会長編 11
「ふーん……まあそんなに親しくも無いのにいきなりこれを払え、なんて言えるわよね」
三個目の穴があいた。もちろん俺の心の穴だ。
それはそれで承知していたことだが、遠野さんに言われると棘が誰よりも痛い。
がやがやと忙しい生徒会室で、優雅にひらひらと遠野さんは花の代金がかかれた紙を弄んでいる。いや、それで自分の顔を覆っているように見える。
「まあ、これくらいはちょちょいと出せるし。花の代金って言っても、アタシの大親友のものだしね。竹都くんのためじゃないわ」
「さいですか……」
そこであれ、と思った。
「遠野さん、俺のことくん付けでしたっけ?」
「さあ?なんて呼べばいいか分からないからそう呼んでいるだけよ。竹都様、なんて呼べ、って言う人じゃないと思うからこうなったのだけれど」
「様はないですよ」
というかそんな命知らずな人はいないと思います。
……しかし、思っていたよりもボケるぞこの人。会長と付き合いが長いと聞くからつい突っ込みキャラかと思っていたのに……
こんなに怖い人がボケるとどれくらいの度合いで突っ込めばいいのか分からないな。
「いえ、訂正だわ」
「え?」
「この花は竹都くんにあげるわ」
「え、」
様うんぬんの話ではなく花の話に唐突に戻ってしっかりした返事が出来なかった。
というか、俺にあげるって?
「どういうこと、ですか」
「アタシはもうあの子のあのブラックな過去には関わらないようにしているの」
「……」
「ま、そんなことは今ここで話すべきことじゃないけれどね」
自嘲ぎみに遠野さんは笑って、俺に紙を渡してきた。
「すぐに家に電話して用意させるわ。ま、これで不安ごとが一つ消えたのだから、竹都くんも気楽でしょ?」
「はあ……」
この金額を家に電話するだけですぐに用意できるとは……お金もちなんだな、遠野さんの家は。
……別に、他人から奪ったお金とかではないよな……?
確かお兄さんが結構悪さをしている人だったような、いや、そんな思考は捨てよう。
捨てなければやっていられない。怖すぎる。
さて、思考は切り替えて、あとは委員会、部活の出し物、準備の整理だ。
俺たちはしきりにやってくる委員長や部長の対応をしながら、こちらも飾りの制作に追われていた。
明日が体育館の飾りつけ――
会長は大丈夫だろうか。
にわかに感じる闇に言い知れぬ不安を抱えながら、俺も手伝うことにした。
その日の学校は休んだ。休んで、家では勉強は一切しなかった。
できなかった。
その時にやっと気付いたんだ。
あの弟の老いた笑みが脳裏に焼き付いていて。弟は、
お母さんが学校に電話をしているとき、すみませんって謝っていた。
弟は、もうあの時に真っ暗闇に進もうとしていたんじゃないか、って。
進もうと決めて、私から少しずつ離れて行ったんじゃないか、って。
もしそうだとしたら。
なんて、
お母さんは、その日は絶対に仕事に行かなくちゃいけないの、と行って家から出て行った。
弟がもしかしたら、もうこの世にいないかもしれないのに。消えちゃったかもしれないのに。
お母さんは、なんてひとでなしだろう。
私はお母さんのその態度に唖然として、止めることもできずに、何もかも諦めたように、部屋に戻った。
いや、そもそもお母さんは、弟の天才を知った時から、暗闇に突き放していたのかもしれない。
お母さんは、弟のことをひどく煩わしく思っていたようだから。
ひどいことだけど、それはすべての人が分かる、天才じゃなくても分かる悲しい事実だから。
そして、弟が、きっともう帰ってこないだろうことも。
同じくらいに分かる、悲しい事実だから。
それでも私は立ち直ることはできなかった。その変えられない、もう後悔しても何にもならない事実を前にして、ただおびえて布団にくるまるしかなかった。
布団をかぶると、そこは暗かった。
でも、朝日は窓から差し込んでいて、どんなに願っても、もう二度と私は真っ暗闇に抱かれることはないのだ。
神様にどんなに願っても、どうにもならない。
それが天才じゃない私に分かる、皮肉な運命そのものだった。
私はいそいそと輪飾りを繋ぎながら、傍らによってきたふーちゃんに微笑みかける。
「丁寧ね、梨緒ちゃん」
「うん、暫く会長さんには会えなくなっちゃうし……」
「そうね……ところで、ちょっと梨緒ちゃんに頼みたいことがあるんだけど」
ふーちゃんはおずおずとそんなことを言ってきた。
私は首を傾げてなあに、と尋ねた。
「こんなこと、あたしが言うのはダメなんだろうけど、竹都のそばにいてあげてほしいの」
「え」
私は竹お兄ちゃんのほうを見た。
どうやら今度はまた別の悩み事を抱えているみたいだった。いや、さっきまでは考えていなかったことを考え始めた、というのかな。
「……うん、そうだね」
私は頷いて、輪飾りの道具一式を抱える。
「あ、それと、これも持っていってほしいの」
「わあ、おいしそう!」
私は思いがけない甘いものがでてきて、つい顔がほころんでしまう。
ふーちゃんが持っていたのはクッキーだった。
「あ、でもそれはふーちゃんが渡した方が……」
「気を使ってくれるのはうれしいけれど、自分から食べて、なんて恥ずかしくて言えないの。それに……あたしが渡すとちょっと重いものなのよ」
位置的にね、とふーちゃんは苦笑して、私の手に乗せた。というか、輪飾り製作一式に積み上げたというか。
「ありがとう。じゃあ、渡すね」
にっこりと笑って、なんでもないように竹お兄ちゃんの傍に近寄る。
「竹お兄ちゃん」
「ああ、梨緒か。ん、なんだそれ、クッキーか?」
「うん。ふーちゃんがくれたんだよ。竹お兄ちゃんに、だって」
どうぞ、と言って竹お兄ちゃんにクッキーをとってもらう。そして、輪飾りの道具を机の上にだばあ、と広げた。
「……」
竹お兄ちゃんはクッキーを持ったまま、黙って何かを考えていた。
私はそれが辛くて、ついこう言っていた。
「会長さんは、喜んでくれるよ。会長さんは、胸を張って、弟さんを探しに行ける」
竹お兄ちゃんのそんな顔は見たくはないよ。
だって、竹お兄ちゃんの辛そうな顔を見ると、私が苦しいんだ。
私は、竹お兄ちゃんに笑ってほしくて、にっこりと力強く言った。
頼りない竹お兄ちゃんの背中を押すみたいに。
私にできることはこれぐらいだから。
だから、笑ってね、竹お兄ちゃん。
「……あぁ」
竹お兄ちゃんは少し肩の力を抜いて、優しげに微笑んでくれた。
そして、私の頭を撫でてくれる。
私は久しぶりにそんなことをされて、ついつい笑みがこぼれた。
こういう時間が、私は好きだ。
あなたと笑っていられる時間が、好きだよ。
弟さんも、きっと、こんな時間が至福だったんだろうな。
ふと、そんな風に思った。
生徒会員たち(いちゃいちゃしやがって……!)