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想い出のカケラ~Fragment~

作者: 天堂 竜角

 それはとある一人の少女の想い出―

 その少女が散りばめた想い出の欠片(かけら)-フラグメント-

 その欠片を数多くの人々が受け取りました。

 そんな人々の中から少女と奇妙なめぐり逢いを果たした若き男女たちの物語。

 そしていかにして少女は彼らの想い出の中に生き続けたのか?

 それは少女の歌声とある決意から始まります―


序章


 今の日本は空前のアイドルブームで盛り上がっていた。毎日テレビやラジオ、そして雑誌のグラビアで、数多くのアイドルと呼ばれる歌手や俳優達が占めていた。

 季節は春も始めの三月、あるテレビの歌番組で一人の少女が歌っている。

 少女の名は姫乃友梨香(ひめのゆりか)。本名・浦木麻里(うらきまり)。十七歳。昨年の四月に芸能界の最大手・ミタニプロモーションから、同じ事務所の先輩でトップアイドル・松樹留美子(まつきるみこ)に続けとばかりにデビューしたアイドル歌手だ。

 友梨香はその愛らしい笑顔と歌唱力、明るいキャラクターに抜群のプロポーションで人気を得ている。今や若い世代を中心に全国の男子や女子の憧れの的になっていた。

「友梨香ちゃ~ん、おつかれ~」

 マネージャーからの声がかかる。デビューから一年を迎えようとするが、総てが友梨香の夢が叶い、順風満帆なアイドル・スターへの道を歩んできたはずだった。が、しかし…

 友梨香は何か満たされない気持ちでいた。


「友梨香ちゃん、明日のスケジュールなんだけど…」

 仕事を終えた夜、ここ新宿にある所属タレントの寮にて、マネージャーの河田(かわだ)が友梨香のスケジュールを読み上げる。

「歌番の収録は夜十二時に終わる予定で…」

 河田がスケジュール表を読み終えようとする時…

「やめて!」

友梨香が突然、叫びだす。

「もういやよ、何で決められたことしかやっちゃいけないのよ!もっと自由にいろいろ出来ないの?」

「友梨香ちゃん、そんなわがまま言っちゃ…」

 河田がなだめようとするが、友梨香は言い続ける。

「河田さん、私は仕事が嫌だからこんなこと言ってんじゃないの。ただ自分のやりたいことやりたいだけなのよ。でもどうして、事務所で決められたことしかやっちゃいけないの?私がやりたいのは…」

「おい、何の騒ぎだ?」

「あ、チーフ。実は…」

 友梨香の部屋に入ってきたのは、チーフ・マネージャーの千葉(ちば)である。

「そうか、とんだヒステリーだな。よし、睡眠薬を持って来い」

 事情を聞いた千葉チーフは河田に命ずる。

「はあ?」

「はあ?じゃない!こういう場合は、睡眠薬を飲ませて落ち着かせるのが一番だ」

 せかされるまま河田は睡眠薬を持って来て、友梨香に飲ませようとする。

「い、いやよ。そんな、うっ…」

 睡眠薬を飲まされた友梨香は、そのまま眠りについた。そしてまたいつもの朝を迎えることになるのであった。


 翌日、仕事を終えた友梨香は今日も河田マネージャーと明日の打ち合わせをしている。

「と、言う事で友梨香ちゃん、明日のスケジュールはこんなもんでよろしく」

「はい。河田さん」

 この日の友梨香はやけに素直だった。

「ふうっ助かった…友梨香ちゃんの機嫌が良くなって」

 安心した河田は部屋を出た。しかし友梨香には、ある企みがあった。

「しめしめ、今がチャンスだわ。ふふっ」

 ミタニプロのタレント寮は、当プロダクション社長・三谷秀雄(みたにひでお)の自宅である豪邸を利用したもの。友梨香の部屋は一階にある。それは友梨香とって好都合なことだった。友梨香はすかさず、窓から脱出した。大胆にもパジャマ姿で…


第一話


「じゃあな緒方。特ダネ楽しみにしてるぜ」

「はい、先輩。おつかれさまです」

 夜の路地に会社の先輩らしき人と別れ、一人帰宅しようとする青年がいる。

 彼の名は緒方智紀(おがたとものり)、二十五歳。この春に大手出版社・大星社(たいせいしゃ)の芸能雑誌『週刊トップ』に配属された記者だ。緒方は元々は小説雑誌の記者だったが、会社内の人事異動で芸能誌の編集部に回されてきた。だが緒方は芸能界音痴で、アイドルスターの顔も区別がつかないくらいだ。なので緒方は自らの行く先に不安を覚えていた。

「何の手違いか芸能雑誌に…果たして俺に勤まるのか?」

 そう呟いているうちに、緒方は公園のベンチを目にした。

「ん…?」

 ベンチにはパジャマ姿の少女が横たわっていた。

「公園でパジャマで寝てるなんて、ずいぶん変わった女の子だな」

 緒方は少女を起こそうとする。

「君、起きなさい。そこはパジャマ着て寝るとこじゃないよ」

「ん…あなたは…だれ?もしかすると…王子様?」

 少女は寝ぼけて答えた。

「えーと…うん、そう 。眠れる森のお姫様を起こしに来た、白馬の王子です」

 呆れ気味で適当に答える緒方。

「だったら私に…キスして」

 いたずらっぽく話す少女。

「いえいえ、お姫様には先ず、ふさわしいベッドが必要です。あなたにいばらのベッドは似合いません」

「そうですか…ではそこまで連れて行ってくれませんか?」

「はい、ベッドはすぐ近くにございます」

 緒方が住んでいるアパートは公園の近所にあった。緒方は少女を抱えて部屋まで連れ帰り、一先ず自分のベッドに寝かせることにした。


 翌朝、ここは新宿近辺にある緒方の住むアパート。身支度も整え、朝食の用意も出来た緒方だが、何やら考え込んでいる。

「これからの仕事もそうだが、問題は今居るこの娘なんだよな…」

 緒方は自分のベッドで眠っている少女の寝顔を眺めながら、分野が異なる雑誌に転属された不安と、少女の今後のことで考えていた。

「警察に届けようかとも思ったが、この娘にも何らか事情がありそうだし、一応話を聞いてからにするか。でもこの娘、どっかで見たような…」

 そう考えてるうちに、少女が目を覚ました。

「あ…うん…」

「お目覚めですか?お姫様」

 にっこり微笑んで、緒方が話しかける。

「あ…おはようございます、河田さん」

「ほう、君の王子様は河田って人かい?」

「えっ!?」

驚く少女の目の前には、すらっとした長身のイケメン青年が立っていた。

「あ…私いったい…ここはどこ?」

 緒方はこれまでのいきさつを少女に話す。

「会社の帰り道、君が公園のベンチにパジャマ姿のままで寝ていた。もしかして夢遊病かなとも思ったけど?」

「いえ、ええぇ、まあ…」

 しどろもどろに答える少女。

「それで君の身元を確認してから、親元に帰したほうが最善かなと思って、僕んちに寝泊りさせたって訳さ」

「でもお兄さんは、一体どうやって寝たんですか?」

「あそこで寝たのさ」

 緒方はキッチンを指す。

「そんな…ごめんなさい。私のせいでご迷惑を…」

「なあに、これくらいで迷惑がってるようじゃ、人生やって行けないよ」

 謝る少女に緒方は、さらりと答える。

「それより食事はどう?」

「は、はい」

 二人は朝食を食べ始める。


「ところで君はどこから来たんだい?」

 食事しながら少女に尋ねる緒方。

「…実は渡し、友達の家に行こうとしてたんです」

「パジャマ姿で?」

「親と喧嘩して、家飛び出して、途中でお金落としちゃって…」

「なるほどねえ…その友達って、パジャマ姿のままで飛び出すほど大切な友達なのかい?」

「はい、でもいっぺんパジャマで街中を歩いてみたかったの」

「これからどうするんだい?」

「取り合えず友達の家に行きます」

「どの辺にあるの?」

「池袋の方ですけど」

「でも明るい時分にその格好じゃあね…男物しかないけど取り合えず着替えてから、その友達の家まで送っていってやるよ」

 親切に話す緒方に対し、少女は困った顔をする。

「えっでも…一人で行かせてくれませんか?ちゃんと駅も道も分かりますし」

「お金持ってるの?」

「一万くらいは…」

「じゃあもしものために、お小遣いやるよ」

 緒方が少女にお金を渡す。

「え、そんな…こんなにも…」

「気にすんなって。でも服は返してくれよ。名刺渡しておこう」

 少女に名刺を渡す緒方。

「えーと大星社『週刊トップ』緒方智紀さん…芸能記者の方?」

 少女は不安そうな顔をする。

「まあ芸能記者といっても、前は小説の雑誌だったけど、何の手違いか芸能雑誌の編集部に移動しちゃってね。実はまるっきり芸能界には疎い“芸能界音痴”なんだよ」

「何かおかしな会社ですね、大星社って」

「まったくだよ!ああところで君の名は?」

 緒方が尋ねる、その少女の名は…

「私…“ユカリ”っていいます」

「ユカリちゃんか…可愛い名前だね」

 緒方がそう答えたとき…

 ドンドンッ

「おーい、緒方ーっ!」

 ドアの向こうから声がした。

「…どなた?」

「同僚が迎えに来たか。じゃあ僕は会社に行ってくるけど」

「あの、お風呂使ってもいいですか?」

「いいよ。でもちゃんと自分の足で帰れるよね?」

「はい、服もお金もちゃんと返しますので」

「おーい、はよこい!」

「わかったーいまいくー!」

用意を整え、緒方は玄関のドアを開けた。出迎えたのはカメラを持った青年だ。

「辰さん、今日も一日よろしくお願いします!」

「おうよ、業界のことなら俺にまかせとけ」

緒方を出迎えた青年はカメラマン・辰馬三郎(たつまさぶろう)。通称・辰さん。二十七歳。編集部では緒方の先輩にあたる。緒方よりも断然、芸能界というかアイドルについて詳しく、それはまるでアイドルの追っかけがそのまま業界に入ってきた様子だ。緒方をサポートする良き相棒である。

「ん?中に誰かいるか?」

 緒方のよそよそしい態度に気づいた辰馬が尋ねる。

「い、いや…別に何でも」

「そうか?朝食が二人分あるぞ」

 辰馬は緒方の部屋を覗き込んで、テーブルの上を見た。カメラマンの目からは、来客ありと感じたらしい。

「それに女の子の声がしたような…」

 辰馬はドアの向こうの緒方とユカリの会話を微かながら聞こえたらしい。

「あ…あれですか?いえ実は妹が来てるんですよ、妹が」

「へーお前に妹がいたのか…可愛いのか?」

「そんなことより早く行かないと編集長にドヤされますぞ!」

「おおそうだった。よし!いくぞー!」

 一方、バスルームではユカリが生まれたままの姿で、心地よくくつろいでいる。

「緒方智紀さん…素敵な人だなあ。まるでお兄さんみたいね。服とお金返すときはトップ編集部まで先ず連絡するか。でも彼が芸能音痴だったおかげで、私の正体がバレなくて良かったわ…」

 物思いにふける少女・ユカリの秘密の一人言…この謎の少女の正体は?


 出勤後、緒方は辰馬と共に『週刊トップ』の編集長室に呼ばれた。

「緒方、早速だが仕事だ」

 編集長・金森(かなもり)は緒方に一枚の写真を手渡す。可愛らしい美少女の写真だ。

「今回、このアイドルの取材をしてくれ。インタビューだ」

「?…この娘は…」

 緒方はその写真を見て驚いた。なぜならその写真の少女は、昨夜泊めた少女・ユカリと瓜二つなのだ。

「この姫乃友梨香のインタビューが君の仕事だ」

 そう、その写真の少女こそ、姫乃友梨香その人だ。友梨香にとってこの『週刊トップ』には、いつもお世話になってる。

「…」

「どうした?緒方」

「い、いえ。どっかで見たような女の子だなと…」

「当たり前だ、今やあの松樹留美に継ぐほどの、人気アイドルなんだぞ」

「編集長、こいつは芸能界音痴ってこと忘れちゃいけませんよ」

 横から辰馬が緒方をフォローする。

「おっとそうだったな。まあ緒方、勉強する気で取り込んでこいや」

 するとその時…“ジリリーン”

 編集長のデスクから電話が鳴り響いた。

「ああ、これは三谷社長。いつもお世話になっております。えっ何ですって?友梨香ちゃんが…」

「どうしたんですか!編集長」

 電話におののく金森に聞く辰馬。

「大変だ!姫乃友梨香が失踪した!」

「ええっ友梨香ちゃんが…」

 編集長と辰馬が驚いてるのをよそに、緒方は呆然としていた。

(何てこった…ゆうべ泊めた女の子が、日本を代表する人気アイドルなんて…ユカリってのは偽名だったのか。こりゃあえらいことになったぞ…)

 すると電話を終えた金森編集長が言い放つ。

「よし、緒方。予定変更だ。姫乃友梨香を探し出せ!」

「ええっ!?」

「三谷社長の話によると、もし姫乃友梨香を見つけ出したら、今後うちに独占スクープを提供してくれるって!」

「でも編集長…どうやって?」

 動揺した様子で話す緒方。

「先ずは穏便にやることだ。トップアイドルの失踪となると、公にすれば大パニックだからな」

 金森編集長は注意深く話した後、更に言い放つ。

「その他、詳しいことは後!取り合えず姫乃友梨香を見つけ出してからだ。超特急で行って来い!辰馬、お前もだ!」

「は…はいっ!」

 檄を飛ばして急かす金森編集長を後に、緒方と辰馬は編集室を出る。こうして緒方智紀の一世一代の大仕事がスタートした。果たしてユカリと名乗って脱走した姫乃友梨香を見つけ出すことが出来るのか!?


 家出少女・ユカリと名乗った友梨香は風呂から上がった後、緒方が用意してくれたカッターシャツとズボンを着て、マンションを抜け出していた。髪は濡れてボサボサになっている。そして友梨香はとある理髪店に立ち寄る。

「いらっしゃ~い。あら~今日はまたかわいこちゃんねっ♡まるで姫乃友梨香ちゃんみた~い!」

オネエ言葉で理髪師が出迎える。髪形が変わっていて、その上すっぴんだから、まさか本物の姫乃友梨香とは気付かない。

「オードリー・ヘプバーンみたいなカットにして」

「いいの~これくらいの長さなら、乾けばいい髪になるのに」

「いいの、ちょっとイメチェンしてみたいの」

「そうね~今時の女の子ってそんなものよね~」

理髪師は友梨香のオーダーを受け、作業に取りかかった。


「ザクッザクっと~どんどんショートになってきますね~」

 理髪師は乗り良くショート・ヘアに整えてゆく。

「だんだんとショートに~ホント、イチゴのせちゃいたいくらいにって、そりゃショートケーキだっちゅーの!」

「ふふっ♡おじさんて面白い人ね」

「いやっ♡お兄さんってよんで!」

 理髪師とのユニークな会話が続く中、友梨香の髪は見事なショート・ヘアに仕上がった。

「あ~ら、ほんとーにオードリー・ヘプバーンみたいね~」

 今の友梨香の姿は『ローマの休日』のオードリー・ヘプバーンさながらの艶やかさだ。

「ありがとう、お兄さん。はい、お勘定ね」

 店を出た友梨香は電車に乗って、池袋へと向かった。


第二話


「愛と青春と俺達の旅立ちにカンパーイ!」

 池袋のファミリー・レストランにて、高校生らしき男子三人の祝いの席がある。

「大張、いよいよお前も美大生だな」

「おめでとーさん!」

祝いの席の主役の名は大張一(おおばりはじめ)。この春に美大の名門・高野台(たかのだい)美術大学に合格した。そんな一を高校の友人である本山(もとやま)納屋橋(なやばし)らと祝いの宴を開いていた。

「いやあどうもありがとう、本山に納屋橋」

 一は将来、絵を描く仕事に就くため、美術系の大学を受験し、見事に合格。一の同級生である本山と納屋橋は高校卒業後、それぞれ家業を継ぐこととなっている。

「大張は大学に行くことになって、一方俺たち遊んでばっかだったから、結局家業継ぐだけになっちまったぜ」

「それも最初から修行し直しだもんな」

 羨ましそうに言う本山と納屋橋。

「うちは親父がサラリーマン、お袋がアパートの管理人。お前らみたいに菓子屋やうどん屋って店をやってるわけじゃないからな。それにお前ら、遊んでばっかといっても、姫乃友梨香の応援で一生懸命じゃないか」

 うどん屋の本山は『姫乃友梨香親衛隊』の隊員。菓子屋の納屋橋は『姫乃友梨香ファンクラブ』の会員である。

「そういや大張も友梨香ちゃんが好きって言ってたな」

「まあ好きって言っても、ちと好みのタイプってだけだし。俺、あんましアイドルとか芸能はどうも詳しくなくてさ。それに去年は受験で忙しかったし。妹は友梨香ちゃんのことは嫌いとか言ってたな…ん?何だありゃ」

 談話の途中で一がふと窓辺を振り向いた。ショート・カットの女の子が、ヤンキー三人に言い寄られている。あまりのしつこさに女の子は嫌がってる様子だ。

「何だあいつら…よし、女の子を助けに行こう」

「お、おい大張」

「しょうがないなあ…あ、もう出ます。はい、お勘定」

 店を出る一の後に本山と納屋橋もついていく。


「おい、やめろお前ら!恥ずかしいとは思わんのか?」

一、本山、納屋橋はヤンキー三人組からショート・カットの女の子をかばう。

「何だとてめえらっ!」

 突っかかってくヤンキーども。

「いっせーのっ!」ドン!

 一達に突き飛ばされ、ヤンキー三人組は総崩れになる。

「それっ逃げろ~」

「待ちやがれ!てめーらーっ!」

 四人を追いかけるヤンキー三人組だが、最寄の駅の中まで逃げ込むのを追いつめようとした時…

 キキーッ!

 突如、自動車に間を横切られ、ヤンキーどもはまたもや総崩れの尻餅。

「バッキャロー!気をつけやがれ…ってあれ?」

 去ってゆく車に怒鳴りつけ、はっと見ればもはや目の前に一達の姿は無かった。


「ふーっ助かった…」

 少女を助け出し、近くのベンチに座り込む一達。

「あの…どうもありがとう。おかげで助かりました」

 息を切らしながら少女は三人にお礼を言う。

「なあに、当然のことをしたまでさ」

 多少照れた様子で一が答える。

「君、どこから来たんだい?」

「名前は?」

 本山と納屋橋が少女に尋ねる。

「私は…ユカリ。池袋にいる友達に会いに来たの」

「池袋なら俺の住んでるところだ。よし、送っていくよ」

「えっ本当ですか?でも…何だか悪いわ」

「いいんだよ、乗りかかった船だ。俺たちがガードしてやるよ」

「よっしゃ、そーと決まれば早速行こうぜ!」

 一達はユカリと一緒に池袋へと向かった。


 夕方、池袋に着いた。一の家はとある小さな下町にある。

「ここが俺の家、『さくら荘』ていうんだ。おふくろが管理人なんだ」

 一は実家であるアパート『さくら荘』をユカリに紹介した。家に入ってくると…

「アチョーッ!」

「キャッ」

 空手着を着た小学生くらいの少女が現れ、驚くユカリ。

「こらっ脅かすなよ」

 注意する一。どうやら一の妹である。

「へっへー、ん?この人、兄貴の彼女?」

「いや、そうじゃないんだ。今日会ったばかりだよ」

「珍しいね~何か兄貴に二度春が来たみたいだぜ、ヒューヒュー」

「こら、からかうなって」

 男口調で話す妹を一がこづく。

「あ、あの~」

「あ、申し遅れてごめん。こいつ俺の妹で宮乃(みやの)っていうんだ。今度中学生になるんだ」

 一は妹・宮乃を紹介する。

「おい、ちゃんとあいさつしとけ」

「へっへー、うちの兄貴がお世話になりやす」

「まじめにやらんかこのっ」

 兄妹のやりとりにくすっとするユカリ。

「あら一、お客さん?」

「あ、母さん」

 一を出迎えたのは、母・桜子(さくらこ)である。

「母さん、この人、兄貴のこれっこれ」

 宮乃が小指を立てる。

「だっからさ~違うってーの!」

「それより今日は一の合格祝いでしょ。お父さんが腕を振るってごちそうするそうよ」

 今夜は大張家でも、一の大学合格パーティーが開かれるのだ。

「おっとそうだった。どうだい?ユカリちゃんも食べてゆきなよ」

「えっでも…」

 ユカリが何か言いかけた、その時…

 ブロロロローン!

「?」

 一台のバイクが『さくら荘』に入り込んだ。

「あら美紗ちゃん、お帰りなさい」

 バイクのライダーがヘルメットを外したら、ヤンキー風だがなかなかの美少女であった。

「ハア~イ、お元気~?」

「あ、ああ…」

 美少女ライダーに声かけられ、一は戸惑いながら答える。

「ふん?」

 彼女はふと、ユカリの存在に気付いた。

「あ…紹介するよ。彼女、うちのアパートに下宿している鳥谷美沙(とりがやみさ)さんだ。あ、それからこの娘、ユカリちゃんていうんだけど…」

「ふ~ん」

 美紗はそっけなく答えた。次いで美紗はライダースーツを脱いだ。スーツの中身は、リボンの付いたセーラー服が見えていた。

「そいじゃね」

 脱いだスーツとバイクを運び、美紗は自分の部屋へと帰っていった。美紗を呆然と眺めているユカリに、一は声をかける。

「どしたの?」

「…え?あ、何でもありません。それよりお食事は…」

「あ、そーだった。じゃ母さん、宮乃、行こうか」


「お父さん、一が帰ってきましたよ」

「おかえり~」

 桜子は子供達とお客さんであるユカリを連れて家へと入った。台所には一の父・大助(だいすけ)がいる。一の合格祝いにと、腕を振るってビーフシチューを作っている最中だ。

「ん?あらやだ、お鍋吹き出てるわ!」

 驚いた桜子は、すぐさま台所へ飛び込む。

「も~お父さんたら『全部任せろ』ってゆうから、そうしたら…」

「だからよせって言ったんだよな~親父にゃ無理だって」

「ハハハ、ごめんごめん。しっかし上手くいかんもんだな~」

「まあまあ二人とも、せっかく父さんが俺のために腕を振るってごちそうしてくれたんだから…」

 がやがやとした家族のやりとりに、ぽつんと見つめるユカリには、懐かしいような羨ましいような感覚を胸に秘めていた。


 すったもんだの末、時計の針が六時を回り、大張家はようやく食卓についた。

「一、おめでとう。これでお前も晴れて美大生だな」

 お祝いの言葉を述べた後、父・大助は乾杯の音頭をとった。

「大学合格おめでとう!」

「カンパーイ!」

 乾杯した後、一家四人とユカリは食事を始める。

「ゲゲッこのシチュー、胡椒の入れすぎじゃね-のか?」

「カ~レ~こんなのお客さんに出せないぜ」

 文句をたれる一と宮乃だが、ユカリは…

「ううん、いいの。私、こう見えても辛党だから」

 かなり無理したように語るユカリ。

「そういやさ~この前のカレーも苦かったよな」

「いやーあんときゃ父さん、火をかけ過ぎちゃってなー」

「アッハハハハハ」

 さて今夜のお客様であるユカリは…

「あの…」

「なんだいユカリちゃん?」

「さっき宮乃ちゃんの言ってた『二度春が来た』って、大学に合格したってことと…」

「そっそ、どうユカリちゃん?いっそうちの兄貴と…」

「宮乃!」

 一の突っ込みが入る。

「でも、すみません。いきなりおじゃまして、その上ごちそうまで…」

「なーに気にしない気にしない。まあたくさんあるからドンドン食べてきなさい」

 遠慮しがちなユカリに、気持ちよさげに勧める大助。

「よーするに作りすぎたんだろーが」

「宮乃、それを言っちゃおしまいでしょ!」

「ワハハハハハ」

 一家団らんの賑やかさに、いつしかユカリも馴染んでいった。


「あ~まだ舌がヒリヒリするぜ」

「じゃあ私、そろそろ友達の家に…確かこの近所なので」

 食事の後、一とユカリが夜道を歩く。

「そこまで送ってくよ」

「ううん、一人で大丈夫」

 ふと、ユカリは立ち止まり、一に尋ねる。

「あの、ところで…」

「なんだい、ユカリちゃん?」

「あの鳥谷美紗さんって、いつからここに住んでいるんですか?」

「彼女…以前モデルやってたんだよな。でも彼女の事務所の先輩モデルと親父さんが不倫しちゃってさ。以来、夫婦仲が悪くなって、怒った彼女はモデル事務所辞めて、ギャラ全部引き出してから数ヶ月前、ここに引っ越してきたって訳さ」

「でも、どうしてここにしたのかしら?」

「家が近いからだろ。彼女の家は隣町さ。でも、どうして?」

「え、ええちょっと…気になって」

「あの娘も前はあんなんじゃなかったな」

「え?」

「あの娘、俺のいた高校の後輩なんだ。今度二年生だけどね。俺が美術部にいた頃は、よく絵のモデルとかしてくれたっけ」

「ふうん…」

「それと昼間のヤンキー共も同じ高校。ついでに言うと落第生だ。あいつらしつこいから、気をつけた方がいいよ」

「うん、ありがとう。じゃあ、またね」

 手を振って明るくはしゃいで去ってゆくユカリを見送りながら、一は呟く。

「彼女…可愛いな。宮乃の言うように二度春が来たかな?」

 月夜の道をウキウキ歩いているユカリは、すぐに角を曲がった。そして一が家に戻ったのを見計らったその時、また『さくら荘』へと向かう。

「へっへー、あいつ驚くだろ-なー」


第三話


 ドンドン!

月夜の晩、ここ『さくら荘』の二階にある鳥谷美紗の部屋にノックの音がする。

「ハ~イ、どなた?」

 美沙がドアを開けると、そこにはショートヘアの少女・ユカリが立っている。

「美沙おっひさー!元気してた?」

「…え?」

 美沙はユカリが誰なのか気付かない。

「私、麻里よ、浦木麻里よ!」

「浦木麻里て…今、姫乃友梨香という名でアイドルしてる、あの姫乃友梨香?」

「そうよ!デビュー前よく一緒にモデルのお仕事してたでしょ?」

 しばらくして美紗は、ようやく目の前の少女が誰だか分かってきた。

「マリーッ!」

 突然、美沙は彼女に抱きついた。

「会いたかったーっほんとう、元気だったー?」

「う、うん。まあ…」

 再会を喜び合う二人の目には、濡れて光るものがある。

「でも、驚いた。トップアイドルになったあんたが、まさか私を訪ねてきてくれるなんて…髪切ってたから最初、麻里だなんて分かんなかったよ」

「美紗こそ、まさかアパートで一人暮らしだなんて、思い切ったことやるじゃん」

「へへっ麻里ほどでもないよ。それよりどうしたんだよ?今一番忙しい時期なのに。いきなり髪まで切っちゃって、何かあったの?」

「うん、実は…」

 ユカリもとい浦木麻里は、寂しそうな目をして語り始めた。

「私は自分の夢をステージいっぱい描きたくて、周囲の反対を押し切って上京した」

「ああ、モデル時代も歌手デビューできるのが楽しみで、そんな話してたよね」

「でも、いざデビューしてみれば、ああしなさい、こうしなさいと事務所の方から言われたことしかできなかった。髪の長さ、普段の服装、箸の上げ下ろしまで会議で決められ、その通りにしかできなかった。私が描きたいものとは、まるで違っていたのよ」

「なんてこったい、これじゃまるで着せ替え人形みたいな扱いじゃないかよ!」

「そして休日の過ごし方も、事務所の筋書き通りにしか動けないのよ。それで一度。自由に…姫乃友梨香になってから自由に飛び回ってみたかったのよ」

「そうか…そういや、あんたのモデル時代も一切触れられてないね。これも事務所の方針でかい?」

「そう、何もかも事務所の思い通りで…もういやんなっちゃう!」

「分かるよ…私だってモデル業界が嫌になって、事務所と家を飛び出したんだからね」

 今度は美紗が語り始める。

「私も中学からモデルやってたんだけど、親父の奴が先輩モデルと浮気してたんだよ。お袋もお袋で、毎日ヤケ酒で私に『何でモデルになったのよ!』って八つ当たり。何もかも嫌になって、このアパートに引っ越してきたって訳さ」

「美紗…」

 静まりかえってから、ふと美紗が何かを思いついて言う。

「そうだ、今夜は二人の再会を祝してパーティーしない?」

「そうね、そうしましょう!」

 美紗は飲み物やつまみを持ち出し、祝杯の準備をする。


「かんぱーい!」

 今夜は友梨香の持ち歌で盛り上がる二人だけのパーティー。

「ねえ美紗…」

「なんだい麻里?」

「一君て、かっこいいね」

「ああ大家さんの息子ね」

「そう、それに美紗の高校の先輩でしょ?」

「ああ、そうだけど」

「誠実で、優しくて、今日は不良から私を助けてくれたの」

「ふーん…あの大張先輩がねえ」

「美紗もそう思わない?」

「あ、私は、べ、別に…」

「あー赤くなった!もしかして美紗が家出するのに、このアパートにしたのは一君が目当てなわけ?」

「こらーっこのー!かわいくねーの!」

「キャハハハハハ」

 親友と安らぎの一時を楽しむアイドル・姫乃友梨香は、身も心も浦木麻里の姿に戻っていた。こうして二人の美少女による宴の夜も更ける。


 明くる日、ユカリこと友梨香は昼になっても『さくら荘』の美紗の部屋で寝ていた。美紗は今、学校にいる。苦労続きのアイドル・友梨香にとって、よっぽど疲れていたのか、美紗が学校から帰ってくるまで眠りこんでいた。

「だだ今ー、ん?何だまだ寝てたの」

 美紗は友梨香を起こそうとする。

「ほら麻里、もう昼過ぎだよ。早く起きな!」

「あ…うう…んっ…」

 眠れる森の少女が、お目覚めのになったようだ。

「麻里…あ、今はユカリだね。ねえ、今から一緒にショッピングしに行かない?」

「うん、いくいく」

 ユカリは服を着替えた後、美紗のバイクの後ろにまたがり、池袋辺りまで突っ走っていった。

「じゃあ先ずなんか食べるか」

「うん、そうね」

 池袋の街に着いたユカリと美紗は、ファミリー・レストランに立ち寄った。すると…

「ん?」

「あ…てめい!」

 三人組のヤンキーにばったり出くわした。その三人は、昨日ユカリに絡んできた連中だ。

「鳥谷!てめえ、この前はよくも俺のバイクをポンコツにしてくれたな!」

 どうやらこの三人は美紗とも何かしら因縁があるようだ。

「何言ってんだい、そっちが勝手に転んだんじゃないか。へっぽこな腕してよく言うよ!」

「なにーっ!」

 ヤンキーが美紗につかみかかってきた。

「えいっ!」

 後ろからユカリが、ハンドバックでヤンキーの頭を叩く。

「あ痛っ、このヤロー!待ちやがれい!」

 ヤンキー三人が追いかける。バイクに乗る間もなく、駆け出すユカリと美紗。

「待てーっ!」

「きゃーっ!」

 しつこく追いかけるヤンキー共。そのしつこさはまるで蛇のよう。その時だった!

「ん…何だありゃ?」

 通りかかったのは『さくら荘』の息子・大張一と、その妹・宮乃だ。

「兄貴、ありゃ昨日うちに来た女の子と…」

「鳥谷…美紗?」

 思わぬところで二人に出くわした兄妹は、早速助け出そうとする。

「おい待て!お前ら、しつこいぞ!」

「何だと?あ、こいつ昨日の…」

「また邪魔する気か?」

「やっちまえー!」

 二人の少女を巡る戦いが始まった。先陣は宮乃が切った。宮乃は得意の空手で立ち向かう。

「ヤー!」

 宮乃の空手がヤンキーの腕を止め、その隙に腹部へ蹴りが入った。

「うがっ!」

 一人が蹴られた勢いで後ろの仲間二人にぶつかり、そのまま将棋倒しとなった。

「伊達に通信教育で、護身空手やってないよ!」

「てめー!」

 歯向かってくるヤンキーの一人の両手を一が掴んだ。

「このっどうだ!」

「うっあいてててててて!」

 一の握力は意外にも強かった。この四月に美大生の一は小さい頃から絵画教室に通っており、高校まで美術部で油絵を描いていた。油絵を描く者は筆を握って描く時、かなりの握力を使う。一の油絵は常に力強く描いており、画力と共に握力も鍛えていたのだ。

「どおだ!だてに十年、絵を描いていた訳じゃないぞ!」

「私に教わった護身術が役に立ったな、兄貴!」

 実は一の技は宮乃に習った術であった。

「いたたたー骨が折れるーっ」

「へへっ軟弱な奴め!」

 宮乃も空手で残る二人のヤンキーに応戦してる。

「ヤーッ、トー!」

「あ痛ててっ!このチビめ~」

 ヤンキーの繰り出すパンチは、どれも空振り。隙だらけのヤンキーの体制に、宮乃の拳と蹴りが飛ぶ。

「どうした、もう降参か?」

「てめーっなめやがってー!」

 ヤンキーの一人がそう叫んだとき…

「こらーっ!やめんかー!」

 警官の怒鳴り声がした。

「やっべー、おまわりだぜ!」

ヤンキー共はさっさと逃げ去り、ようやく騒ぎは治まった。

「君たち大丈夫か?何かあったのかい?」

「いえいえ、おまわりさん。もう済んだことですから。さあ、行こっか!」

 一はそう言って、ユカリ達を連れてこの場を去った。


「ふぅ~助かった…ありがとう一君」

 最寄りの公園に入って、ユカリは一にお礼を言う。

「なあに、いいって。あ、君は昨日の…」

 はっと思いついたように言う一。

「そうか、ユカリちゃんの言ってた友達って、彼女のことか」

 一と宮乃は、美紗の方に目を向けた。

「そうなんです、改めて紹介します。彼女、私の親友で鳥谷美紗っていいます」

「ひえ~世間は狭いな、兄貴」

「まったくだ」

 驚いた様子の大張兄妹。

「あ…どうも。俺、鳥谷の先輩で大張一っていいます。鳥谷にはよく、美術部でモデルをやってもらってました」

 照れながら改めて、自己紹介する一。

「なーにいってんだよ、兄貴は…あ、どうも妹の宮乃です。改めまして、これからもよろしく」

 兄に続いて自己紹介する宮乃。

「どうも、私の方こそこれからもよろしくね」

 ユカリはにっこりと微笑んであいさつする。


 騒ぎも収まり、ユカリ達はファミレスに向かう。

「ところで鳥谷、まだあいつらと関わってるのか?」

「関わってると言っても、あいつらしつこいんだよ。先週、無理やりチキンレースに付き合わされて、私が勝ったのはいいんだよ。でもあいつら、自分らのバイクがぶっ壊れたのを私のせいにしてんだぜ」

「へーっ、バイクのレースってあぶなっかしーねー」

 宮乃がそう呟く。

「普通の自動車とはテクニックが違うんだよ、だから宮乃ちゃんは乗らない方が良いよ」

「はーい、はい」

 美紗の注意を受けて応える宮乃。てなこと話してる内に、ファミレスに到着した四人。そこで一はユカリと美紗に話しかける。

「ユカリちゃん、鳥谷。今日はもう帰った方が良いよ。まだあいつらがうろついているかもしれないからな」

「う…うん、そうするわ一君」

 ユカリが可愛く微笑む。

「よし、じゃあここで食事してから帰ろうや、ユカリ」

「うん、そうしよう美紗。私もうすっかりお腹すいちゃったし」

「そうそう、兄貴のおごりで」

「何言ってんだ宮乃、ささっ入ろう」

 四人はファミレスに入り、食事しながら楽しい夕暮れの一時を過ごした。


「じゃーねー、一君に宮乃ちゃん」

「バイバーイ!」

 ヤンキーに追っかけられるというアクシデントもあったが、ユカリもとい友梨香にとっては楽しい一日であった。

「今日は楽しかったね、美紗」

「ホント、あんたテレビやグラビアで見るよりも、とっても生き生きしてたよ」

「へ~そっかな~?」

 おどける友梨香。

「まるで恋する乙女みたいに…」

「え?美紗、何か言った?」

「う、うん。いや、別に…」

 何かよそよそしい態度の美紗。

「そーいや美紗と一君、今日は何やら楽しそ~に話してたよね。仲良いんだ」

「い、いやそんなことないよ。先輩ならあんたの方が…お似合いだよ」

「えっ…?」

 美紗の言葉に驚く友梨香。

「まあ、そんなことより早く帰ろう。私の後ろに乗りなよ」

「では遠慮無く」

 美紗が駆るバイクの後ろに友梨香がまたがり、颯爽と走り出す。

 ブロロロローン!

 美紗のバイクは意気揚々とした走りを魅せる。

「う~ん。何だがオードリー・ヘプバーンになった気分」

「すると私がグレゴリー・ペックかい?変なキャスティング。それにあの映画は、二人が乗ったのはバイクじゃなくてスクーターだろ?」

「でも今はバイクの方がかっこいい」

「それもそうだな。ハハハハハ」

 二人は映画『ローマの休日』のシーンを思い浮かべながら、そのまま家まで走り続けていった。


第四話


 明くる日―『さくら荘』の日曜は、どことなくさわやか。ユカリこと姫乃友梨香にとって、失踪後初めての日曜日。親友の美紗と一緒に、家主である大張家に遊びに来た。玄関では管理人で、一や宮乃の母・大張桜子が掃除をしている。

「こんにちは、おばさん」

「あらお二人さん、ごきげんよう」

「一君は?」

「もう起きてくる頃じゃないの?寝坊してんのよ」

 噂をすれば家主の息子・一が眠そうな顔してお出ましだ。

「ファ~あ…ユカリちゃん。おはよう」

「『おそよう』でしょ、ねぼすけさん」

 可愛らしく微笑むユカリに、一はパッと目が覚めた気分だ。

「あははは…そうだな」

「なーにてれてんの?」

 一に突っ込んでみる美紗。

「あ、そうそう。ちょっとあなたたちに見せたいのがあるのよ」

 桜子は皆を縁側に連れてきた。

「おーよしよし。おいチビ公、元気出せよな」

 縁側では一の妹・宮乃が、一匹の子犬をあやしている。白く可愛らしい犬だ。

「あら宮乃ちゃん、今日は空手の練習やんないの?」

「あ、ユカリさん。今日はちょっと、こいつの世話でね」

 宮乃は子犬を紹介する。

「へへっこいつ可愛いだろ。ほらチビ公、あいさつしな」

「わー可愛い!でも何だか元気ない…」

 ユカリは子犬を抱き上げた。

「そうなんだよ。先月、お向かいさんちで子犬がいっぱい生まれたから、一匹もらってきたんだけど、何だか元気ないんだよ。飯もろくに食わないし…」

 続いて一が子犬について語り出す。

「それにこいつ、夜中に鳴いてばかりなんだよ。おかげでこっちも寝不足でさ…」

 そう言いながら一は大あくび。

「兄貴の場合は寝過ぎだっつーの。ねえ美紗さんにユカリさん、どうしたらいい?」

 宮乃の問いに先ず、美紗から答える。

「やっぱ、お袋さんが恋しいんじゃない?見たところ、まだ小さいみたいだけど」

 それに対して一の意見は…

「でも今更帰すわけにも行かないんだよな。お向かいさんが子犬の世話に手を焼いてんのを母さんが見かねて、もらってきたんだし…実は俺も気に入ってるのさ」

 大張家では一家揃って、この子犬を可愛がってるそうだ。

「あ、そうだ」

 ユカリが何か思い出したみたいだ。

「ねえ、おばさん。ゼンマイ式の目覚まし時計ありませんか?それから暖かい毛布も」

「ゼンマイ式の時計?一応あるけど…何に使うの?」

「私にまかせて!」

 自信たっぷりに笑ってみせるユカリに、美紗は期待をかけた。何しろユカリの正体は、芸能界でもなかなかの知識人である、あの姫乃友梨香だ。きっと何か良い知恵で解決してくれるのではないかと。


 ユカリの指定通りに目覚まし時計、段ボール箱、毛布と揃った。ユカリは段ボール箱に毛布を敷いて子犬を寝かせると、目覚ましのゼンマイをキリキリ巻いて子犬の耳元に置いた。しばらくすると、子犬はすやすやと眠りについた。

「寝ちゃったよ。私が寝かしつけても、なかなか寝なかったのに…」

 宮乃が目を丸くして、眠れる子犬を見つめる。ここでユカリが種明かしする。

「時計のゼンマイの音は、母犬の心臓の音に似てるのよ。だからこうしてやると、子犬は母親のそばにいると思って、安心して眠れるって訳よ」

「へへーこりゃ恐れ入った、すごいよユカリさん!」

 すっかり感心した宮乃はユカリを褒めちぎる。

「そんなことないよ宮乃ちゃん…へへっ」

 思わず照れてしまうユカリ。

「いやいや、やっぱすごいよあんた。でもよくそんなこと知ってたよね。犬飼ってたことあんの?」

 ユカリに尋ねる美紗。そう聞かれてユカリは、自分が本名の“浦木麻里”だった頃を思い出しながら話す。

「うん、中学の時だったけど、たったの三日間だけ。お父さんもお母さんも動物が嫌いだったから…」

 そう言いながら、ふと淋しそうな目をするユカリ。

「チビ、今頃どうしてるかな?せめて名前だけはつけてあげれば良かった…」

 そう呟いたとき、ユカリははっと何かを思いついた。

「あっそうだ!ねえ、おばさん。この子に何か名前をつけてあげましょうよ」

「名前…って?」

 ユカリの出した案に宮乃も乗ってきた。

「そうだよ母さん。大きくなってからも“チビ公”じゃおかしいし」

 早速、子犬の“ネーミング会議”が開始した。先ずは一から案を出した。

「そうだな…『名無しの権兵衛』からゴンベエってのは?」

「兄貴、古いよ。そんなの死語だぜ死語」

「ポチとかシロとかじゃ、ありきたりよねえ」

「いっそ奇をてらって『タマ』とか『ミケ』てのはどお?」

「アハハハ、遊びすぎだよ」

 ああだこうだと論議が続いてるとき、ユカリが発言する。

「あのう…こんなのどうかしら?童話のシンデレラをもじって『シンディ』ていうのは」

「シンデレラ?何でまた童話の?」

 突然の発言に少々驚いた様子の宮乃。

「え…う、うん。まあ」

 この時のユカリは少し慌てた気分だ。何しろ今度はアイドルいや、アーティスト・姫乃友梨香の気持ちに、ついつい戻っていたからだ。『シンデレラ』とは、姫乃友梨香の記念すべきファースト・アルバムのタイトルでもあった。

「そうねえ、ちょうどこの子もメスだし…よし、この子の名はシンディちゃんにしましょうよ!」

 大家さんの決議により、子犬の名は『シンディ』となった。

「おめでとう、あんたの名前は『シンディ』よ。これからもよろしくね」

 美紗が眠れる子犬にささやきかける。

「しかし『シンデレラ』から『シンディ』か。さっすが考えることが一味違うね、ユカリちゃん!」

「やだあ~一君たら」

「ハハハハハ」

 和気あいあいな雰囲気に、すっかり溶け込むユカリは、今までにないような安らぎを感じ取っていた。


 その頃、ここはとある山奥。野鳥がさえずり、小川が清らかに流れる静かなる情景…で、あるはずだった。

「グルルルルーッ」

「ゴロゴロゴロッ」

 そこでは熊と野犬がにらみ合っている。

「グルルルル…」

 冬ごもりから出たばかりの熊は空腹なのか、やけに苛立っている様子。その熊の背丈は二メートルくらいはある。

「ゴロロ…ゴロゴロ…」

 対する野犬の方は、まるで雷を起こすような鳴き声で、熊をにらみ返している。

「ガオーッ!」

 熊が遂に食いかかってきた。すかさず、野犬は飛び上がる。そして熊の頭の方へと飛び込んでゆく。

「ゴロローッ!」

 バシイッ!

「ガ・オーン!」

 野犬は思いっきり、熊の目を蹴りつけた。

「ガオオオーン!…」

 視界を失った熊は、崖から真下へと転がり落ちていった。

「ゴロローン!」

 野犬は勝利の雄叫びをする。


 月夜の晩。一瞬の隙を突いて熊を倒した野犬は、大木の下で物思いにふけっていた。熊と格闘したときとは打って変わって、のんびりとした穏やかな雰囲気だ。

 この野犬は種類では雑種らしく、人間の歳で言えば三十代半ばくらいのたくましい大柄な犬だ。そこに二匹の狐が通りかかろうとしていた。何やらコンコンと、ひそひそ話してる様子だ。

「おい、あんなところに『カミナリ』がいるぜ。怒らすと怖いから、遠回りしようぜ」

「でも何だか様子が変だぜ」

 怒ると雷の音のように吠えるこの犬は『カミナリ』と呼ばれ、他の野生の動物たちからは恐れられている。

「しかし何であいつ、あんなにおっかねえんだろ。いびきまで雷おこしてら」

「聞くところによるとあいつ、人間のいる街の野良犬上がりだってゆうぜ。三、四年くらい前だったか、人間の世界が嫌になって、わざわざこの山まで来て住み着いちまったというが…」

 するとその『カミナリ』と称される野犬は、すくっと立ち上がった。

「ヤバイ、気付かれたか?」

 狐がそう思いきや、野犬『カミナリ』は、月夜に向かって吠える。

「ゴロロロロローン!」

 その遠吠えは、どこか哀愁を漂わせている。

「おい、あいつ今、何ていって吠えた?」

「確か『マリちゃーん』とか言ってなかったか?」

「マリちゃん?何だそれ、どんな動物だ?」

「さあ…」

 狐のひそひそ話をよそに、野犬『カミナリ』の雷を鳴らすような遠吠えは、なおも響いていった。


第五話


 日曜の夜、子犬のシンディに付きっきりだったユカリは、食事も大家の大張一家に招かれていた。食後もシンディと一緒にいる。

「あの子ったら、まだ子犬とじゃれ合ってますね」

 微笑ましい光景を見て、管理人の桜子が呟く。

「なあ母さん…」

「何ですの、あなた?」

 夫・大助に呼ばれて、返事をする桜子。

「あのユカリちゃんて子、家出してきたらしいけど…どうなんだ?」

「でも、家出したって言っても、ほとぼり冷めたら帰るんじゃない?一や宮乃、お友達の美紗ちゃんもついてるんだし。それにユカリちゃん、気立てが良くて可愛い女の子じゃないの」

 大家の桜子は呑気なな構えだ。

「まったく…母さんは人が良いんだから。ま、それが我が女房・桜子さんの良いところってか?」

 夫・大助は桜子のそんな気質に惚れたらしい。


 ちょうどその頃、居間のテレビでは歌番組が放送していた。そこには失踪中のはずの姫乃友梨香が歌っていた。もちろんこの番組は録画放送だ。友梨香の歌う姿をぼんやり見ている一の横で、妹の宮乃が呟く。

「なあ…兄貴、姫乃友梨香のどこがいいんだよ」

「まーかわいいんじゃないの」

「でもさーこの歌い方やルックスとか見ても、殆ど松樹留美のまねじゃない?」

(え…?)

 居間の外の縁側で、子犬にミルクをやっていたユカリこと友梨香は、その話を耳にした。

「まねしてるってわけないだろ」

「だってさ、何か垢抜けないんだよな…いまいち出すもの出し切ってないというか、妙に飾り付けしてるようなとこなんか、いかにも“第二の松樹留美子”的な売り方してると思わない?」

 友梨香は宮乃のその言葉を聞いてギクッとした。友梨香としても松樹留美は好きな歌手だし、同じ事務所の先輩としても尊敬している。しかしだからといって、留美子」と全く同じ事をしたかったわけではない。自分は姫乃友梨香…いや浦木麻里としてやりたいことがあった。だがなかなか自分の思うようなことが出来ずに、いつの間にか“松樹留美子の後継者”として扱われている。

「その点、ユカリさんは良いよね~素直で明るくてのびのびしていて。屈託がないって言うか、自分を飾らないんだよ。兄貴、彼女にするならユカリさんだよ!」

「こいつう~」

「キャハハ」

 兄妹のそんな会話を聞いて、外にいる友梨香は胸が痛くなった。

(違う、私の姿はあんなのじゃない。私の本当の姿は…)


 一方、ここ渋谷では二人の男が歩いている。二人は芸能雑誌『週刊トップ』の記者・緒方智紀とその先輩の辰馬三郎である。彼らは編集長の命で行方不明の人気アイドル・姫乃友梨香を追っていた。二人はかつて姫乃友梨香が所属していたモデル会社『クリエイトフォース』へたどり着いた。

「ここが姫乃友梨香をモデルとして預かっていた事務所か…彼女が所属するミタニプロをはじめ、いろんなプロダクションと繋がりがあるそうだ」

「何かやってることが探偵みたいになってきましたね。うちが担当していた作家の推理小説みたいだ」

 緒方はかつて小説雑誌の記者をしていた頃を思い出した。

「付き合いのある会社なら、直接ミタニプロの方から聞き出せないもんですかね?」

「上の方からじゃ、なかなか細かい人間関係を聞き出せないんだろう。うちらみたいに対等の立場なら、いろいろと聞き出せるしな。まあそれだけ週刊トップの取材力を買ってくれてるんだろうね」

「いいか?姫乃友梨香が失踪したことは絶対に話すなよ」

「分かってますよ先輩、大事になりますからね」

 緒方もようやく芸能記者としての自覚が芽生えてきた。

「大星社の『週刊トップ』さんですね?」

 『クリエイトフォース』のマネージャーとおぼしき女性が現れた。

「初めまして、私、『週刊トップ』の辰馬と申します。こちらは同僚の緒方です」

 名刺を差し出し挨拶する辰馬と緒方。。対して相手の女性も名刺を差し出した。その名刺には宇田川永子(うだがわえいこ)という名が書かれていた。

「初めまして。私はチーフマネージャーの宇田川と申します」

 丁寧に挨拶をする宇田川マネージャー。二人は彼女と話を進める。


「…そんな訳でモデル時代の姫乃友梨香について取材をしたいのですが、よろしいでしょうか?」

 宇田川マネージャーを介して辰馬と緒方は、姫乃友梨香のモデル時代の仲間にいろいろ聞き出すつもりである。

「よろしいですわ。特に親しかった方を二人ほどお呼びしますわ。ちょうどお仕事で来ておりますので」

 辰馬と緒方の取材を承諾した宇田川女史は、早速呼び出した。

「小泉さんに石川さん、ちょっと来てくれない?」

「ハーイ!」

 宇田川マネージャーに呼ばれたモデル、小泉(こいずみ)石川(いしかわ)が辰馬と緒方の取材に応じることになった。


「さて…姫乃友梨香ちゃんて、モデルやってる頃はどんな子でした?」

 辰馬は先ず小泉に尋ねる。

「友梨香…麻里ちゃんねえ。とっても明るい子だったよね。いつも自分は歌手になるんだって張り切ってた」

 モデル時代の姫乃友梨香は、当時まだ本名の浦木麻里で通っていた。

「特に美紗ちゃんと仲良かったよね」

「美紗ちゃん?」

 次は石川が美紗について語る。

「鳥谷美紗ちゃんて将来を有望されてたモデルの娘がいたんだよ。長い黒髪で背がすらっとしていて、ちょっと突っ張った感じのクールビューティーでね。麻里ちゃんとは結構馬が合っていて、いつもお互いの夢についてお話ししてたよね。けれど…」

「けれど?」

 石川は続いて語り出す。

「美紗ちゃんのお父さんが、うちらの先輩モデルと浮気しちゃってさあ。美紗ちゃん怒ってモデル辞めちゃったの」

「へえ、そんなことが?」

「美紗ちゃんの仕事ぶりがどんなのか、たまたま様子を見に来たお父さんが先輩と知り合って、そこから付き合うようになった訳よ。ちなみにその先輩もここを辞めて、美紗ちゃんのお父さんの会社に就職したよ」

「モデルは安定職見つけるまでの腰掛けか…したたかだな」

 そう呟いた後、辰馬は更に質問する。

「その美紗ちゃんとは君達、まだ付き合いある?」

「うん、良く休みの日とかに渋谷のクラブ・MJに行ってるよ」

「美紗はあそこのオーナーのお得意さんだよ」

「ということは、美紗って娘はそこ以外のクラブには行かないというのか…」

 探偵っぽく話す緒方。

「そうだけど…あの、モデル時代の姫乃友梨香ちゃんのことを聞きに来たんじゃないんですか?」

 小泉に言われてはっとする辰馬と緒方。

「ああ、そうだった。それで友梨香ちゃんて…」

 本題に戻し、二人は取材を進めていった。


 ようやく聞き込みを終えた辰馬と緒方。

「一先ずクラブMJを見張ることにするか」

「モデル時代の姫乃友梨香の友達・鳥谷美紗の写真も手に入れた。しかも友梨香とツーショットのね」

 モデル会社を後にし、辰馬と緒方は今後の追跡の話をする。

「鳥谷美紗は現在、実家の池袋に住んでいる。そこに姫乃友梨香がいるかもしれんが、さすがに普通の家にまでかぎつけると、俺らが怪しまれるか…刑事じゃないんだし」

(池袋…そう言えば)

 緒方は以前、ユカリと名乗る友梨香を泊めたことを思い出した。

(彼女、池袋にいる友達の家に行くと言ってたが、本当だったのか…?)

 そう予感する緒方であった。


第六話


 明くる日の月曜、ユカリは一人で散歩していた。見知らぬ街を歩くユカリは、アイドル・姫乃友梨香でいるときとは違った、まるで籠の中から出た小鳥が自由に飛び回るような気分だ。そして本名でもある浦木麻里の本来の姿に戻れたのだ。

「不思議だ…電車に一人で乗った時、街中を一人で歩いてる時…そんなごく自然な事が、ものすごく不思議に感じる」

 デビュー当時からスケジュールいっぱいの売れっ子・姫乃友梨香にとって、自分と同じ年頃の女の子が街角でアイスクリームを食べながら、男の子のことやファッションのことなどを話したりしてるのを見て「いいなあ」と、とても羨ましい気持ちでいたのだ。そんな時、ユカリはあることを思いついた。

「そうだ、美紗の学校に行っちゃおっと」

 そう決めたユカリは早速、美紗の通う高校へと向かった。


 友梨香は以前、CMの撮影で美紗の学校の近くでロケをしたことがある。ロケに友梨香が来ていたのを知った美紗が挨拶に来て、それでこの学校を覚えていたのだ。

「へへっ美紗ど~してるかな~?宴の話ではよくサボってるって言ってたけど。私より年下の高一だけど、来月二年に進級できるかな?」

 友梨香…いや今はユカリだ。ユカリは校門をよじ登って、一や美紗の通う高校に入った。いよいよ友梨香の学校探索が始まった。先ずは校庭をユカリが駆け回ってると…

「ん?ありゃ何だ」

「誰だ?あの娘…」

 ここは三年生の教室。一のいるクラスであり、今は授業中である。

「おいおい大張。あそこに妙な女の子がいるぞ」

「え?」

 一もどうやら気付いたらしい。その時、先生の注意が飛ぶ。

「こら、よそ見するな。自由登校だからって、たるんどっちゃいかんぞ」

 残念ながら一はユカリの存在を知ることが出来ない、更にユカリの探索は続く。


 学校の裏に回ったユカリは、突っ張った感じの女生徒グループが賑やかな音楽を聴きながらたむろっているのを見つけた。近づいてみると…

「あ、いたいた。ハーイ、美紗」

 グループの中に美紗がいた。

「んん?麻里…じゃない、ユカリ!」

 突然にユカリが現れ、驚いた様子の美紗。

「誰こいつ?美紗のダチかい」

 仲間の一人・桃子(ももこ)が美紗に聞く。

「え…いや…あの、その…」

 しどろもどろになる美紗。

「あんた、いったいどこのどいつだい?」

 もう一人の仲間・明菜(あきな)がユカリに尋ねる。

「私は家出少女・ユカリ!あなたたちが授業さぼるよりも、もっとすごいさぼり方してるのよ」

「なんだこいつ…変な奴」

 ユカリに対し、美紗の仲間達は奇妙な目で見ていた。

「あ、ちょっと待って。おい、こっち来いよ」

 美紗は階段のところまでユカリを連れて行く。

「ちょっと、あんた何考えてんの?何でまた学校なんか…」

「へへっ、ちょっと冒険したかったの」

「ったくもう…あんたがとても私より一つ年上とは思えないよ」

 ユカリの子供っぽいいたずら行為に、美紗はすっかり呆れた様子だ。

「ねえ、ところで一君の教室どこ?」

「3年B組だけれども」

「授業いつ終わる?」

「もうすぐよ」

 ユカリは学校で美紗に会えるのが楽しみだ。


 キ~ンコ~ンカ~ンコ~ン


 授業終了のチャイムが鳴った。

「おーい美紗、いこーよー!」

 美紗の仲間達が呼んでいる。

「わかったー、そんじゃな。あんましバカなことすんなよ」

 ユカリにそう言い聞かせて美紗は去った。

「あ、ねえちょっと、美紗ーっ!もう…」

 ユカリがまた歩き出すと、近くに校内の電話ボックスがあった。その中には、ユカリに見覚えのある生徒がいる。それに気付いたユカリは、電話ボックスに近寄った。

「そうなんですよ教頭先生。鳥谷美紗は学校に無断でアパート暮らししてるだけでなく、不良生徒とバイクレースをして、相手に事故まで負わせたんですよ」

 ギュウギュウ詰めの電話ボックスの中で、慣れない丁寧語で話をしているのは、何と二度もユカリにちょっかい出したヤンキー三人組であった。

「あっ!おい、こいつ…」

 ヤンキーの一人がユカリに気付いた。

「うわっ、しまった!」

 気付かれたユカリは走り出す。

「待ちやがれーこのー!」

 またしてもユカリとヤンキー三人組の追っかけっこが始まった。


「ったくー、にしてもあのユカリっての何だー?」

「まあまあ桃子、今度ゆっくり話すよ」

 美紗と仲間達が校内で話しながら階段を歩いている。そこへ…

「待てー!」

「キャー!」

 ヤンキー達がユカリを追いかけてきた。

「おい待て、やめろよ!」

「おいちょっと、美紗!」

 止めに入った美紗に続いて、桃子達も追いかけ始めた。


 ここは3年B組の教室。次の時限が始まったところだ。

「起立…ん?何だ君らは」

 ユカリが一のいるB組の教室に逃げ込んできた。続いてヤンキー三人組と、ユカリを助けようと美紗とその仲間の女生徒達も飛び込んできた。

「はじめくーん!」

「ゆ、ユカリちゃん?」

「あっまたてめい、大張!」

 ヤンキーが一に気付いた。

「この野郎、この前はよくも!」

 ヤンキーの一人が一につかみかかった。すると…

「えいっ!」

 美紗がヤンキーの背後から蹴りつける。

「ギャッいてー!このやろ、もう許さねえ!」

 たちまち教室は大乱闘。その中からかいくぐってユカリが逃げ出す。

「待てーっ!」

 ヤンキー達がユカリを追い、一と美紗達が更に後を追う。

「おい、お前ら。いい加減にしとけ!」

 一と友人の本山と納屋橋も追いつき、ヤンキーどもにつかみかかってきた。

「ああってめーら、うっせーんだよっ!」

 その反動で一達を押し倒すヤンキーども。

「わわーっ!」

「けっ、この前のお返しだよ!」

 一達が扉にぶつかり、押し倒してしまった。すると…

「キャーッ!」

 何とそこは女子更衣室だった。中には着替え途中の下着やブルマー姿の女生徒達がわんさかいる。

「わーっなんじゃあこりゃー!」

 一達は女生徒達にもみくちゃにされてしまう。

「ちょっと、あんたたちっ!なにやってんだよ!」

 美紗は騒ぎを静めようとするが、ますます騒動は大きくなっていいった。ユカリを助けようにも助けられないくらいに。ユカリの運命は?


 散々追いかけ回されたあげく、遂にユカリは学校を抜け出した。するとそばから小学生達が通りかかった。その中には一の妹・宮乃の姿がある。

「あっユカリさん」

「宮乃ちゃん!」

 宮乃の通う小学校は、一達が通う高校の隣町にある。この時期だと宮乃の小学校は、今日の授業は早く終わっていた。

「待てーっ!」

「あ、あいつら…またユカリさんをいじめにきやがったな!」

「ああ、ちょっと宮乃ちゃん!」

 クラスメイトが止めるのも振り切って、宮乃はヤンキー三人組に突進する。

「アチョー!」

「何だこのガキめ~!」

 その時、宮乃はつまずいた。

「ああっ…」

「しめた、そーれっ!」

 ヤンキー三人組は宮乃を取り囲んだ。

「大変!宮乃ちゃんが…ねえ、何か長い棒みたいなの持ってきて!」

「う、うん!」

 ユカリに頼まれたクラスメイト達は、どこからともなく折れかけの傘や竿などを持ってきた。

「よーし、今助けるわよ宮乃ちゃん!」

 二、三本束ねた棒で、ユカリはヤンキー三人組に…

「えいっ!」

 ユカリは三人にそれぞれ膝、肩、横腹に力一杯たたき込んだ。

「しめた!よし、この大張宮乃・必殺の…」

 ようやく解放された宮乃は、必殺技を構えた。そして…

「キンタマ・キーック!」

 それぞれ三人の股間に、必殺の蹴りを入れた。

「あぎゃ~」

「いで~」

「やられた!」

 三人ともとうとう倒れてしまった。

「へへっざまーみろだ!」

 ピンチから脱した宮乃の勝利である。

「宮乃ちゃん、大丈夫?怪我なかった?」

 ユカリは宮乃に駆け寄った。

「なあにこんなの…いててて!」

 宮乃もヤンキー戦で多少のダメージを受けたらしい。

「宮乃ちゃん…ごめんね、私のために…」

 ユカリは思わず宮乃を抱きしめ、泣き出してしまった。

「おーい、ユカリちゃーん」

 やっとの騒ぎから抜け出した一と美紗が、ユカリの元へ駆け寄った。

「一君、美紗。宮乃ちゃんが私のために、あの三人をやっつけてくれたの!」

「宮乃が…」

 一は道に倒れているヤンキー三人組を見た。三人はバツが悪くなったのか、いそいそと逃げていった。

「宮乃ちゃん、ありがとう。本当に…」

「泣くなよユカリさん、これも日頃の修行の成果だよ!」

 泣いてるユカリをなだめる宮乃。

「たく…我が妹ながら脱帽するよ。空手の通信教育も伊達じゃないな」

 一は妹の勇姿に思わず感心してしまう。

「それより帰って怪我の治療だよ」

 美紗がそう諭す。

「そうね、今日は本当にありがとう。宮乃ちゃん、まるで正義のヒーローみたいだった」

「てへっ照れるなあ~」

 家路に向かいつつ、宮乃にお礼を言うユカリ。

「ユカリさん…」

「なあに?」

「私…前からユカリさんみたいな姉貴が欲しかったんだ。優しいし、いざとなれば強いし。ヤンキーを棒で叩きつけるとこなんか、とってもイカしてたよ!」

「まあ、宮乃ちゃんたら」

 本当にユカリが、妹の面倒を見るお姉さんのように見える。微笑むユカリに懐く宮乃を見て、一と美紗は心が和んだ。

「宮乃ちゃん、ユカリの正体知ったら、姫乃友梨香のファンになったりして…」

 美紗は小声で呟いた。

「鳥谷、何か言った?」

「ううん、な、なんでもない!」

 一に聞かれたか?と一瞬、あわてふためいた美紗であった。


第七話


 あの姫乃友梨香失踪から一週間経とうとしていたが、事件としては明るみに出ていない。所属事務所のミタニプロでは、病気で休養ということになっている。

 数多くの出版社がそびえ立つ東京・神田。ここ大星社の芸能雑誌『週刊トップ』では、今日も記者達が特ダネを獲ようと奮戦している。狙う特ダネはもちろん姫乃友梨香の行方である。何しろ姫乃友梨香を見つければ、会社ごとミタニプロのバックアップを受けられる。ミタニプロは芸能プロダクションとして最大手であり、編集部も皆、躍起になっている。週刊トップ編集部の若手記者・緒方智紀とその先輩の辰馬三郎は、姫乃友梨香探索に奔走するも未だに見つからない。二人は編集部の会議室でミーティングに参加している。何しろ極秘で行っているため、実際動いている記者は緒方や辰馬らを含めほんの数名に限られている。

「ところで辰、彼女が行きそうな所の調べは付いたか?」

 編集長の金森が辰馬に問う。辰馬がそれに答える。

「彼女にはモデル時代に友人がいて、とても仲が良かったそうです。その友人は現在、モデルをやめて実家の池袋にいます。姫乃友梨香とその元モデルは、当時を知る人から聞くところによると、最も馬の合う間柄だそうだ。何でも本音で語り合える無二の親友だといいます」

 辰馬の説明に対し、会議室の記者達が呟く。

「芸能界は生き馬の目を抜くような競争社会だからな…彼女も相当疲れて逃げ出したんだろうよ」

「おそらくその親友の女の子は、彼女にとって心の安らぎなんだろうな」

 それを耳にした金森編集長は、厳しい口調で述べる。

「彼女、姫乃友梨香は若者達が憧れる偶像…夢を与えるアイドルスターなのだ。その彼女がファンを差し置いて外へ抜け出し、勝手気ままに飛び回るようなことなど許されない。彼女にはファンを裏切ることはできぬ!」

「編集長…」

 金森の熱弁に唖然とする緒方。

「編集長の言うとおりだよ、緒方」

 辰馬が緒方に諭すように述べる。

「この分野じゃ新米のお前にはまだ分かり難いと思うが、この世界は甘くない。厳しいスターの道を乗り越えてこそ、本物のスターになるんだよ」

「辰さん…」

 緒方は自分が芸能界音痴で姫乃友梨香を知らなかったとはいえ、友梨香の脱走に手を貸したことに、今更ながら不安と後悔の念を抱いていた。


 その頃、姫乃友梨香は家出少女・ユカリとして池袋にいた。

「ユカリちゃん…」

「なあに?一君」

 ユカリに改まって声をかける一。

「実は…絵のモデルになってくれないかな?」

「いいわよ」

「えーっ?」

 一は唖然とした。まさかこうもあっさりOKの返事をするとは。

「私も絵が大好きなの。その代わり、私も何か描かせてね」

「そうか…ま、きてきて」

 一は二階にある自分のアトリエ兼勉強部屋へユカリを誘った。そして準備を整えた。

「よし、じゃあ早速だけど始めよう」

「はーい」

 ユカリはTシャツを脱ぎ始める。

「お、おい!何もヌード描こうってんじゃないんだよ」

 一があわてふためく。

「へへっ、ジョーダン!」

 ユカリが舌をぺろっと出して、いたずらっぽく笑った。

「あちゃ~」

 一は面食らったが、すぐに気を取り直し、キャンバスに描き始める。


「わ~すごい。一君て本当に絵が上手いね」

 ここ『さくら荘』では今、ユカリの明るい声がする。一の描いたユカリの絵は、屈託のない笑顔と明るい色使いになっており、まだ未完成ではあるが、ユカリの可愛らしい表情を上手く引き出している。

「じゃあこの続きはまた明日」

「次は私の番よね」

 察そうにキャンバスへ向かうユカリの筆は達筆に動いた。ユカリは一の肖像画を描いているのだ。


 その頃、美紗が学校から帰ってきた。

「オイッス!美紗さん。あ…あれ?」

 威勢良く挨拶する一の妹。宮乃をシカトして、美紗は素通りしていった。

「おばさん、麻…ユカリは?」

 美紗は大家で一の母・桜子に尋ねる。

「一の部屋にいるわよ」

「…お邪魔します」

 そう言って美紗は一の部屋に向かった。


「へー、ユカリちゃんて絵が上手いんだ」

「私も小さい頃から、絵をいっぱい描いてたんだ」

 一の部屋では、一とユカリが楽しそうに話していた。

「やっぱりルノワールって良いよね」

「そうだな。僕もあのデッサン力や色使いの繊細さには、ぜひともあやかりたいよ」

「一君…」

「なんだい?」

「私、どんなに嫌なことがあっても、自分の思ってるようにいかなくても、一君とこうしていると、そんなことも忘れられて楽しい気持ちになるわ。上手く言えないけど、私…」

 ドタドタドタッ

「何だ?今の音…」

 ユカリが何やら言いかけたとき、階段を急いで降りるような音がした。

「あ…美紗!」

「え、鳥谷が?」

 窓から外を見たユカリは、美紗がバイクで走っていくのを見た。

「どうしたんだろ…美紗」

「まさか、あいつ…」

「え、まさかって…一君?」

 二人は美紗のことが心配になり、即座に美紗の後を追った。


「おーい、君たち!」

 一は下校中の美紗の友人、桃子と明菜を呼び止めた。

「鳥谷を見なかったか?」

「ううん」

「ねえ、美紗どうしちゃったの?」

 ユカリの問いかけに、桃子が事情を話す。

「美紗…退学になるらしいんだ」

「退学?」

 続いて明菜も話し出す。

「実はさ、美紗が学校に無断でアパート住まいしてることがばれちゃったんだよ」

「何だって!」

 友人二人が更に話す。

「それだけじゃなく、バイクのレースで相手に怪我させたこともね。どうせ例の奴らがチクったんだろうけど…」

「そんで放課後、親と一緒に呼び出された訳なんだけどさ。また親父さんとお袋さんがそのことでまた、喧嘩をし出してね…怒って美紗が学校飛び出してっちまったんだ」

 一とユカリは心配になってくる。

「退学に夫婦喧嘩…鳥谷、きっとやけ起こすぞ」

「ねえ、美紗が行きそうな場所ってどこ?」

 ユカリの問いかけに、今度は明菜が答える。

「そうね…今夜、美紗と桃子とで渋谷の行きつけのクラブ“MJ”に行く約束してんだ。きっとそこだよ」

「よし、そこにいこう!」

「あ、うううん」

 ただちに四人は美紗を探しに行った。


 渋谷のクラブ“MJ”にユカリと一、桃子と明菜がたどり着いた。

「わーっ、すっごーい!私、こういうところ初めて!」

 今夜このクラブでは、ダンスパーティーが開催されていた。ユカリこと姫乃友梨香…というより浦木麻里にとっては初めてのクラブ。踊り方は知らないが、ミュージックを聴くなり体が踊り出す。

「おいおい、美紗はどーすんのよ」

「あ、いっけな~い」

「ったく、この呑気者」

 そうしてる内に意外と早く、美紗を見つけることが出来た。ふて腐れた感じの美紗は、黙り込んでテーブルにくつろいでいた。

「あ、いたっ。美紗ー!」

 ユカリが声をかけた。しかし美紗はつーんとして、ユカリをシカトした。

「そんなにふて腐れてないで踊ろう」

 そうやって誘うユカリだが、美紗は動こうとしない。

「じゃあ私から踊るよ」

 ユカリは美紗の目の前で踊り出す。

「キャッホー!」

 ミュージックに乗って、ユカリが大いにフィーバーしだした。

「良いなあ、あいつ…生き生きしてて」

 そう小さく呟く美紗が痛快に踊るユカリを、羨ましそうに眺める。

「しゃあない、俺も。ユカリちゃーん!」

 一もユカリの後に続く。


 ドンッ

「あっ!あなたは…」

 ユカリの肩にぶつかったのは、彼女が人気アイドル・姫乃友梨香とは気付かずに髪を切った理髪師だ。

「あんら~あなた、姫乃友梨香のそっくりちゃんね~」

「あっどーも、よく覚えておいてくれましたね」

「私、ここのオーナーとはお友達でよく来るの。どおっ私と踊りませんか~?」

「ハーイ」

 ユカリは理髪師と踊り出した。理髪師は六〇年代に流行ったダンスでユカリと踊る。その後、チークタイムの曲が流れる。

「お嬢さん、ご一緒にいかがですか?」

 ユカリの目の前に、見覚えある青年が現れた。それは彼女を泊めてくれた週刊トップの記者・緒方智紀であった。

「やっと見つけたよ、お姫様」

「お兄さん…なぜここに?」

「髪を切っていても、君のその可愛い顔は覚えてるさ」

 緒方は先輩の記者・辰馬三郎と共に得た情報で、このクラブに来ていた。辰馬は美紗のかつてのモデル仲間から、美紗はよくこのクラブ・MJに通っており、もしかしたらユカリこと友梨香を誘っている可能性があると。実際の経緯の違いこそあれ、姫乃友梨香はこのクラブに来ていた。

「姫乃友梨香さん…一緒に戻ろう。ファンが心配している」

「え…」

 緒方の言葉が、友梨香の脳裏に大きく響いた。友梨香は自分のやりたいことと、事務所がやらせる仕事との、大きな食い違いに嫌気が刺し、事務所から抜け出してきた。しかし友梨香は、肝心なことを忘れていたことに気付いた。いつも自分を応援してくれるファンのことを。

(このまま私は逃げていて良いのかしら…私のことを心配してくれるファンの皆さんに。自分のわがままで、ファンの夢を犠牲にして良いのかしら…)

 友梨香がそう感じた、その時…

「キャー!」

「なんだこいつら!」

 黒服でサングラスをかけた男達が、踊りの輪の中に割り込んできた。

「こら!お客さんに迷惑だろ!」

 従業員が止めに入ったが、すぐに乱闘となった。

「キャー!」

「てめえ、コノヤロー!」

「ユカリちゃーん!」

 乱闘の中で一達が、ユカリを助けに行く。

「さあ、僕と一緒に行こう」

「お兄さん…」

 緒方がユカリ/友梨香を連れ出そうとするが…

「待て!彼女に手を出すな!」

 そう叫んで一が二人に飛び込んでくるが…

「うっ!」

 一をガシッと引き止める男が現れた。

「辰さん!」

 現れたのは緒方の先輩記者・辰馬三郎だった。

「ここは俺にまかせて、彼女を早く!」

「すみません、さあ友梨香ちゃん、裏口へ回ろう!」

「は…はい」

 緒方と辰馬の機転によって、ようやくユカリは大乱闘から抜け出し、クラブを後に外へ出た。


「離せっこら、離せよ!」

 一は辰馬に捕まり、トイレまで連れ込まれた。力の方は辰馬の方が強かった。ダンス・ホールはまだ乱闘中だ。

「暴れても無駄だ。俺は学生時代は柔道部だったんだ。それより君は彼女の何だ?」

 辰馬が一に問う。

「何だって…友達だよ!会って間もないけど…」

「なら彼女が誰だか知ってるのか?」

「え?」

「彼女は人気アイドル歌手・姫乃友梨香だ」

「ええっ!」

 辰馬の言葉に、一は驚いた。

「バカな!あの子はユカリという…」

「ユカリというのは偽名だ」

 辰馬は一に、一部始終を教える。

「ええっ!まさか彼女が…そんな、じゃあ鳥谷も知ってたのか?」

「彼女…姫乃友梨香は歌手デビューする前はモデルもやっていた。モデル時代に鳥谷美紗と知り合い、そして親友になったんだよ」

「何てこった…俺はあの有名アイドルと…」

「まあ後はうちの後輩が何とかしてくれるさ」

「え…?」

 辰馬の言葉に、一は不安を感じた。


「やれやれ、えらい騒ぎだったね」

「は…はい」

 近くの公園まで、緒方とユカリ/友梨香は走ってきた。

「あの…お兄さん」

「なんだい?」

「私のこと…知ってたんですか?知っててあのとき、泊めてくれたんですか?」

「いや、前にも言ったとおり僕は芸能音痴だし、あの時はまだ知らなかったよ。だから泊めることも出来たのさ。でも知ったときはもうビックリしたよ。これで君の顔を忘れるなんてないくらいにね。おかげであの場で君がどこにいるかも分かったし。それよりもどうだった?お姫様の休日は」

「…楽しかったです」

 友梨香は笑顔で答えた。

「でも…もう戻らなきゃ!私を心配してくれる人たちのためにも」

「そうか…」

「お兄さんのおかげで私、思いっきり羽を伸ばすことできました。本当にありがとうございます。でもまだやり残したことがあるんです」

「やり残したこと?」

「友達に…せっかく出来た友達にさよならを言わなくちゃ」

「そうか、よし。君を信じているよ」

「それから…」

「今度はなんだい?」

「貸してくれたお金と服、絶対お返します。週刊トップの編集部を通せばよろしいのですよね?」

「君…」

 緒方はキラキラ輝く友梨香の瞳を見つめた。

「おーい!」

 辰馬が二人に呼びかけた。後から一や美紗達もやってきた。

「緒方、彼らがどうしても彼女にもう一度会わせてくれって…」

「辰さん、ちょうどよかった。実は…」

 緒方が事情を話す。

「そうか、なら先ず君達をうちの車で送っていくよ」

「あの、住みません。ちょっと聞いて良いですか?」

 一が辰馬に尋ねる。

「あの黒服の男達は?」

「おそらく彼女の所属事務所が雇ったシークレット・サービスじゃないかな?うちら一介の記者に任せただけでは心配だから…」

 それを聞いた友梨香は急に悲しそうな顔になった。

「そんな…私のわがままのせいで皆さんを…」

「まあ元気だせって、先ずは君達を家まで送っていこう。友梨香ちゃんもお世話になった方々にお礼を言いたいそうだしね」

 辰馬は自分の車で、緒方と一と友梨香を。美紗達は自分のバイクでそれぞれ帰宅した。


第八話


 さくら荘にたどり着いた友梨香は、先ず美紗の部屋へ来た。

「ねえ…美紗」

「…ん?」

 美紗はまだふさぎ込んでいた。

「私、もう戻るわ。家出少女・ユカリから姫乃友梨香に」

「…そう」

「私、なかなか自分の思うように出来なくて、それが嫌になって抜け出した…でもね私、もっと大切なこと忘れてた。いつも私を応援してくれるファンのことを…ファンあっての姫乃友梨香だもん。逃げたばかりじゃ駄目、もっと自分に誇りを持たなきゃ」

「麻里…」

 ようやく美紗は友梨香を本名である麻里と呼び、顔を上げた。

「ねえ…麻里」

「何?」

「夕方、大張先輩とえらく仲良くしてたじゃない」

「あ…」

「先輩に何て言って別れるの?先輩はあんたのこと、きっと好きなんだよ。そのあんたが実は人気アイドルだってこと、先輩知っちゃったんだよ!どうすんだよ!

「あ…」

 友梨香/麻里ははっとした。一にはもう一人の記者・辰馬が自分の正体を教えいたんだなと。そして美紗の心を敏感に読み取った。

「美紗…あなたもしかして、一君のこと好きなのね?やっぱりそうでしょう!」

「はっ…」

「だったら告白するべきよ!美紗は私より一君に身近くいるんでしょ?私は姫乃友梨香としてやらなくちゃいけないことがある…そりゃ私だって一君のことが好きよ。でも先に好きになったのは美紗の方でしょ?私は抜け駆けまでして、美紗を傷つけてまで恋いはしたくない。人を傷つける恋なんて恋じゃないわ!」

「麻里、あんた…」

「それから美紗、お父さんとお母さんと仲直りして」

「え…?」

 麻里は桃子と明菜から聞いた事柄を美紗に話した。そしてこう言って諭した。

「いつまでもギクシャクしてたんじゃ、何にも解決しないよ!」

 今はもうアイドル・姫乃友梨香ではなく、本来の彼女である勝気で頑張り屋の浦木麻里になっていた。

「麻里…ほんとあんたは言い出したら聞かない頑固なところがあるんだから。モデルの仕事やってるときも、将来の夢を語るときもそうだったね」

 美紗はすっかり麻里の威勢に押された様子だ。

「先ずここは私にまかせて!」

「あ…麻里~」

 麻里は美紗の腕を引っ張り、外へ出た。その様子を車の中から見た緒方と辰馬が話す。

「あの二人、何をやってるんだろう?」

「きっとお世話になった人たちへお礼とさよならを言ってるんでしょう。彼女、礼儀正しいですね。辰さん、俺、すっかり姫乃友梨香のファンになりましたよ…一人の人間としてのね」

「緒方、お前…」

「彼女を信じて待ってましょう!」

 今夜はまだまだ友梨香を見守ることになる二人の記者だった。


 麻里は姫乃友梨香として戻る前に、美紗の両親を仲直りさせようと、美紗と共に彼女の実家へ向かった。そして家に上がったときには、美紗の両親の口論が聞こえた。

「またやってる…呆れた」

「何話してるのかしら?」

 麻里と美紗が耳をすまして聞いてみると…

「美紗は私が引き取ります。愛人のいる父親の元には預けられません」

「いや、美紗は俺が預かる。酒乱の母親の元じゃ心配だ」

 遂に美紗の両親は離婚を決意しているそうだ。

「そもそも美紗があんな風になったのは、あなたが美紗の先輩モデルと浮気するからああなったんですよ!」

「何を!お前こそ美紗が中一の時にスカウトされた時『美紗には良い経験になる』とか言って、モデルをさせて私服肥やしていたのはどこのどいつだ!」

「それはあなたの給料が安いからでしょ!」

「何だと!」

(何て身勝手な親なんだろう…)

 美紗の両親の口論を聞いて、遂に麻里は扉を開けた。

「いい加減にして下さい!何ですか、責任のなすりつけ合いして見苦しい!」

「な、何ですか!あなたは…」

「美紗、帰ってたのか…この子は一体?」

 麻里の突然の出現に驚く二人。そこで麻里は名乗りをあげる。

「私は美紗の親友・浦木麻里です!さっきから聞いてたけれど、何ですか!あなた方がそんなだから、美紗は傷ついてるのよ!」

 麻里はその時、自分がアイドル・姫乃友梨香であることも忘れ、激しく美紗の両親を批判する。

「美紗は…以前、私と一緒にもでるやってるとき、こう語ったの。スカウトされたから、面白そうだからやってみたい…ただそれだけだったの。それを娘がモデルをやってるのをいいことに、父は先輩モデルと不倫、母は上前はねて使い放題の上、浮気亭主の腹いせに娘を八つ当たりの的に。あなたたちは娘を何だと思ってるんですか!美紗があなたたちに何をしたのですか?美紗が退学にも関わるようなことをしてまで追い詰めたのはあなたたちじゃないですか!美紗がアパートで一人暮らし始めたのも、あなたたちが喧嘩ばかりしてるのが嫌になって、仲直りする切っ掛けになるんじゃないかと思ってやったことなんですよ。今あなたたちがしっかりしなきゃ…美紗は、美紗は…」

 麻里は泣きじゃくりながら。美紗の両親の行為を糾弾した。

「麻里…」

 ドアの側から美紗が、黙って麻里を抱きしめ、そして一緒に泣いた。


「ありがとう…麻里」

 さくら荘まで行く間、美紗は麻里にお礼を言う。

「ったく、あんたにゃ適わないよ。私なんてスカウトされたからモデルやてて、周りにチヤホヤされていい気になって、そのせいで自分を見失いかけた。でもあんたと出会ってからは、私はそんな自分が嫌になってきた。あんたはちゃんとしたスターとしての目標を持ってたし、確かな目標も持たない自分が恥ずかしくなった…実はモデルやめたのも、そういった気持ちも働いていたんだけどね」

「美紗…」

 本心を語る美紗に、麻里は優しく微笑んだ。

「じゃあ美紗。次は一君やそのご家族にお別れ言ってくる。今度は家出少女・ユカリとしてね。さよならした後は美紗、一君と仲良くね!」

「うん、先ずは友達…かな?」

「んー、まあいいや」

 等と話してるうちに、一のいるさくら荘に着いた。

「じゃあね、麻里。姫乃友梨香に戻ってからも、がんばるんだよ!」

「美紗もねーっ!」

 親友二人は、お互いに別れを告げた。


「今晩は」

「あら、ユカリちゃん」

 今度は浦木麻里から家出少女・ユカリとして、さくら荘の大家・大張宅に訪れた。出迎えたのはその大家である一の母・桜子だ。居間には一の父・大助や妹・宮乃もいる。居間に入ったユカリは、別れを切り出す。

「実は…家に戻ろうと思うんです」

「家に?」

「家が恋しくなったんじゃないかい?ユカリちゃん」

 大助がユカリに話しかける。

「はい…」

「そうか、その方が良いよ。でもどこに住んでんだい?」

 大助の問いにユカリが答える。

「あの…実は、もう出迎えの車が来ていて、今そこで待っているんです」

「そう…寂しくなるわね。やっぱり家族と一緒にいるのが良いわよ。私たちもあんまり自慢にはなんないけど、一応家族四人、仲良くやってるから。ユカリちゃんもあまり御家族に心配かけず、仲良く暮らしてね」

 桜子がユカリに優しく語りかける。

「はい、おばさん。こんな家出娘を、今までこの『さくら荘』に置いてくれて、本当にありがとうございます。世の中にはこんな良い人がいるなんて…私、もっと人を信じて生きてゆきます」

 元気よく挨拶するユカリ。そこへ宮乃が近づいてくる。

「ユカリさん…いなくなると寂しいな。せっかく姉貴が出来ると思ったのに…」

「大丈夫よ、宮乃ちゃん。また会えるわよ」

「え?」

 その言葉通り、宮乃はこれからもそのショートカットの少女・ユカリにテレビで会えるのだ。宮乃が嫌ってた姫乃友梨香として…しかしその頃には宮乃もすっかり姫乃友梨香の大ファンになっている。

「一君は?」

「二階にいるわよ」

 ユカリは二階に上がり、一の部屋へ向かった。


「美紗…父さん身勝手すぎた。父さんもう、浮気しない。今付き合ってる愛人とも、きっぱり別れるよ」

「母さんももう、あなたに当たったりしない。お酒もやめるわ。お金のことでも不平言わないから」

 美紗の実家では親友・浦木麻里のおかげで、美紗の両親はすっかり仲直りしていた。

「そうか…これでやっと仲直りか。じゃあ迷惑料として、私のバイクもガタがきちゃったから、新しいの買ってくれる?」

「へ?」

 美紗の両親は眉をひそめた。

「冗談よ、もうバイクは卒業。中古屋に売って、それで仲直りパーティーでも開こう」

 両親はほっとする。続けて美紗が話す。

「アパートは明日、引き払うよ。学校にもちゃんと謝っとく。大丈夫、退学なんてしないよ。その辺の責任は自分でちゃんと取るからさ」

「美紗、お前…」

「大人になったのね…私たちの知らない間に」

 両親は感心する。

「でももうちょっと子供でいるからねっ、なーんてね!」

「アハハハハハ」

 鳥谷一家に明るい笑い声が戻った。


「…一君」

 ここは大張家、一の部屋。明かりはついているが、一は落ち込んでる様子。鍵は開いており、そこに家出少女・ユカリが現れる。

「ユカリちゃん…な、何て言ったらいいか…」

 一はたじろく。

「記者のお兄さんから聞いたんでしょ、そう…私はアイドル歌手の姫乃友梨香。やっぱり私、応援してくれる人たちをほっとけない。だからもうお別れ」

「…ユカリちゃん」

 はっとして一が振り向いた。

「一君、いろいろ楽しい想い出をありがとう。私、一君のこと、決して忘れない。一君の絵、もう描くこと出来なくてごめんなさいね」

「いいんだよ。でも君の絵は、きっと僕が完成させるよ」

「それと…美紗のこと大切にね。美紗は一君のことが好きなのよ。だから大切にしてやってね。美紗って強がってるようでも、根は繊細だから、ここは一君が付いていてやらなきゃ…だからお願い、ね?」

「鳥谷…そうか、あいつ…」

 一はユカリの発言から、美紗の気持ちを悟った。

「一君…じゃあ、ちょっと目をつむって」

「…こうかい?」

 一は言われたとおりに目をつむった。その時に…

 チュッ

「あ…」

 一の唇に、柔らかくて暖かいものを感じた。

「今のは美紗には内緒よ。じゃ、美紗と仲良くね」

 一に明るい笑顔を残し、ユカリは一の元から去っていった。また姫乃友梨香に戻るために。初めての口づけに、一は呆然と立ちすくんでいた。

「ユカリちゃーん!」

 そう言いながら一は外へ飛び出すが、もうユカリはアイドル・姫乃友梨香として辰馬と緒方の乗る車の中にいた。そしてもう去っていったところだった。

「ユカリ…」

「先輩、じゃなくて…は、はじめ…」

「?」

 一の後ろから声がかかった。一が振り向くと、それは高校の後輩・鳥谷美紗だった。

「鳥谷…」

「美紗でいいよ。ね、しばらくそこ歩こう」

「う、うん」

 一と美紗は歩き出した。

「そうか、美紗の両親やっと仲直りしたか」

「一達にもいろいろ心配かけさせちゃった。ごめんね」

「まあいいさ。アパートの方どうするんだい?」

「明日に引き払うわ。でも、せっかく…ようやく一とも仲良くなれたんだもん。また遊びに来てもいい?」

「もちろんさ。美紗ならいつでも大歓迎」

「よかったーっ!一、好きーっ!」

 チュッ

「あっ…」

 一はこの一夜に、ファースト・キスとセカンド・キスを体験し、それはもうたまらない思いだ。気を取り直して、一は切り返したように言う。

「ったく…大胆だなあ美紗は。あ、そうだ。姫乃友梨香のこと、話してくんないかな?俺、ファンなんだ」

「ぷぷっ、いいわよ。そーだなーあれはねー…」

 突然の切り替わりに思わず吹き出した美紗だが、その晩は姫乃友梨香の話題で持ちきりだった。こうして一と美紗の想いはひとつになった。麻里、ユカリ、そして姫乃友梨香の一人で三人分の存在によって…


第九話


 四月を迎え、大張一は高野台美大の一年生として勉学に勤しんでいた。高校の後輩で恋人の鳥谷美紗との交際も順調だ。その一が大学の帰り、美紗から相談を受けていた。

「一、実はさ、私…」

「どうしたんだい?また家庭で何か?」

「違うよ、将来のことで…」

「将来のことって…まだ早いだろ?けっこ…」

「違うよバカッ!高校卒業後の進路のことだよ!」

「ああ、そうか…」

「もう…」

 交際してから一ヶ月で、既におのろけモードだ。

「私ね、デザイナーになろうと思うんだ」

「デザイナーに?」

「私、モデルやってたから、着こなしでは自己流にアレンジもしたりしてたし。その経験を生かして服のデザインをしようと思うんだ」

 美紗は自分の将来について語り出す。

「チーフマネの宇田川さんは元々デザイナーもやっていて、私が撮影衣装についてあれこれ注文していたら『美紗ちゃんは良いセンスしてる』て言われてさあ」

「何事もチャレンジだね。俺も応援するよ」

「ありがとう、一…でも私がこうして目標を見つけることが出来たのも、友梨香…麻里のおかげなんだよね。あいつだって迷ったり壁にぶつかったりすることもあるけれど、自分の夢に向かって頑張ってるからね」

 美紗にとって親友であった姫乃友梨香こと浦木麻里との再会は、美紗の将来へ向けて良い刺激になったそうだ。

「そうだな、ユカリ…友梨香ちゃんもきっと俺達の未来を見守ってくれてるよ」

 一にとってユカリも友梨香も仮りの名で芸名ではあるが、一に向けられたのは本物の彼女の真心だ。

「私、早速『クリエイトフォース』へ行って、宇田川さんと相談してくるよ」

「よし、俺も画家として姫乃友梨香ちゃんの絵を完成させるぞ!」

 二人は未来への夢を誓い合った。


「ただいまー」

「あ、兄貴。おかえりー」

「ん?なんだ宮乃、その格好は?」

 ここは一の自宅『さくら荘』の大家・大張家の住まい。帰宅した一は妹・宮乃の姿を見て驚いた。

「へっへー、私、姫乃友梨香親衛隊に入ったんだ」

「そ、そうか。ついに宮乃も…」

 最初、宮乃は姫乃友梨香を嫌っていた方だったが、ショートカットにした友梨香を見て親近感が湧き、今ではすっかり姫乃友梨香のファンになっていたのだ。

「親衛隊か…本山によろしく頼まないとな」

 親衛隊には一の友人・本山も所属している。

「友梨香ちゃんて、先月うちにいたユカリちゃんに似てるんだよね~今まで気付かなかったよ。歌い方も前より変わってきたみたいで」

(似てるも何も、ユカリちゃんが姫乃友梨香なんだけどね…まあ宮乃はユカリちゃんの正体を知らずに別れたんだからしょうがないか。)

 友梨香が事務所を脱走中に家出少女・ユカリと名乗り、ひょんなことから大張家のお世話になり、そこの兄妹とも仲良くなった。兄・一はユカリが有名なアイドル歌手だというのを最後に知ったが、妹・宮乃は最後まで知らず、お別れの時も単に『実家に戻る』と伝えただけだった。どうやらユカリの正体を知る者は美紗と一だけだった。

「やっと宮乃も友梨香ちゃんの良さが分かったか。よし、兄妹揃って姫乃友梨香を応援しようぜ!」

「オーッ!」

 今夜の大張家は賑やかになりそうだ。そこへ母・桜子が入ってきた。

「あらあら兄妹仲のよろしいこと。もうすぐ夕飯よ。今夜はお父さんがビーフシチュー作ってくれるそうよ」

「うへ~また苦いの喰わされそう」

「父さん料理に凝り出して、将来食堂でもやるつもりなのか?」

 一と宮乃は呆れた様子だ。

「いいじゃないの、どうすれば美味しくなるか、私達でアドバイスしてあげましょうよ」

「それもそうだ。じゃあ親父の将来に向けて!」

「ハハハ、大げさだよ兄貴」

 大張家に明るい笑い声が響いた。


 明くる日、大張家に一通の封書が届いた。宛名は大張一である。

「誰からだろう…?これは…」

 差出人の名は姫乃友梨香であった。

「コンサートチケット…ちゃんと家族4人分入ってる」

「はじめーっ!」

 大張家に美紗が飛び込んできた。

「一んちにも届いてた?コンサートチケットが…」

「もちろんだとも!」

 美紗の家にも家族の人数分、姫乃友梨香のコンサートチケットが郵送されていたのだ。

「でもどうやって家族に説明しようか…」

「私んちは話付くけど、一のところは…」

 かつて姫乃友梨香のモデル時代の仲間だった美紗の場合、両親もその辺は知っていた。ただし夫婦間の仲裁をしたのも友梨香だと知ったのは、後のことではあったが。

「じゃあもう私が紹介したって事にしておくよ」

「そうだな、うちの家族にもそう説明しておこう」


 一は家族に姫乃友梨香のコンサートチケットが届いたことを話した。側に付いてきた美紗も自分が紹介したと話す。

「来週あるのか…日程も時間もちょうどいいから行ってみるか、母さん?」

「そうねえ…一の入学祝いにもいいタイミングだしね」

「でも私はどうしよう?親衛隊で予約入れてるから…入ってばかりでキャンセルなんて印象悪くするよ」

 姫乃友梨香親衛隊である妹・宮乃は少し迷った。少し考え込んだように、美紗が話を切り出す。

「じゃあ残り一枚は私の知り合いに渡しておくよ」

「知り合い?」

「ちょっと昔、お世話になった人にね…」

 一はふと気付いた。

「お世話になった人って、元居たモデル事務所の宇田川さんていうマネージャーの人?」

「まあ、そう…」

「へー美紗さんて、またモデルやるの?」

 美紗に問う宮乃。

「いや、デザイナーの方だよ。ちょうど明日、宇田川さんと会う約束を取り付けたんだ。その時にチケット渡しておくよ」

「美紗さんがデザイナーか…なれるといいね」

 そう呟く宮乃に続いて、一も一言。

「美紗ならなれるよ、美大生の俺が言うんだから間違いない!」

「少々ジャンル違いな気もするけど…ありがとうね、一」

「もう、またのろけてー!」

「ハハハハハ」

 さくら荘から笑い声が響く。


 翌週、姫乃友梨香のコンサートが開催された。一や美紗の家族と宇田川女史は、会場でも真正面から見える、とても良い席に座っていた。宮乃が属する姫乃友梨香親衛隊は二階の最前列にいる。

「友梨香ちゃん…もうそろそろだな」

 幕が上がり、伴奏と共に姫乃友梨香が登場する。

「みなさんこんにちわー!姫乃友梨香でーす!先ずは一曲目!」

「いっせーのー、ゆーりかー!」

 会場のファンや親衛隊が大きな声援を送り、コンサートは開始された。


「皆さん、今日は私のコンサートに来て下さってありがとう!」

 オープニングで三曲歌唱した後、友梨香のフリートークが始まる。

「皆さんもご存じかと思いますが、私は一週間ほど休んでました。その時に考えていたことを話します」

 改まって話し出す友梨香。

(どんなこと話すんだろう…)

 一や美紗も胸が高まる。

「私はお休みに入る前は、自分は何でこの仕事をしているのか、これが自分のやりたいことなのか?なんていつも悩んでいました。いっそ投げ出してしまいたいくらいでした。そんな私が休んでる間に、いろいろと考えていました。そして気付いたんです。私には…いつも応援してくれる、私の家族や友達、ファンの皆さんがいるということを。今の私がここにいるのは、応援してくれる皆さんが居るおかげです!ですので今日は皆さんにありがとう!感謝の歌を歌います」

 その後、友梨香は熱唱の限りを尽くした。


「友梨香…いや麻里。あんたすごくかっこいいよ」

 美紗が親友の艶姿に感心して呟く。

「俺、これからも友梨香ちゃんのファンでいるよ」

 一が心に誓う。

「あれ、もしかして友梨香ちゃんて…ユカリさん?」

 親衛隊として応援する宮乃はふと感じた。


 コンサートは盛況のまま終幕を迎えた。会場を出た一や美紗達もご機嫌だ。

「友梨香ちゃん素敵だったなあ、今度はちゃんとチケット買って観に行こうな」

「うん、そうだね」

 感想を言い合う一と美紗。

「鳥谷さん、今日はご招待ありがとう」

 美紗にお礼を言うモデル事務所『クリエイトフォース』のチーフマネージャーで専属デザイナーの宇田川永子女史。

「いえ、こちらの方こそ今後ともよろしくお願いします。宇田川さん」

 美紗もデザイナーとしてデビューするのに宇田川と交渉していたところだ。先日あったときも、自作のデザイン画を手渡していた。

「でも心配だわ…」

「あのデザインに何か?」

 不安そうに答える宇田川に問う美紗。

「いえ、あなたの作品の事じゃなくて、麻里…姫乃友梨香さんのことよ」

「彼女のことで何か?」

 一も宇田川に問う。

「彼女は生真面目な性格で、それ故に頑固なところがあるから、そんなところが裏目に出なければ良いんだけれどねえ…」

 この業界にいるのも長い宇田川は、友梨香の将来を心配している。

「大丈夫ですよ、宇田川さん。彼女は…友梨香は私達の応援を裏切るようなことはしませんよ。もう二度と…」

「二度と?」

「あ、い、いえ」

 美紗は友梨香がユカリと名乗って一達と過ごしていたことを、宇田川には話していなかった。姫乃友梨香脱走劇は一と美紗にとってはもちろん、業界全体にも秘密にしておかなければならないことなのだ。

「私の知ってる彼女は、思いやりのある義理堅い人ですから、大丈夫ですよ!」

「そうねえ、だったらいいのだけれど…」

 自信持って断言する美紗に押し切られる宇田川であったが、果たして宇田川の不安は、単なる思い過ごしで終わるのだろうか…


終章


 あれから一年…四月を迎え大張一は大学二年になった。高校三年生の恋人・鳥谷美紗との仲も順調だ。美大に入ってからの一は、絵の実力もさることながら、同じ姫乃友梨香ファンの友人もたくさん出来た。今春も始業して間もないうちに、友梨香ファンの後輩とも意気投合。順風満帆な一年を過ごした。姫乃友梨香の肖像画も完成し、今や大張家の家宝となっている。

 美紗はモデル時代の経験を生かし、ファッションデザイナーを目指している。ファッションショーのための服ではなく、一般に着こなせるオシャレな服を作ろうと、現在、モデル時代の事務所『クリエイトフォース』に戻り、デザイナーでもあった宇田川チーフマネージャーの教えを受けているところだ。

 中学二年生になる一の妹・大張宮乃も学校の空手部で腕を磨いている。今では兄と共にすっかり姫乃友梨香の大ファンになっている。『姫乃友梨香応援隊』に入って追っかけもやっていて、いろいろ忙しい。

 『週刊トップ』の記者コンビ、緒方智樹と辰馬三郎は今でも現場第一主義で仕事をしている。

 彼らにはそれぞれ姫乃友梨香という想い出を抱き、それを励みに生きているのだ。直に触れ合えた友梨香との想い出…それは心のふれあいであった。あの『姫乃友梨香失踪事件』の数日間の裏には、掛け替えのない想い出を残したのは、実際触れ合った者にしか分からない。


 一が通う美大の名門・高野台美術大学が始業して間もない頃の昼休み。一は同じ姫乃友梨香ファンの後輩達と共に、食堂で談話していた。

「先輩が友梨香ちゃんのファンで嬉しいっすよ~」

「本当、姫乃友梨香は俺達の命!です」

「ハハハハ、大げさだなあ。でも俺も嬉しいよ」

 そんな時、食堂のテレビからニュースが流れた。

「只今、入りましたニュースによりますと、今日午後零時頃、歌手の姫乃友梨香さんが所属事務所のあるビルから飛び降り、全身を強く打って死亡しました。十八歳でした…」

「え…?」

 一は一瞬、耳を疑った。


 姫乃友梨香の突然の死は、様々な憶測を呼んだ。自殺とか他殺とか、またその原因について様々な説が飛んだ。ファンの中では後追い自殺をするのもいた。

 やがて姫乃友梨香らを中心に栄えたアイドルブームも下火になり、時代の変化という波に飲まれていった…

 しかしこの時代を生き抜いてきた人々にとっては、姫乃友梨香という想い出が心の中の欠片フラグメントとして、今もなお残っているのであった。


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