会長編 14
その日の朝は、とてもとても重かった。
あの時と同じだ、と、私は口の中で言う。
あの時と同じ。
弟がいなくなったというのに、無情に時は流れて、変わらない朝がやってくる。
それを思い知らされる、あの太陽の光。
そのたびにあの真っ暗闇に、もう一度帰りたいと思うんだ。
暗闇に帰れたら、弟に会えるとは思ってはいない。でも、せめて弟とのつながりを感じられるなら。
感じられるなら、私は……
そんな風に何度も心の中で思っても、やっぱり学校に行かなければいけない時間は差し迫っていて、暗闇になんて出会う前に、もっと太陽の光が強くなっていって、
結局私は、何もできないで、罪を募らせていくばかりなんだ。
朝なんて来なければいいのに。
夜だって、いらない。
そうすれば、弟がいなくなったあの日から、離れることもないのに。
最終チェックをするために、俺は一人で昼休み、体育館にやってきた。
リハーサルは一度しか取れなかったけれど、昨日の調子なら大丈夫だろう。
そう、絶対の自信を置きながら、俺は自分が今できることをする。
一日で飾り付けたというのに、本当に華やかになっている。
驚きつつ感動しつつ、それぞれの飾りや花を見ながら場所の調整をしていく。ついでに軽い掃除も。
すると、体育館の扉が開く音がした。
床から顔を上げると、そこには女の子。
俺はすごく視力が悪いというわけではないが、この距離ではさすがに誰か、までは分からない。
女の子はてこてこと近づいてきた。
あ。
分かった。
あの歩き方は梨緒だ。
拙い歩き方の梨緒は、にっこり笑いながら俺の傍に寄る。
「やっぱり、ここにいるんじゃないかと思った」
別に一人で掃除をしようという信念はなかったが、近しい人に見つかるとどことなく気まずい。
俺は苦笑した。
「入ってきたときに吃驚しちゃった。いつも見ている体育館がこんなにも綺麗になっているから……」
うっとりと、傍にある花を見つめる。
俺はそうだな、と、梨緒と同じものを見つめる。
「……もう、今日なんだね」
「……そうだな」
会長を送りだす日。
会長が、いなくなる日。
消えてしまいそうな会長が……
「私、ずっと考えていたの」
梨緒は、じっと花を見たまま呟くように言う。
体育館に、少しだけ響く梨緒の声。
「弟さんのこと」
「……」
「弟さんは、本当に独りだったのかな、って……」
そうして、ゆっくりとこちらを向いた。
目が合った時、梨緒は目を丸くした。不安げな顔だったのが、俺の顔を見た瞬間に、驚いたような顔になった。
俺はどうかしたか?と無言で問いかける。
「……竹お兄ちゃんは、もう気付いているんだね」
優しい声で、梨緒は告げた。
俺のこの顔を見て、そう、告げた。
ああ、梨緒は、あれのことを言っているのか。
どこかに潜んでいる確信。
会長が、大丈夫な理由。
会長にも、弟にも分からなかったこと。
「時間はかかったけど……間に合った、ってところだな」
「ふふ……でも、すごいよね」
そう。
会長たちには分からなかったこと。
本当は、弟は独りじゃなかったこと。確かに、弟は独りで生きていたのかも知れない。でも、会長がいた。それでも、二人ぼっちだったのかも知れない。
でも、それも違う。
違うんだ。
その時の会長には遠野さんがいた。
そして、遠野さんにはお兄さんや、友達もいただろう。たくさん。
「繋がっているんだよな」
「うん……」
少し考えれば分かることじゃないか。
世界は、そうやって回っていることが。
「町を歩いている、ふと目にとまった人でも、私たちの遠い親戚なんだよね」
梨緒は関心したように言った。
実感がわかない。でも、確かにそれは事実だ。
遠い細い糸を通して、俺たちは繋がっている。
「そう考えると、なんだか楽しいね」
いつもの梨緒のように、かわいらしい言葉を使って笑う。
俺も、いつものようにそうだな、と同意した。
「俺たちの会長との関係も、すごいよな」
「……?」
「俺と会長は生徒会で知り合ったけど、会長と遠野さんは中学の時からの親友同士だろ……で、遠野さんが統治している学校には啓悟がいて、啓悟も遠野さんを慕っている。その啓悟の妹が梨緒で、梨緒と俺は幼馴染。俺はこの高校に入って松川に出会って……松川は遠野さん経由で会長とも知り合いだった……って」
繋がっているし、ぐるぐると回っているようだ。
面白いじゃないか。
寂しいなんて、
独りなんて、
ないじゃないか。
「本当だ!わあ、ぐるぐる回ってるね!」
梨緒はうれしくてたまらないというように、体育館に反響する声で言った。
会長の背中を押す、魔法の言葉のようなものだ。
俺はちゃんと、これを今日会長に届けなければいけない。
しっかりと。
「……会長さんのことなら、絶対に大丈夫だよ」
不意に、梨緒がまっすぐに俺を見て言った。
俺は目を丸くして、頷いた。
どうやら俺はここで背中を押されたらしい。
いつも一緒にいる、幼馴染の女の子に。
じゃあ、俺は会長の背を押そう。
ずっと立ち止まったその足を、とても頼りないその背中を、押してあげようじゃないか。