遠野編 01
強い人だと思った。
とても、強い女性。
偶然どこかで出会って、偶然何かの話で意気投合をした。
それがどこで何だったか、よく覚えていない。
記憶から消したと、思う。
まだオレが高校一年生で入学したてのときに、あの評判の悪い高校の生徒に絡まれたことがあった。
あの女性と話していたことが原因らしい。
彼女の名前は遠野と呼ばれていた。遠野は、どうやらその高校のボス的存在でもあるらしい。
そしてあの人は、別にオレと仲良くしているわけじゃないと言っていた。遠野姉さんは、そういう人なんだ、って。
それで、ちょっとオレはキレた。
「ちょっとちょっと、その子、アタシの大事な友達なんだけど」
オレを囲んでいた男子生徒にオレが手を出そうとした瞬間、あの強い声が聞こえてきた。
その大事な友達というのは、きっとこの馬鹿な奴らのことだろうと思って、オレはただ黙ってそれを見ていた。
自分でも、その頃は暗いほうだったと思う。今みたいに、あんなにはしゃいでボケることはなかった。
「ほら、行くよ」
まるで、ぐずる弟を連れて行くような感覚で、遠野はオレの手を取って歩いていった。
オレに絡んできた彼らは、空とぶ鯨を見たみたいな顔をして、そのまま口を開けて突っ立っていた。
きっとオレの顔も、あんな間抜けな顔だっただろうに。
クレープを食べながら、俺たちは店が集まっている中庭に行くことにした。
「それでは、わたしは、これで」
実さんは早くもクレープを食べ終わり、きちんと俺たちにお辞儀をした。
「あぁ、そうだな」
俺はえーっ、と言っている啓悟を押し退けて、実さんに微笑んで言った。
実さんも、楽しかったです、と目を細めて笑った。
そして、去り際に梨緒の頭を優しく撫でて帰って行った。
啓悟はひどくつまらなそうに口をとがらせて、不満そうにしている。
「子供みたいな事をするな」
俺が啓悟にそう注意をすると、啓悟はさらに眉間にしわを寄せた。
「だってだって、実ちゃん、すっげえつまんなそうだったし」
「本人がもう良い、って言ってんだから良いだろう」
「実ちゃんは欲しいものを欲しい、って言えない子なんですー」
啓悟はそう、意外なことを言って、まあいいやと中庭へと歩き出した。
俺は啓悟のその背中を見たまま、目を丸くしていた。
だって、啓悟が梨緒や俺以外の人間のことを、よく知っているだなんて。
梨緒も、そのことに気付いているのか、なんとなく楽しそうに足を弾ませて、啓悟についていった。
……でも、
なんとなくだったけど、俺は、思う。
少しだけ、啓悟が遠くなってしまったような、気がした。
「男なんだからちょっとは抵抗しなさいよ」
遠野は言った。
「べつに……」
オレはそっけなく答えた。
公園のベンチで、何故かオレたちは並んで座っていた。
「……辛気臭い顔してるから絡まれるのよ! 髪の一つくらい染めなさいよ!」
「余計絡まれる……」
うるさい女だなあ。
話すたびにそううんざりしていたのは覚えている。確か、あれだ。オレは遠野と会ったときだけ、遠野のことを嫌いになったんだ。
だって、うるさい。
「なんでそんな暗いのよ。最初に会った時はすごい楽しそうに喋ってたくせに」
遠野はつまんない、と駄々をこねた。
「……」
オレはそれでも、何も喋らなかった。
「気に食わない」
彼女はそう言って、オレの頭を殴ってきた。
かなり痛い。
しかしオレは不機嫌な顔を変えずに、
「痛い」
とだけ答えた。
「そ」
彼女の反応はこうだった。
どうやら、彼女はオレがちゃんと話すまでオレのように黙ることにしたらしい。
めんどくさい。
めんどくさい女だ。
「だあー!!」
しばらく沈黙が続いていたが、遠野はいきなり叫んだ。
「なんだよ」
「なんだよ、じゃないでしょ! このアタシを黙らせるとは良い度胸ね! しゃ・べ・り・な・さ・い・よ!」
そう言って遠野はいきなりオレの頬を両方掴んで、引っ張ってきた。
なんなんだ、この女は!!
オレはついに怒って、彼女の頬を同じように掴んだ。
「離せ、この馬鹿……!」
すると彼女は潔くぱっと手を離した。
オレは彼女があまりにもあっさりと離したため、オレも同じように手を離してしまった。
彼女は、こらえきれずに吹き出した。
「あはは、アンタの顔、間抜けー」
「……!」
オレはすぐに不機嫌な顔に戻って、黙った。
「なあに、ちゃんと言えるじゃないの。よく言ったよく言った」
「うるさい」
「アンタ、そんなんじゃあ、きっと友達もいないんでしょうね」
「……うるさい」
「あら、痛いとこついちゃったかしら?」
「……」
「入学したてなんだから、ここで友達作らないとあとあと辛いわよ?」
「……遠野は、良いよね。友達というか、慕ってくれる人がたくさん居て」
すると遠野は、きょとんとした顔をした。
そうして、寂しそうに笑う。
はじめてだ。
彼女のこの、表情は。
「ああ、あれは、ただアタシのお兄ちゃんが怖いからよ」
「遠野みたいなのが二人もいるのか?」
「化け物みたいに扱わないで。お兄ちゃんの方がもっと怖いんだから」
遠野はそういった。
寂しそうに、言った。
「……」
「だから、あの人たちは、お兄ちゃんを慕っているの。お兄ちゃんが居なければ、アタシはあの学校でいじめられてたかも知れないし」
「でも、遠野って頭良いんだろ? オレの学校でも入れるくらい……」
「あら、なんでそんなことまで知ってるの?」
「さっきの奴らが言ってた」
「……そう」
なんでもないように、彼女は呟いた。
「でもさ、中学校もお兄ちゃんと同じところを通ったから、ほら、教師がね。いじわるだったの」
「……」
「どんなに成績上げても、服装が駄目だとか。別に他の子と変わりもしないのにさー。本当にうざったかったわ」
「……」
辛かったんだな。
そう言おうとしたら。
「それで、一番目二番目とうざったい教師ピックアップして、授業中に殴ったら見事この高校にぶちこまれたわけ」
……
「何してんだよ……!」
「いやー、義務教育万歳」
けらけらと遠野は笑った。
なんというか、何してんだよ!もうそれくらいしか言えない。
呆れて、それ以上は何も聞かないことにした。きっと、ろくな答えも返ってこないだろうけど。
遠野はそうして、手を精一杯伸ばして伸びをした。
「ふふ、ねえ、松川のこと、名前で呼んでいい?」
そんなことを、唐突に聞いてきた。
オレはきょとんとした。
「……なんで、そんなこと、いまさら」
単語がぽつぽつとしか出てこなかった。
だって、オレは遠野のこと名前で呼んでいるのに。
「いい、けど」
ちょっと顔が熱かった。
「えへへ、ありがと」
遠野は笑った。
なんだよ、その笑顔。
可愛いじゃん……
それから、すぐにオレと遠野は自然と毎日顔を合わせるようになって、そうしてそれが当たり前だったように、決まっていたことのように付き合い始めた。
オレにはもともと友達なんていなかったから、オレの学校の中で、オレが遠野と付き合っているなんて知っている奴はいなかった。
後期になって、竹都っていう呆けた奴となんとなく話すようになって、遠野にそのことを話したら、遠野は嬉しそうに笑ってくれた。
「良かったじゃない、今度アタシにも紹介してね」
そういって、オレの頭を撫でた。
……最近彼女はオレを弟のように扱うようになってきた。
まあとにかく、「アタシにも紹介してね」。
遠野がそう言ったから、近いうちに竹都を紹介しようと思い、オレは竹都に遠野という彼女がいることを話した。
竹都は鈍感な奴だから、きっと、遠野があの不良高校のボスなんて気付かないだろう。
そういう確信もあり、オレは竹都に素直に話をしていた。
竹都も、うんうんと、興味を持って聞いていた。あんまり真剣に聞かれるものだからついオレは、
「面白いか?」
と自虐的な質問をしてしまった。
すると竹都は、さも当たり前のことのように、
「松川が楽しそうに喋るから」
と、言った。
オレはきょとんとして、笑った。
変な奴。