Missing Mission (4)
「やれやれ、おっかないおっさんだった」
警察署から幾分離れた所でキリーはようやく一息ついた。
『血圧が高いタイプのようですね。将来の循環器系疾患が心配です』
「お前が言うな、この瞬間湯沸かし器め」
『その表現は適切ではありません。正しくは、湯沸かし器はオセロの方で、私はスイッチを入れただけです』
「分かってるならちょっと黙れ!」
さっと辺りを見回し、オセロの姿が追って来ていないことを確認して胸を撫で下ろす。
「しかし参った。まさか密輸容疑をかけられるとは思わなかった」
キリーは件の蟻に食われかけたのだ。
船内に浸入され、あの恐ろしい蟻と宇宙空間で一つ屋根の下に過ごしたことを思い出すとぞっとする。
あんな獰猛な生物と対面したのは初めてで、そして再会するのは頼まれたってお断りだった。
しかし、それをオセロに語ったところで聞く耳を持ちそうにないことは見て取れた。
『ご心配なく、キリー。逮捕状など取れる訳はありません。至極残念なことですが、この件についてキリーに非があるとすれば善良な市民の住宅を傷つけたかどで器物損壊を問われる位です。とは言え、既に家屋としての価値もほぼ喪失していた物件ですから損害賠償も軽微なものでしょう。
それ以外では、私の記録にも防護服のレコーダーにもキリーの行為に問題はなかったと記されています。本気で刑事告訴された場合は受けて立つことをお勧めします。徹底的に反証可能です』
「その大事な証拠をお前がうっかり消しちまわないことを祈るよ」
『キリーにしてはとても良いアイディアですが……やめておきましょう。船長が犯罪者になるのは船としても不名誉です』
「あーもういい!蟻のことなんか考えたくない!俺は忘れる!もう忘れた!」
キリーは大声を上げて、疲れた気分を振り払った。幸い近くに通行人はいなかったので誰の迷惑にもならなかった。
今日一日分のエネルギーをすっかり使い果たした程に疲れ切っていた。
すぐにもベッドに入ってぐっすり眠ってしまいたかったが、ピピッと通信機が奏でる短いアラームがそれを許さなかった。
『船体修理の立会いを忘れないように。16時からです』
時計を見れば、デジタル文字盤には15時25分と表示されている。
「あと30分しか無いじゃないか!」
ここから港の整備工場までは約20分かかる。とても一休みする時間など無い。
『コーヒーを一杯飲む程度なら許可できますよ』
「……ありがとよ」
『どう致しまして』
溜息一つ、キリーは上層へと繋がる高速エレベータに向かって歩き出した。
予約を入れておいた第3整備ドックには、既にマーヴィンⅡの船体が運び込まれていた。
殆どゼロGの環境で強化繊維のベルトを使って宙に固定されている。
ぽっかりと開いた外壁は、蟻退治のために捨てた二つの構造体が収まっていた所だ。
同規格のパーツを取り付ければ済む話なのだが、折角だからと延期していた定期検査も一緒に頼んでいた。
「お、ちゃんと時間通り来たな」
船を眺めるキリーに整備員が近付いてくる。
水色のつなぎと帽子は港関係者の作業服だ。胸ポケットに“サブリナ港整備局”の刺繍が入っている。
「よう、エイダム。久しぶりだな」
「うるせー、ご無沙汰しやがってこの野郎」
エイダムと呼ばれた男は大柄で厳つかった。日に焼けた肌と髭面は海賊とでも名乗った方が似合いそうだが、片手を挙げてキリーに憎まれ口を叩く笑顔はどことなく人懐こい印象を与えた。
「いつ来たんだ給料泥棒」
「ほんのちょっと前だよ油虫」
親しい間柄ゆえの悪意の無い罵倒で、掲げた拳を打ち合わす。
二人は、互いが航宙士と整備士になった頃からの友人だ。
キリーはサブリナを訪れる度に必ずエイダムへ船の整備を依頼している。
つまり、マーヴもエイダムとは長い付き合いだった。
「しかし派手にやったもんだな、蟻の駆除にコンテナごとビームライフルで蒸発させるとは」
「あんな疫病神、万が一にもどこかの廃棄物業者に拾われたら大変だからな」
燃やすしかなかった、とキリーは答える。
報告書が回っているのだろう。エイダムは手元の資料を読みながら、何事か書き付けた。
「まあ、ブロックはいいんだ。ロゼ社から同じ型番のを取り寄せた。一時間もあれば作業は終わる」
「ありがたいな」
「ただな、」
「うん?」
エイダムがキリーの前にグラフを差し出す。
整備記録だった。定期検査の結果に並んで写真が数枚添付されている。
「外に晒されてた内壁に傷がある。急ぎならともかく、時間があるなら取り替えて行け」
成る程、確かに隔壁表面にいくつかのへこみがある。塗料片のような極微細なデブリでもぶつかったのだろう。
宇宙では何もかもが秒速何十キロもの速度で飛び交っている。直径一ミリにも満たない薄片でさえ、船の強化外装に傷をつけるに事足りる。
それ自体がすぐ機器の故障に繋がる訳ではないが、万全の仕度を整えてさえ足りないことがある宇宙ではエイダムの慎重さは尤もだった。
「じゃあ頼む。この際だからマーヴの外も中もぴっかぴかに磨いてやってくれ」
「あいよ」
整備メニューに“船体洗浄”を加えながら、エイダムは作業の段取りを組み直す。
ぴーぴーぴー。軽快な電子音が割り込んだ。マーヴからの呼び出しだ。
「どうした、マーヴ?」
『本部より通信。至急ブリッジへ戻ってください、キリー』
「本部?」
思わず聞き返す。いつもならメッセージを預かるだけで済むのに、戻れということは余程重要なのだろう。
「船に入れるか?」
「いいぞ、こっちは作業を進めておく」
「頼んだ」
現場はエイダムに任せて、キリーはマーヴの船橋へ戻った。