夢
十月だというのに、初夏のような暑さが続いていた。
僕は友達の城山とテニスコートに来ていた。
テニスは二ヶ月程前、城山に誘われやってみてから案外楽しく時々こうしてテニスコートに来てやっている。
今日もかれこれ三時間はやっているだろうか。
城山は額に垂れてくる汗を手で拭いながら言った。
「祐、そろそろ休憩しよ」
「そうだね」
僕の着ているグレーのTシャツも汗ばんで黒くなっていた。
テニスコートの横に置いてあるベンチに座り、先程近くの自販機で買った水を飲んでいると城山が言った。
「今日この後どうする?」
「とりあえず家行こうか」
テニスをした後は、専らこうして僕の家に行きだらだらと過ごし、夜には近くのファミレス等で夜飯を済まし、お互い家に帰るというのが常だった。
「いいよ」
「じゃあ、後三十分程やったら行こう」
僕は水が入っているペットボトルの蓋を締めベンチに置き、コートに向かいながら言った。
「そうしよう」
城山もコートに向かいながら答えた。
三十分後、僕達は荷物を、乗ってきた城山の車に乗せ僕の家へ向かった。
僕の家は一軒家で、両親、兄、祖母と暮らしている、つまり実家だ。
駐車スペースには家族の車が停めてあり埋まっているので、城山はいつも通り近くの山の麓に停めた。
家へ入り、自分の部屋へ入ると一気に空気が冷たくなった、冷房がついているようだ。
祖母がつけておいてくれたんだろう。
エアコンを去年から掃除しずにつけているので埃っぽく、少し臭う。
城山が寒がっていたので僕は冷房の温度を三度上げた。
僕の部屋はベッド、本棚、テレビ等が置いてあるくらいで特に変わった部屋ではない。
寧ろ質素な部屋だと言えるだろう。
ベッドに腰をかけると急激に眠気が襲ってきた。
城山を見ると床で寝てしまっていた。
僕もだんだんと意識が遠のいて行く……。
目が覚めるとそこは、自分の部屋ではなかった。
暗くてはっきりとは見えないが円形のコンクリートに囲まれ、見上げると果てしなく暗闇が続いていた。
天井は見えない。
体の下には沢山の漫画雑誌や新聞等が乱雑に敷き詰められ、地面を覆っている。
広さは十畳程だろうか。
暗闇に目が慣れてきて、改めて周りを見回すが何処にも城山の姿はない。
少し落ち着き出口を探すが、それらしきものは見当たらない。
途方に暮れ、足下の漫画雑誌を手に取ってみた、割と新しい物だ。
もう一度出口を探そうと壁を調べていると、妙な窪みがあった。
その窪みは四角形になっていた。
壁はざらざらし、古いコンクリートのようだったが、その四角形の中だけは感触が違う。
つるつるしていて、そこの部分だけ別の何かで塞がれているようだった。
その窪みの下だけ雑誌で盛り上がっていた、恐らく以前はそこに穴があり、そこからこの雑誌達が投げ捨てられていたのだろう。
もしやと思い、壁に耳を当ててみたが何も聞こえない。
壁はかなり厚いようだ。
以前ここは読んだ雑誌等が捨てられるごみ捨て場だったのだろう。
改めて何故自分がこんな場所に居るのか、ここで目覚める前の最後の記憶を呼び起こして考えてみた。
ここで目が覚める前までは、確かに自分の部屋に居たはずだ、その部屋に一緒に居た城山は見当たらない。
まさか城山が自分を……?
だが城山は僕より先に眠っていた。
それからもしばらく色々な可能性を考えてはみたが、どれも憶測に過ぎない。
考えていたら少し眠くなってきた。
出口を探すのは少し眠ってからにしようと思い、僕はその場に倒れこんだ。
眠りに落ちるきわ、家族が目に浮かんだ。
早く帰りたい。
目が覚め、再び壁を調べるがあの窪み以外特に変わった物はない。
天井を見上げてもやはり何も見えない。
床を調べてみようと思い、雑誌達を端に寄せ始めた。
十分程そうしていると本当の床が見えてきた。触れてみるが、やはり壁と何ら変わりない。
だが他にする事もないので、結局ほぼ半日その作業を続けた。
すると、中心辺りにマンホールらしき物を見つけた。
僕は必死に開けようとするが、どれだけ引っ張っても開く気配がない。
よく見るとそのマンホールには鍵穴があった。
かなり落ち込んだが、やっとここから出る糸口をつかんだので僕は懸命に鍵を探した。
しかし半日経ってもそれは見つけられなかった。
僕は疲れてしまい、また眠りについた。
目が覚めるとまた鍵探しを始めた、また半日ほど探すが結局見つからない。
本当に鍵なんてあるのかと思いつつも見つけるしか出る方法はない。
鍵穴は見たところかなり小さいので鍵も恐らく車の鍵の半分程度の大きさだろう。
少し疲れ、雑誌の上に倒れこんだ。
ぼーっとしながら履いている黒のスキニーパンツのポケットに手を伸ばした。
中に何か入っている、それを掴み顔の上に持ってきて見てみると、それは小さな鍵だった。
僕は急いでマンホールの鍵穴に差し込んだ。
ぴったりだ。
恐る恐る鍵を回す、すると小さな金属音が響いた。
改めてマンホールを引っ張るとあっさり開いた。
マンホールの蓋を横に置き、中を覗くが暗くて何も見えない。
入り口には梯子がついていた。
梯子に足をかけ、ゆっくりと降りていく。
五分程経っても下は見えてこない。
不安に襲われつつも降り続ける。
十分程経った頃、水の滴り落ちるような音が下から聞こえてきた。
下を見ると気付けば地面がすぐそこまできていた。
僕は急いで梯子を降りた、その時足を滑らせ下に落ちてしまった。
尻餅をつき激痛に耐えつつ、後ろを振り返ると一本の道が見えた、遠くに小さな明かりが見える。
立ち上がり、その明かりの方へ歩きだした。
すると頭に何か降ってきた、頭を触ってみると髪が少し濡れていた。
さっきの音はこの水滴の音だったようだ。
再び歩きだして、しばらくすると明かりの下に何か見えてきた。
大きな扉だ。
ゆっくりと扉に近づく、近くで見ると壮大だ。
両開きで、高さは四メートル程、横幅は二メートル程だろうか。
触れてみると凄く冷たかった。
鉄か何かで出来ているらしい。
一人で開けるには苦労しそうだ。
周りを見るが、他に道もなく、これを開けるしかなさそうだ。
中心に右肩を当て、全体重をかけて押すと少しずつ開いていく。
やっとの思いで扉を開けきり、前を見るとそこには沢山の木々が密集していた。
森のようだ、どこか見覚えがある。
扉から出て辺りを見渡すが、木で何も見えない。
後ろを振り返ると、さっきの扉が跡形も無く消えてしまっていた。
扉のあった場所を調べるが、何の痕跡もない。
どういうことだろう。
驚きつつもとりあえず歩く事にした。
直線にひたすら歩けば、いつかは森を出られるだろう。
十分程歩くと、何か見えてきた。
見覚えがある、自宅の近くにある市役所だ。
急いで森を出て辺りを見回すと自宅が見えた、やっと帰ってこれた。
僕は家まで必死に走った。
家の前に着くと妙な違和感を覚えた。
車が一台も停まっていない、実家なのでいつもは家族の車が停まっていた。
それがない、偶然だろうか。
とりあえず家のチャイムを鳴らすが、誰も出てこない。
ドアノブを回すとゆっくりドアが開いた。
鍵がかかっていないのを気にしつつも僕は中に入った。
靴を脱ぎ自分の部屋へ入ると、とても懐かしく感じた。
それと共に安堵した、すると喉の渇きに気がついた、そういえばあそこで目覚めてから何も口にしていない。
キッチンへ向かい、冷蔵庫を開くと麦茶があったのでコップに注ぎ、一気に飲み干した。
コップ一杯では足らず、麦茶のペットボトルから直接飲んだ。
喉が潤うと今度は空腹に気づき、戸棚を見るとカップ麺があった。
湯を沸かし、カップに注ぐ。
本来三分待たなくてはいけないが二分で開けて麺を啜る。
少し固いような気もするが、なにしろ久しぶりの食事なので物凄く美味しい。
空腹も満たされ、自分の部屋へ戻るとテレビをつけた。
しかしどのチャンネルにしても何も映らない。
テレビの故障だろうか、それとも……。
不安になり、僕は近くのコンビニへ向かった。
コンビニへ着き、駐車場を見ると車が二台停まっていた。
中へ入るがやはり誰も居ない。
一体どういう事だろう、人の居た痕跡はあるが何処にも人は見つからない。
コンビニを出て近くの適当な家へ入る。
机の上には食事の跡があった。
どれも食べかけだ、しかし誰も居ない。
まるで今さっきまで人が居たように思える。
戻ってきてからまだ誰一人、人を見てすらいない。
まさか僕以外皆消えてしまったんだろうか。
いや、そんな事あるはずない、探せばきっと何処かに居るはずだ。
とにかく一旦家に帰って休もう。
家に着くとすぐに眠りについた。
僕は公園に居た。
野球の試合が出来そうな程に大きな公園だ。
周りを見ると沢山の人で溢れかえっていた、その中に自分の家族も居た。
声をかけようと近づくと、煙のように消えていってしまった。
他の人達もたて続けに消えてゆく。
周りを見渡すと僕の他には誰も居なくなっていた。
唖然としていると、視界が徐々に暗くなっていき、気がつくと真っ暗で何も見えなくなっていた。
段々と意識が遠くなっていく。
気がつくと僕はベッドに横たわっていた、夢か。
服が汗で体にまとわりついて気持ち悪い。
起き上がり布団を押し退けると猛烈な喉の渇きを覚えた。
冷蔵庫に向かい、麦茶を取り出す。
コップに注ぐと心地好い音が響く。
一気に飲み干し、家中を探し回るが何処にも家族の姿はない。
昨日のは夢じゃなかったんだ。
とりあえず今日は市内を調べてみよう、人が見つかるかもしれないし。
脱衣所に行き、汗で濡れている服を洗濯かごに投げ入れる。
シャワーなど浴びている場合ではないかもしれないが、何日も浴びていないので流石に気持ち悪い。
それに僕は軽い潔癖症だ。
シャワーを浴び、服を着替えて髪を乾かす。
髪はわりと長いので乾かすのに時間がかかる。
乾かし終わると、僕は外に出て自転車に跨がった。
かごにはいつか自転車の修理で使ったドライバーが入っていた。
入れたままだと走っている時に落としかねないのでそれをポケットに押し込んだ。
自転車は所謂ママチャリというやつなのであまり速くはないが、歩くよりはましだろう。
まずは近くのショッピングモールに向かった。
県内最大のものなのでかなり大きい。
そこに着き駐車場を見渡すが、車はほとんど停まっていない。
適当に自転車を停め、中へ入ろうとしたが自動ドアが開かない。
仕方ないので従業員用の入口を探す。
前に一度、ショッピングモール内でひったくりを捕まえた事があり、その時に使ったのですぐに見つけられた。
扉の鍵はかかっていない、良かった。
中へ入り、少し歩くとまた扉があった。
そこを開けると見慣れた服屋が並んでいた。
辺りを見回すが、人は見当たらない。
飲食店が目についたので入ってみると、テーブルには食べかけの料理が並んでいる。
座席には女性のものらしきバッグや子供の玩具が置いてあった。
あの家と同じだ。
つい先程まで人が居たような跡がある。
他の店も見てみたが、どこも同じような状態だった。
結局モール内にも人は見つからなかった。
途方に暮れ、自転車を押しながら歩いていると、遠くの建物の影に人影が見えた気がした。
僕は自転車に跨がり、急いでそこへ向かう。
その建物の角を曲がると、そこには見覚えのある後ろ姿があった。
城山だ。
自転車を投げ倒し、肩に手をかける。
「城山、どうなってるんだ?」
「何処を探しても全然人が居ないし……」
それが振り返ると僕は驚愕した。
顔は真っ黒で、目も鼻も口も何も無い。
それは口もないのに何か喋っている、全く聞き取れない。
僕は無意識にポケットからドライバーを取り出し、それを空いての胸に勢いよく突き刺した。
ドライバーを引き抜くと、黒い液体がどぼどぼと音をたてて溢れだしてきた。
その液体が流れて僕の体へ登ってきて、徐々に視界も黒く塗り潰されていき、何も見えなくなった。
目を開けると少し黄ばんだ白い天井が映った。
自分の部屋の天井だ。
横を見ると城山が床で寝ていた。
あれは夢だったのか、嫌な夢だ。
その見慣れた部屋は安心感を与えてくれた。
キッチンに行くと、菓子パンが置いてあったのでそれを手に部屋へ戻った。
僕はパンをかじりながら読みかけだった文庫本を読み始めた。
読み終わる頃、城山が目を覚ました。
「あー、寝ちゃってたよ」
「おはよう、僕もだよ」
「今何時?」
時計に目をやると、夕方の四時だった。
「四時だよ」
「じゃあ三時間位寝てたんだな」
そういえば家に着いたのは一時頃だった気がする。
「けどもっと長い時間寝てた気がする」
「気のせいだろ」
あの夢のせいだろうか。
「そんな事より腹減った」
「どこか食べに行く?」
「そうするか」
僕はパンを食べてしまったので正直お腹は空いていないが、城山に合わせる事にした。
僕と城山は車で近くのファミレスに向かった。
いつも行く店だ。
席につくと、城山はハンバーグとライス、僕はパスタを頼んだ。
これもいつも通りだ。
食べ終わり、車に乗ろうとした時、僕は城山に本を貸していた事を思い出した。
「そういえば本貸してたよね、このままついでに取りに行っていい?」
「あー忘れてた、いいよ」
城山の家に着き、本を受け取り帰ろうとした時城山の家の中から大きな物音がした。
何を言っているか分からないが、声も聞こえる。
僕と城山は中へ入り、物音のした部屋へ向かった。
部屋へ入ると、城山の母親が泣きながら父親へ包丁を向け立っていた。
父親の方は必死に宥めていた。
一体何があったんだろう。
訳が分からず戸惑っていると、母親がこっちを見た。
「お前達も殺してやる」
そう言って僕達の方へ向かってきた。
僕は焦って近くにあった椅子を掴み、それを母親の頭へ降り下ろした。
すると母親は血を流しながら倒れた。
「お前何してんだよ!」
城山は勢いよく僕を殴りつけた。
その後城山は母親が持っていた包丁を拾い、僕の方へ向かってきた。
僕は先程の椅子を掴み、城山に投げつけた。
そして城山がひるんでいる隙に台所にあった包丁を手に取り、それを城山に突き刺した。
城山は唸り声と共に倒れた。
横を見ると、父親が腰を抜かして座り込んでいた。
僕は城山に刺さっている包丁を抜き取り、父親へ突き刺した。
僕は何をしてるんだろう。
城山を見るが、意識はないようだ。
もう死んでいるんだろうか。
段々と視界がぼやけてきた。
それと同時に意識が遠くなっていった。
目を開けると白い天井が映った。
自分の部屋だ、また夢か。
横を見ると夢と同じように城山が床で寝ていた。
流石にもう夢ではないだろう。
時計を見ると、四時に針を指していた。
喉が渇いていたので冷蔵庫に行き、麦茶を取りだした。
それをコップに注ぎ、飲み干した時あることに気がついた。
夢か同じ菓子パンが同じ場所に置いてある。
きっと偶然だろう。
部屋に戻ると、そこには城山の姿は無かった。
何処に行ったんだろうと考えていると、後ろから何かで背中を刺された。
振り返るとそこには城山が立っていた。
城山は僕の背中からそれを引き抜いた。
夢で見たのと同じ包丁だ。
「よくも俺の家族を殺してくれたな」
城山はそう言い僕の背中にもう一度それを突き刺した。
周りから車の走る音のようなものが聞こえる、それにラケットでボールを打つような音も。
僕は椅子か何かに座っているようだ。
目を開けるとそこにはテニスコートがあった。
僕はテニスコートのベンチに座っているらしい。
横に目をやると、城山が座っていた。
すると城山もこちらを向き、不気味に笑った。
エアコンの稼働音が聞こえる。
重い瞼を上げると、見慣れた天井が映った。
全部夢だったのか。
部屋を出て、キッチンに向かうとそこには沢山の人が転がっていた。
僕の家族と城山だ、血まみれで息はしていない。
一ヶ月前に皆死んだからだ。
一ヶ月前、僕は城山と家でいつも通りだらだらと過ごしていた。
その時部屋に置いてあった麦茶を飲むと急激に眠気が襲ってきて僕は寝てしまった。
目が覚めると、部屋に城山の姿はなかった。
何処へ行ったんだろうとキッチンへ向かうと、そこには家族が全員血まみれで倒れていた。
その横には包丁と通帳を持った城山が立っていた。
僕の家はそこそこ裕福で、貯金も沢山あった。
そういえば城山の母親が病気で、金が必要だと前に言っていた。
だからって何で僕の家族が殺されなきゃいけないんだ。
そうだ、これは夢だ。
だったらさっさと城山を殺して夢から覚めなきゃ。
僕はキッチンに置いてあった包丁を手に取って、それを城山の背中に刺そうとした。
しかし城山に気づかれて、足を包丁で切られた。
膝を着きながらも僕は包丁を城山の胸へ突き刺した。
すると苦しそうな声をあげ、後ろへ倒れた。
僕は城山が落とした包丁を手に取って、這いずりながら城山に近づき、包丁を城山の首に突き刺した。
これで夢から覚められるだろう。
しかし、いくら待っても目が覚めない。
これが現実?
ふざけるな、こんな事あってたまるか。
僕は寝れば覚められると思い、自分の部屋へ戻って眠りについた。
しかし目が覚めても死体は消えなかった。
何度それを繰り返しても、やっぱり死体は消えなかった。
僕は諦め、その後は普通の生活をした。
死体はそのままにしておいた。
死体を片付けてしまうと、夢から覚められないような気がしたからだ。
そうして一ヶ月程経ち、今に至る。
今さっき目覚めたばかりだが、もう眠くなってきた。
さっさと寝よう、今度こそは夢から覚められる気がする。