遠野編 03
最近遠野の元気がない。
でもその元気のなさは、不安とか悲しみとか、そういうひたすら辛い元気のなさではなくて、
どこか強い瞳で見据えているような、そんな元気のなさだった。
遠野は心配されたり、助けられたりが嫌いだから、オレはただ見ているだけで、何も聞くことはなかった。そりゃあ、勿論気になるには気になるけど、詮索するべきではないのだ。
オレはそんな甘いことを思っていたから、状況が悪化していくのにも気付かなかったんだ。
「ああ、あれが遠野さんと付き合ってた、っていう一年前の事件の原因……?って、あれ松川じゃねえか!?」
「そうだよ、なんで今更気付くんだよ」
「え、だって、知らないし。へー、世界って狭いんだなあ」
ああ、お前の脳みそも狭いよなあ……
思いながら、俺はその光景を傍観する。
俺はあの時と変わらず、松川の幸せを願っている。
あんなに暗かったあいつが、少しずつ明るくなって、毎日が楽しいというようになるほど、彼女の存在は大きかったのだ。
それは二人だけの世界のようで。
だから今も、俺にはできることなどできないのだ。
その隣で、梨緒は不安げに松川を見ていた。
そう、思えば遠野が元気をなくしてから、オレの学校の雰囲気が変わった。
文化祭前の、浮わついた目障りな雰囲気。
修学旅行前の、地に足のつかない雰囲気。
そんな気持ち悪い、地面が遠い雰囲気や空気が、学校中に広まっていた。
その浮わついた空気が気になって、オレはやたらと人の集まる新聞部の掲示板を覗いてみた。
すると、そこには信じられない記事が張ってあった。
不良高校のボスが我が校の生徒と熱愛
どこかのネタに困った記者が継ぎ接ぎで用意したような。けれどそれがうまく視聴者にはまってしまったような。そんな記事。
「……」
掲示板の前で愕然としているオレを知ってか知らずか、隣にいる二人組の一年生が陽気に話す。
「あー、確かにあのボス?っていう人、甘くてお人好しだもんなあ。ま、こっちとしては有り難いけど」
「あれ、でも、そのボスってなんか支持率下がってるらしいよ」
「え、なんで」
「そのお人好しとか、だめだったんじゃない?あと、付き合う相手とか。だって、絶対嫌がるでしょ。慕ってる人がうちの頭の良い高校の奴と付き合ってる、って」
「あぁ、確かに。あの高校……」
オレには、その話を最後まで聞けるほどの冷静さはなく、とにかくここから逃げなくてはいけないと思い、必死に走った。逃げた。
臓器とか、胃の中のものが出ないようにと手で口を押さえ必死に、オレは、逃げた。
遠野が後輩に冷たい目で見られている!
何から逃げているのかは分からない。正体の分からないそれに、ただ逃げた。
怖い。
いっきに未来が真っ暗になった感じ。
唐突に穴に突き落とされた感じ。
嫌な感じ。
気付けば人気のない、暗い廊下の行き止まりに、オレは立っていた。
そうして、オレは足が震え、恐怖に怯え、ただそこにしゃがみこむことしかできなかった。
それから一週間。
情けないとは我ながらに思うが、一週間、オレは遠野に会えなかった。
でも、遠野と会わなくなればなるほど、オレは遠野が思っていることが分からなくて、地面が遠退くばかりだった。
本当は、遠野はオレと一緒にいることが、嫌なんじゃないか?
オレさえいなければ、遠野は独りにならずにすんだのではないか?
オレがいつも同じように、ずっと独りでいれば良かったのだ。
遠野と、出会わなければ良かったのだ。
……
そこまで思い至り、オレはある決断をした。
それはオレにとって悲しいことだった。
でもきっと、これで遠野は救われる。
そう信じるしかなかった。
「あの時、松川がしたこと、最低だと思う」
ドレス姿の遠野は、怒りのような、悲しみのような表情でオレを見ていた。睨んでいた。
オレにはもう反論できるような気力はなかった。
ただ、遠野となるべく顔を合わせないようにするだけ。
あの時のようだった。
ぼろぼろになった遠野を目前にして、オレは言ったんだ。
でも、それしかオレには遠野を守る方法がなかった。
「すまない……」
震える声で、謝るしかなかった。
遠野は、その弱々しい謝罪を聞いて、一瞬、泣きそうな顔になった。
しかし眉をつり上げて、怒った顔になる。
「ワケわかんないよ、何で謝るわけ?一方的に謝らないでよ」
「……すまない」
オレにはもう、この言葉でしか自分の罪を表せなかった。
そう、俯いていると、
「うじうじすんな!」
いきなり、遠野がかつかつとヒールを鳴らして近づいてきたかと思うと、胸ぐらを掴まれた。
オレは強制的に、遠野の顔を至近距離で見なければいけなくなった。
「だ、だって、遠野が……!」
オレは遠野の強い行動に驚いて、情けない声で言い訳しようとした。
「アタシが、何?」
あぁ、遠野は怒っている……
「遠野が、オレのせいで独りになるから……!」
「……」
「遠野が、オレのせいで、喧嘩して、骨折って、……しばらく、歩けなくなって……!」
ほぼ半泣きの状態で、オレはひたすらに言葉を紡いだ。
ただただ、遠野を守るための謝罪を。
しかし遠野は、大きなため息をついて、手を離した。
「な、なんだか怖い雰囲気だよ……!」
傍らにいる梨緒が、俺の制服の袖を掴んで不安げに言った。
そうか、あの時のことか……
俺は、松川と遠野さんを遠くで見守りながら、思い出す。
この、二人とも噛み合っていないような、勘違いのような、でこぼこのような、空気。
とても、悲しい空気。
けれど俺は、梨緒の手を握って、ただ見ていることにした。
「竹お兄ちゃん……?」
「大丈夫だ。なにもしなくても、なんとかなる」
「遠野さんなら、なんとかするさ」
啓悟が言って、
「松川ならなんとかできるさ」
俺も言った。
「ねえ、アタシがどうして泣いていたか、アンタは分かる?」
「……分かるよ……だから、オレは遠野から離れようとしたんだ……!」
オレがそう、子供じみた、下らない言い訳をした。
その、刹那。
遠野が拳を振り上げるのが見えた。
それからは目が追い付けず、気付けば地面に倒れていた。
そして口の中に広がる、鉄の味。じわじわと、左頬が痛む。
驚きのあまり、オレは目を白黒させて遠野を見上げた。
遠野が、オレを見下ろしている。
「……っ」
遠野が、泣きそうなのに我慢して、強がっている様子で、こちらを見ていた。
「遠野……」
「アタシが……!」
震えた声で、遠野が言う。
涙が溢れそうだった。
あの時と、本当に被る。
あぁ、胸が押し潰されそうだ……
「アタシが、足折れたぐらいで泣いたと思うの!?」
中庭に、反響した。
…………え?
オレは、ただ驚きの連続だった。
足折れたぐらいじゃ泣かないの!?
「え、だって、確かに、泣いてた……」
「だから、アタシは、アンタが言った言葉に泣いたの!」
遠野は、プライドとか強さとか、全部捨てて、宣言するみたいに、でも弱々しく叫ぶ。
静かに近づき、オレの横にそっと座って、殴った頬をそっと冷たい手で包み込む。
「アンタが、アタシのこと嫌いだって、言うから……」
「……」
オレは息を呑んだ。
そして、やっと気付く。
オレが馬鹿だってこと。
「馬鹿だ、オレ……」
気付けば、口を開いていた。
「本当は自分のこと守りたくて……遠野を理由に、自分を守りたくて……だって、怖かったんだ……好きになって人に、突き放されるのが怖くて……」
大切な人にけむたがられるのが怖くて。
だったら、オレが先に言えば良いって。
なんて最低だろう。
「……許しほしい、なんて言えない……」
オレは、滲む視界の中に、綺麗に泣く遠野を見つめる。
「言わないから……」
遠野が、優しく微笑んだ。
「お願いだ……オレの、傍に居てほしい……!」
黒い髪を揺らして、遠野は静かに顔を近づける。
そうして、オレの頬に口付けをした。
「当たり前よ」
いっきにばーっと更新しちゃいました。
強くても好きな人に嫌われちゃうとさすがに気が滅入っちゃう遠野と、最低で卑屈でどうしようもないくらい根暗な松川のお話です。
微シリアス!(多分)シリアスになってたらいいな。
とりあえず遠野編も早かったですが終わりましたー。
次は後日談と、その後に子ネタを用意しています。
ちょっと最終話に近づきつつあります……