命の恩人ならタダでしょう?
あれ以降特に危機に遭遇することなく、俺とリリィは無事リリウムの町へと辿り着いた。
薄々感じてはいたが、リリウムの街並みは俺の時代と比べて明らかに文明レベルが低いと言わざるを得なかった。
まず立ち並ぶ家も石や煉瓦造りばかりで、コンクリートなんてどこにもない。
電気も通っていないようで、電線も電柱も見当たらない。
道行く人達も、誰一人としてスマホや音楽プレーヤーを持っていないし、そもそも電子機器すらここには存在しないように見えた。
ただ、すれ違う人の中にはRPGの冒険者っぽい武器と防具を携えている人もいれば、軒先の洗濯物を手を触れずに取り込んだり、新聞っぽいものを宙に浮かせて読んでいる人もいた。
やっぱり、ここでは魔法が常識のようだ。
何と言うか、典型的な中世のファンタジー世界って感じだ。
「異世界、か……」
まさか本当にあの世界からオサラバしてしまうとは。
正直ついさっきまでは戸惑いの方が大きかったが、時間が経つにつれて何だかワクワクしてきた自分がいた。
だって異世界だぞ? 心躍らない男子なんているのか?
まぁ中身は二十九のオッサン手前なんだけどな。ハハッ。
………………
……自分で言って鬱になってきた。
うん、前の世界のことは忘れよう。ぶっちゃけなんか当分戻れる気しないし。
そのためには、どうやってここで生きていくかなんだけど……
「着きました。ここが私の家です」
「ここって……酒場?」
「はい。お父さんがここでマスターをやってて……私もここでウェイトレスやったり、料理を作ったりして働いてるんです」
「あーなるほどね」
まだ中高生くらいの歳なのに、もう労働に勤しんでいるとは。
大学卒業するまで仕送りのみで生き繋いでプー太郎の俺からすれば、頭が下がる思いだ。
にしても、こんな可愛い子がウェイトレスならさぞかし繁盛してそうだ。
事実、外からでも中の賑わいが聞こえてくる。
「それじゃあ、入りましょう」
「え、あ、うん。でもいいのか? 俺持ち合わせないし、部外者だし」
「そんな部外者だなんて……ヴォルックから私を助けてくれた、その、命の恩人じゃないですか」
「結果としてそうなったけど、最初の一撃はリリィがいなかったら今頃アイツらの胃袋の中だったよ」
「でもその後はユーヤさんがいなければ、私は今ここにはいません。ですからちゃんとお礼をしなくちゃ、メシア様の罰が当たります」
「あ、そう……」
お礼、か。思えば人のために進んで何かしたのっていつぶりだ。
それも、いつの間にか身についていたチート級の魔法のお陰なんだけど。
今は深く考えますまい。魔法万歳。
「ただいま、お父さん」
中に入るリリィに続いて、俺も店内へとお邪魔する。
すると、カウンターでグラスを拭いていた筋肉モリモリの熊男が顔を上げた。
「おお、おかえりリリ……ィ……って! 何だその怪我は!」
突然目を見開かせ、熊男が絶叫した。
その声に店内の人達が一斉に振り返り、図らずも注目を浴びてしまう。
て言うか、この熊男がリリィのお父さん……?
ちょっと失礼だけど、滅茶苦茶似てないんだが。
「転んだのか? 何かモンスターに襲われたのか? あぁ……だから一人で隣町に仕入れに行くのは危ないとあれほど俺は言ったのに!」
「お父さん、声大きい……ちょっとした擦り傷だけだから、心配するほどじゃ――」
すると、熊男の視線が不意に俺へと向けられた。
「……お前か」
ヒィッ!
ヤバいよこの人。完全に過去に人殺してる目してんだけど。
「お前がリリィを危ない目に遭わせたのか」
「え、いや、俺はですね……」
「ちょ、お父さん、私の話を――」
「リリィはちょっと黙ってろ。おい小僧。ちょっとこっち来い。話を聞かせてもらおうか」
「いや話ってちょっと」
おいおい待て待て。何だこの展開は。
ここは娘さんを助けたことに感謝されて、飯の一つでも奢ってくれるところだろう。
でも一から説明しようにも、どこから喋ればいいか分からない。
あわや熊男の餌食になりかけた、その時。
「お父さんっ!!」
隣にいたリリィが、怒った顔で一喝した。
怒った、と言っても仔猫が毛を逆立てたくらいのアレなので、全然迫力なんてないんだけど。
それでも熊男は娘の態度にビクッと身を震わせ、情けなく眉をハの字に寄せた。
「リ、リリィ?」
「もう、先に私の話を聞いてって言ってるでしょ!」
「で、でもだな……」
「お、と、う、さ、ん」
「……はい」
どうやら軍配はリリィに上がったようだった。なんつーか、娘に頭が上がらない親父の典型的な構図を見た気がする。
助かった……リリィがいなかったら今頃肉塊と成り果てていただろう。
すると、やにわに席の随所からオッサン達がはやし立ててきた。
「ハハッ! 相変わらずマスターはリリィちゃんに弱ぇな」
「実質ここの裏マスターみたいなもんだしな、リリィちゃん。彼女に逆らったここには居られねぇや」
「あぁ、違ぇねぇ」
「そ、そんなことないですよ! 何言ってるんですか、もう!」
顔を真っ赤にして反論するリリィ。
そんな彼女と、ハッと目が合う。
「えっと……裏マスター?」
「だから違いますって!」
なんかよく分からんが、リリィがいじられキャラだということだけは分かった。
確かにちょっといぢめたくなるオーラみたいなのが出てるんだよな、リリィって。
まぁどうでもいいけど。
「で、何があったんだ? リリィが怪我したことには変わりないんだから、一応詳しく聞かせてもらうぞ」
「あ、あぁ」
さっきよりは険の取れた表情ではあるが、まだ十分怖すぎる。
冗談抜きでリリィがいなかったらこの店潰れてたんじゃねぇか。
そういう意味では、癒しのリリィはこの店の裏マスターってのも頷ける。
さて……どこから話したもんか……
―――――――――
「がっはっは! なんだ、そうならそうと早く言ってくれればよかったのによ!」
「はは……そうですね……」
一通り説明したら、熊男――カルロスさんは豪快に笑って、改めて俺を歓迎した。
アンタのその面で言えるもんも言えなかったんだよ……! なんて文句は置いといて、カルロスさんは思ってたより気さくなおっちゃんだったことにホッと胸を撫で下ろす。
流石にどこか別の世界から来ました、ってことは伏せている。
話をこれ以上ややこしくしたら面倒だ。
ちなみにリリィは早速エプロンをつけて、ウェイトレスとして働いている。
うむ。給仕姿も似合っており非常にグッドだ。
「にしても、ヴォルックにカチ合わせるとは運が悪かったな」
「そうなんスか?」
「あぁ。お前さんが魔法の熟練者で助かったぜ」
「まぁ、はい、そうですね」
俺自身もそう思ってるとこですよ、いや全く。
「……あー、ヴォルックってこの辺でよく見るんですか? 相当凶暴だったですけど」
「いんや。ここ最近野獣の類なんて滅多にお目にかからねぇ日が続いてたからな。あんなのがこの辺をウロチョロなんて知ってたら、リリィを一人で行かせねぇよ」
そりゃそうだ。
「とは言え、近頃魔族の行動範囲が広まってきたって話は小耳に挟んではいたが……迂闊だったぜ」
魔族、か……
ますますファンタジーっぽくなってきたな。もう二度と会いたくないけど。
でも話を聞くに、今後そうもいかなさそうだなぁ。
あん時は土壇場で何とかなったけど、まだ魔法の知識についてはド素人もいいとこだ。
かと言って、ここで魔法について一から訊くのも怪しすぎるよな……こっちもノリで熟練の魔法使いですみたいな態度取っちまったし。
今怪しまれるのは極力避けたい。
現状維持ってところか、とりあえずは。
「それはそうと、これ美味いっスね」
さっきつい腹が鳴ってしまった時、マスターが出してくれた肉料理を食いながら感想を漏らす。
数年間ほぼ毎日クソ安い牛丼を食ってたからなぁ。最近品質が落ちてきてんのか、ゴム噛んでるみたいだったし。あんなのとは全然違う。
「おっ、なかなかお前も分かる奴だな。そりゃ店の裏で飼ってる牛の肉だ。ウチは酒場だが、料理だって手は抜いちゃいねぇ」
「なるほど……もしゃもしゃ……」
つーか……牛の肉、か。
一応俺の知ってる動物もちゃんといるんだな、この世界。
よくよく考えてみると、異世界でありながら言葉が通じるのも普通に謎だな。
こういうのってほら、転生する際に神様的な存在から翻訳能力なり都合の良い便利チートを授けてもらうもんじゃないのか? ラノベの受け売りだけど。
もしかして、俺もそういう能力が知らん間に備わっているのか?
でも残念ながら文字は読めない。上手く説明出来ないが、英語と漢字がごっちゃになったような……あぁ、やっぱり無理だ。形容し難い。
「っぷはー……ごちそうさまでした」
そうこうしている内に飯を食い終わった。
いやー食った食った。こんだけ食ったの久しぶりだわ。
腹をさすって満腹感に酔っていると、不意にカルロスさんがこちらに手を差し出した。
「……何ですか?」
「2250イェール」
「はい?」
「その飯の値段だよ」
「えっ」
「誰がタダで食わすって言った?」
「えっ」
えっ