会長編 02
私には、弟がいる。
とても不思議な、大事な弟。
弟は、異質を怖がった。
異常を怖がった。
天才を怖がった。
自分を怖がった。
臆病者の、私の弟。
生まれたころからずっと隣にいた。
生まれたころからずっと見つめていた。
弟のこと、知っているよ。
たくさん知っているよ。
でも本当は、
本当は、
ほんとうは、私は弟のこと、何一つ知らなかったんだ。
「よ、おはよー」
俺が教室に着き、自分の席に腰を下ろすと、松川が挨拶に来た。
俺は松川のある変化に気づき、首をかしげた。
「松川……最近は元気だな」
遠野と仲直りしてから暫くはずっと遠野と会長の世話で朝からげんなりしていたのに。
松川はすると、とても嬉しそうに笑った。本当に、嬉しそうに、にやにやと。
なんていうか、気持ち悪い……
「……どうした」
「いやいやー最近はあのうるさい会長が忙しいらしくてさー」
あの会長が……?
生徒会で会うときはそんなに忙しそうには見えなかったが。
家で忙しいということだろうか?
昨日の会長の様子と、先生が言っていた会長の話。
俺は何かもやもやした気持ちになり、押し黙ったままただ机を見ていた。
「竹都?」
松川は、そんな俺を心配してか、俺の顔を覗き込む。
「あ」
俺はすぐにいつもの顔に戻り、微笑んだ。
「いや」
無茶苦茶な生徒会長のことだ。何か企んでいるか、それぐらいだろう。
俺は、そう思い込むことにした。
このもやもやを掻き消すように。
「でも、竹都は忙しくないんだな?」
「は?」
松川のふとした発言に、俺は聞き返した。
意味が分からなかったのだ。会長が忙しいから、俺も忙しいのか?
ああ、生徒会で忙しいと思っているのか。
俺は一人頷く。
「別に、生徒会は今のところ何の行事もないし……」
「いやいや、生徒会じゃないだろ」
松川は即座に否定する。
なんだこの空気、思いっきり食い違っているのが見え見えだぞ……
「待て待て、全く話が見えない。つまりはどういうことだよ」
食い違っている話にストップをかける。
松川は本当に分からないのか?と、怪訝そうな顔をした。
「だからさ、ほら、生徒会長が外国に留学するっていう話」
「……え?」
「ん?」
「はあ!?」
弟は私にいつもついてきた。
弟は私のことが好きだった。
私も弟のことが好きだった。
いつもおねえちゃんおねえちゃん、って、ついてきていた。
本当に、可愛くて仕方が無かった。
でもやっぱり他の人たちから見れば、弟は変だったんだろう。
天才だったから。
何でも知っていたから。
だから弟は、親からにだって、怖がられていた。
だから私が守らなくちゃって思ったんだ。
弟を守れるのは、私だけだから。
俺はつい早朝から教室で大声を出してしまった。
しかも、驚きすぎて椅子から立ってしまって。
もちろん、人は少ないがクラスメイトたちの生暖かい視線を感じる。
「え、まさか知らなかったのか?」
「あ、ああ……」
顔が熱いのを感じながら、俺はそろそろと静かに椅子に座りなおす。
「……知らなかったのか……よ」
「?どうした、松川」
松川の顔が青ざめていく。
「……」
松川は青ざめた顔のまま、ただひたすらに押し黙っていた。
俺はその様子を首をかしげて見つめる。
まるで世界の終わりを目前にしたような顔だ。
「そうだよ……オレは今世界の終わりを目前にしているのさ……」
「あれー、今心の中で思ったはずなのに」
「やばいよどうしようどうしよう」
繰り返し繰り返し、松川はふらふらと自分の席に戻っていった。
一体どうしたのだろうか。
しかし今の俺には松川のあの絶望ぶりよりも、気になることがある。
それは勿論会長の事であり……
なんでいきなり留学なんだ?
しかもそれを聞かされていない……突拍子もない会長の事だからと片付けられるような問題ではない。
……いや、でも思い返せば確かに会長には最近変な節があった。
俺は無表情のまま、こつこつと思い返す。
昨日だってそうだ。いきなり次期生徒会長の話はし出すし、発言に元気がないし、あのゆらゆらとした背中。
ゆらゆらと、どこかに行ってしまいそうな背中。
俺は、何故か変な不安を感じた。
変な不安。
会長が留学する事への不信感ではなく。もっと根拠の無い、地に足のつかない不安。
手を伸ばしても掴み取れない気がした。
そんな不安。
そうして俺は難しい顔のまま、その日を過ごすことになった。
弟は保育園の時から、その異質さを放っていた。
弟の発言はいつも大人びていて、周りの同じ保育園児たちの目を丸くさせていた。
よく分からない難しい言葉を使い、様々な事や物を、的確に否定し、補足する。
変な奴だ、と私は思った。
でも私にとって弟は可愛い私の自慢の弟だったし、弟を怖がる理由なんて分からなかった。
私から見れば、弟は私の大切な弟に変わりはなかった。変わる理由さえも存在しない。
ただ……
ただ、確かに、他人から見れば、弟は、
弟は、
みんなを恐怖させるほどの“天才”だったのだ。
「竹お兄ちゃん、一緒に帰ろう」
曇った気持ちのまま学校は終わり、何も知らないらしい梨緒が昇降口でいつも通り声をかけてくる。
「あぁ……うん」
俺は梨緒の声音とは違い、どうしても沈んでしまう。
さすがに梨緒も気付いたのか、少し不安そうな表情になった。
心配してくれているのだろう。
俺は微笑んで、梨緒の頭に手を置いてやる。
「さ、帰ろう」
今は梨緒に会長のことは話せない。
せめて、会長に直接留学のことを聞いてから。
梨緒にこのことを話すのは、それからにしよう。
そう決めて、俺は歩き出す。
梨緒は寂しそうに目を細めて、俺の後ろをついてきた。
「あ、あのね」
ふいに梨緒が、おずおずと口を開いた。
俺は歩調を緩め、梨緒の隣に行く。
「どうした?」
言いにくそうな梨緒を促してやる。
「クラスで変な噂が流れているんだけど……」
「クラス?」
また新聞の時のような話だろうか……
「会長の話なんだけどね……」
「会長」
「会長さんが、留学するんだって……」
俺は、立ち止まることはかろうじてしなかったが、表情が、固まってしまった。
「留学するだろう、って言う話なんだって。一年生の話だから、信憑性は薄いよね……」
あはは、と、梨緒は力なく笑う。
俺も、まぁ、そうだな、と笑っておいた。
今梨緒に教えるべきだったのだろうか……でも遠野さんが口止めをしていたらしいし……
でも、あの会長のことだ。出発当日にいきなり知らせて、さっさと行ってしまうことだろう。
俺はそんな想像が容易にできて、梨緒に話すことにした。
すると梨緒は、目を丸くして、でも会長さんならやりそうだなあ、と呟く。
「突拍子もないからな……会長は」
俺は苦笑しながら言った。
「うーん、会長さん、どうして隠すんだろう?」
「ドッキリか、話すのを忘れているか……それくらいだろう」
「……そう、かな」
「本当に、変なところに手間かける人だから……あ」
そこで俺は、あることを思いついた。
「どうしたの?」
梨緒がこちらを見上げる。
「壮行会みたいなものを開いて、いっそぱあっと送り出さないか?」
「壮行会?」
「あぁ。なんだかんだ言って、あの空気読めない能天気さに助けられてきたし……あの学校だって、人望の高い生徒会長のおかげで、良くなってきたわけだし」
「確かに……会長さん、思い返してみると学校の向上に貢献してるみたいだったよね」
あんな性格だが、会長が生徒会長になってからは学校行事が誰でも楽しめるものになっていたし、委員会活動もそれぞれ充実している。まぁ、ほとんどなにもしていない会長に代わって、それぞれの人たちがしっかりしなければ、という意識を持ったから、かも知れないが……
「きっと、たくさんの人が、きちんと送り出したいと思ってる……」
それは、自分自身に言い聞かせるためでもあったかも知れない。
言い知れない不安を、どこかに消し去るために、そんなことを言ったのかも知れない……
「なら、たくさん案を考えようよ!」
梨緒は生き生きと提案する。
梨緒につられて、俺も微笑み、
「あぁ。会長に負けないくらい楽しい案を考えよう」
次期生徒会長として。
会長にお世話になった副生徒会長として。
精一杯の感謝を込めて、会長を送り出そう。
最近タイトルが空気な重い話が続いていますね。ギャグ要素も全く無え。でも多分最終回までこんな感じ……