会長編 16
ひたすらに走っていた。
夕闇に染まる廊下。
暗闇に食まれる廊下。
そのまま何もかも食いつぶしてしまえばいい。
弟は一人だ。
それは変えられない。どうしようもない事実で、
きっともう、弟と会えないことも、
どうしようもない現実だ。
全速力と、泣きそうで痛む喉が辛くて、立ち止まる。
抱えていた花束は、まだ私の腕の中で凛と咲いている。
横に、とある教室があった。特別教室だ。
天井近くの札を見れば、生徒会室と書いてあった。
なんて皮肉だろうか。
私は自嘲気味に笑って、生徒会室に入った。
「……」
誰も居ない。
だって、みんな体育館にいるから。
あんな茶番劇を見せ付けられて、誰かは私を道化と指差して笑うだろうか。
いっそその方が良かったのに。
ほら吹きの生徒会長って、言われれば、罰を受けているようで、その方がいっそ清清しい。
なのに、あんな恩返しをされて。
恩なんて何も渡したことも無いのに。
ひどい。
なんてひどい世界だろう。
私は生徒会室の扉に背中を預ける。
いつかの副生徒会長がそうしていたように。
私を閉じ込めるように、私を逃がさないように扉を塞いでいた。
「……お人好し」
あのお人好し。何もしなければそれで、こんな思いをするのなら、何もしなければ良かったのに。
そこで、何か物音がした。
ぐるぐると暗闇に苛まれている私を呼ぶ起こすほどの、物音。
誰か、いる……?
「……遠野、ちゃん?」
ここまで追ってくるのは、長い付き合いの遠野ちゃんしかいない。
そう思ったから、名前を呼んでみた。
するとやっぱり。物陰から、セーラー服の、気の強そうな顔の遠野ちゃんが現れた。
「……馬鹿なこと、考えてんじゃないでしょうね」
「……別に」
「ねぇ、アタシ、アンタのことよく分かっているつもりよ。あのひどい時からの友達だし……でさ、そんな友達に、ちょっと押し付けちゃおうと思って」
「押し付ける?」
相変わらず、皮肉にまみれた回りくどい言い方だ。
「もう、弟のことなんて忘れてさ、ぬくぬくとここで生きれば良いじゃない。
最初からあの子がいなかったみたいに。逃げれば良いのよ、そんなに辛いんなら。
弟と一緒に行かなかったあの時みたいに、適当に理由をつけてさ」
「……適当なんかじゃないよ!!」
「適当よ。ま、結果論だけどね」
言い返したが、言い返された。
確かに私は、受験という適当な理由で、弟の命を振り払ったんだ。
見放してしまったんだ……
「ねえ、言っちゃあ悪いんだろうけどさ」
鋭い瞳が、私を射止める。
見下したような、悲哀のような、慈愛のような瞳だ。
逸らせない。
「本当に救われたいのは、アンタなんじゃないの?」
体育館を出ると、そこには花弁がぽつぽつと落ちていた。
家路につくために、パン屑を撒く兄妹のように。
あれは、迷わないためにだ。
迷わないため。
「会長さん、大丈夫かな……」
梨緒は不安そうな声で呟く。
「大丈夫じゃなくても、俺たちが助けるんだ」
「……うん、そうだね」
そして俺たちは、花弁の後を追う。
花弁を追うと、生徒会室についた。
扉を勢いよく開ける。
するとそこには、
「松川!?」
夕陽を背に浴びた松川がいた。
「お、新生徒会長さん」
松川はにこやかに手を上げて挨拶をしてくる。
「生徒会長は!?」
「ああ、走って行ったよ。もう、外に出てるんじゃない?」
「分かった、ありがとう」
即座に言って、また走り出す。
どうか、どうか間に合ってくれ……!
「……もう、行ったけど」
静かに扉を閉める。
竹都の廊下を走る音が、少しずつと小さくなっていく。
そしてオレの目の前にも、先ほどは随分と強く気を張っていたのに、今はとても小さくなってしまった彼女がいる。
オレは彼女を困ったように見つめ、傍らに寄り添って頭を撫でてやる。
「……ッ」
声を押し殺して泣いている遠野は、誰よりも弱く見えた。
もしも遠野が会長のような立場だったのなら、ああいう対処を取ることも出来ただろう。
でも、遠野のように、会長は強くは無い。
そして遠野も、破滅するに違いない。それが、他人よりも少し遅いだけ。
あれは、不器用な彼女のやり方だったのだ。
あれが正しいとはいえない。
しかし、間違いではないのだ。
会長には分かってほしい。
彼女の不器用さを。
そして、彼女のただひたすらの一つの願いを。
笑って、留学してほしいということを。
ついに、会長を見つけた。
会長は夕陽がさす廊下をとぼとぼと歩いていた。
「会長!」
俺は叫んだ。
まだ整えてない息で、肺で、叫んだ。
呼び止められた会長は、振り返ることもなく走り出した。
「会長!待ってください、会長!」
それでも会長は止まってはくれなかった。
「大丈夫ですから!」
俺は走り、叫ぶ。
できるだけ、大きな声で。泣いている会長の耳に届くように。
「会長は、絶対に大丈夫なんです!」
宥めるように。泣いている会長の心が、休まるように。
「だから、待ってください!会長!」
わたしはそこで、シャッターを押した。
夕暮れの中、廊下を走る一人の高校生男子。
青春の一ページ。
早くにでも記事になるであろうネタの、決定的瞬間。
「良い顔してますね、会長くん」
わたしは呟いて、時計を見た。
寒いのは苦手だから、そろそろ帰りたいところだ。良い写真も撮れたし。
まあ、でも、
もう少し、見物していこうかな。
見失ったが、でも会長の行くべき場所はただひとつしかない。
俺は靴箱まで辿りつき、靴を履き替える。
校庭へと飛び出し、会長の姿を探した。
「会長!」
返事は期待していなかったが、呼んだ。
「会長!」
もう一度、先ほどよりも強く。
そして、ついに見つけた。
会長は、校門の……この学校の境で止まっていた。
立ち止まっていた。
駆け寄り、息を整えながら様子を伺う。
「……遠野ちゃんに言われちゃったんだ……」
呟いた。
それはきっと、俺には言っていない。
「救われたいのは、弟じゃないんでしょって」
「……」
「それがあの子なりの優しさだってことは分かるよ。馬鹿な私に、思い知らせてくれたんだ」
「……会長」
「本当は、全部嘘で、本当は……私が生きるために必要なことだったんだよ。
遠野ちゃんの言うとおり。
もう、弟はいないんだよ……!」
「会長!」
俺は叱るように、大声を出した。
会長は肩を震わせて、それでもまだこちわを見なかった。
「会長が繋がりを絶ったら、それこそ弟は本当に消えてしまうのではないですか」
会長を強く見つめ、強く、告げる。
「会長も、きっと消えてしまう……」
「消える?死ぬんだよ!」
会長は振り返り、俺を睨みつける。
「結局弟は最初から死んでいたんだ!こんなちっぽけな、こんなにひどい私が見ていたって、意味なんて無かった!二人だけの世界なんて、ないのも同じだよ!なかったのと同じなんだよ!」
「一人でも、二人でもないんです!!」
泣きながら叫ぶ会長に、俺は言った。
会長の罪に、真っ暗闇に掻き消されないように、俺は言った。
「弟さんには会長がいました。
そして、会長には俺たちがいるじゃないですか。
ねえ、さきほど分かったでしょう?気がついたでしょう?会長がどんなにひどい性格でも、ひたすらに信頼してついてきて、たくさんの感謝をくれた生徒たちを……会長は見たんでしょう?
ほら、弟さんも、会長も、一人じゃないじゃないですか。
どこにあるんですか、そんなにひどい世界は……」
そうして、微笑んだ。
優しく微笑んだ。
会長は顔を上げた。瞳に涙を溜めていた。
その瞳で俺を見て、背後にある学校を見て、また俺に視線を戻した。
「……」
何か言おうとしているのに、泣きそうなせいで、何も言えないでいるようだった。
子供のような会長を目前にして、笑う。
「会長、すごい泣いているじゃないですか」
「う、うるさいぃ……!」
やっと出た言葉のあとに、俺を叩く会長。それと、涙を拭う。
「か、会長さんっ!」
梨緒の声が聞こえた。
近づいてくる足音を片隅に聞きながら振り返る。
すると、そこには可愛らしく、けれど大きな紙袋を持ち、足取りもおぼつかない様子で走ってくる梨緒がいた。
梨緒は俺の横に並び、にっこりと笑って会長に、その紙袋を差し出す。
「会長さん、これ、一年生からの手紙ですっ」
「え……」
「これ、全員分か?」
「うんっ。あとの上級生の分は、遠野先輩が送ってくれるんですよ!」
会長はまた目に涙をためて、花束を片手に持ち、片手に紙袋を抱える。
「こ、こんなにたくさん、持ちきれるわけないよ~!」
わんわんと涙をこぼしながら、会長は叫んだ。
梨緒と俺はその姿に笑い、お互いに微笑み合った。
空港に行く前に、最後にもう一度、私は自分の部屋に戻った。
ううん、弟との部屋。二人部屋に戻る。
そして弟の机の上に紙袋を置いて、机を優しく撫でる。
そっと目を閉じる。
暗闇が訪れる。
ねえ、みてよ。
このたくさんの繋がりを。
天才のあんたでも、気が付かなかったよね。
大きすぎて、気が付かなかったね。
あんたには私しかいなかったんだろう。
でも、私が振り返れば、ほら、
こんなにも優しい世界があるんだよ。
これにて会長編はおしまいです!長い間、お付き合いありがとうございました。
うあー、やっと終わったよー!
まさかのシリアスすぎてタイトル詐欺ですみません。
次回は後日談です!では!