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神楽

「呪いだって」

「黒猫様の呪いだって」

「人を殺すんだって」

「黒猫様は、自分からは神社から出れないんだって」

「でも依頼を受けると、どこまでもとり憑いてくれるんだって」

「黒猫様を怒らせたら、呪い以上に怖い罰が下るんだって」


「それで、レギュラーは取れそうなの?」

「無茶言うなよ。まだ一年だぜ」


境内でキャッチボールをしながら、僕と黒音は汗を流した。練習が休みの日は、こうして黒猫神社で自主連するのが僕の日課になりつつあった。まず朝ここに来て、風で散らばった「呪いの依頼」を拾って掃除する。それからキャッチボールにシートノックなど、軽いメニューを彼女に付き合ってもらった。最近の「変な噂」による黒猫神社への悪質な「嫌がらせ」に、とうとう賽銭箱は撤去されることが決まっていた。それでもどこからやってくるのか、相変わらず心無い人たちの「依頼投稿」は続いていたが、これで若干は減らせるだろう。


「黒猫神社の掃除がしたい」


 そう彼女にお願いした時、黒音はしばらく間を置いて嬉しそうに頷いてくれた。どうすればこの悪い流れを断ち切ることができるのか分からなかったが、僕なりに彼女を元気づけたかったのだ。ただ、その際黒音は、妙な提案をした。


「掃除に来るのは週に一回。夕日が沈むまでには必ず鳥居から外に出ておくこと」


 そう念を押された僕は、何も聞かず黙って頷いた。脳裏には、「黒いあれ」の縦長の赤い目がチラついていた。


 光と影が切り離せないように、「あれ」と黒音も表裏一体なんだろう。それが僕と小鳥遊が出した結論だった。僕らに笑顔を見せる黒音もいれば、人を平気で呪い殺す「あれ」も同じく彼女の中に存在している。どちらが良くてどちらが悪いかなど、結局は人間側から見た価値観でしかない。高橋の死後、僕らの町にはどんよりと重い空気が立ち込めていた。


 「もう! どこに打ってんのよ!」


 ポーンと打ち上げた僕の打球は、右にスライスして併設された公民館の向こうに消えていった。外野フライの練習をしていた彼女が、怒ったようにボールを拾いに走った。


「ごめんごめん!」


 僕は彼女が背を向けるのを見届けると、素早く賽銭箱に近づきポケットに隠しておいた紙を木の隙間からねじ込んだ。賽銭箱にこういうことをして、後でどんなバチが当たるのか分からない。触らぬ神に祟りなしと言うが…そもそも最初に触れてきたのは黒音の方からなのだ。



 一通り汗を流し、約束通り夕日が沈む前に僕は鳥居から外に出た。噂によると、黒猫様は依頼を受けるとどこまでも追いかけてとり憑いてくるそうだ。もっとも最近じゃ「依頼」の方が溢れかえっているから、果たしてどんな順番で呪いをかけられるのか分からないが。僕は道端で猫のように目を細めて、しばらく沈んでいく夕日を見送った。



 その晩小鳥遊から電話があった時、僕は風呂上がりで二階の自分の部屋で寝っ転がっていた。「とにかく急いで黒猫神社に来てくれ」と言われ、僕は新しく買った自転車に跨って県道を飛ばした。いきなり効果があったのだろうか。目的地前で急ブレーキし、僕は転がるように鳥居をくぐった。


 足を一歩踏み入れた瞬間、ぐにゃん、と空間が捻じ曲がった気がした。それまでとは違う妙にべっとりとした空気が僕を包む。それでもお構いなしに僕は叫んだ。


「小鳥遊ッ!?」


 返事はない。静まり返った境内に、僕の声だけが響く。僕は賽銭箱へと向かった。


「斉藤君!?」


驚いた顔の黒音が、そこで立って待っていた。僕は息を切らし、流れる汗を右腕で拭いながら彼女に聞いた。

「此処に小鳥遊来なかった!?」

「ううん。来てないよ」


 彼女の右手に、一枚の紙が握られていることに、僕は気がついた。黒音が悲しそうに僕を見つめた。僕も彼女の目から視線が離せなかった。しばらくの沈黙の後…。


「…あれだけ念を押したのに」


 そう言った瞬間、まるで猫のように、ギュンッ!と彼女の黒目が眼孔いっぱいに広がった。グシャッと紙が握りつぶされ、いつの間にか伸びていた長い爪で僕は為すすべもなく喉元を貫かれた。熱い。焼けるような痛みが首から広がっていく。速すぎていつ刺されたのかさえ分からない。視界が真っ黒に染まっていく中、縦長の赤い目がこちらを睨んでいるのを僕は見た。ソイツは口を広げ、僕の首から上に牙を突き立てた。絶命する直前、僕は化け猫が電話で騙して主人公を呼び出す映画の話を思い出していた。


 こうして僕が初めて出した「ラブレター」は、そこらへんの冴えない男子高校生と同じように僕に深い、とても深い傷を与えることになったのだった。






「えー…ここがかつて化け猫が出たと噂の神社です。光雲先生、よろしくお願いします」

「任せなさい。動物霊というのはね、私の得意分野でもあるんだよ。大体相手がどんなことをしてくるのか、手に取るようにわかる。所詮は動物の浅知恵よ」

「流石です先生。なんでもこの化け猫、もとはこの神社に祀られていたのだとか。人を呪う神様なんてのが存在していいものなのでしょうかねえ」

「まぁ君、貧乏神なんてのがいるくらいだから、人に悪いことをする神様がいたって不思議ではないよ。そもそも古来日本では…ってうぎゃああああ!!!」


「どうしました先生!? 先生ッ!? なんだこりゃ…液体?」

「ああああっ!!」

「これは…もしかして硫酸か? 理科の実験室にあるような…ってうがあ!?」

「ああああああ!! 君…君!! ハァ…ハァ…気絶するんじゃあない!やめろ!寄るな…卑怯だぞ!動物霊が金属バットで後ろから人間を殴るなんて…ちゃんとルールを…ぎゃあああああ!!」




 静かになった彼らを神社の外に放り投げ、僕と黒音は賽銭箱のなくなった石畳の階段に座り込んだ。あれからすっかり時が立ち、ここもかつての神社とは程遠く寂れてしまっていた。草木は荒れ果て、灯りも途絶え底なしの暗闇に佇む木造物には、猫一匹寄り付かない。それでも噂を聞きつけた輩が、いまでもこうして「依頼」や「妖怪退治」にやってくる。


 疲れた黒音が寝静まったのを感じ、僕は袖からスマホをチェックし未読の「依頼」にザッと目を通した。依頼をこなすかどうかは、猫のように気まぐれな「あれ」次第だ。僕が何故、いつまでこうやって「こんな事」をしてられるかも、所詮は「あれ」の気分次第なのだ。


 それから日が昇ったあと街へ行き、携帯料金を払い、帰りに新しいバットを買った。「姉ちゃん、そんなカッコで野球するのかい?」ショップのオヤジが浴衣に下駄履き姿の僕を見て、目を丸くした。僕は低く喉を鳴らして笑った。


 店から外に出て、降り注ぐ日の光に目を細める。「黒いあれ」と黒音が引き離せない存在だというのなら、せめて彼女だけに苦しい思いをさせたくない。その一心でお願いしたあの日の手紙は、そういえばちゃんと神様の元へと届いたのだろうか。僕は答えのない青い空を見上げた。今日は絶好の野球日和になりそうだ。


 でも日が沈む前までには、ちゃんと鳥居の「内」に帰っておかなくては。

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