Alone in Galaxy (1)
漆黒の虚空を純白の宇宙船が横切っていく。その背にプラズマジェットの尾を引いて。
背景は一面を埋め尽くす瞬かない星の群れ。中でも一際目を引く赤色巨星が熟れすぎた果実のように真っ赤な巨体で悠然と浮かんでいた。
船の名は“マーヴィンⅡ”。機体は銀河連合保安庁でも正式採用されているロゼメカニカル社の傑作航宙船シューティングスター。それをベースに幾らかカスタマイズが施されている。
パイロットがコンピュータに問いかけた。
「クロスニカ一丁目まではあとどれ位だ、マーヴ?」
『小惑星帯を通過後、亜空間ゲートを使用して幸運にも順調ならば2時間15分程で到着します、キリー』
ディスプレイ脇のスピーカーから滑らかな合成音声が返事した。
キリーはこの船の船長で、マーヴはこの船そのものだ。
キリーが視線を上げて、正面の大型ディスプレイに表示された予定針路を確認する。
「最短ルートでぶっ飛ばしてくれ」
『エンジンに負荷が掛からない程度に、了解』
シートにふんぞり返るキリーに答えて、機関の出力がやや大きくなる。
銀河ひとりぼっち暦が100年を数えた記念の夜明けから、35日と12時間9分32秒が経過した頃だった。
キリーことキルレイン・オルセンは測量航宙士だ。宇宙中を飛び回って人類の居住可能な星を記録し、星間地図を作成することが彼の仕事だ。
マーヴことマーヴィンⅡはキリーの船だ。極めて高度な人工知性を搭載し、船と航行に関する全てを管理する。
保安庁でも採用された高性能な船種で、航宙士に安全迅速かつ快適な空の旅を提供するのが役目だ。
一人と一隻のコンビは概ね上手くやっていたが、唯一難があるとすればキリーは楽観主義が過ぎて能天気でさえあり、マーヴは神経質で鬱の気がある点だった。
小惑星帯を通り過ぎるのに約1時間、亜空間ゲート通過に15分、通常空間へ出てから更に1時間程行けば、目的のクロスニカ宙域に着く。
ゲートは、重力が複雑に変化する空間や巨大質量の側では安定しないため使用できない。つまり惑星や衛星の軌道から直接他の惑星へ気軽に移動できるわけではないのだ。
以前キリーは質問してみたことがある。
「マーヴ、君は優秀なコンピュータなんだから惑星重力変動の計算なんてお手の物だろ?」
『勿論、簡単なことです』
「だったら逆算してゲートを軌道上に開くことだってできそうなものじゃないか?」
『無理です、不可能です』
即答。考える素振りすらない。
『その問題については学校では習いませんでしたか?』
カリキュラムの先頭にあったさ、とキリーは答えた。
「けど技術も理論も日々進歩してる。十年前の教科書を繰り返すだけなら何のための最新演算装置なんだ?」
マーヴはンン……と咳払いするような独特の機械的ノイズを零して言った。
『この問題をあなたの知能に合わせて説明するには約200時間が必要と、私の優秀な頭脳は算出しました。
まぁ聞きたくはないでしょうから端的に言いますと――、
あなたの自殺を止める権利は私にはありませんが、私はあなたと心中するのは御免です』
キリーはカチンときた。元々マーヴは気難しい船だし、キリーもいちいち細かいことに目くじら立てる男ではない。だが、船長として軽んじられているとなれば話は別だ。
「何て口の利き方だ!何様のつもりだ!」
キリーは声を荒げた。また微かなノイズがあって、今度はマーヴが鼻で笑った気配がした。
『マーヴ様です』
ぷつん、とスピーカーの切れる音がして、一緒にマイクもオフになる。
全ての入出力を拒絶して、マーヴはコンソールの向こうに引きこもった。
こうなっては梃子でも出てこない。何かの拍子に機嫌が直るまでは、最低限の機能だけ残して応答もしなくなる。
この時は丸二日戻ってこなくて、その間自動調理機が使えずシリアルとクラッカーとジャムのみの侘しい食事をする羽目になった。
船の航行に関してはマーヴが全権を握っている。通常空間ではマーヴが全面的に舵を取っているし、亜空間内でもマーヴの計算に任せておけば間違いはない。
船長が忙しくなるのは、ゲートに入る時と出る時、港に寄った時くらいのものだ。
キリーがのんびり空の旅を味わっていると、その内目的の景色が見えてきた。
クロスニカ一丁目は、太陽級恒星クロスニカⅠを中心として七つの惑星から成り立っている恒星系である。分厚い大気を持つガス型惑星ばかりで、第二惑星と第五惑星を除いた五つの惑星に計十七個の衛星がある。
中でも第三惑星ローラの衛星レイラは大型で、地球の衛星である月の約三分の一の質量を持つ。
ここではテラフォーミング(地球化)が施されたレイラの表面に六人の家族が住んでいる。
マーヴはレイラの赤道下にある湖に降り立った。
青い空を映した水面に白い波を立てて純白の宇宙船が停泊する姿は美しい。
『外気温良好、酸素濃度正常、有害物質なし。通常装備で十分です。
何事もないことをお祈りしてます』
「不吉な事は言わなくていい。別にさ、人が住んでる家を訪ねるだけのことにこんな仰々しい装備は要らないと思うんだよ俺は」
二重扉の手前にある気密室の中で、キリーは簡易防護服を身に着けた。薄い素材で出来たジャンプスーツは靴と手袋が一体化しており、ヘルメットを被れば完全に密閉される仕組みだ。小型の生命維持装置も備えており、真空中でも24時間は生存可能である。
「ま、制服だから仕方ないか」
左胸に目立つ星間開拓機構のマークを撫でて、グローブの背にあるパネルのボタンを押す。
ピッ。軽い電子音がしてヘルメットの前面が開き、スーツの密閉が解除された。
『移動手段は準備できています、行ってらっしゃいキリー』
「おう、行って来る」
ハッチを開いた先は水面で、モーター付きのゴムボートが一隻待っていた。
ボートに飛び乗り、エンジンを掛けてマーヴから離れる。
季節によっては、湖の上をボートで走るのは大層楽しいだろう。どうせなら防護服なしで楽しみたいところだが、まだレイラはボート遊びの時期には早すぎた。
湖から岸を見れば、丘の麓にぽつりと一軒の家が建っているのが目に入る。目的地だ。
住人が使っているのだろう。桟橋にゴムボートを止めて、短い船遊びを終えた。




