遠野編 02
中庭につくと、最初に目についたのは、あの赤いドレスだった。
どうやら冬子の代役の人らしい。
「ふーちゃんのお友達なのかな? すごくかっこいい人だね」
梨緒が俺の隣でそう言った。
確かに、すらっとした背に、強く綺麗に伸ばした背筋。
その瞳にも、威圧感があった。
しかし、中庭にこうも豪華なドレスを着た人物が二人もいると、流石に注目される。
……でも、何か空気が変だった。
その赤いドレスの女性の周りだけ、険悪な雰囲気のような……
女性は、ただ怒りの形相で、とある人物を見ている。
その先の人物は、
「松川……?」
あの、松川がそこに立っていた。
いつもの啓悟のようなばかみたいな雰囲気は全くなく、その顔はただ女性のほうには向けまいとそらし、気まずそうに歪めている。
どうしたのだろうか。
この途中から見てみるに、松川と女性は喧嘩でもしているのだろうか?
女性は、松川を睨んでこういう。
「ちゃんとこっちを見なさいよ」
「……」
松川は、唇をきつく結んだ。
女性は、拳を強く握った。
そこで啓悟が、確信をさせる発言をした。
「あれ、あの人、遠野さんだ……」
その何気ない発言に、俺は弾かれたように啓悟のほうをみた。
「遠野、さん……?」
あのいつもは暗く、小さな声で話す松川が少しずつ俺にいろいろな話をしてくれるようになって、話していると普通に明るい奴なんだなって思って、それから俺は松川といろいろな話をするようになった、ある日。
松川は俺に、遠野という彼女がいることを話してくれた。
その彼女は本当に勝手な人で、気まぐれで、女王様みたいな奴で……
そんな半ば愚痴みたいなのろけ話をしている松川は、とても楽しそうで、つい俺は笑ってしまった。
松川は、俺に変な質問をして、そうして笑っていた。
俺は心の底から、その知らない遠野という女性と松川が、幸せになってくれると良いと、祝福をしていた。
少し用事があって、啓悟の家に行くと、受験生の梨緒が居間で勉強をしていた。
破滅的な成績の数学をどうやら勉強しているらしかった。
俺はいつも俺より先に帰ってくる啓悟がいないことに気付き、梨緒の隣に座って勉強の様子を見ながら、
「啓悟は?」
と聞いた。
「うー、なんだか今日は遅くなるみたいだよ」
二次関数相手にうなりながら、梨緒は答えた。
「そうか……」
俺はそう呟いて、とりあえず啓悟を待つことにした。
啓悟はいつもより三時間も遅い、夜九時に帰ってきた。
「お帰り、お兄ちゃん」
玄関から啓悟らしき足音が聞こえてきて、梨緒はそう玄関のほうに向かっていった。
いつもならただいまあ、梨緒おぉ!とか言ってどたどた走ってくるのに、今日はどうやら元気がないらしい。
啓悟はのそのそと居間に入ってきて、俺がいることに気付いた瞬間、あのばかみたいな笑顔を俺に向けてきた。
「おぉ、竹都、来てたのか!」
「毎日来てるだろ」
俺はそうつっこんで、啓悟が向かいに座るのを見る。
「何かあったのか?」
俺は、啓悟の様子を察して尋ねた。
すると啓悟は苦笑をして、うーん、とうなった。
「なんていうか、今校内の連中の雰囲気が悪いってーか……」
啓悟はもごもごと明らかに話したくないと言うように濁して喋る。
「いや、そんな話したくないことなら別に良いが……」
「いやいやいや、そんなことねえっスよ!」
「キャラ変わってるぞ」
そんな話したくないことか……
「うーん、なんか、うちの学校のボスの支持率が下がっているらしい」
……?
「ボス?」
なんだその漫画みたいな名詞。日常会話で出るものじゃないだろう。
「生徒会長のことか?」
あまりにも表現が漠然としているので、俺はそう聞いてみた。すると啓悟は、近いかな……と呟く。
「不良生徒たちを統治する、というのだろうか……まあとにかく学校で一番強い奴のことだ」
「なんかざっくり説明したな……」
「こっちの学校も大変ってことさ」
いつもより随分落ち着いたようすで、啓悟は笑った。
「うぅ、分からない……」
兄がボスだの統治だの物騒な話をしているのに、どうして何も言わないのかと思えば、梨緒は数学と戦っていた。
「ほら、そこはこれに代入して……」
俺がさりげなく教える。
「あ、うん……!」
梨緒は頷き、懸命に問題と睨み合っている。梨緒は努力家なんだけど、数学に関してはまるっきり成果が出ないんだよなあ。
思いながら苦笑する。
「で、その生徒の雰囲気が悪いのと、ボスの支持率が下がっているのは、何か厄介なのか?」
「これが本当に厄介なのさー。ボスの遠野さんは、すごい良い人で、世間に迷惑かける我が校の不良を更正させているんだ。良い不良っていうの?ん?善良な不良……?」
不良なのに善良……?
表現に頭を抱える啓悟同様、俺も首をかしげた。
「でも、不良さんでも、礼儀正しいとか、優しいとか、っていう人、いるよねっ」
間に梨緒が入ってきた。
「それだっ」
啓悟は思っていたことが言葉にできて、すっきりした顔で頷いた。
「えへへー」
梨緒はにっこり笑い、次の問題を解き始める。
「じゃあ、そのトーノさんっていう人は、不良をそんな感じに更正させてるわけか」
「そ。でも、最近遠野さんの行動が甘いというか、いい加減だとか言って、遠野さんを見下してる奴が多くなってきたのさ」
「ごに、じゅう……ごさん、じゅうご」
「……へぇ。本当のところは?」
「オレが聞いたことによると、どうやら竹都の学校の生徒と付き合ってる、って話があって、で、オレの学校の奴らは……言っちゃあ悪いが、あの学校嫌いな奴多いから……」
「しちしち、しじゅうきゅう……しちは、ごじゅうはち……」
「五十六」
「ごじゅうろく……」
「しかも、相手一年生だっていう話だから、ますます遠野さんの行動を嫌う奴が増えて……で、密かに遠野さんをボスから下ろす計画が進んでいる、って……まあ今のところ、こんな感じ」
「で、お前は今日その計画を止めようとして、遅くなった、と」
「はは、察しが良くて助かるな!」
啓悟はにっこり笑って俺の背中を叩いた。
しかし、啓悟はすぐに、いつもとは違う、ずっと向こうを睨んでいるような笑顔になる。
俺は、梨緒がいるから、何も言わないでおこうかと思ったが、とりあえず遠回しに言うことにした。
「……無理はするなよ」
「分かってる、って」
啓悟は悪びれたようすもなく、言った。
そして俺は啓悟への心配はそこで一切捨てたが、まだ一つ、ひっかかっているものがあった。
トーノ、つまりは、遠野さん。
松川が言っていた彼女の名前と被っている。でも、まさかあんな大人しい松川と、不良学校のボスとが付き合っているなんて想像できない。
「啓悟」
「うあ?」
疲れたのか、机に突っ伏して梨緒の数学の教科書を遠い目で見ている啓悟は間抜けな返事をした。
「……なんでもない」
「おー」
俺はやはり違うだろうと思い、それ以上何も聞くことはなかった。
が、ふいに梨緒の様子をうかがってみると、赤ペンを持ったまま固まっている。
「……間違ってた?」
「十問中一問しか合ってない……!」
「教えたところしか合ってないじゃないか……!」
確かに、掛け算なんか言ってる時点でおかしいと思ったが……!
梨緒、受験受かるか不安だぞ……!