新聞編 14
帰り。今日も梨緒はいなかった。携帯を開いても、なんの連絡もなかった。
まだ来ていないのだろう、と思い俺は靴箱の前で暫く待っていた。
すると、靴箱に向かってくる実さんを発見する。
実さんは、俺の方に真っ直ぐ歩いてくる。そういえば、梨緒が一緒じゃない。何か伝言でも聞いているのだろうか。
俺の前に立ち止まった実さんは、どうしてか怒っているように見えた。
「先輩は、梅田先輩のことをどう思っているのですか?」
いきなり、そんな質問を投げられた。
俺は唐突すぎて、意図が分からなくてきょとんとした。
「……では、梨緒のことは?」
実さんは俺の返事を聞かずに、また訳の分からない質問をしてきた。というか、なんで怒っているんだ?
俺が怪訝そうな顔をしたまま答えないでいると、実さんはあからさまにため息をついた。
「先輩は、啓悟先輩よりずっと馬鹿です」
そう、実さんは俺に冷静な評価を投げつけ、さっさと靴に履き替えて校舎を出ようとした。が、何かを思い出したようで、振り返った。
「梨緒は先に帰りました。一人で十二分に反省してください」
嫌味丸出しで言い、すたすたと下校する実さん。
何なんだ……?
反省って、何を反省するんだ?と思いながら、実さんが見えなくなる前に俺は三年生の靴箱へ歩く。
すると、そこには何故か誰かに隠れるようにこそこそと靴を履く冬子がいた。
未だに気付かない先輩にいらいらしながら、わたしは校舎をあとにしようとした。
きっと先輩は、わたしがこうやってヒントを与えても理解できないだろう。
そこに更に腹が立つ。
先輩が鈍感で無知で馬鹿だから、そのせいで二人の女の子が苦しんでいるんだ。しかも、それすらも気付いていない。
あの人は本当に、馬鹿だ。
わたしはもう一度振り返る。
すると三年生の靴箱で、傷付いた乙女……つまりは梅田先輩に話しかけている馬鹿な先輩がいるわけで。
わたしは信じられない、と一人呟く。
そうして、聞こえもしないがこう捨て台詞を一発。
「先輩は、大馬鹿者です」
「冬子?」
何故かこそこそしている冬子に声をかけた。
冬子はあからさまに肩を震わせて、振り返ることもしないで早々に立ち去ろうと立ち上がる。しかし、急いだせいか、足を捻って転びそうになる冬子。
そこを俺が反射的に冬子の腕を掴み、冬子が転ばないように支えになった。
小さな頃からそそっかしい梨緒と一緒にいたせいか、こういう場合の反射神経は人より随分良いだろう。
冬子は体制を整えるとすぐに、俺の腕を振り払った。
実さんが怒っているときのように、俺はきょとんとした。
「ありがとう。では、さようなら」
冬子は俺の顔を見ずに、俯いたまま歩き出す。
俺は冬子の様子がおかしいと思い、あとを追いかけていく。
「ついてこないでよ」
冬子はすたすた歩きながら、後ろをついていく俺に言う。
とても刺のある声だった。今までで一番冷たい。何か、あったんだ。
俺はそう確信した。
「何かあったのか?俺を避けているように見えるが……」
言いかけて、冬子が立ち止まったので俺も立ち止まる。丁度そこは、学校の入口。
「……何かあったのか、って……あんた、なんにも気付かないわけ?」
冬子は怒りに満ちた形相で振り返り、俺を睨み付けた。
気付く……?
実さんは反省しろと言うし、冬子は俺は何か気付いていないと言う。一体、俺の知らない間に何が……?
しかし黙っているとさきほどの実さんのように、更に怒らせる可能性があるため、なんとか言葉を紡ぐ。
「えっと、なんの話をしているかわからないんだ」
「……なんでこんなやつ好きになったのかなあ……」
冬子がふいにぼそりと呟いた。
しかし俺にはよく聞こえず、さらに混乱を招く。
「……あたし、あんたに傷つけられた」
冬子は、盛大なため息をつき、真っ直ぐに俺を見て言った。
「え、……いつ?」
全く思い当たる節がない。というか、あまり冬子とは長く喋ってはいない……いや、新聞の件から結構喋っていたような……?
「……歓迎会のとき。あたしに恋愛感情はない、って……言ってたじゃない」
冬子の声は弱々しく、しかしどこか遠くに芯があった。
俺の、知らないどこかに。
「あぁ……ちょっと言い方、キツかったか……?でも、あれぐらい言わないと、また誤解が出るかも知れなかったし……」
「ううん。あれで良かった。清々しいまでに、あれで良かった」
良かったよ……、と冬子は何度も繰り返す。
どうしてだろう。
何故か、悲しい気持ちに襲われる。
「あたしさ、……今更なんだけど」
少し決まり悪そうな、戸惑ったような、けれど少しほほを赤く染めて、冬子は言葉を選びながら発する。
「今更だけど、竹都のことが好き」
……
俺は、その言葉をよく理解するのにしばらくかかった。
そして、理解してから出てきた言葉は、
「え……冬子、そうだっのか?」
なんて間抜けなものだった。
さすがの冬子もそれには拍子抜けしたようで、しかししっかり怒った口調で言う。
「やっぱり気付いてなかったんだ……竹都って、気が利くけど気が利かないよね」
「なんだそれ」
「……」
俺がそう返すと、冬子は急に元気をなくしたのか、しゅんと黙った。なんだか今日の冬子は百面相をするな、なんて思ったが、しかしこんな状況にしたのは俺だと気づく。
そうだ、俺は今何故か告白されたんだった……どうすればいいんだ?返事を……返事をすれば良いのか?
と考え付き、あのさ、と切り出そうと口を開くと、
「いいよ」
と、冬子が止めた。
「分かってる。返事は、もう聞いたから、いい。いらない」
短く、淡々とそう首を振った。
俺ははっとした。
気付く、反省、傷付けた。
そうか、俺は、冬子を傷付けたんだ。
あの、歓迎会のとき。
俺はやっと気付いて、この悲しみがどこから来ているかやっと分かって、急いで何かを訂正しようとした。
冬子を、助けようとした。
「俺は」
「だからいいってば。あたし、フラれてる前提で告白したから。……竹都は、あたしのことを友達としか思ってないんでしょ?」
「……あぁ……残念ながら……」
「ムカつく言い方だね。……そこもまた良いけどさ……ま、それもなんかムカつくけど」
そうして屈託なく笑う冬子。
その笑顔は、あの時の、非常階段の時のような、何か隠した笑顔ではなかった。
殻を破り、そのままの冬子の笑顔。
俺は、冬子に見とれた。
冬子は俺がずっと見ているのに気付き、また睨んできた。
「あのさ、あんまりそういう同情したような顔しないで。あたしが惨めになるじゃない」
そうぴしゃりと言う。
どうやら自分が知らないうちに、俺は冬子に悲しみに満ちた顔を向けていたらしい。
そして、冬子は最後に一瞬微笑んで、また歩き出した。
……これで、終わりなのか?
俺は、思う。
冬子は、もっと他に何か言いたいような顔をしていた……気がする。今まで確かに冬子の好意には気付かなかった。だけど、今ちゃんと冬子の居場所を理解した。
冬子が、俺に抱いた理想の関係を理解した。
俺は唇を噛み、急いで冬子に追い付こうとした。
まるで冬子は逃げるように、既に町の中にいた。その背中は、悲しいまでに小さい。
泣いているように、見えた。
「冬子……」
「……しく、……ないで」
冬子のそばまで追い付くと、冬子は背中を向けたまま立ち止まる。
何かを言ったが、うまく聞こえない。
少し、声が震えていたような気がした。
「冬子……?」
俺が冬子の顔を覗き込もうとすると、
「見ないで!もう、優しくしないでよ!」
ばっ、と振り返り、涙で濡れた瞳で俺を睨み付けた。
「なんで分かんないのよ!普通、フった女の子追いかける!?竹都は、本当にバカだよ!」
冬子は今まで聞いたこともない大声で怒鳴った。
先輩は、啓悟先輩よりずっと馬鹿です。
実さんの言葉が脳裏に浮かんだ。
そうか……
やっと、やっと本当に理解して、俺は何も言えなくなった。
俺の優しさが、冬子を、傷付けていたんだ。
俺は、本当に馬鹿だよ……
心の中で、悔やんだ。
冬子は、涙を流したまま、バカだよ、バカ……と繰り返している。
「ご、ごめん……」
気付かなくて。辛い思いをさせて。
すると、冬子が少し拳を握ったかと思うと、軽い右ストレートが頬にとんできた。
そんなに痛くはなかったが、突然のことで目を丸くした。
「……バカ!」
最後に冬子はそう捨て台詞を吐き、走り去っていった。
俺は未だに状況が理解できなくて、呆然と立ち尽くしていた。
しばらくして、携帯が震え、メールが来たことを知らせる。
メールを開くと、
「あれで許す」
と、冬子から短い文が書いてあった。
俺は少し微笑んで、また歩き出した。
なぜだか、足取りがさきほどよりずっと軽いことに、気付きながら。
バカなやつには愛の鉄拳。
これにて新聞編は終わりです。次回は後日談です。
一ヶ月に二話、三話更新を目指しているので、今月には後日談も更新したいです……!