離婚編 05
「……なんであんたがいるの」
あたしはここで出会うはずの無い人物と遭遇してしまい、つい辛辣な言葉をかけてしまった。条件反射という奴かもしれない。
暖房のきいた、白い部屋。ここにくると、授業を休んだ罪悪感が少し胸に刺さる。
「おっと、冬子ちゃん」
「……名前で呼ばないで」
ぴしゃりと言って、あたしは長机の上に置いてある体温計を取り出す。
松川はベッドから起き上がり、面白そうに笑う。
「なんだなんだ、風邪か?」
「……多分、そんな感じかな」
そっけなく対応して、座って体温を測る。なるべく松川と遠い椅子で。
「急に寒くなったからなぁ。そろそろ雪も降るんじゃね?」
「……」
あたしは体がだるくて、いちいち松川の言葉に反応する気にはなれなかった。
早退しようかなぁ。でも、周りに迷惑かけるの嫌だしな。今日も委員会、あるし。
きっと、早退したら竹都が心配してくれる。……ううん、心配してしまう。
この一時間だけ休んで、あとの授業はちゃんと出よう。委員会も、出なきゃ。
「って、うわっ」
そう決断して顔を上げると、松川が目の前にいた。
あたしのことをじっと見つめている。気持ち悪っ。
「な、なに……」
風邪のせいか、いつも以上に鼓動が速い。
松川はあたしの額に手を当ててきた。
ああ、熱、か。
体温計測ってんのに。本当に頭悪いんだ。
でも、松川の手はあたたかくて、ほんの少し心地よかった。さっきまで寝ていたのかな。
「そんなに近いと、風邪、うつるかもしれないよ」
「……」
「……遠野さんに、誤解されるよ」
なかなか動かない松川に早くどいてほしくて、あたしはちょっとした脅しをかけた。
すると松川はさっと顔を青ざめてあたしから遠ざかった。
松川の温かい手が、するりと額から離れる。
「……何する気だったの」
「いや、本当に風邪かなと思って」
「あんたみたいに仮病なわけないでしょ」
「……あっそ」
痛いところを突かれたのか、松川は口を尖らせてあたしから離れていき、もとのベッドに座った。
「……あのさあ」
松川が声をかけてくる。黙ってられないのかな。
「竹都はさ、ほんとに梨緒ちゃんのこと好きなの?」
「……は?」
いきなりなんだ。
あたしは唐突な質問に目を丸くした。
「好きなんじゃないの?」
あたしは辛いながらも遊園地の時のことを思い出す。
何かと梨緒ちゃんのことばかり見て……好きあらば梨緒ちゃん梨緒ちゃん……!思い出していらいらする。あのときは、本当に竹都が好きだったから、辛かった。
でも、今は違う。
「……竹都は、気付いてないだけだよ」
あたしは誰に言うでもなく呟いた。これはきっと、竹都に言いたい言葉なんだろう。
松川はそうだな、と相づちを打った。
それでも……
あたしはぼやっとした頭で考える。
それでも、気付いてないだけでも、もう少し梨緒ちゃんのことを心配してあげても良いと思う。ううん、好きだとか嫌いだとか、そういう前に、友達として。
友達として心配するべきだ。お節介とか、お人好しとか、そもそも竹都はそういう役割のはずじゃない。
それなのに、今回はどうして何もしようとしないの?
そこで、思考を停止させるように体温計が鳴った。
あたしは体温計を取り出す。
「うわっ……」
表示を見て、つい素直な声が出てきた。
「なんだ、熱あんのか」
ベッドから松川の声が聞こえてくる。
「う、うるさいっ」
あたしは松川に察せられたくなくて、すぐに体温計のスイッチを切った。
38度……もともと体温は高い方だけど、大丈夫かな……ここまで来ると、周りに移すかも知れない……
うーん、欲張ると何日欠席するかわからないわ……
とりあえずベッドで休みたいのだけど、松川がいるから椅子で我慢するしかない。
ったく、病人に優しくないんだから。
とりあえず備えてある毛布を一枚拝借するためにベッドの傍らの籠に近付く。
すると、松川が立ち上がる。
「ベッド使うんだろ」
と、なんとまあ意外な気遣いを見せてくれた。
……そうだよね、元々は素直で良い子とか、遠野さん言ってたものね。
「あ、ありがとう」
それに、独学美術だし。
なんだかあの時のカミングアウトが面白くて、少し心の中で微笑む。
そっか、そうだよ、松川は、元は良い子なんだ。
「保健室で二人っきりなら、梨緒ちゃんが良かったなー」
……
さて、松川を永眠させたところで、あたしも少し寝ようかな。
静かになった保健室で、あたしはゆっくりと目を閉じる。
竹都が何もしないなら、もうあたしが梨緒ちゃんを助けるしかない。もう、あんなに辛そうに笑う梨緒ちゃんは見ていられないから。
あたしは、梨緒ちゃんの恋敵で……友達だから。
あ、そうだ。
「松川、この授業終わったら起こして」
眠気が襲う頭で、その一言だけを松川に伝える。
「それが携帯で人を殴った奴が頼めることか!」
その時にはもう、あたしは眠りについていた。
廊下が赤く染まっている。もう、本格的な冬が始まっていることに気付かされる。
あたしは梨緒ちゃんに会いに、一年生の教室へと向かっている。
熱は少し大人しくしているようで、今はあのときよりは体が軽い。ぐっすり寝たおかげかもしれない。
「あ、梨緒ちゃん」
長く揺れる髪をなびかせて、梨緒ちゃんは振り返った。大きめなマフラーをしていて、とても温かそうだ。
「ふーちゃん!」
あたしの顔を見て、梨緒ちゃんはにっこりと笑う。
やっぱりその笑顔には元気はない。それでも、虚勢みたいな、そんな辛いものがみてとれる。
ねえ、梨緒ちゃん、それでうまく笑えているつもりなの?
言いたい言葉を、呑み込んだ。
「ねえ梨緒ちゃん、最近何か悩み事とかない?」
「え……」
梨緒ちゃんは一瞬肩を震わせる。でも、すぐに取り繕うように微笑んだ。
「ないよ。どうしたの?」
軽快に返してくる。本当に、どうしてこんなにも隠したがるのか。
「ううん、なんでも……ただ、最近梨緒ちゃん、元気ないように見えたから」
「ふふ、ふーちゃん、なんだか竹お兄ちゃんみたい」
梨緒ちゃんは肩をすくめた。
「そ、そう……?」
梨緒ちゃんは、竹都が何も言ってこない事について、何も思っていないのかな。
ううん、きっと辛いはずだ。
誰にも何も言えないのは、きっと辛いはずだ。
「ね、梨緒ちゃん――」
「ごめんね、ふーちゃん。私、ちょっと待たせてる人がいるんだ」
梨緒ちゃんは申し訳なさそうに眉を下げる。
一年生たちが下駄箱に向って帰っていく。それが、あたしたちの隣を通り過ぎてゆく。
梨緒ちゃんも、帰っちゃうんだ。
……あたし、梨緒ちゃんにちゃんと言いたい事言えたかな。
このままじゃ、逃げられちゃう。
そう、呼びとめようとしたけど、
「ふーちゃんも気をつけてね。はい、どうぞ」
梨緒ちゃんは温かそうにまいていたマフラーを、あたしに渡してきた。
「え……」
「ふーちゃん、まだマフラー持ってきてないんだね。だから風邪ひいちゃうんだよ」
どうぞ、と梨緒ちゃんは優しくマフラーをあたしの手にのせてくれる。
でも、あたし風邪ひいていること、まだ松川にしか知られていないはず……
「心配してくれてありがとう。私は大丈夫だから、ふーちゃん、早く風邪治してね! 無理して委員会に出ちゃダメだよ!」
梨緒ちゃんはそうあたしにアドバイスして、とたとたと廊下を走っていく。
残されたあたしは、マフラーに残った温もりを感じていた。
……逃げられた。しかも、心配された。
きっと、あたしだけじゃだめなのかもしれない。
あたしだけじゃ……
それでも、あたしは梨緒ちゃんのこと助けたいんだよ。
助け、たいのに……
夕暮れの時間は早くて、すぐに夜を連れてくる冬。まるで夜が夕日を追いたてているようにも見えた。俺も、まだまだ生徒会に追われていた。
もうすぐで終業式だ。それが終われば冬休み。冬休みは二週間くらいしかないが、宿題が多いのが嫌になる。
けれど、クリスマスもあるし……それで、梨緒と啓悟たちと、一緒に過ごせればいい。
そんな想像をしながら手を動かす。
一年生は仕事がある係りとない係りがあるから、依然人数は少ない。もちろん、梨緒の姿はない。
「あれ……」
そういえば、まだ冬子も来ていない。
冬子は仕事の無い係りに分類されるはずだが、いつも最後まで一緒に仕事を手伝ってくれている。
今日は、もう帰ったのだろうか。
そう思った矢先に、
「こんにちは」
冬子が生徒会室に入ってきた。
どうやら遅れてきただけらしい。
松川が、今日保健室で冬子ちゃんに会った、なんて言っていたから、少し心配もしていたが……
どうやら元気そうだ。
俺は仕事を再開する。
「ねぇ、竹都」
冬子は生徒会室に入ってきて、まっすぐに俺の方へ向ってきた。
「……なんだ?」
俺は視線を上げないで、冬子の呼びかけに応える。
「梨緒ちゃんのこと、心配じゃないの」
その質問に、俺はため息をついて顔を上げた。
「またその質問か。なんで冬子はその質問ばかりなんだ?」
放っておいてやれ、と言ったはずなのに。
……って、あれ、冬子がしてるマフラーって。
「冬子、そのマフラー……」
「あたしがその質問ばっかりって、心配だからに決まってるでしょ!?」
「お、おい、冬子……」
生徒会室でこれだけ大声を出されると、周りが……
一年生にも聞こえてしまう。
梨緒の、同学年に――
「あたしは梨緒ちゃんの友達だから心配しているの! 竹都は梨緒ちゃんの幼馴染でしょ!? どうして心配できないの!?」
「これは、俺じゃ駄目なんだよ」
冬子を静めるように、優しく、ゆっくりと言う。
梨緒のことは、俺じゃどうにもできないし、俺なんかが何を言っても、何も変わらないんだ。
冬子は、俯いて、肩を震わせていた。
「冬子……?」
しばらくそうしていたから、俺は心配になって、立ち上がって冬子の肩に触れようとした。
冬子は、俺の手を弾いた。
「……そうやって意味の分かんない言い訳ばっかりして……臆病者!」
「……」
俺は、何も返せなかった。
冬子の怒りにも驚いたけど、……そうか、臆病者、か。
冬子には、そんな風に映ってしまっているのか。
「風邪をひいたので帰らせていただきます! あとこのマフラーは梨緒ちゃんから貸していただきました! お疲れさまでした!」
冬子はいっきに言って、さっさと生徒会室を出ていってしまった。
俺は冬子に払われた手を戻して、また席に着く。
……なんだか、とても疲れてしまったように思う。
でも、今は目の前の仕事につかないと……
冬子、梨緒からマフラーを借りたって……じゃあ、冬子は梨緒に会った、っていうことだよな……
なんの話をしたのだろう。冬子なら、何か悩み事は、とか、そういうのかな。
「派手にふられたみたいな顔して。さっきの冬子ちゃんは、ニュアンスが『実家に帰らせていただきます』だったよな」
自分で言って自分で笑っていた。
生徒会室にのこのこ入ってきた松川は、俺によぉ、と手をあげて挨拶をした。
俺は意外な来客に目を丸くする。
「松川? なんでここに……」
「あぁ、ちょっとした伝言があってな」
松川は言って、一枚のメモ帳ぐらいの小さな紙を取り出した。
「……伝言?」
俺は、首を傾げた。
ほぼ一カ月ぶり……!ひええ夏休みには完結させたいです……!