概にした方が身のためだぞ」


 ミアとクウカは無事。アベルは怪我をしているが命に別状はない。ケートは早急に手当てしないと間に合わない。

 奴との戦力差は単体なら私の方が圧倒的に有利。だが、彼らを人質にされては手出しが出来ない。


 手詰まりだというのか……?


「あぁんしんしていい。彼らぁはこのげぇむの重要な駒だぁよ? すぐに殺したりはしませぇんよぉ」

「殺す」

「あぁ、怖い怖いなぁ。せっかちぃな貴方にぃ、早速ぅルール説明だよぉ。まずぅ、貴方ぁを一度だけぇ、この洞窟ぅのどこかにぃ飛ばしますぅ。そしてぇ、貴方ぁは頑張ってここに戻ってぇ来てくださぁい。それだけですぅ」


 そんなくだらないゲームに付き合っている暇はない。

 私は彼らを助けて、奴を殺す。


「おっと、いけなぁい。大事ぃなことをぉ、言い忘れてたぁ。あなたが戻って来るまぁで、十分ごとぉに一人ずつ、この子達ぃを殺しますねぇ」

「――今、貴様が死ね」


 奴が子供たちに手を出す隙も与えずに超速で距離を詰め、剣を振りかざす。

 これは確実に取った。


「でぇは、げぇむ開始ぃ。いってらっしゃいませぇ」


 と、思った瞬間、私は誰もいない場所に飛ばされていた。


「…………私から、先生だけにとどまらず、子供達まで奪うつもりか……」


 子供たちは私にとって、弟子であり弟や妹のような存在だ。

 それに、先生に託されたものの一つでもある。失うわけには絶対にいけない。


 そんな理不尽なこと、あってはならない。

 一体何のために、白銀の副団長にまで上り詰めたと思っている。


「ふざけるな」


:::::::::::::


 手首の痛みを感じて目を覚ます。

 現状を理解するために辺りの様子を伺うと、すぐ横でミアが鎖に繋がれていた。


「――っ、――――っ!」


 すぐに声を掛けようとしたが、口が布で塞がれていて言葉にならない。


 ミアの奥には同じように鎖に繋がれたクウカとケートの姿が見えた。

 僕も同じように両手を鎖に繋がれて身動きが取れない状況だ。


「おやおやぁ? お目覚めかなぁ?」


 頭の上から声が降りかかり顔を上げると、底には奇抜な格好をしている痩せこけたピエロメイクの男が立っていた。


 僕はこいつを、知っている。


「――! ――っ! ――――!」

「ひひっ、何をぉ行っているのかぁ、全くわからないなぁ」


 こいつは僕の父さんを殺したコキュートス本人だ。間違いない。

 僕の中にある怒りの全てをぶつけたいのに、身動きが取れなくて何も出来ない。


 こんな時にも、自分の無力さが邪魔をする。

 この場の騒々しさに気づいたのか、クウカとミアとケートの三人が目を覚ました。


「おっとぉ、皆さぁん目が覚めたみたいだねぇ。ではぁ、僭越ながらぁ、ご挨拶ぅをさせてぇいただきましょう」

「――! んっ――!」

「――っ」

「んんっ! ――!」


 ミアとクウカは現状を理解できずに怯えているのが伝わってくる。 

 ケートはこの男の正体を察して驚いている様子だ。


 とりあえず全員無事ではあるようだが、この状況をどうにか打開しなければ。


「わたぁしは、コキュートス幹部の一人ぃ、アイゼン・ジョッカーと申しますぅ」


 アイゼン・ジョッカーという名は確かに聞いたことがあった。

 コキュートスの詳細な組織像は分からないが、父さんを殺したコキュートスと同じ名前だ。


「おやぁ? 君ぃ……足にぶっそぉうなものが刺さってますねぇ。私が抜いてあげよぉう」


 そう言って、アイゼンはケートの元に近寄った。

 そして、ケートの太腿に刺さった牙を今にも引き抜こうとしているのだ。


 そんなことをしたら、ケートが――


「んん! ん――‼」


 ケート以外の三人が必死に声を出そうとするが、アイゼンはそんなこと気にも留めずに牙の根元を掴んだ。

 ケートも全力でそれを阻止しようとしているが、足を掴まれてしまって抵抗できない。


 止めてくれ……お願いだから止めてくれよ……!


「ほいぃっとなぁ」

「がぁっ――! ――――‼」


 その願いは叶うことなく、ケートの太腿から牙が抜かれた。

 どくどくとその穴から大量の血が流れ出している。


 それを見たミアは泣きながら声にならない叫び声を上げ、クウカは目を背けて涙を流していた。

 僕もその無残な光景を見ていられずに目を背けてしまう。


「これでぇ、少しは楽ぅになったでしょう。ひひひっ、ひひっ」


 この男、分かっていたが狂っている。同じ人間だとは思えない。

 そうやってこいつはあの時も気味悪く笑いながら父さんを殺したんだ。


 何か無いのか……ケートを助けてこの男に復讐する方法は……

 何か、何か何か何か!


「貴様……その子たちに何をした?」


 僕が何か打開策が無いかと逡巡していたその時、部屋の扉が開かれて赤髪の女騎士が現れた。

 シルティア姉さんだ。姉さんが、助けに来てくれた。


 姉さんが来てくれたのなら一気に形勢逆転だ。

 アイゼンに後れを取るわけがないだろう。


 クウカとミアも姉さんが来てくれたことに気づいて、絶望の淵から抜け出そうとしている。

 だが、確かに姉さんの登場で希望は見えたものの、ケートの意識が朦朧としてきているのが不安でたまらない。


「ひひっ……げぇむだぁよげぇむ。ぷれいやぁはあなぁただぁ」

「は……? 貴様、ふざけるのも大概にした方が身のためだぞ」


 相手の感情を逆なでするようなアイゼンの言葉を聞いて、こめかみに青筋を立てる姉さん。

 こんなにも血走った目をしている姉さんを今までに見たことが無い。


 しかし、アイゼンを睨み付ける姉さんの顔には陰りがあった。

 その原因は恐らく、僕達にある。


「あぁんしんしていい。彼らぁはこのげぇむの重要な駒だぁよ? すぐに殺したりはしませぇんよぉ」

「殺す」

「あぁ、怖い怖いなぁ。そぉんなせっかちな貴方にぃ、早速ルール説明をしよぉう。まずぅ、貴方ぁを一度だけぇ、この洞窟ぅのどこかにぃ飛ばしますぅ。そしてぇ、貴方ぁは頑張ってぇここに戻ってぇ来てくださぁい。それだけぇですぅ」


 やはり、姉さんが躊躇している原因は僕達が人質にされてしまっているからだ。


 くそ……僕達が捕まっていなければ、こんなやつ姉さんなら一瞬で殺せるというのに……!


「くだらない」

「そうかなぁ? これはとてぇも楽しいげぇむだよぉ?」


 さっきからアイゼンの言っているゲームとはなんだ。

 姉さんがプレイヤーで僕達はそのゲームの駒? 何を勝手なことを言っている。

 そんなゲームに参加した覚えはない。


 いや待てよ……姉さんがプレイヤーってことは、つまりアイゼンの目的は僕達ではなく姉さんなのか?


「あぁそうだ、いけなぁい。大事ぃなことをぉ言い忘れてたぁ。あなたが戻って来るまぁで、十分ごとぉに一人ずつぅ、この子達ぃを殺しますねぇ」


 は? 僕達を一人ずつ殺すだって?

 冗談だろ? そんなゲーム感覚で簡単に人を殺すとかふざけてる。


「――今、貴様が死ね」


 アイゼンの言葉を聞いた姉さんが、一瞬にして姿を消した。かと思いきや、瞬きをした瞬間にアイゼンの目の前に現れ、剣を振りかざしてその首目掛けて振り下ろす。


 が、その剣がアイゼンの首を取ることはなかった。


「でぇは、げぇむ開始ぃ。いってらっしゃいませぇ」


 剣先がアイゼンの首に触れる刹那、姉さんがその場から消え去ったのだ。

 先のアイゼンの言葉を信じるのであれば、姉さんはこの洞窟のどこかに飛ばされたいうことになる。


 なんだよこれ……戦況が振り出しに戻ってしまったじゃないか。


「そういうぅ、訳なのでぇ、この砂時計がぁ落ち切ったらぁ、貴方達には一人ぃずつ死んでもらぁうね」


 アイゼンが机に置いてある砂時計を逆さまにしてそう言った。


 本当に殺されるのか? 僕達は、ここで父さんを殺したこいつに殺される?

 いや、きっと姉さんなら十分とかからずに戻って来る……よな。


 そうだ、姉さんは戻って来る。絶対にそうだ。

 そうだと信じないと、この恐怖にはどうしたって勝てないじゃないか。


「ですがぁ! ここでエクストラァげぇむを開催いたしまぁす! このげぇむのぷれいやぁはあなただぁ」


 そう言ってアイゼンは僕の額を突きながら舌なめずりをした。

 そのまま口を閉じていた布が外されて喋れるようになる。


「お前っ……! 何が目的なんだよ!」


 今まで口に出すことが出来なかった言葉が、怒鳴り声となって発せられた。


 どうしてアイゼンは僕達を捉え、姉さんを誘い出したのか。それは父さんの事と何か関係があるのか。そもそもコキュートスとは何を目的とする組織なのか。


 この男の全てが理解できない。

 そもそもどうして僕達なんだ。僕らはただの底辺冒険者じゃないか。

 お前らに狙われる筋合いはないだろ。


「目的ぃねぇ……そうだなぁ、我々に歯向かう人々のぉ、心を折ることぉですかねぇ」

「歯向かうも何も、僕達は何もしていないじゃないか!」

「えぇ、確かぁに君たちは今現在なぁにもしていないねぇ。でもぉ、あの女の心ぉを折る為のカギにはなぁるんだなぁこれがぁ」


 つまり、姉さんの心を折る為に僕達を殺すと言いたいのか。

 やはりアイゼンの目的は姉さん。きっと、父さんを殺されたあの日からコキュートスを追っている姉さんを邪魔に思っての事だろう。

 

 だが、姉さんの心はそれくらいじゃ折れやしない。


「なら残念だけど、僕達が死んだところで姉さんの心は折れないぞ。きっと、今よりももっと強くなってお前を殺しに来る」


 今でさえ、僕らが人質になっていなければアイゼンに勝てたはずだ。

 姉さんは僕らの想像以上に強くなっている。


 父さんの死が姉さんをそうさせたのなら、僕らの死は確実に姉さんを強くする。

 それは酷く残酷なことで、僕らの死が姉さんを悲しませることにもなってしまう。

 姉さんだけじゃない。クリスさんやグリーズさんもきっと悲しむ。


 それだけは絶対にあってはならないことだ。

 だけど、その悲しみを越えた姉さんの強さは確実にコキュートスを壊滅させる。


「さぁて、それはどうかなぁ? そうだといいねぇ? ひひっ」


 何か裏があるのか、僕の言葉を受け入れることなくせせら笑う。


 このままじゃ駄目だ。

 でもどうすればこの状況を打開できる。どうすれば誰も死なずにここから生きて帰れる。

 もう、ミアのあんな姿は見たくない。大事な人を失いたくない。


 頼むから……これ以上僕から大切な人を奪わないでくれ。


:::::::::::


「そろそろぉ、エクストラげぇむのるぅる説明をするよぉ?」

「そんな訳のわからないゲームに参加なんかするか」

「ほぉ? 本当にいいのかなぁ? このげぇむはあなたぁの仲間を救えぇるかもしれない、らぁっきぃーげぇむだというのにぃ?」


 ……仲間を救える?


「本当……なんだろうな?」

「えぇ、もちろぉん。どうやらぁ、乗り気にぃなってくれたぁみたいだねぇ」


 乗り気になったわけでは無い。

 ただ、例えそれが嘘だったとしても、僕にはそれを本当だと信じて参加するしか出抗う術がないだけだ。


 仲間たちをに視線を向けると、皆僕を信じてくれているのが伝わってきた。

 ケートも飛びそうになる意識を必死に繋ぎ止めながら、僕の事を見てくれている。


 だったら僕は、その信頼に答えるしかないだろ。


「わかった、参加する」

「ひひひっ、いい返事が聞けて私も嬉しぃよ。じゃあ、るぅる説明をするねぇ。まずぅ、この砂時計はもうぅ五分もすればぁ落ち切るよねぇ? するとぉ、私がこの中から一人ぃ、殺すって言ったでしょう? そこでぇ、貴方には毎回問題を出しますぅ。その問題に見事ぉ正解することが出来ればぁ、げぇむくりぃあ! その時に殺すはずだったぁ、お仲間は殺しませぇん」


 アイゼンの長いルール説明を聞いた僕は、このゲームの真の意図に気づいてしまった。


 こいつは僕の心を折ろうとしているのだ。このゲームは簡単に行ってしまえば、最終的に皆の運命が僕に委ねられたということ。


 つまり、もし僕が問題に正解を出せずに失敗した場合、間に合わなかった姉さんだけでなく僕にも責任が被せられるというわけだ。


 こいつは、どこまでも思考が腐っていやがる。


「でぇは、時間が経つまでぇ、今しばらく待つぅとしよう。あぁ、あんさぁータぃむまで貴方ぁも黙っていてねぇ。うるさぁいのは嫌いだからさぁ」


 そう言って再び口を布で塞がれた。


 この状況で一番望ましい結果は姉さんが残り時間内に戻って来ることだ。しかし今は姉さんが間に合わなかった場合を考えなくてはならない。


 もう五分もしない内に僕に対して問題が出されるはず。その問題に正解できなければ仲間を殺されてしまう。


 ならその問題内容はなんだ。

 答えられるわけのない無理難題を出されれば、僕に出来ることはない。初めから詰んでいる。

 無理難題では無かったとしても、単純な問題が出てくることも無いだろう。

 

 アイゼンの事だ。まず正解できるとは考えない方がいい。

 考えるべきは、問題を間違え仲間が殺されるとなった時どうするかだ。


 戦って勝つ術がない以上、仲間を救う方法は一つだけ。僕が最初に殺されればいい。残り二回のチャンスがあったとしても、一人失った時点で生きている意味はない。


 後は姉さんが戻ってくることを祈るだけだ。


:::::::::::::::::::::



 願い届かず、砂時計の砂が全て下に落ち切った。


「はぁい、お楽しみの時間だぁ」


 最初の十分間で姉さんが戻って来ることは無く、一回目のエクストラゲームが始まった。

 口を塞ぐ布が外され、回答する権利を与えられる。


「さぁて、わくわくぅの第一問だよぉ?」


 どんな問題が来る……


「最初は簡単なぁ問題。アベルくぅん、貴方がこの三人のお仲間ぁの中でぇ、一番大切ぅに思っているのはどなたでしょうぅか?」

「この中で一番……?」

「ええぇ、一番だよぉ。あ、全員はなしですぅよ。悩むことはぁないよねぇ。自分にぃ、正直になるだけでぇいいのだからぁ」


 クウカとミアとケートの中で一番大切なのは誰か。

 そんなこと、皆等しく大切に思っているに決まっている。その中で誰が一番かなんて決められるわけがない。


 クウカはこの中で一番度胸があって恐れ知らずだ。だからこそ、僕の弱さを補ってくれるし、彼女の明るさは僕達を常に勇気づけてくれている。


 ミアはこの中の誰よりも優しく、誰よりも仲間を大切にしている。その優しさが僕達をいつも支えてくれている。


 ケートはこの中で一番馬鹿だが、本来リーダーであるべき存在だ。僕は彼がいなければリーダーとしてみんなの前に立つことは出来ない。最も頼りがいのある仲間だ。


 そんな仲間たちに優劣をつけることは出来ない。だが、全員という回答は禁止されている。

 確かにこの問題は傍から見れば簡単かもしれないが、僕にとっては難題にもほどがあるだろ。


「さぁ、はやぁく答えてよぉ。残りは三十ぅ秒だからねぇ?」

「そんな簡単に決められるわけないだろ」

「そぉうかなぁ」


 みんなに視線を向けると、ミアは首を横に振り、クウカは目を合わせて意志を伝えてきた。

 ケートは無理やり笑顔を作ってはいるものの、相当苦しそうな状況だ。


「――死ぬなよケート! 耐えろ! お前は死んじゃダメなんだ!」


 必死に呼びかけると、ケートは笑って頷いてくれた。


 早くこの問題に答えなくてはならない。ミアは私じゃないという意思を感じたが、クウカからは分かっているでしょという感情が伝わってきた。


 これは僕の勝手な推測だし絶対にそう言っているという確証はない。

 だが、その推測を信じるなら、答えは一つしかないだろう。


 僕達がこうして冒険者を始めた理由であり、父さんが死んでからの毎日を誰の為に頑張って来たのか。

 それは――


「ミアだ」


 ミアからすれば想定外の答えかもしれないが、この答えは僕とクウカとケートの共通認識だ。 

 僕達はミアの笑顔を取り戻すために頑張ってきた。


 クウカやケートよりも大切というわけでは無く、三人にとって大切なのがミアなのだ。

 この答えに間違いはない。


「ひひっ、いいねぇ。答えはミアさぁんでいいんだねぇ?」

「ああ」


 僕の答えに、ミアは目を見開いて驚いている様子だが、クウカはそれでいいと頷いていた。

 答えを変える気は無い。そもそもこの問題に一つの答えなんかあるものか。


 その答えを聞いたアイゼンは不敵に笑うと、拍手をしながら僕を見た。


「でぇは、正解発表! 正解はぁ――」


 大丈夫だ。この答えが不正解であるわけがない。

 アイゼンはそこで言葉を止め、表情をあらゆる感情に変化させながら最後に真面目な表情を作って言った。


「残念、不正解」


「……は?」


 今、アイゼンは不正解と言ったのか?

 不正解? ミアという答えが間違っているというのか? そもそもその答えは誰が決めている。僕がミアだというのだから、答えはミア以外にあり得ないだろ。


 クウカとミアも動揺が隠せない様子だ。


「だぁから、不正解だって言っているよねぇ? ふ、せ、い、か、い」

「な、何が不正解だっていうんだ……僕達はみんなミアの事を大事に思ってる。それに、それにこの答えは誰が決めてるっていうんだ!」

「決めたぁのはアベルくぅんでしょぉ? 本当は自分でも気づいているぅはずだぁ」


 決めたのは僕? 僕が気づいている……?

 何を言っているんだこの男は。


「この問題はぁ、貴方自身がぁ誰を最も大切に思っているぅのかだよ?」


 僕が誰を一番大切に思っているか?

 だからそんなの選べないんだよ。クウカもミアもケートも、みんな大切な仲間なんだ。

 クウカは、ミアは、ケートは――


 改めてそれを考えようとしたとき、一人だけ大切に思う理由が溢れて止まらなくなった。


 そいつはいつも明るくて一緒にいて退屈しないけど、時間があれば僕を馬鹿にして笑い物にしてくる。だけどどこか憎めなくて可愛らしい所もあって、いつの間にか彼女の姿を探してしまうことがあった。


「――あ」


 僕はそいつを仲間というだけでなく、一人の女性として見ていた……のか?


 それを実感してしまった時、問題を間違えてしまった悔しさと仲間を一人殺されるという現実が相まって、自然と涙が流れてきた。


 落ち着いてよく考えてみれば、気づけたことなのに……


「――っ、ごめん。ごめんみんな……僕はっ…………僕が一番大切に思っているのはっ…………」

「どうぞぉ? 愛の告白たぁいむでぇす」


 その答えを言うのに躊躇していると、アイゼンが囃し立ててきた。


 自分の気持ちに気づいたとは言え、この告白は僕達の関係を悪くしてしまう可能性がある。きっとこんな状況でなければ、この気持ちは胸の奥にしまっておいただろう。


 だが、問題に間違えてしまった以上、僕は仲間の代わりに死ぬ。

 だったら最後に、この気持ちは伝えておきたい。


「……クウカ」


 僕がその名前を口にすると、クウカの瞳からは大粒の涙が流れていた。

 あまりにも自分が情けなくて視線を反らしたくなる。


 それでも、必死にその瞳を見つめながら告げた。


「僕はクウカのことが好きだ。今更自分の気持ちに気づくなんて……ごめん…………ごめんっ!」


 僕の告白を聞いたクウカは、静かに涙を流したまま僕を見つめている。


 思えば昔から僕はクウカに憧れていた。

 子供の頃、クウカはよく僕の手を引いて色々な場所に連れて行ってくれた。僕がいじめられている時も、女の子だというのに前に立って守ってくれたんだ。


 父さんが死んだ時だって、一番に前を向いたのはクウカだった。そんなクウカの事を、僕は尊敬していたし好きだったのだ。


 どうしでこんなクソ野郎に言われるまで気づけなかった。

 自分で自分を殺してやりたい気分だ。


「さぁてさぁて、感動ぅの告白もぉ終えたところでぇ、早速お一人殺すねぇ」


 クウカの答えを聞いておきたかったが、もう時間が無いらしい。

 アイゼンは右手を前に突き出すと、何もない所から漆黒の鎌を出現させた。見覚えのある父さんを殺した時の鎌だ。


 僕は父さんを殺した相手に同じ武器で同じように殺される。


「アイゼン、殺すのは僕からにしてくれないか」

「はぁい?」


 僕がそう言うと、クウカとミアが取り乱した様子で首を横に振った。

 ケートも微かに首だけを横に振るのが見える。


 ごめんみんな……だけどもう、決めたことなんだ。


 自分勝手かもしれないけど、皆の殺されるところは見たくない。

 それに、この問題に間違えたのは明らかに僕のミスでしかない。だから僕が殺されるべきなのだ。


「最初に殺すのは僕にしてくれって言っているんだ」

「いやいやぁ、駄目ぇに決まっているでしょう。貴方ぁはこのげぇむのぷれいやぁなのだからぁ」

「お、お前は僕達の誰かを殺して姉さんの心を折りたいんだろ? だったら、僕が最初だっていいはずだ」


 僕がゲームのぷれいやぁだろうが無かろうが、こいつの目的は本来姉さんの心を折ることだろ。


「それぇはそうだけどさぁ、どうせぇならあなたぁの心ぉも折ってみたくなったんだよぉ」

「は、はあ? 僕の心を折ったって、どうにもならないだろ」


 エクストラゲームの目的はやはりそうだったか。

 だが、そうしたところでアイゼンに何のメリットがある? 姉さんは確かにコキュートスの脅威になり得るだろうが、僕は復讐したくても出来ない程無力だ。


「そうだねぇ……だけどぉ、私はあなたの絶望した表情が見てみたい」


 アイゼンは急に黒い目で僕の顔を見つめると、それまでのねっとりとした口調から一変した。

 底知れない闇を感じさせる、狂人のそれだ。


 その言葉に、僕はあまりの恐怖で何も言い返すことが出来なかった。


「でぇは、誰からにしようかなぁ」


 そう言って三人の前を練り歩き始めるアイゼン。

 僕はただその様子を震えて見ていることしかできないでいる。


「彼は私が手を下さぁずともすぐぅに死ぬしぃ……だぁとすると、女性陣二人ぃのどっちかがいいかなぁ」


 アイゼンはクウカとミアの前で立ち止まり、なめまわすような目で二人を見回した。


「止めてくれ……頼む、頼むよ。三人が助かるなら僕はどうなったっていい。だから、三人を殺さないでくれ」


 そうやって頭を下げながら懇願しても、アイゼンは全く聞く耳を持たない。

 気味の悪い鼻歌を歌いながら、誰を殺そうかと口の中で咀嚼している。


「決めましたぁ、貴方ぁにしますぅ」


 奴が立ち止まった目の前にいるのは、そう言われても僕の事を見つめているクウカだ。


 クウカが……殺される?


「嘘だろ止めてくれ……僕を殺せよ…………僕を殺せって言ってるだろ!」


 感情的になって怒鳴りつけても、アイゼンはこちらを向かずにクウカの前に立っている。


「安心してよぉ。最後の少しだけぇ、お話をさせてあげるかさぁ。優しぃでしょう? 私ぃ」


 不敵な笑みを浮かべながら、クウカの口を塞ぐ布を取った。

 クウカは僕の目を見つめたまま離さない。



「アベル……約束、覚えてる?」



「あ……ああ、覚えてるよ。買い物、一緒に行くんだろ?」



「うん、その約束は絶対だから、忘れないでよね」



「忘れるかよ……そうだ、明日、明日はどうだ? 明日ならバイトも無いし、時間も余るほどあるだろ」



「そうね、でもごめんね……それはもう少し先になりそうかも」



「は……どうしてだよ、明日でいいだろ? そうだな、たまには王都の市場に行こう。あそこならきっとクウカに似合う服が沢山あるからさ――」



「アベル」



「な、なんだ?」



「私もアベルの事がす――」



「……今、何て言ったんだ? ごめん、聞こえなかったからもう一回――」



 クウカの言葉が途切れると同時に、直前まで合っていたはずの視線が外れた。


 その代わりに、僕の目の前へと何かが転がって来る。


 直後、ミアが声にならない叫び声を上げながら発狂した。


 その転がってきたものは、口を閉じて静かに涙をながす、クウカ――


「あ……ああ…………ああああああああぁぁぁぁぁぁあああああああああああ‼」


 目の前にあるものをそれだと理解してしまった瞬間に、僕の中で何かが崩れて消え去った。


 受け入れたくない現実が残酷な事実として目の前にある。

 急に腹の底から押し寄せる嘔吐感に苛まれながら、それだけは汚さないように顔を背けた。


 何だこの結果は。

 クウカが死んだ。これは僕の責任なのか? それとも姉さんの責任? いや、違うだろ。


 全ての原因はアイゼンにあるに決まっている。


「ひひっ、ひひひっ、あぁ、貴方たちぃは実に素晴らしいぃ表情をしてくれるぅ。ゾクゾクするねぇ」

「――ろす」

「はぁい?」

「殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す‼」


 僕はアイゼンを死んでも許さない。


 クウカが死んでアイゼンが生きている世界は存在する意味が無い。


 今の僕に殺す力は無くても、いつか絶対にこいつを殺す力を手に入れる。

 殺したらコキュートスも壊滅させて、そうしたら僕もクウカの所へ行く。


「復讐に燃える表情ぉ、いいねぇ……そんな貴方にぃ朗報だぁ。こちらぁの彼、もうぅ死んだよぉ?」

「……は?」


 一体誰の事を言っている? アイゼンが示しているのは一体誰だ?

 奴の目の前にいるのは……ケートなのか? ケートが……ケートも死――


「――うっ」


 二人の仲間の死を実感してしまった時、アイゼンに対する怒りよりも先に酷い喪失感が襲ってきた。それは声を上げることも泣くことも何もできない、ただの暗闇の中にいる感覚に近い。


 すぐ隣で、ミアが狂ったかのように笑いだし、アイゼンに食らいつこうと暴れだした。

 鎖に繋がれた手首がきつく縛られようとも、暴れることを止めようとしない。


 ミアはきっと、僕以上にこの現実を受け入れられないだろう。おそらく一生かかっても彼女が立ち直ることはないのかもしれない。


 僕もクウカとケートを失った今、生きている意味を全く感じない。

 そんな世界は、窮屈すぎる。


「あぁ……貴方の狂気ぃに満ちたぁ表情も最高ぅに素晴らしぃ」


 この場でただ一人だけ、高揚感に包まれるアイゼン。

 こいつを殺してやりたいという思いが根底にありつつも、いくら抗ったところでこいつには勝てないということを飲み込んでしまっている。


 もはや殺して欲しいくらいだが、まだミアがいる。

 ミアを一人にして僕までそっちに行くことを、クウカとケートが許すはずがない。


「さぁ、もうそろそろ次のくいずたぁいむがやってくるよぉ。はやいってぇ? いえいえぇ、えくすとらげぇむ中も時間は計っていたからねぇ」


 黒い机の上に置いた砂時計を撫でながら、僕とミアを見下ろしてくる。


 次の問題に答えられなければミアを殺される。

 ミアまで殺されては、僕は本当に生きている意味が無くなってしまう。しかし、それは必ずしも最悪な未来だと言えるのか?


 ミアが死んだら、僕も心置きなくみんなの元へ逝けるのではないだろうか。

 だったら、次の問題に答えなくたって――


「待て」


 そう何もかもを諦めようとした時、部屋の扉が破壊された。


 立ち込める煙の中現れたのは、肩で呼吸をしながら険しい表情をする姉さんだ。

 やっと来てくれた。


 そう喜びたい気持ちと同時に、何故間に合わなかったのかと疑う気持ちがある。

 二人が死んだのは姉さんが間に合わなかったからではないか。そうやって姉さんに全てを押し付けてしまいたい。


 だが、心のどこかではわかっているのだ。全ての責任は僕にあると。

 無論、最も恨むべきはアイゼンだが、このような事態に陥ってしまった原因は僕にある。


「おやぁ? 思ったぁよりも早かったねぇ。ここにぃ、辿り着いたぁことを讃えてぇ、プレゼントぉを差し上げましょうぅ」


 興奮したアイゼンが僕の目の前にあるクウカのそれを掴み上げた。


「……ぁ」


 その汚い手で触るなと心では思っているのに、何故か口が上手く開かない。アイゼンに何かをされているわけでは無いが、言葉を発する力すら今の僕には残っていないのかもしれない。


 アイゼンは掴んだそれを姉さんの元に投げ飛ばした。

 攻撃と勘違いした姉さんは剣を構えたが、途中でそうではないと気付いて剣を納める。

 

 受け取ったそれを見た姉さんは、無言のまま動かなくなってしまう。


「ひひっ」


 奴の笑い声だけが部屋に響きわたった。


「姉……さん」


 どうにか絞り出すようにして姉さんに声を掛ける。


 すると姉さんは空中に右手から水を発生させ、クウカの切り口を指でなぞってからその水の中へと入れた。

 クウカの頭を包んだ水は宙に浮き、その中で血が水ににじみ出ることもない。


 両手が開いた姉さんは剣を抜くと、ゆらゆらとアイゼンの元へ進んでいく。

 次の瞬間、音もなく姿が消えた。


「おっとぉ、危ない危なぁい」


 声がした先、アイゼンのいる方向に目を向けると、姉さんが剣を振りかざしていた。しかし、アイゼンに当たることは無く、そのすぐ傍の残像を掻き消すだけに終わる。


 しかし、一度避けたことに安堵しているアイゼンに構うことなく即時に方向を転換し、横に跳んだ姉さんの突きがアイゼンの脇腹をかすめる。


「くぅ……痛いねぇ」


 かすめた直後にそのまま薙ぎ払うも、アイゼンの姿は姉さんの背後に移動していた。

 禍々しい漆黒の鎌が円を描くように姉さんの首を狙うが、それを剣で受けてから跳ねるようにしてアイゼンのみぞおちを蹴り飛ばした。


「がふっ――」


 アイゼンの体は宙を飛んで壁に叩きつけられる。

 その衝撃で逃げることの出来ない一瞬の隙をついて、姉さんが剣を構えて飛び込んだ。

 だが、剣先がアイゼンの首を捉える刹那、目の前でアイゼンの体が消失。振り返ると、扉の正面に立っていた。


 まるで瞬間移動のようなアイゼンの回避はこれが初めてではない。先程から姉さんの剣先が触れる直前にありえない位置へと移動しているのだ。


「残念だけどぉ、貴方の攻撃はこの洞窟内ではあたらないよぉ? まぁ、今のは少し油断したけどさぁ。そこは、流石は適合者ぁと言った所かなぁ」


 この洞窟内では当たらない? 適合者? 何を言っているんだこいつ。

 今の僕では頭が回らない。


 姉さんはアイゼンの言っていることなどお構いなしに突っ込んでいく。

 それでも、攻撃は一切当たることなく、次々にかわされてしまった。


「本当に、手強なぁ。私の動きに追いついてぇ……いや、予測し始めているようだぁ」


 ただ無駄ということは無く、少しずつだが攻撃がかすり始めている。


「まぁ、もぉう今回の目的ぃは果たしたしぃ、そろそろぉお暇させていただこうかねぇ」


 瞬間移動を繰り返しながら、そんな呑気なことを言いだした。

 しかし、そんなことを姉さんが許すはずもなく。


「逃がすわけがないだろ」

「ふぐぅっ――ああっ」


 移動した先をピンポイントで予測した剣が、アイゼンの右足を切り落とした。

 バランスを崩したアイゼンがその場に倒れ込み、痛みで悶えている。


「死ね」


 横たわるアイゼン目掛けて容赦なく剣が振るわれ、完全にその首を切り落とす。

 痙攣していた体が停止し、アイゼンは完全に息絶えた。


 今目の前で、父さんとクウカとケートの仇を、姉さんが殺してくれたんだ。

 何もできなかった自分が情けないが、姉さんのおかげで復讐は終わり。


 しかし、それで納得できるほど僕の心は強く出来ていない。

 僕は一体この怒りを、どこにぶつければいい……?


「……すまない」


 いつの間にか僕の傍に来ていた姉さんが、腕を縛り付ける鎖を外しながらそう言った。

 両手が自由になって立ち上がると、アイゼンの死体が目に入る。


 本当なら、僕がこの手で殺したかった……


 姉さんは続けて放心状態になっているミアの鎖を外したが、ミアは立ち上がらずその場にへたり込んだまま喋ろうとしない。


「姉さん……クウカとケートが死んだよ」

「……ああ、全て私の責任だ。すまない」


 感情を押し殺して謝ることしかしない姉さんに苛立ちを覚えた。


 どうして姉さんは僕を責めない。本当は僕が悪いことくらいわかっているはずだ。僕に掴みかかってその感情を全てぶつけてくれれば少しは楽になるのに。


 それとも姉さんはアイゼンを殺したことで満足しているのか? それで納得しているとでも言うのか?


 ……腹が立つ。


「どうして姉さんが謝るんだ」

「アベル?」

「どうして……どうして姉さんが謝るんだよ! 姉さんだって僕が悪いって、そう思ってるんだろ!? 僕がこんなところに雇用だなんて思わなければ、こんなことにはならなかったんだよ!」


 姉さんの胸倉を掴んで怒鳴りつけた。


 結局僕は、この行き所の無い感情を姉さんにぶつけるしかなかった。

 いっそのこと僕を恨んで殺してくれればいい。


 頼むから……僕を責めてくれよ。


「いいや、そもそも魔窟の情報を君たちに教えた私が悪い。それに、私がすぐに戻ってきて入ればこんなことにはならなかった」


 確かに姉さんに情報を聞かなければここに来ることは無かったかもしれない。

 いや、どちらにせよ今日の依頼の候補を見れば、ここに来ていた可能性は高いだろう。


「だけど――」

「もうそれについての言及はやめだ。今は互いに真面ではない。一度帰って落ち着いてから、もう一度話をしよう」


 僕の頭を撫でながらそう言う姉さんだが、その手にはいつものような温もりは無かった。


 改めて姉さんの顔を見ると、まるで生気が宿っていないことに気づく。上辺だけで平常心を偽っていても、姉さんが平気であるわけがないのだ。


「ああ、そうだ…………ね」


 返事を聞いた姉さんは少し距離を開けると、緑色に光る石を取り出して何やら話をし始める。

 どうやら白銀の仲間を呼んだらしく、数分後に数人の騎士が駆けつけてきた。


「副団長、これは……」

「ああ、説明は後でする。一旦、遺体をフェスタに運んでくれ。くれぐれも丁重にね」

「しょ、承知いたしました」


 姉さんの指示で、クウカとケートの元に騎士たちがやって来る。

 本当に、この人たちに任せてもいいのだろうか……出来ることなら、僕が届けてやりたい。


「安心していい。彼らは私が最も信頼している仲間達だ」


 僕の心配を悟ったのか、姉さんがそう声を掛けてきた。


 だからと言って安易に任せられるほど簡単な問題では無いが、僕が連れて行こうとしたところで現実的に不可能だ。任せるしかない。


 これで終わり。ここで起こった惨劇は一旦幕を閉じ――


「ひひっ」


 不意に、気味の悪い笑い声が、僕の鼓膜を震わせ


「副団長! この子生きて――」


 直後、ケートの元にいた騎士の首が切り落とされた。

 ゆらゆらと立ち上がったケートは、天井を向いて笑い出す。その声は確かにケートの声だが、ケートだとは思えない笑い方だ。


「ケート……?」


 今目の前で起きている状況が夢でなければ、間違いなくそこでケートは立っている。

 だが、どうしても僕にはケートだとは思えない。


 ケートは間違っても人は殺さないし、纏っている雰囲気がまるで違う。

 姉さんも目の前で仲間を殺されて動揺を隠せないでいる。殺した人間が明確な敵であるならば話は違ったのであろう。しかし、殺したのは確実にケートなのだ。


 ケートが人を殺さないことくらい、姉さんだってわかっている。

 だからこそ何もできない。


「あぁ……体を変えたのは何年振りかなぁ」


 けたけたと笑いながら、僕達の事を嘗め回すように見るケート。

 いや、こいつはケートではない。


「どぉもどぉも、さっきぃぶりだねぇ。残念ながらぁ、私の名前はケートではなくぅ、アイゼン・ジョッカーっていうんだよねぇ」


 ケートの声で、へばりつくような口調のまま名を名乗るアイゼン。

 こいつは、ケートの体を乗っ取ったのだ。


 何故死んだはずのアイゼンがケートの体で動いて話しているのかはわからない。

 だが、こいつは殺すよりも最低なことをしてしまった。


「貴様はどれだけ人間を弄べば気が済む?」

「弄んでなんかいないよぉ? 現に私はこの燃やしぃて灰になるはずぅだった肉体を、有効活用してぇあげているじゃないかぁ」

「もういい、もう一度死ね」


 ケートの体を自由に動かすアイゼンを見て、姉さんが剣を構えて飛び込む。

 しかし、アイゼンはその攻撃を避けようとはしなかった。


 何故ならその剣先は、アイゼンの首に触れる直前で止められたからだ。


「ひひっ……ひひひっ、そうだよねぇ、殺せないよねぇ。貴方の大切な子供たぁちは。まぁ、もう死んでいるんだけどねぇ」


 アイゼンに煽られても、姉さんはその剣をそれ以上動かそうとしない。

 手が震えて、剣をその場に落としてしまった。


 姉さんがやらないなら、僕がやる。


「死ねぇぇぇ‼」


 腰に携えた短剣を引き抜き、ケート目掛けて走る。

 こいつはケートの姿をしたただの悪魔だ。躊躇する必要はない。


「おぉ、貴方ぁはこの姿ぁの私を殺せるぅと?」


 奴の言うことに耳を傾けず、真っ直ぐに首を狙って刃を振るう。

 だが、剣先が首に突き刺さる直前に腕を掴まれてしまった。


「おいアベル! 落ち着けって、俺だ俺……ケートだよ!」


 ケートの振りをするアイゼン。

 だが、そんな小細工僕には通じない。何年、ケートと一緒にいたと思っている。


「黙れ、偽物。ケートは僕を止める時、必ずリーダーって呼ぶんだよ」

「ひひっ、どうやらあなたは、あの女よりも心を折るのが難しそうだ」


 一度だけ見せた低い口調でそう言うと、僕の目の前から姿を消した。


「でぇはでぇは、今日の所ぉは一旦引かせていただこぅ。またいつかぁ、会えるといいねぇ」


 頭の上から降って来る声に顔を上げると、宙に浮くアイゼンが僕達を見下ろしていた。

 鎌を一振りするとアイゼンの目の前に亀裂が発生し、広がっていく。


「ひひっ、さようならぁです」

「ま――」


 発生した空間の中に入ると、亀裂がみるみると塞がり跡形もなくなった。

 その亀裂に手を伸ばすも届くはずがなく、空気を掴むだけに終わってしまう。


「また、届かなかったのか……僕は」


 二年前のあの日も、僕の手は父さんに届かなかった。

 これでは、二年前と何も変わらない。何も成長していない。


「変わらないと」


 変わって、絶対に復讐してやる。



::::::::::::::



 白銀の騎士によって出口まで送られた。


 阿吽の魔窟の九層からここまで大分時間が経ったが、その間僕と姉さんの間で会話はまるでない。

 ミアは姉さんに背負われているが、心ここに在らずといった様子だ。


「私はもう少しここに残るよ。白銀の専属医師を呼びつけてあるから見てもらうといい」

「……わかった。ありがとう」


 姉さんが背負っていたミアを下ろすと、どうにか両足で立ちあがった。しかし、すぐにバランスを崩して倒れそうになる。


 肩を貸してミアを連れて行こうとした時、急にミアが一人で歩きだした。


「お花……花……を…………」


 そう言ってふらふらと、わき道を進もうとする。


「……ああ」


 穴が開いたはずの花畑にその穴は無く、幻想的なまま残っていて。


 ミアの摘んだ花の数は、最初に言っていたよりも少し多い気がした。


はたしてここまで辿り着いた読者様はいるのだろうか。

辿り着いていただけた読者様、本当に感謝いたします。ありがとうございます!

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