永遠に続く一晩の世界
気が付けばいつもの生活を送っていた。
いったいいつからこの生活を送っているのか、具体的な事は何も思い出せない。
だが、この生活をずっと長いこと繰り返している気がする。
いや、きっと繰り返しているのだろう私は確信している。
まだ日が昇ってから間も無い時間、けたたましく鳴り響く目覚ましを止め顔を洗うべく洗面所に行く。
洗面所の鏡は割れておりダンボールが貼ってある為、自分の姿を見る事が出来ない。
早く直さないといけないなぁ…なんて事を思いながら、身体の芯まで冷えるような水で顔を洗う事から1日が始まるのだ。
顔を拭きながらリビングに行くと朝食が用意されている。
トーストと半熟の目玉焼きというシンプルでメジャーな朝食だが、作ってもらえるのだからどんなものでも有り難くいただく事にしよう。そう思いながらそれらを空っぽの胃に入れる事にした。
朝食を食べ終えると霧で霞む窓の外の景色を眺めながら、今日の予定を思い返す。
何があったか、そんな事を考えるまでも無く身体が勝手に動き出す。
ああ、そういえば今日は友人と釣りに行く約束をしていたな。
手にした釣竿を見つつ予定を思い出す。
私は釣竿を持っていたのだな、そう感じたが疑問には思わなかった。
ここにあるのだからそういう事なんだろう。
疑問を抱くという事がタブーであるかの如く、私は今まで一度も疑問を抱いた事がなかった。
そう、例え自分の姿を思い出せなくても。
待ち合わせの場所に行くと辺りには誰もいなかった。
時間か場所を間違えてしまったのか?
そう思い狼狽えていると、霧の奥から少々不機嫌な少年が出て来た。
「遅い!!」
少年はそれだけ言うと目的地の川へと先に歩き出す。
約束していた場所が間違っていなかった事に安堵する。
ごめんね。
私はそう返して少年に付いて行った。
彼は私に何も言わず黙って頷いた。
目的地の川は待ち合わせの場所から30分ほど歩くくらいの距離だ。
初めて行く所だが知っている。
私はその川を知っているのだ。
「今日は釣れると良いなぁ…」
10分程歩くと少年が後ろを振り向きながらそう言う。
そうだね。
私はいつもの答えを返す。
「相変わらず殆ど喋らないんだな」
少年は悲しそうに言った。
私はたくさん話をしたいはずなのに何故か言葉が出てこないのだ。
身体が勝手に動いてしまう。
そのまま無言で歩き続けていると薄っすらと川のようなものが見えてくる。
目的の場所に着いたのだ。
それは鳥肌が立つほど美しく幻想的な川だった。透明と言っても過言では無いくらい綺麗な水なのに底が全く見えないくらいの深さがある。
その上向こう岸は霧で霞んでいて見えないからか、より一層幻想のように感じた。
「それじゃあ釣りをしようか」
少年はそう言うといつの間に準備したのか既に釣りを始めていた。
こんな綺麗な川なら釣れない筈がない。
そう訴えているかのような顔をして水面と睨めっこしながら釣竿を握りしめていた。
少年の顔が水面に映るのを見て、私は急に自分の顔が見たくなった。
何故かはわからないが、それはしてはいけない事のように感じた。
だがその衝動を抑える事が出来ず、水面を覗き見た。
そこには知らない人がいた。
初めて見る顔だ。
少年が何も言わない事から私の顔はこれで合っているのだと思うが、この顔には違和感しかなかった。
これが私の顔なのか。
特に可もなく不可もない、何処にでもいそうな顔。
見慣れたようで初めて見る新鮮な顔。
困惑しつつ少年の方を見ると、少年はそこにはいなかった。
そして私は気付いた。
少年は起きてしまったのだ。
私は誰でも無かったのだ。
少年の記憶が作り出した夢。
その記憶が作り出したモノだったのだ。
この世界にしか存在しないのだ。
川が歩んで来た道が私の身体が霧に包まれて消えていく。
そして私は消える時にいつも存在しない心に刻んでいる。
この世界は少年の夢だと。