不文律の光陰
緑の血でも、青の血でも。
「ごめんなさい」と「ありがとう」が言えて、傷ついたり傷つけたことも理解できるのならば、床に零れ落ちたあんこうみたいな触覚は、僕らが流す涙と何が違うのだろうか。
異種だからと言って排除することは簡単で、異種だからといって共存しましょうとは簡単には言えないけれど。
地球規模ではなく、宇宙規模で交流が始まったのは何百年も昔。逆に言えば、何百年経とうが〝差別〟〝偏見〟はなくならない。
床に落ちた触覚は、人間世界の「蜥蜴の尻尾切り」のようで、痛みも喪失も全てを負うのはいつだって〝こういう者〟なのだ。
世界が違えば、言語も通貨も文化も価値観も思想も。容貌に限らず全てがマイナスからの始まりだ。
「難しいね……」
「慣れてますから」
それは皮肉でもなんでもなく現実だ。
「後はやっておくから少し休んで下さい」
「いいよ、いいよ。私の一部だったモノだから」
しゃがみ込んで床に落ちた触覚を拾い上げた彼は、何の躊躇いもなく足元のゴミ箱へ乱雑に投げ捨てた。
心の一部を自らの手で廃棄することの重さも意味も、ヒトである僕には分からない。ただ、幾ら明文化されても、彼らにとっての安寧は彼らにしか分からないし、築けないのだろう。
友好に見えて、決して破れぬ不文律。
固まって温度を亡くした塊を見て僕は思った。
「廃棄されるべきは凝り固まった、脳みそ。なんだろうか……」
彼の触覚に特殊な能力はない。ただ、ほんの少し、人と違っただけ。
ただ、それだけ――
僕達〝人間〟は赤い血が流れていたって、どこも落ちない。代わりに水で表現する。欠損はしない。大怪我や病気等に繋がるもの全てに〝水〟が関係し、不随するように音や感覚が襲ってくる。
順番は人それぞれだけど、彼のように直接〝一部〟が欠けたりはしない。幸か不幸か。彼の感情は〝触覚〟に起因している。
落ちる度、何をおもうのだろう。同じでない僕には到底及ばぬ思考。そして、その考え自体が決して埋まることのない溝だと気づかぬふりをして、今日も彼の隣に並ぶ。
橙の灯が彼の丸い額を照らす。いつか彼の触覚が〝ヒト〟に触れる日が来ればいいと願う。
だけど僕は知っている。何色をも排除しないことが綺麗事だと言うことを。だから祈る。網目の中に奇跡があることを。
だから今日も彼の触覚と血の色は知らないことにするのである。




