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ある木曜日の昼下がり

 なぁに、単純なことさ。ティーバッグをマグカップに入れてお湯を注ぐだけ。簡単だろ? え、それ位は分かってるって?じゃあいいじゃないか。すぐに作れるだろ。

 ヒガヤマは僕にティーバッグの作り方を教えてから部屋を出ていった。僕は言われた通りにティーバッグをマグカップに入れてお湯を注いだ。彼が指差した電気ケトルには殆どお湯が入っていなかった。その中身を全て注いでも、マグカップの半分しか満たさなかったけど、僕はそれで我慢した。勿論紅茶の作り方ももっと美味しく淹れる方法も知っている。けれどヒガヤマという男は自分よりも劣っているところのある人間が好きなのだ。ティーバッグの入れ方が分からない程度の嘘は、()いても構わないだろう。嘘だということはわかっていたようだけど。

 紅茶を飲み干して部屋を出る。鍵はかけなかったが、アイツの部屋に空き巣が入るようなことはあるまい。

 外はどんよりと雲っており、今にも雨が降りだしそうだ。雨が降る前の生臭い香りが辺りに漂っている。しまったな……傘なんて持ってきてないぞ……。駅までは遠いので、僕はヒガヤマのアパートの近所のサンクスに寄って傘を買うことにした。そこのある店員の対応が中々に不快だからあまり使わないようにしているけれど、今回ばかりは仕方あるまい。僕がコンビニに入っていくと、案の定というかその店員がレジで対応していた。

 「っらっしゃーせー」という気の無い挨拶。クチャクチャとガムを噛む音が店中に響く。平日の昼下がり、2時を少し回った頃の店内には私以外誰も客は居なかった。暇なのは分かるが、店内でガムを噛むのは止めていただきたい。それから携帯を葬るのはせめて客の居ない間にして欲しい。そう思うものの、とりあえず僕は傘を彼の目の前置いた。ちらりと彼のネームプレートに目をやると、宮原と書かれていた。

 宮原は舌打ちをし、携帯をポケットにしまった。何なんだ。流石に憤りを隠せない。もし拳銃を持っていたならば、間違いなくこの宮原という男のこめかみを撃ち抜いていただろう。

「……504円になります」

 私はムスリとしながら、宮原にお金を渡した。そのまま帰ろうとすると、彼が僕の腕を掴んでいる。顔を見るとニタニタと笑っていた。キモチワルイ。

「……何ですか」

「レシート」

 常人ならばレシートを渡すだけで腕など触るまい。此奴は僕の顔を見て妙なことを考えたのだろう。

「レシート、要りませんので捨てて下さい。あと、手を離して頂けませんか?」

 男は僕の声色に驚いたようで力を緩めたが、まだ放さないようだ。

「へぇ。君可愛い顔してるのにそんな声なんだね」

 いい加減にしろ。

「言っておきますけど、僕、男ですから」

 そう言って僕は男の手を振りほどいた。宮原とかいう変態野郎は勢い余って転んだようだ。ざまぁみろ。僕は二度とこのコンビニに来ないことを、心に誓った。そして二度とあの男に会わないことを神に願う。

 コンビニから出ると、やはりというか、雨が降り始めていた。ザァザァと音を立てるほどの強い雨。僕はビニール傘を差して、水たまりを踏みつけて歩いた。

 少し行ってから振り返ってアパートを見ると、アパートが少し霞んでいる。ヒガヤマはまだ帰ってこないだろう。――鍵をかけてきたほうが良かっただろうか。

「アイツのことだから、大丈夫だろう」

 僕はハスキィな声で呟いた。


「お嬢ちゃん」

 突然声を掛けられて驚いた。

「落とし物」

 見ると、アパートの大家さんが僕のハンカチを持っている。右手に買い物袋を抱えていて、袋一杯に、野菜とか肉とかが今にも溢れ出そうなほどに入れられていた。

「あ、ありがとうございます」

「もう帰るのかい。気をつけてね」

 言いながら、買い物袋から野菜ジュースを取り出して濡れてしまったハンカチと一緒に渡した。あげるよ、とだけ言い残して、アパートに消えていった。僕には――気のせいかもしれないけれど――彼の後ろ姿は嬉しそうに見えた。

 僕は雨の中、一人で帰路についた。

 


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