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第2話 死亡確認

 重い瞼を開けると見慣れた天井が見える。首を動かすと自分のベッドなのだと理解できた。


 動きの鈍い脳は何が起きていたのか正確に覚えていない。意識に濃い霧がかかったようで、考えることが難しい。


 うっすらと覚えていることを確認するために胸を撫でる。そこには何も刺さっていない。ただ、平坦な胸があるだけだ。


「ここは……俺の……部屋?」


 恭平は節々が痛む身体を起こしながら部屋を確認する。


 簡素で使用頻度が少ない机、ポスターすら張られていない殺風景な壁、面白みのない木製のクローゼット。間違いなく彼の部屋だった。


 手を何度も握って自分の意志で動くかどうかを確認した。


「夢……だった?」


 全身がフルマラソンを行った後のように疲れており、頭は徹夜した時より働かない。


 原因はおそらく、先ほど見た夢。

 死ぬプロセスを自らが行ったかのような妙なリアリティ。本当に死ぬのなら、あの夢のように苦しんで死ぬのだろう。


「自分が死ぬ夢とか……どうかしてる」


 そう呟いて恭平は立ち上がる。


 季節はまだ寝汗をかくほど暑くないが、全身に汗をかいている。恭平は嫌な気分になりながら、枕のすぐ隣に置いてあるスマホを手に取り、時間を確認する。


 いつも起きている時間より遅れていることがわかると、だるい身体に鞭打って急いでリビングへと向かう。



「おはよう、恭平。昨日から様子が変よ?」


 キッチンから母が挨拶してくる。仕事が終わったのか、エプロンを外すところだった。


「おはよ……う? 昨日から?」


 疑問はあれど、挨拶には挨拶で返す。

 恭平にとって、昨日という単語は非常に興味をそそられる。


「帰ってくる時間も遅かったし、晩ご飯を食べず部屋にこもりっきり。お風呂も入っていないんじゃない?」

「マジか……」


 恭平は寝巻のままくんくんと身体の臭いをかぐ。自分ではわからないのか、特に臭いを感じない。


「男なら1日くらい風呂に入らなくても平気よ。でも、女の子は毎日入って清潔にしないとダメね。私のように常日頃から淑女でなくっちゃね」


 テーブルでトーストをかじっている姉が横やりを入れてくる。


 姉は寝巻ではないがラフな部屋着を着ており、だらしなく足を延ばしている。ついでに、欠伸までしていた。

 その姿は淑女とは大きくかけ離れていた。


「昨日さ、俺、どんな感じだった?」


 テーブルに置かれている市販の食パンを2枚ほど取り出すと、トースターにセットする。

 それから、恭平も軽く欠伸をした。


「私も直接話したわけじゃないから、よくわからなかったけど、呼びかけには答えてくれなかったわね」

「あー、あれよ。告白に失敗して呆然自失になってたんじゃない? だから、帰ってくるのも遅かったんじゃない」


 いわれないことを着せられるが、恭平は特に気にすることなく朝食の準備を続ける。

 冷蔵庫から1リットル牛乳を取り出し、マグカップへ注ぐ。一口飲んだ後、牛乳パックを冷蔵庫へ戻す。


「なんかさ、俺、死んでなかった?」


 奇天烈なことを言いだす恭平に母と姉の視線が集中する。

 まるで頭がおかしくなった人の死を惜しむような眼だった。


「さーて、会社行く準備しないと」

「あんたも変なこと言ってないで早く食べちゃいなさい。遅刻するわよ」


 先ほどの発言を聞いていないことにするかのように、朝の会話がスムーズに進んでいく。

 恭平はチンという音と共に出てきたトーストを皿に盛り朝食を始めた。


「言い訳するけど、俺は告白なんてしてないからな」


 恭平は誰も聞いていないことに返事をしていた。

 それから黙ってトーストを齧った。



 朝食を終え、歯磨きと洗顔を済ませて着替えのために部屋へ戻ってくる。


「ははは……マジか……」


 そこで寝巻を脱いで露わになった胸には深い傷跡が残っていた。まるで10年以上前に手術が必要なほど大きな傷を負ったかのような傷跡だ。


 当然、恭平にはそんな記憶はない。もちろん、昨日の朝まではこんな傷跡はなく、実に健康的だった。


 胸を手で触っても確かに傷があったことがわかる。

 恭平は頭をかきながら、何が起こったのか考えていたが、すぐにその手を止めた。


「まあ、痛くもないし別にいいか」


 痛みはない、直ちに健康に害をなすものでもない。そのような些末なものは、特に問題はないと結論付けて着替えを続ける。


(――そんな楽観的に結論を出されたら困ります)


 誰かの声が聞こえて、恭平は部屋を見渡す。だが、簡素な部屋には自分1人しかいない。


 恭平は漫画やアニメの知識から、こういう空耳は大抵何かイベントが起こる予兆だと知っていた。だがそれは当然フィクションの話であり、現実の話ではない。


 いつもより遅れているということを思い出した恭平は、その声を無視して着替えを急いだ。




 学校の予冷が鳴るころ、恭平は自分の教室の前にたどり着いていた。

 いつもより少し遅い時間だったが、朝のホームルームに遅れなければ問題はない。


「おはよー」

「児玉くん、おはよー」

「おっす、児玉」


 教室に入ると軽い挨拶をする。数名のクラスメートが返事をする。

 その中で絶対に返事をしない相手へ向かって歩き出した。


「おっす、おはよう。今日は元気か?」


 背が低いというだけの理由で、最前列の席にいる瑠璃に向かって恭平は挨拶をする。


「おはよう」


 瑠璃はいつものように教科書を読んでおり、恭平に一瞥することもない。それでも、恭平へ挨拶だけは返してきた。

 いつものことなので、それに満足した恭平は自分の席に着いた。


「おい、児玉。相変わらず樋山さんにちょっかい出してんだな」


 あまり顔に覚えがないクラスメートが恭平に声をかけてくる。


「別に挨拶しただけだろ」

「それが難しいんじゃないか!」


 また別のクラスメートが話しかけてくる。


「お前はいいよなー、樋山さんに普通に声をかけれてさ」

「普通だろ」

「わかってないんだよなー。小さくてお人形さんのような容姿で人気があるのに、氷山のように鋭く冷たい性格だから話しけられない奴も多いんだぜ」


 クラスメートの1人が熱を込めて瑠璃のことを語っているが、恭平はいたって平静に聞き留めている。

 恭平はうんざりした様子で頭をかく。


「だったら話してやればいいだろ。あいつも多分喜ぶぞ、友達いないし」

「話せるんなら、今こうしてお前と話してねーよ!」


 話題の主である瑠璃に視線を向けてるが、教科書を読んだままこちらを気にすることはない。

 恭平は腑に落ちないという様子で首を傾げる。


 結局、クラスメートたちにとって、恭平とは瑠璃のことを知るためのツールでしかない。


 いずれホームルームを知らせるチャイムが鳴ると、集まっていたクラスメートは蜘蛛の子を散らすように退散していく。


 恭平は1つ息を吐くと教室に入ってくる教師に視線を向けた。




 今日も学校での生活が終わろうとしている。

 授業終了のホームルームを終えると、恭平はカバンを手に持ち黒板の方へ向かっていく。


「おう、じゃあまた明日な」

「さよなら」


 最前列の席に座る瑠璃の前に来ると、挨拶を済ます。

 瑠璃は珍しく教科書を読んではおらず、カバンへとしまい込みながら挨拶を返してきた。


 やるべきことは終えたと、恭平は教室を後にした。



 学校から出た恭平はいつもの帰路ではなく、昨日通過した公園へやって来ていた。


 公園は昨日とは違い、まだ辺りは明るく、まばらではあるが利用者もいる。

 犬の散歩をする人、ベンチで寝ている人、スマホに向けてお辞儀している人など、それぞれにするべきことをしていた。


 恭平は注意深く、地面を舐めるように調べて回る。


 昨日、本当に死んだのなら、どこかに痕跡が残っているはず、と恭平は考えていた。その結果、恭平は自分はここで1度ここで死んだことを確信する。


 痕跡が残っていた訳ではない。だが、調べれば調べるほど、恭平の胸が締め付けられていく。

 全身が、心が、ここで死んだのだと訴えかけてくる。


 これからどうするかを考えるために恭平が顔を上げると、そこには奇妙な風景があった。


 知らないうちに、公園に西洋の鎧が飾られていた。

 欧州の有名な城に飾ってあるような全身鎧に、その手に握られた剣。恭平の記憶でも実物の鎧を見るのはこれが初めてだった。


「……動いた?」


 つい、恭平の口から言葉がこぼれていた。


 本当に人が入っているのか、鎧は何を捜しているのか顔を左右に動かしている。

 この日本の平和な公園の中、全身鎧が剣を持ってうろうろとしている様子はあまりに異様だった。それだけでも異様なのに、誰もその鎧に気づいていない。


 今まさに鎧とぶつかりそうなほど近くを犬の散歩をする人が通り過ぎていく。普通に人とすれ違うにしても、気が付いて避けるほどの距離だ。


「まあ、関係ないか」


 鎧を着て歩くコスプレ大好きっ子がいてもいいと、恭平は公園の調査に戻ろうとした時、鎧と目が合った。

 その表現は正しくない。なぜなら、その鎧の中は空っぽだったからだ。目が合うことなど、あろうはずもない。


「なっ!」


 恭平は恐怖から目を逸らし、そこらの植え込みへ身を隠した。


 もしかしたら、暗くて中の人が見えなかっただけかもしれないと、恭平はもう1度鎧を見るが、やはり中身がない。


 全身鎧は恭平に気づくことなく、何かを捜してうろうろしていたが、何かを見つけたのかそちらへ向かって歩き出した。


 恭平はその先を見ると、よく見た顔がいた。


「あいつ! なんでこんなタイミングで来るんだよ」


 鎧の行き着く先には瑠璃が歩いていた。

 他の人と同じように鎧に気が付く様子はない。


 ただすれ違うだけだと、恭平は自分に言い聞かせて、身を隠し続けた。


(あなたはそれでいいのですか?)


 恭平はその女性の声に辺りを見回すが、こちらの近くには誰もいない。


 きょろきょろしていると、歩いていた全身鎧は瑠璃の前で立ち止まった。そして、手にした剣を振り上げる。


 とっさに立ち上がり、恭平は瑠璃に向けて走り出す。


「危ない!」


 恭平は勢いがついた身体で、鎧に体当たりをかました。だが、鎧は少しよろめいただけで剣を振り下ろせば瑠璃に当たってしまう。


 それを理解した恭平の体に熱い血が流れる。


 それは胸から発生して、右手に集中していく。

 その正体を知らぬまま恭平は、鎧に向けて放つと、何か得体のしれないものが輝きを放ち出現した。


 剣を持った手は吹き飛び、瑠璃に振り下ろされることはなかった。

 目の前の鎧は胴体を真っ二つに切れ、恭平の目の前で崩れ落ちる。そして、その鎧は元からそこになかったかのように、消え去ってしまった。


 恭平は消えてなくなった鎧を見下ろしながら、激しくなった呼吸を落ち着かせた。


「何やってるのよ、恭平。いきなり目の前に飛び込んできたら、危ないのは当たり前でしょ」


 恭平が声の方を見ると、不機嫌に眉を上げる瑠璃の姿があった。

 事情を知らない瑠璃から見たら、恭平のやっていたことは迷惑以外の何物でもない。


「ほら、えーと。鎧! 鎧がさ、剣でバシューって……」

「ふざけてるの?」


 次に瑠璃は口の端を下げて、恭平を睨みつけてくる。

 紫の瞳に射抜かれた恭平は、その様子に姿勢を正し、瑠璃と向き合った。


「うん。無事で何より」

「恭平がいなければ平和だったわ」


 恭平は付き人がごとく瑠璃の進行方向から身体をよけると、深々と頭を下げた。


「何やってるのか知らないけど、はしゃぎ過ぎて怪我しないようにしなさいよ」


 瑠璃はそれだけ言うと、止めていた歩みを再開する。

 恭平は頭を上げると瑠璃が見えなくなるまで眺めていた。


「結局、あの鎧は何だったんだよ……。瑠璃には見えていなかったようだったし」


 どっと疲れた恭平は公園の調査を打ち切り、家へ帰っていった。

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