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会長編 09


あの事件以来、弟の物腰はさらに大人びて見えた。

そして同時に、どこか芯のある雰囲気を帯びるようになった。

何かに向かって立ち向かうような、そんな勇気を、持っている。

そんな印象を受けた。

でもそれが悪いことだと、私はその時気付けないでいた。

あの時、私があの言葉を言えば、弟はこの世界に繋ぎとめられたままでいられたのだろうか。

弟は、私たちの世界で、あの笑顔を振りまいていたのだろうか。



どうすればこの気持ちは報われるのか。

先生は言っていた。弟の事は今は考えないで、進路の事を考えて、と。

留学するといったら、喜んでくれた。

でも、それは弟を探すためで。

騙してしまった。

私は、いろんな人を騙してしまったんだ。

このまま弟を振り切って、毎日を生きていくなんて事はできない。

でも、

じゃあ、

どうしたらこの気持ちはすくわれるのか。

どうすれば楽になれるのか。

答えが見つからないんだ。どれも後悔するような気がして。

どれも、間違っているような気がして。

私はそこまで考えて、ただただ胸が痛くて、頭もなんだかぐるぐるしてきて、ああ、あの時と同じだ、なんて考えていた。

弟が消えた、翌日の朝みたいだった。

「……おおまかには分かったでしょ。救いようの無さとか、ね」

自嘲し、私は私をじっと見ている竹くんの背中に隠れた扉を目指す。

「これ以上は、何も話したくないから」

竹くん。

私は、心の中で思う。

ねえ竹くん。その押し付けがましいレッテルと優しさが、今の私には一番の罰なんだよ。

そっと、毒づいた。

今まさに、あの時と同じ過ちを繰り返そうとしている気がする。

ぽつぽつと、思う。

竹くんはすんなりと扉から離れてくれた。

彼の口は、少しも動かない。

でもそんなこと、もうどうでもいいよ。

逃げる私を、優しい人たちが追いかけて、傷ついているんじゃないかって、


それが一番、怖いんだ。




それでも私と弟は毎日毎日、登下校は手をつないで歩いていた。

少しずつ私の身長と並んできた弟は、周りの目を気にせず、私の手を勝手にとる。私も、周りの目なんか気にしなかった。だって、弟の笑顔が可愛いから。

ああ、最後に……最後にこんな事件があったんだ。

あの真っ暗闇をきれいさっぱり振り払った小学六年生の時。弟は、小学五年生だった。

あれが、最後の、最期のチャンスだったんだろう。



俺は、何か思いつきそうで思いつかないそのたった一つの方法を探しながら、頭を抱えながら自分の家に帰っていた。

生徒会長は、すっかりと暗くなった夜に近づく廊下に吸い込まれるように消えていった。

あれが、会長の言っていた暗闇なのかも知れないと、背筋に寒気を感じながら、俺は会長を見送った。

会長をすんなり送ったのは、そう、そのたった一つの方法を、もう少しでつかめそうなその光をはっきりとさせるためだ。

会長を、あの暗闇に引き渡すことなんか出来ない。

そんなことさせない。

会長は、胸を張って弟を探してきて良いんだ。

何も繋がりの無い弟を。

いや、違う。弟には繋がりがあるんだ。

だって会長が、いつも思っていてくれているじゃないか。

そこまで思い至り、階段を一歩踏みしめた時、母親の声ではっとした。

「ねえ竹ちゃん竹ちゃん」

母親は俺の事を竹ちゃんと呼ぶ。

台所からてこてこと出てくる母。

「最近浮かない顔をしているけれど……大丈夫?」

俺はきょとんとした。

結構顔に出ないタイプなのだが、やっぱり母親には何か伝わってしまっていたのだろう。

これも、繋がりというのだろうか。

「いや、大丈夫」

今の俺は、大丈夫だ。

確信があったんだ。元の分からない、おぼろげな確信が。

母親はそう?と首を傾げて、ふいに思い出したように声を出した。

「夏池さんのおうちによく、スーツを着た中年の男の人が来るけれど……」

「え?それは初耳だ」

俺は普通に怪訝そうな顔をした。

「あら、梨緒ちゃんとか、啓悟くんは何も言ってなかったの?セールスの人かしら」

母親は自己解決したのか、けれど多少不安げな顔をしたまま台所に戻っていった。

俺は母親と同じく、そうかセールスか、と思いながら、階段を上っていった。



その日私は泣いていた。

横にいる弟は私の服の裾を掴んでいた。

私の泣いている理由は、ごく単純なことだった。

テストで悪い点数をとったんだ。

それが、得意教科だったから、衝撃は大きかった。

私はそのテストを誰かに見られてしまうのが怖くて、気付けば泣いていた。

隣に弟がいることを知っていても尚、私は泣いていた。

弟は不思議そうに私の顔を覗き込んで、

「どうして泣いているの?」

と優しく問いかけてくれた。

でも、今の私にはその優しい気配りが、とくに弟がくれる優しさには、到底答えられなかった。

だってその時の私には、ただ冷静になる時間が必要だったんだ。

そうでしょ?

私を慰めようとしてくれたのは、天才な弟なんだから。

「あんたは、良いよね」

地の底からうなるように、私の口は勝手に言っていた。

余裕がなかったんだ。だから私は、心の底にしまっていたその思いを、吐きだしてしまった。

絶対に、この子に聞かせちゃいけないことなのに。

「あんたはさ、天才だから、テストもいっつも満点なんでしょ?」

「……」

私は手で自分の顔を隠したまま、ぼろぼろと言い続けた。

この馬鹿な口を、誰か止めて。

ささやかな私の願いは、私の愚かな口が全部呑みこんでしまう。

「あんたはいっつも満点だから、テストとか、そいういう心配事なんかないんだろうね、天才だから……っ」

これ以上は言ってはいけない。

なのに、そう思っているのに、私の口からはひどい言葉ばかりしか出てこない。

そして最後に、私はこう言ったんだ。

弟を突き放すことになる、最後の言葉。


「天才のあんたには、一生分からないんだから」




会長を助ける方法。

俺は、ベッドに仰向けになったまま考え込んだ。

会長の背中を押す方法。

やはり、それは一つだけだ。

何かがある。きっとそれには、何かがあるだろう。

会長を、全校生徒で送り出してやりたいと、俺は思った。

優しさが重いとか、そういう風に会長は思っているんだろう。

でも、今会長に何もしなかったら、俺たちはあとで後悔するだろう。

会長のように。

あの時、何をしようか、どうするべきか迷っていた会長のように。

俺は決断し、身体を起こす。

そうだ。会長のために、ちゃんとやろう。

鞄の中から、あの紙を取り出す。

会長のための会の、予定の紙だ。

会長が空港に行くのは金曜日。今日は火曜日で……あと三日。

荷造りや準備で金曜日までは会長は学校に来ないから、この二日で準備をしなければ。

俺は思うや否や、すぐに携帯を取り出し、生徒会のメンバーにとある連絡をした。


さて、最後の生徒会副会長の仕事、頑張ろうか。




はっとして、私は顔を覆っていた手を突き放すように解いた。

そして、弟を見た。

馬鹿だ、私はなんて馬鹿だろう。

後悔や焦りと不安が、いっきに押し寄せてきた。

テストでひどい点数を取るよりもしてはいけないことを、私はしてしまったんだ。

ひどい、ひどい、なんてひどい姉だろう。

私は自分を責めた。

でも、ごめんも、ひどいおねえちゃんだよね、とかも、なんにも出てこなかったんだ。

ただ、今のこの状況が信じられなくて。

だって、弟は、笑っていたんだよ。

あの馬鹿みたいな笑顔じゃなくて、疲れ果てたような、笑み。

小学生が、ううん、大人でもこんな笑い方は誰もしない。

今際を迎えた老人のような、罪人のような笑みだった。

私の見える景色がどんどん灰色になってきて、なんでだろう、弟のすがたさえもかすんでみえてきたんだ。

声をかけるとか笑うとか、そいういんじゃなくて、ただあの時手をつないでやればよかったんだ。

自ら振り払ったあの手を、そっと包み込んでやればよかったんだ。

「……おねえちゃん、少し、落ち着いた方が良いよね」

弟はそのままの笑みで、穏やかに発した。

そんな顔をしないでよ。笑ってよ。そういうひどい笑顔じゃなくて、あのときみたいな馬鹿な笑顔を――

思っても、口にできない、馬鹿な私。

弟が静かに歩きだすのを、私は突っ立ったまま見送っていた。



「松川、すまない」

俺は早朝、松川に頭を下げた。

松川は、明らかに怒っている顔で、俺を見下ろしていた。

「俺は、何も見えていなかった。たくさんのひどいことをしてしまったと思っている。でも、俺は会長を全校で送り出すことをひくことはできない。会長には、それが必要だと思っているんだ」

「……」

松川の表情は分からない。

ただ、立ち去らないところ考えれば、ちゃんと話を聞いてくれていることは確かだ。

「そのために、協力してほしいんだ」

俺は、顔を上げて、松川を見つめた。

しばらくの沈黙の後、松川は力が抜けたように肩を落としてため息をついた。

「次期生徒会長の頼みなら仕方ねえなあ」

そうして苦笑してくれる。

俺はほっと安堵する。

「いっちょ協力してやるか!オレも、生徒会長にはいろいろ借りがあるし!」

いいながら、俺の首に手を回す。

「寒いから首はやめろ」

容赦なく松川のわき腹を殴る。

「ええぇ。早速いつもの竹都に戻ってやがる!なんていう詐欺!」

「調子に乗るなよ」

「……お前のキャラがどんどん鬼畜になっている気がするが。まあ、で、オレは何をすれば良いんだ?どーんと任せろ」

「じゃあ、遠野さんを説得してほしい」

「あ、やべ、お腹痛い」

「小学生か」

「だって!だっていきなりそんなハードル高いの!?それに屋上で聞いてたでしょ!墓場送りだってえぇぇ!」

「おいそれでも友達かよ」

「ええぇぇなんでいきなりそんな脅迫的な友情かざしているんですか!」

「ていうか相手はお前の彼女だぞ」

「え?そうだっけ?」

まあ、俺でも遠野さんのことを説明するならば友達の彼女とは言えないが。

「お前は遠野さんの彼氏だ」

「言い方変えただけじゃねえか、でもなんか偉大に聞こえる!」

むしろその響きが懐かしい、と松川は涙ながらに語る。

「かつてはそうだったかも知れない……」

「今は下僕だがな」

「言うな!……まあ、頑張ってみるさ」

松川はなんと、この突っ込みと呆けの繰り返しですんなりと了解してくれた。やっぱり、松川はなんだかんだ言いつつ優しいのだ。あとは、遠野さんに協力してもらうだけだ。

「協力してほしい、って言えばいいんだろ?」

「あぁ、よろしく」

遠野さんの方は松川に全部任せて、俺は生徒会やら委員会を動かしてこよう、と昼休みにどう効率よく動くかを少し考える。

「会長が外国に留学する前にオレは天国に留学だな……」

隣で松川がぼやぼやと言っているのがかすかに聞こえた。

←天国  ブラジル→

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