Alone in Galaxy (2)
岸からレイラ唯一の住まいへは細い道が伸びている。周りは草原で、低い芝が見渡す限り一面に繁っている。
牧歌的な風景を楽しみながら、キリーはこじんまりとした白壁の家へ近づいた。
カランコローン。ドア脇に吊り下げられていた呼び鈴代わりの鐘を鳴らせば、軽やかな音が響いた。
インターホンは無いようだ。ここの住人はレトロ趣味なのかも知れない。
暫く待ってみたが返事はない。もう一度鳴らしてみても結果は同じだ。
「おかしいな」
キリーは訝しんだ。
ドンドンドン!乱暴にドアをノックするが、やはり反応はない。
普通なら出かけていると考える。だが、キリーにはそうではない予感がした。
「お邪魔しますよー!」
大声で呼び掛けながらドアノブを回す。開いた。家に上がり込む。
テーブルに置かれた新聞、出しっ放しのミルク瓶、洗濯籠に山積みの衣類、そこかしこに転がっている子供のおもちゃ。
生活の痕跡は無数にあるのに、その主が居ない。
「すみませーん、誰かいませんか?」
声を掛けつつ家中を覗いて回ったが、人の姿はどこにも無かった。
「マーヴ、誰も居ないぞ。住所は合ってるか?つい最近引っ越したとかないか?」
『家具や日用品もそのままにとは考え辛いです』
「だよな」
『住民票もこの番地にあるままです』
マーヴが役所の人工知性に問い合わせて確認した。
「じゃあ何でいないんだ?測量士が行きますって連絡はしたんだろ?」
『本部の記録ではそう残っています』
日常の風景から突然人間だけが切り取られたようなその光景は、まるきり奇妙で不気味だった。
『ところでキリー、マリーセレスト号の逸話を知っていますか?』
「何だ、藪から棒に?」
『航行中の宇宙船から積荷も食料も何もかも残して乗組員だけが忽然と消えてしまったという事件です。個人の私物や飲みかけのコーヒーさえそのまま残ってたとか』
「昨日のオカルト番組の話なら後にしろ」
『それに似てませんか?』
どきりと、キリーの心臓が高鳴る。
『心拍数が上がりましたね』
「やかましい!住人がいないんじゃ仕方ない、帰投する」
『了解』
キリーが建物を出ようと踵を返した時、みしり――と足元で音がした。
ふと床に目をやれば、細かな木屑がフローリングの隙間に詰まっている。
部屋の隅やソファの下だけでなく、全体的に薄っすらと粉っぽい。
キリーが歩いた足跡も、よく見れば埃ではなく細かな粉状の繊維質だった。
「何だこれ?」
『おがくずのミニチュアに見えます』
「お前の冗談は面白くないな」
『本当ですよ』
ヘルメットのディスプレイにマーヴから画像が送られてきた。
足元の粒状物質を拡大したそれは、何かに削り取られたような形状の極微細な植物繊維の塊に思えた。
「確かに形はおがくずに似てるが……」
床の上を手で払ってみるも床材に目立った傷がある訳ではない。ただ、注意深く眺めてみればそこかしこに針で突いたような小さな穴が開いているのに気付くことができた。
「虫食いか?」
『建築資材に防虫加工を施さなかったのでしょうか?ナチュラリストだったのかも知れません』
一旦気付いてしまえば、他を見つけるのは容易かった。柱や壁、天井にさえ同じような穴があちこち無数に開いている。
キリーは腰に提げたポシェットからおもむろに電磁ナイフを取り出す。それを無造作に柱へ突き立てた。
『キリー、器物損壊です』
「怒られたら謝るよ」
航宙船の外壁材すら切り裂くナイフで、さくりと四角く柱の角を切り取ってみれば――もぞり、と断面が蠢いた。
「うわあああ!!」
キリーは悲鳴を上げた。
ぞわぞわぞわぞわ。無数の小さな甲虫が柱の断面から這い出して来る。
それは暗赤色の甲殻を纏った蟻だった。見れば、柱の中は虫食いだらけでコルクのようにスカスカだ。
きっと柱だけでなく、家全体の目に映らない部分が同じ様子なのだろう。この家は隅々まで蟻に食い荒らされていたのだ。
キリーに巣を壊されて蟻達は怒っていた。後から後から湧いて出る蟻達で、柱はあっという間に赤く染まる。
『キリー』
マーヴに呼ばれて、キリーははたと我に返った。慌てて家から飛び出す。
蟻達は床を、玄関を、庭先の石畳を埋め尽くしながらキリーを追って来た。
驚くような素早さで、水が広がるようにキリーの背後へと追い縋る。
マーヴィンⅡが、水面の上で緩やかに滑走準備を始めているのが見えた。
湖目指して、キリーは脇目も振らずに走った。水に入ってしまえば大丈夫だと思った。
道沿いの草叢から暗い赤色が溢れ出す。蟻だ。それらは群に合流して、一緒にキリーを追いかける。
来る時は気づかなかったが、草叢は虫食いだらけだ。茶色く立ち枯れているのもある。根を食われているのだろう。
辺り一面全てが蟻の巣だと知って、キリーはぞっとした。
桟橋に止めたままのゴムボートに飛び乗り、エンジンを掛ける。振り向く余裕は無いが、すぐ後ろにまで蟻が迫っていることは察しがついた。
エンジンが唸りを上げる。蟻達の第一陣がボートに取り付く。キリーが悪態を吐きながら舵を握る。ボートが飛び出す。
波を激しく蹴立てて、被る飛沫がボートに這い上がろうとする蟻達を押し流した。
それでも幾らかの蟻はボートの縁によじ登ることに成功した。
キリーの防護服にまとわりつき、鋭い顎で噛み付き始める。強靭な繊維のおかげで痛くも痒くもないが、気分のいいものではない。
蟻を払い落とそうとするキリーの正面、ボートの進行方向に白い船体が回り込んで来た。
「マーヴ!」
『第三船倉開放します』
船の側面ハッチが口を開ける。速度を緩めもせず半開きの扉の間から真っ直ぐボートを乗り入れれば、すぐにマーヴがハッチを閉じた。
波と一緒に船倉の床を滑るボートから飛び降りて、キリーは急ぎ船内へと繋がる機密扉へ駆け寄る。
寸の間もなく、
『離陸します』
――ドンッッ!!
ロケットエンジンが点火した。
星の重力を振り切って宇宙へ駆け上るための強力なエンジンだ。それが最大出力で稼動した。




