離婚編 04
オレと梨緒は向かい合わせに座り、竹都は横でそれを見ていた。
横目で梨緒の表情を見ると、梨緒はただ不安げな顔をしているだけで、それ以外は何も分かっていない様子だった。
オレのただの早とちりなのか……
家に帰ってきたことで少し気持ちも落ち着いてきたのか、そう思えてきて、オレはそこでやっと顔を上げた。
「梨緒……さっきはいきなり怒鳴ってごめんな」
眉を下げて、でも少しだけ微笑んで謝る。
梨緒はそれに驚いた表情を見せ、やがて微笑んだ。
「ううん。心配してくれてうれしいよ」
「梨緒……!」
この子はなんて優しい子に育ったんだ……!
「はいはい、なんかいつものギャグ展開にしか進まなそうだから良いところ悪いが介入させてもらう」
「なぬ」
感動の涙を流している時、余計なタイミングで竹都が入ってくる。
「まず、梨緒はどうしてこんなに早く起きてるんだ?」
どうやら竹都はこの事件の原因解明をしてくれるらしい。
オレも乗じて梨緒の顔を覗い見る。
梨緒はいつもと変わらず少し微笑んで、けれど不思議そうな顔をしながら口を開く。
「私は、お弁当と朝のご飯を作ろうと思って早起きをしたんだよ」
「……そうか」
母さんはどうしただとかは、流石にもう聞かないらしい。
オレは少し心が翳るのを感じて、気を取り直そうと、
「さっすがオレの妹! 用意集合ってやつだな!」
「用意周到、のことかな?」
うむ、さすがオレの妹。訂正も早い。
そうおどけると、話に茶々を入れるなと竹都が叱った。
ったく、竹都はこう筋金入りの真面目だからだめだよなー。
思いながら、口を閉じることにする。
「今回はただの啓悟の早とちり、だったみたいだな」
竹都がそう疲れたように溜息をつく。
「妹を心配して何が悪いかっ」
「限度を考えろ、限度を」
普段の調子が戻ってきたようで、オレはいつものように竹都にお兄ちゃん魂を発揮する。
そうだ、今回はオレの早とちり。
そうしながら、オレは自分に言い聞かせる。
梨緒がオレに黙ってどこかに行くはずがないんだ。
オレは自分に言い聞かせる。
大丈夫、梨緒はいつだって傍にいる。
オレはもうこのことは考えないように、そうやって今回の事件に終止符を打つ。
時が過ぎればこの憂鬱感も、不安もなくなってくれる。
オレはそう信じて、竹都と梨緒の隣でへらへらと笑って見せた。
梨緒行方不明事件(啓悟の早とちり)は無事解決し、俺たちは普段通りの時間に学校へと向かった。
あのあと梨緒に誘われて朝食は夏池宅で御馳走になった。朝からお世話になって申し訳ないが、夏池母も遠慮なく、と言ってくれたので遠慮なく梨緒の手料理を食べた。
夏池母は例年よりも衰弱がひどいのか、随分と痩せて見えた。実際痩せているのだろう。しかし本人は明るく取り繕っているし、家庭の事情に口を出せるほど俺は大人ではないから、何も言わなかったが。
けれど俺は少しの不安を覚える。
どうして今年は、こんなにも気がかりな事が起こるのか。
それがどうも気にかかった。
「……」
いや、それよりも目の前にいる松川の頬に、大仰につけられた湿布の方が気になる。……気になってしまったのだ。
「おはよう」
とりあえず挨拶をしてみた。そしていつも通りに席につく。
「あれ、なんで? 今の竹都の表情すごくオレのこと気にしてくれたような顔をしていたのに、なんでそうスルーしちゃうのっ?」
松川は焦ったようにわたわたと俺の傍らへ寄ってくる。
「いや、なんかいつもの癖で。それに、大体予想はつく」
「そうなんだよ聞いてくれよ!」
松川は糸が切れたようにその傷のいきさつを嘆きながら報告してきた。うん、大体予想通りだった。松川の彼女の遠野さんからつけられた傷らしい。理由は不明。まあ遠野さんはただ返事をしなかっただけでもあれだけのビンタをするらしいから、ちょっとしたことなのだろう。
松川にとっては死活問題だが。
「オレはどうして彼女が好きなのかが分からない……」
「いや、お似合いだと思うが」
「どこが!?」
松川が悲痛な叫びをあげる。
「ボケとツッコミ具合が?」
松川は正真正銘のボケでも、遠野さんはツッコミではないが。ニュアンス的にはそんな感じだろう。
「あれのどこがツッコミなんだよおおお! オレそろそろ死ぬぞ!」
「じゃあ別れたら?」
あとお前はツッコミではない。
「……殺される」
どうやら命を掴まれているらしい。こわいこわい。
松川は一通り愚痴(毒気?)を吐けたのか、すっかり落ち着いてきたようだ。朝の静けさが教室に戻り、教室にいるクラスメイトたちも各々の作業にとりかかりはじめた。毎朝こんなやつのせいで、どうもすみません。
俺は心の中で謝り、松川のほうに視線を戻す。
すると松川はいつになく真剣な顔をしていた。なんだ。
「竹都、お前はさ、梨緒ちゃんと付き合わないの?」
「……は?」
そんな真剣な顔をして何を言い出すかと思えば……
俺はため息をつき、呆れたように松川を見た。
「俺は梨緒とは付き合わないさ」
俺は普段通りの表情、口調でその質問に答えた。
だって梨緒は妹みたいな感じだし。それに、啓悟が何より許さないだろう。
「なんでさ」
松川は追求してきた。そんなに気になるものだろうか。いや、人の恋路だしな。そりゃあ気になるよな。でも残念。
「梨緒は俺のことをそういう風に見ていないからだ」
俺は断言した。ずっと傍で見てきたから分かる。
……きっと、梨緒は俺の事を好きにはならないさ。
「なんでそうやって断言できるんだよ」
松川は、尚も下がらない。しかも、若干怒っている?
「ていうか、オレはお前はどうなんだって聞いているんだ。梨緒ちゃんの話は横に置いといて」
「だから俺は付き合わないんだって」
「なんでだ? 梨緒ちゃんのことが嫌いなのか?」
「なんでそう極端なんだ」
俺は松川の意味のわからない怒りに乗せられて、自分の声も怒りが含まれていることに気付く。でも、抑えることはしなかった。
思っているより、俺はこの質問が嫌いなのかもしれない。
こういう話はもともと苦手だけど、でも、それが、
『梨緒』との話になると、
逃げたくなるんだ。
「俺は梨緒のことは好きだ。でも、それは妹としてで、付き合うとか付き合わないとか、そういう話にはならない」
「……」
松川はそう言われて……俺にそう断言されて、何かを深く考え込んだ。けれどすぐにそれをやめて、最後に、
「あっそ」
と無愛想に言って足早に教室を出ていってしまった。
俺はその背中を目で追いながら、
微かに痛む胸に、よくわからない感情を抱いていた。