新聞編 08
あたしは、泣きながら走っていた。
部長から逃げたあたしに怒りと恥。
竹都に見てもらえないあたしにやるせない気持ち。
たくさんの気持ちの涙が、どんどん溢れてくる。
バカみたい、バカみたい、バカみたい……!
唇を噛んで、失速していく足。
疲れて、止まる。
誰もいない廊下。
気がつけば、竹都のクラスの前まで走ってきていたようだ。
驚いて、肩を震わせる。
逃げなくちゃ。
脳裏に浮かぶ、一言。
もう竹都は帰っているだろうけど、でも、逃げなくちゃ。
今は、竹都のかけらにも会いたくはない。こんな惨めな姿、晒したくはない。
そう、思ったあたしの目の前に。
運命的なまでに、
感動的なまでに、
竹都が、いた。
幻覚かと疑った。しかし幻覚でも、あたしは背を向けて、また逃げた。
帰ろう。もう、帰ろう……!
また泣けてきた。
あたしは今まで拭わなかった涙をそこではじめて拭った。
だって、竹都が声をかけてくれること、知っているから。
「冬子!」
ほらね。
皮肉に思いながら、竹都の残酷な優しさを嬉しがり、惨めになってまた溢れてくる涙を拭う。けれど、足は止めない。
今のあたしの、本気の拒絶。
今は、竹都に会いたくはない。
「冬子!」
ふいに腕を掴まれて、あたしは止まった。
「……」
走って、止めてくれた。
名前を呼んで、止めてくれた。
「……どうしたんだ?」
竹都が、問いかけてくる。
やめてよ。
あたしは、心の中ではそう叫んでいた。
離してよ。
でも、言えない。
喉が詰まって、胸が痛くて、頭ががんがんして、言えない。
苦しい……
「痛いよ……」
やっと出た言葉はそれだけだった。
涙は、止まることを知らず、どんどん頬を伝って落ちていく。
「ごめん……」
竹都はすぐに力を弱めたが、手を離す気はないようだ。
最低なくらいに優しい竹都。
ひどい。ひどいよ。
どうして優しくするの。どうしてそんなに優しいの。どうしてあたしにも笑ってくれるの、心配してくれるの。
辛いよ、痛いよ……
あたしは、ただ何も言えないで、そこで泣いていただけだった。
「……ちょっと、来れるか?」
竹都は優しく囁いた。
あたしは、何も言わなかった。
竹都はあたしの腕をひっぱって、廊下から階段を登っていった。
あたしの歩幅に合わせて、ゆっくり歩いてくれる。あたしを落ち着かせるために、ゆっくり階段を登る。
そんなふうな気遣いも忘れない。
竹都が止まった目の前には、今朝来た場所。
見つからなければバレない、屋上への階段。
「他に見られたくはないんだろ。そこに座って、落ち着こう」
「……」
今すぐここから逃げ出したい。
竹都の隣にいたくない。
屋上へ続く非常階段に座って、あたしはどうしようかと考えた。
どうやって言い訳をすればいい?どうやって逃げ出せばいい?
涙がだんだん流れてこなくなった。竹都の隣は、でもやっぱり安心するんだ。
時間が止まればいい、なんて思ってしまう。
「……落ち着いたか?」
しばらくして、竹都があたしの顔を見ないで聞いた。
泣きはらした顔を見ないようにしているらしい。
なんで、恋心は分からないくせに……ばか……
あたしは、そんな竹都を見ながら、つい微笑んでしまう。
「うん……落ち着いた」
きっと、きっとこれは、あたしの最後のチャンスなんだ。
竹都と一緒にいられる、最後の、時間。
綺麗で泣きそうなくらい赤い夕日。
放課後の、サッカー部や野球部の人たちの声。
屋上の階段で、二人きり。
竹都はあたしに振り向かない。
分かってる。
恋する前から負けていた。
知っている。
だからせめて、最後のこの20秒。
ほんの少しだけ。
少しだけ。
竹都と一緒にいて、一番嬉しいって、正直に思う。
苦しくない、辛くない日々に戻ろう。
そうしたら、あたしは新聞部の人たちに、はっきり言うんだ。
竹都にふられた。さっさと新聞はがしなさい!って。
怒ってやるんだから。
あたしは、勇気を振り絞って立ち上がり、素早く階段を下りていく。
振り返り、一番の笑顔を、初恋の人に向ける。
「ありがとう、落ち着いたから、帰るね。本当に、ありがとう」
今まで、10年分の思いを詰めた、最後の挨拶。
次に会うときは、初恋の人じゃなくて、同級生の、幼なじみとして、
会いましょう。
私立合格していました。
とりあえず滑り止めなので…今から合格の賞状もらってきます。