離婚編 11
あの不思議な会話のあとは、他愛もない話をして俺は帰宅していった。
啓悟は、それでも元気はなかったが、相当気がめいっている訳でもなさそうだった。
あんなことを言いだすから、少しはらはらしていたが、彼は常々考えていた事を口にしただけらしい。
ただ今はそんなことを考えるよりも、梨緒のことだ。
梨緒と、父親とのこと。
それについて、俺たちは考えなければならなかった。
啓悟はただ、梨緒を叱ったというよりは、梨緒を離したくなかったのだ。
梨緒を父親に取られたくなかった。
だからあれは喧嘩というか……一方的な口論だったと思う。
梨緒は、これからどうしていくつもりなのだろう。
啓悟はこれからも今までと同じように梨緒と接するつもりらしい。
少しずつ信頼を取り戻して、
少しずつ綻びをなおしていって……
でもそのためには、父親をなんとかしないと、なおらないのかもしれない。と、啓悟も薄々感じていいるらしかった。
もうすぐで冬休みになる。
生徒会のほうも少しずつ落ち着きを取り戻しているから、俺も啓悟にはなるべく協力することを告げた。
今梨緒は、一人でいる。
そのことがとても心配だった。
四人でまた暮らしたいと願っている梨緒が、一人で何をするのかが、とても心配だった。
その後、二日くらいして、冬子が復活した。
「結構長引いたんだな」
終業式のリハーサルの時、俺は冬子と久しぶりに顔を合わせて、目を丸くした。
「誰のせいでこじらせたと思ってるの」
「え、俺のせいでこじらせられるのか?」
なんだか理不尽さを感じる。
「梨緒ちゃんのことでもやもやしたの! というか……さっきから様子見て思うんだけど、状況悪化してない?」
リハーサルということで生徒会は全員参加しなければならない。ということは、この場には梨緒もいるわけだが。梨緒は相変わらず、俺と目を合わせる事も、駆け寄ってくる事もない。
一人で与えられた役割をこつこつと進めている。
「……いろいろ心配をかけてすまない。でも、今度は、逃げないから」
梨緒を見つめながら、俺は冬子に告げた。
もう俺は逃げないと決めた。
昨日、あんなことを言ってくれた啓悟を裏切りたくない。
そして、少しずつ奏で始めるこの鼓動も、大切にしたいと思う。
「やっぱり竹都はかっこいいわね」
「え」
今までの態度と打って変わって、冬子は優しい声音で俺に言った。
その言葉があまりにも予想外だったので、目を丸くしてぽかんとしているばかりだった。
「いつでも協力するからね」
「……」
ぽかんとしてしまった。
何も言葉が浮かばず、ただその素直な冬子に目を丸くしていた。
冬子は俺が何も言わずに自分を見つめている事に気付き、顔を真っ赤にしてそっぽを向いた。
「別にあんたのためとかじゃないからね! あ、あたしはただ、梨緒ちゃんが心配なだけで……!」
「あぁ、分かってるよ」
余計な事は言わずに、素直にその言葉を受け入れる。
「なっ……」
すると冬子は返す言葉もなく、そのまま自分の持ち場に早足で行ってしまった。
うーん、やっぱり冬子の扱い方はよくわからない。
苦笑しながら、俺は梨緒を横目で見た。
……このままで終われば良いんだけど。
梨緒は、どこか遠くを見つめていた。
その見つめる先が、俺にも見えたらと、願った。
暗くなった部屋の中で一人、荷物をまとめていた。
冬の張り詰めた空気が、部屋の中でも静かに漂っている。
外は雪の気配を装いながら、なかなか降る事はない。
最小限の荷物を持っていけばいいと言っていた。
あの時、何故自分が全てを話せなかったのかと、未だに罪悪感はある。それでも、本当にすべてを話してしまったら、あの優しいお兄ちゃんでも、私の事を許してはくれないだろう。
でも、私がお父さんと一緒に行って、それから、お兄ちゃんもお母さんも一緒に来て……
そうしたら、きっとまた四人で。
そう思うのに、その先に確信は無かった。
むしろ不安が膨れ上がっていくばかりで、私は、今自分がしている事に自信が無かった。
誰か背中を押してくれる人がいればと思った。誰か叱ってくれる人がいればと願った。
だけど私の事を知る人はいなくて、私がそうしたばかりに、私はここで一人でいる。
怖い。
心の中で何度もよぎるこの感情を、伝えられる人も傍にはいない。
「…………おにいちゃん」
泣きそうになるのもこらえて、私は届かない言葉を呟く。
「竹お兄ちゃん……」
もう、後戻りはできなかった。
私は静かに、荷造りを進める。
お兄ちゃんには内緒。
そういったお父さんの心が、怖かった。
逃げ出したくなるのをこらえて、私は一人で臨む。
頑張ればきっと、また四人で暮らせると信じて。
雪はいつ降るだろうかと、何も無い心で窓を見た。