離婚編 14
「寒くないか、大丈夫か?」
「……ううん、大丈夫、です」
私はお父さんの心配に笑顔で応える。
そういえば、マフラー、ふーちゃんに渡したままだったなあ。
このままずっとふーちゃんが持っているのって、辛いよね。ひどいことしちゃったかなあ。
思いながら、私はお父さんと一緒に歩く。
みーちゃんを騙して、私はあのあと、お父さんと商店街を歩いた。
しばらくはここには戻ってこれないだろうから、見おさめ、というか。
うん、少し、歩きたかったから。
でも、もう良い。
今からはもう、駅に行くところ。お父さんと、私は、電車に乗る。
そして、お別れする。
「……梨緒、携帯、光ってるみたいだけど」
お父さんは私の鞄が少しちかちかしていることに気付く。
私は、とっさに携帯をとった。
気にしないように、マナーモードにしておいたのに。
でも、開かないと、お父さんに心配かけちゃう。
私は、携帯を開いた。
相手は、竹お兄ちゃんだった。
たとえ、何を言ってきても、絶対に揺るがない決心を持って。
それが、竹お兄ちゃんでも。
「……」
私は何も言えないでいた。
何か言うたびに、弱音が出てしまいそうだったからだ。
私は、どうしてこんなに、今も不安でいるのか。
『……梨緒は今、お父さんと一緒にいるのか』
竹お兄ちゃんの声は優しかった。
ひどいくらいに、優しかった。
「い、いるよ」
虚勢だった。
本当はすごく怖い。今すぐこの電話を切りたい。
そうじゃないと、泣きそうだ。
冬の空気がとても痛い。
お父さんは目の前にいるのに。
私は今から、お父さんと暮らすのに。
とても、胸が痛い。
「ご、ごめんなさい。みーちゃんから、聞いたでしょ。私、私ね……お父さんと、一緒に」
声が出なかった。
私はこんなことを竹お兄ちゃんに言うの?
みーちゃんにも面と言えなかった事を、竹お兄ちゃんにも言うの?
「……だから」
だから、なんて言うの。
この先、とても、ひどい言葉を言う気がする。
そんな勇気、私には、無いよ。
『分かった』
竹お兄ちゃんは言った。
「……え」
心臓を掴まれたような気がした。
冬の寒さの中にいきなり連れ出されて、身が凍るような。そんな、状況。
竹お兄ちゃんは、私のことを責めてくれない。
怒らない。
優しい。
優しいまま、お別れするの?
『分かった上で、少しいいか?』
「……う、うん」
別れの言葉を、言うの、かな。
『今みんなが探してくれてるんだ。梨緒のこと。啓悟も、松川も遠野さんも、冬子も、実さんも』
みーちゃん……
私、騙したのに。みーちゃんに、ひどいことしたのに。
頬がすごく冷たい。
何かが落ちていく。そのあとを、冷たい冷気がたどっていく。
『俺も……迎えに行きたい。会いたい』
……え?
私は、反射的にお父さんを見た。
お父さんは穏やかな顔をして微笑んでいた。
私を信じてくれている目だ。
私と一緒に暮らす事を、考えている。
私と一緒に暮らすことしか、考えていない。
……お兄ちゃんと、お母さんなんか、知らないような顔で。
『今、どこに向かってる?』
「……駅。学校の、近くの」
竹お兄ちゃんは分かった、といった。
知っていた。
本当は少し分かっていた。
お父さんは私の事しか見ていない。お父さんはお兄ちゃんやお母さんを気にかけていない。
私にばっかり。
私のことばっかり見ていた。
寂しいんだって。寂しかったんだって。
私たちを捨てたときから、寂しかった、って嘘ついた。
分かったよ。知ったよ。
だって、もう高校生だよ。あの時から、私、少し大人になったんだよ。
だから分かる。
私、お父さんと一緒に行っちゃ駄目だ。
『今から迎えに行く』
「うん」
『会ったら、言いたいことがある』
「うん?」
『ううん、告白がしたい。だから、待っていて』
竹お兄ちゃんはそう言って、電話を切った。
私は、目を丸くして、しばらく携帯を耳にあててた。
お父さんは、私が涙を流している事に気付いて、目を丸くしていた。
きっと私たち、今、親子みたいに同じ顔をしているんだろうね。
でもねお父さん。
私。
「私、お父さんと、あなたと離れて、生きていきます」
私は言った。
そっと携帯をしまう。
お父さんと会ったときから、言わなきゃって思ってた言葉。
臆病な私が言えないでいた言葉。
竹お兄ちゃんが勇気を持って言ってくれた、言葉。
背中を押されたよ。
ありがとう。本当に、ありがとう。
「だから、私、帰るね」
私は言った。
そして、お父さんの横を通り過ぎる。
でも、お父さんに腕を掴まれた。
少し強く掴まれて、痛かった。
お父さんの顔は見れなかった。きっと、とても辛そうな顔をしている。そんなお父さん見たくない。
私のお父さんは、小さい頃、四人で笑っていた、あのときのお父さんのままで良い。
「ここには大切な人たちがいるの。私は、お父さんとじゃなくて、ここで、その人たちと一緒にいたい」
「さ、さっき電話をくれた人は、誰だったんだ」
行かないで、とは、言わないんだ。
もう、お父さんにも分かってるのかも。
私、少し頑固なところあるもんね。
「私の、大好きな人」
言って、私はお父さんの腕をそっとほどく。
顔は見ない。絶対に見ない。
そのまま、私は竹お兄ちゃんが、大好きな人が待つ駅へと走った。
駅に着くと、ホームには冬子がいた。
冬子は俺を見つけると、すぐに駆け寄ってきた。
「梨緒ちゃんは見つかった?」
「この駅にいるって、梨緒が」
「……じゃあ、これ」
冬子がマフラーを差しだしてきた。
「このマフラー……」
「風邪ひいたとき、梨緒ちゃんが貸してくれたやつ。渡しそびれちゃって。冬休みにも入るしさ」
冬子はそういって、俺の首にマフラーをかけた。
「ふふ、梨緒ちゃんの匂いするでしょ」
「なんだその変態発言」
冬子は肩をすくめて笑った。
「竹都が梨緒ちゃん捕まえるってことで、あたしは学校に戻るわ」
「え、冬子、学校に行くのか」
「どこかの生徒会長さんが、仕事してくれないからね」
「うぐ、すまん……明日は、必ず行くから」
「当り前でしょ!」
一喝し、冬子はそれでも笑って学校へと向かって行った。
俺は肩を落としてため息をついた。
マフラーが温かい。
早く、梨緒を迎えに行かなきゃな。
ホームから出てくると、駅のベンチに、小さな少女がいた。
はたから見ればまだ小学生と言っても納得されるような、そんな小さな女の子。
でも、俺は彼女と十一年一緒にいた。
ずっと一緒に。
そして、これからだって。
「……梨緒」
ベンチで俯いている梨緒の首に、そっとマフラーをかける。
少し泣いていたのか、目が赤い。
でも、口には出さないでおいた。
マフラーを渡された梨緒は、目を丸くしてこちらを向いてくれた。
そして、優しい顔で、微笑んだ。
「帰ろう。啓悟も、心配してる」
「うん」
梨緒はぴょん、とベンチから立ち上がり、俺は梨緒の手をつなぐ。
冬の澄んだ空気が、光を綺麗に映し出している。
雪「まだ降ってやらないZE」