人間という名の矛盾
詩人の本懐『人間』を改稿した詩です。
思うのです。
明日を迎えられる確率と迎えられない確率。一体どちらが高く低いのか。
生きとし生けるものは、生を受けた瞬間から死を背負っている矛盾。
なのに、明日、自分が死ぬかもしれないという考えには至らない。
絶対は存在しないけれど、一秒後に命の幕を下ろすかもしれない可能性は存在する。
思うのです。
命の尊さに上下などないと言ってみても、世界は弱肉強食の連鎖で成り立っている。
矛盾だらけの世の中で呼吸をする度、CO2は増していく。
小さな環境破壊をしながらも、圧倒的な緑によって生かされている。
しかし、酸素の元を伐採して発展して長生きする人間。
思うのです。
人はどうして惨劇を刺激と勘違いするのだろう。
血の海は同じ体から流れ出ていて、横たわるのは〝道具〟ではなくて〝人間〟なのに。
その顔は誰に見えますか? 他人ですか?
それとも、大切な誰かですか?
便利な道具はときに狂気を生む。数が多ければ多いほど伝播する。
思うのです。
嘆く裏では好奇心と承認欲がレンズを向けさせる。
透明な世界が写すのは、あまりに凄惨な事実と人の愚行。
だが、多数のカメラによって解決することもあるという矛盾。
人間という生き物を構成するのは〝組み込まれた矛盾の遺伝子〟なのかもしれない。
決して逃れられない〝死〟を他人事だと片付けてはいけない。
誰かが生きる裏で、必ず誰かは死んでいる。そこに貧富の差も国境も関係ない。
守るなんて大仰なことは言えない。だけど、対岸ではないと思うことは出来るから。
命の期限はまだ見えない。
だからこそ、有限の人生を矛盾と共に--