表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
90/100

離婚編 08


 電話がかかってきたのは、日がすっかり暮れたときだ。

 だいたいの生徒会役員も帰宅し、生徒会室もパソコンのキーボードの音や、紙の擦れる音、ペンを走らせる音しか聞こえてこない。 そこに、バイブ音が割って入る。

 静けさの中、自分の携帯が震えたので少し驚き、慌ててブレザーから携帯を取り出す。

 携帯の表示は知らない電話番号だった。

 一体誰だろうか。

 こういう場合、大体は間違い電話なのだが、無視するわけもなく、携帯を開いて耳に当てる。

「はい、もしもし」

『あ、竹都くん?』

「……遠野さん?」

 携帯からは遠野さんの、強く鋭い声が聞こえてきた。

 間違い電話よりも驚きの人物に、目を丸くする。

『ちょっと、迎えに来てほしいんだけど』

 言いづらそうに、遠野さんは頼んできた。

 迎えに、って、どうして?

 率直な疑問が浮かぶ。遠野さんに何かあったのだろうか。いや、遠野さんに何かあっても、彼女なら自分でなんとかできるはずだ。そうでなければ、松川を頼るはず。

 なのに何故、俺なんだ?

「迎えに、って、どうかしたんですか?」

『うーん、梨緒ちゃんを今保護してるんだけどね』

「梨緒を?」

 遠野さんの口からは意外な名前が出た。

『そ、梨緒ちゃん。知らないおじさんが話しかけてたところを見つけてね。あ、知らないって言ってもアタシがね』

 遠野さんは普段よりずっと静かな声で話していた。

 知らない、おじさん。

 それは……

 その時の俺には検討がつかなかった。

 何も、よぎるものもなく。

『時間も時間だから怖いなあって。だから助けてあげたわけ』

 部屋の短針は八を差す。

 梨緒はこんな寒い中、何をしていたんだ?

『で、近くのファミリーレストランで梨緒ちゃんに尋問してるんだけど……あのおじさんとは知り合い、以外は何も話さないのよ』

 いちいち不安を仰ぐ単語を使ってくる遠野さん。

 遠野さんが見つけるということは、遠野さんの学校の近くと考えて良いだろう。遠野さんの学校は梨緒の家からもそう遠くはない。

「あの、遠野さん……一つお願いしても良いですか」

『……何かはなんとなく察しがつくけれど……なに?』

 明らかに怒りを含んだ問いかけだった。

 一瞬気圧されそうになるが、踏み止まる。

 今梨緒に何が起こっているのかは分からない。でも、俺が傍にいてやる方が良いことは分かる。

 そうは思う。だけど、手元には現実的な、問題が置いてあるのだ。

 生徒会の仕事と、梨緒を天秤にかけているわけではない。ただ、これはタイミングというか……

『……分かったわ』

 不本意そうな声で、それでも遠野さんは了承してくれた。

『アタシはどっかのお人好しみたいに余計なことは言わない。薄情な誰かみたいになにもしないわけでもない。アンタがそう決めたなら、アタシはアンタに協力するわ』

 遠野さんはそう、厳しく忠告をした。

「……」

 俺が、決めたなら……

 黙ってしまった。

 迷いがあるような、そんな心持ちで。

 でも、

「お願いします」

 一言、振り絞る。

 少しの間のあと、遠野さんはわざとらしく大きく嘆息した。

『ほんと、アンタは最低な男ね』

 最後に吐き捨てるように言って、乱暴に電話を切られた。

 ぶつり、と電話が切れる音が耳に残っている。少し視線を落として、俺は携帯を閉じた。

「何かあったんですか?」

 生徒会の一人が声をかけてきた。

「あ……いや」

 周りの人間に迷惑をかけないよう、何でもないふりをした。

 その感情がふと、誰かに似ていると思った。

「生徒会長、大丈夫ですか?」

 俺の顔色を見て、聞いているのだろうか。

 確か俺も、梨緒をこんな風に見ていた。

 迷惑じゃなくて、心配で。

 梨緒は知っている人と会っていた。それだけで、そんなに深刻なことではないと思っていた。

 でも、それが男性で、中年で……

 そして、この時期に。

「せ、生徒会長?」

 思い至った瞬間、俺は立ち上がった。

 そして身の回りを片付けて、目を丸くしている生徒会員に言った。

「ごめん、用事ができたから今すぐ帰る。鍵、よろしく」

 はやる気持ちを押さえてなんとか伝え、生徒会室を飛び出すように出た。

 向かうは、梨緒のもと。


「……いた」

 肩を揺らし、息を切らし、少し静かなその店を眺める。

 梨緒の家から、そのファミリーレストランの途中の道で出会うだろうと辿ってきたが、結局はファミリーレストランにまで着いてしまった。

 そして店内を見渡せば、奧の窓際に遠野さんが見えた。仕切りで見えないが、手前には梨緒がいるのだろう。

 息を整えて近づいていくと、遠野さんが顔を上げた。

 目が合い、にやりと笑う遠野さん。

「……」

 遠野さんも、お人好しじゃないですか。

 言いそうになるのをこらえ、軽く頭を下げる。

「ありがとうございます、遠野さん」

「いーえ。すぐ来てくれたら王子様、っていおうと思ったけど……ほら梨緒ちゃん。保護者様がきたわよ」

 梨緒は何も答えなかった。ただ、決まり悪そうに下を向き、顔を合わせない。

「アタシのときからずっとこうなの」

 面倒見の良いお姉さんみたいに肩をすくめ、さて、と言いながら席をたつ。

「アタシはこれで。あと支払いよろしく」

「はい……って、え、俺が払うんですか!?」

「当たり前よ。まったくこのアタシに気を遣わせておいて」

「は、はい……感謝してます」

 遠野さんの睨みはかなり怖かった。

 これを松川は毎回やられているのか……

 頭の端で松川に合掌しながら、遠野さんを見送る。

 最後に遠野さんは小さく、

 手を離さないでね。

 と言った。

 その言葉は、あの受話器越しの生徒会長と同じ言葉で、生徒会長の弟さんが、ふとよぎった。

 手を、離さない……

 小さく深呼吸をし、席について、梨緒と向き合う。

 梨緒はこちらを見ない。 何から聞けば良いのか分からなかった。

 向かっている間は、ただ夢中だったから、考えている暇がなかった。

 何を言ったら、今の梨緒を傷付けるとか、分からない。

 ただ、梨緒が心配で。

「……心配したんだ」

 伝えると言うより、呟いた。

 梨緒に合わせる顔もない。

 情けないと、今更思い始めた。

 遠野さんに言われる前から気付いていたのに。

 俺は確かに、手を離していた。

 現実的な問題で……生徒会を理由にして、梨緒から逃げていたようなものだ。

 梨緒との関係が、不安だったから。

 厚かましいと思ったんだ。梨緒と啓悟たちの事情に何か言うのは。だって、あの時俺は黙っていたんだから。

 泣き続けた小さな二人を、黙ってみていたんだ。

 今更、何か言うとか、そんなこと……できるわけない。

 そう、思って……

「心配して……梨緒がいて、良かった」

 率直な言葉をおくる。

 それでどうなることもない。

 ただ、俺が言いたいだけ。

 厚かましく、言いたいだけ。

「……」

 梨緒が、顔を上げた。

 晴れやかな顔ではない。

 目を丸くして、申し訳ないように眉を下げて、苦笑していた。

「……ごめんなさい」

 大人びて見えた。

 普段の、何も知らないようなあどけなさは無く、何かを必死に秘密にした顔。

「竹お兄ちゃん、ごめんなさい」

「……誰に会ってたか、聞いて良いか?」

「……うん」

 ぎこちなく頷く。

 店内が静かになった気がした。

「お父さんに、会ってたの」

 もしかしたらとは思っていたが、聞いた瞬間、どきりとした。

 そのあとに渦巻いてくる疑問。

 今までそらしていた分、焦りと不安も合わさり、何をいえばいいのかわからなくなる。

 ただ、何かを言おうと口を開いているだけだった。

 梨緒はそんな俺の様子を見て、ごめんなさい、ともう一度言った。

「ほんの少し前に、帰る途中で、お父さんに話しかけられたの……最初は誰なのか分からなかったけど、ちゃんと、確認したから……うちに、写真があって……それで」

 梨緒自身もまだ頭の中で整理ができていないようで、なんとかぽつりぽつりと話しているようだった。

 俺は黙って、梨緒の落ち着かない仕草を見ながら頷いていた。

「それからお父さんは、よく私に会いに来てくれるようになったの。最初はただ嬉しかった。本当に、嬉しかったの」

 俺の目を見て、必死で訴えてきた。

 それも、そうだろう。

 だって梨緒は、離婚してもずっとお父さんのことを思っていたんだ。だから、毎年この時期に梨緒は元気がなくなるんだ。

 ……ずっと、会いたかったんだ。

「だけどね」

 俯き、膝の上にのせた手を見て、梨緒は続ける。

「だけど、すぐにそんなこと考えちゃダメだって思ったの。お兄ちゃんは、お父さんのこと嫌いだし、お父さんと会ってるなんて、きっと、悪いことなんだ、って、知って……だけど、お別れもしたくなくて……」

 泣きそうな声をしていた。

 泣いているのかもしれなかった。

 俺は、うん、と頷いた。

 もう一度、離れることはできない。

 離れたら、また、あの時と同じくらい泣くのだろうか。

「……」

 俺は何も答えなかった。

 梨緒の話を聞いてあげることが、精一杯だった。

 きっと、今俺が何かいえば、梨緒は必ずそれに賛同する。それではだめなんだ。

 梨緒が、決めなきゃ、

「……私、もうお父さんには会わない」

 しばらくして、梨緒は言った。

 はっとして梨緒を見ると、梨緒は静かに窓の外を見ていた。

 真っ暗になった外。

 車や、信号の光が、見える。

 穏やかな表情をした梨緒が、少し怖いと思った。

 さっきまで、あんなに不安そうで、自分を責めていたのに。

「もうお父さんには会わないから……迷惑かけてごめんなさい。もう、会わない……お兄ちゃんにも、今までのこと話す」

「……あぁ」

 少し戸惑いながら、俺はしっかりと頷いた。

 梨緒は決まり悪そうに眉を下げた。

 それでもまだ、不安なのだろう。

「ちゃんと、梨緒を家に送り届けるよ。それと、啓悟に言うのも、俺も一緒に言う」

 手を離さない。

 心に刻んで、俺はそれを表明するように、梨緒に言った。

「……うん」

 梨緒は照れたようにはにかみ笑った。

 久しぶりに、梨緒の笑顔を見た気がした。

 俺も微笑んだ。

 けれど、どうしてだろう。

 安心もしたけれど……

 何か、また、不安が大きくなったような気がした。

 梨緒の隣にある窓からは、暗闇ばかりが覗いている。

 それが、怖かった。

「じゃあ、行こうか。ほんとに、ごめんね。生徒会の仕事もあったのに……」

 梨緒は立ち上がりながら、いつもの様子で謝ってきた。

 普段の元気を取り戻したようで、先程の一抹の不安は消えた。

 大丈夫なのだ。梨緒を信じよう。

 思いながら、支払いを済ます。

 ひどい出費を覚悟していたが、拍子抜けしてしまった。

 遠野さんはどうやら飲み物しか頼んでいないようだった。

「……遠野さん、すごくいい人だね」

「あぁ、お人好しだな」

「生徒会長さんだったら、きっと容赦なくたくさん頼んでいたよね」

「たしかに」

 梨緒はくすくす笑った。

 あとで、またお礼を言わなきゃだな……

 微笑しながら、俺たちは家へと向かった。


これ、12月の話なんだぜ……?

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ